傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

「週刊朝日」記事:小沢一郎の人間像について・・・不器用な一徹の印象!

2009-12-24 07:15:39 | 生活の党・小沢一郎

週刊朝日」(1.8)に、20年にわたってウオッチし続けた「小沢研究」の第一者といわれる渡辺乾介氏(政治記者)が『小沢一郎の作法と流儀』を寄稿しています。

1990年以来、100回ぐらいインタビューし、20年間、ウオッチングし、『小沢一郎 嫌われる伝説』の著者である渡辺乾介氏が、小沢一郎氏の日常生活の「作法」と、政治への「論理」について「週刊朝日」に語っています。

書き出しは、小沢一郎氏は取材の受ける約束は厳守し、インタビュー記事のゲラ直しは一切しないと、他の政治家との相違を語っていますね。

小沢一郎氏の「作法」としては、

小沢一郎氏は、仕事(政治)と遊び(私事)については、厳格に分けている。
趣味の囲碁は、対局中は終始無言で、棋風は徹底的な理詰めで冒険はしない。

渡辺氏は、「小沢氏は人物月旦に関わることは、一切漏らさない。」を語っています。
”「私(渡辺氏)が「あいつはダメでしょう」などと挑発しても、聞こえないふりをして答えない。
囲碁でも相手の棋風は言いません。
母親のみちさん(95年死去)は、一人息子が大臣の子として特別視されないよう、厳しく躾けました。
男は言い訳をしない。人の悪口は言わない」という教育は徹底していた。
小沢はこの教えをいまだに厳格に守っているわけです。
」”

小沢氏は、多忙でも、結婚記念日と妻の和子さんの誕生日は早く帰宅、夫婦で漫画「浮浪雲」のファンで、小沢氏は主人公の妻「かめ」を模して、和子さんを「かめさん」と呼ぶ、庶民的な生活、義理固さ、酒量の節制を紹介しています。

小沢一郎氏の「流儀」としては、

渡辺氏は、「小沢氏は、徹底した合理主義者として、地位やポストといった属性から生じる権威は認めない。」と語っていますね。

”「相手が若くても、能力の高い人であれば敬意をもって接する。
逆にプロとして要求する水準は高いから、そこに達していないとはねつける。
相手が政治家や記者でも同じです。

小沢はこれまで、「独断専行」、「二重権力」、「壊し屋」、「わがまま」などと、さんざん言われてきました。
小沢は、政治とは何か、政治家とは何かということについて極めてストイックで、「政治とは妥協の産物である」という政治スタイルを嫌います。
そのストイシズムが徹底しているから、小沢と行動をともにしてきた人でも、いつしか「それはそうなんだけれど、何もそこまで・・・・」と付き合いきれなくなる。
その繰り返しです。
」”

渡辺氏は、今の小沢の政治的原体験は91年の湾岸戦争とし、開戦5時間前にアメリカから通告があり、日本は国連平和維持活動に自衛隊を派遣できず、「日本はカネだけ出して血は流さないとバカ扱いされた。この悔しさだけは死んでも忘れない」と今でも言っていると紹介しています。
そして、小沢氏の日本観は、自立した共生社会を作って、日本が貧困や環境といった世界的課題を解決する牽引役を担うことで初めて、日本人が尊敬され信用される。と真面目に考えていると。

小沢が一番嫌い、しかも多用する言葉は「ご都合主義」で、政治家の「いい加減さ」をきらい、周囲にもそれを求める。
しかし、そこに人間性の広さや深さがあれば、共感が広がるのでしょうが、小沢は近しい人にも「ありがとう」と言えない人で、サービス精神は完全に欠落し、だから嫌われるわけと語っています。

小沢一郎氏の「論理」としては、

小沢は、みんなが政権交代の勝利の美酒に酔いたくても、政権交代した瞬間から、この政権が次に向うところはどこかという点へ問題意識が移っている。
小沢の辞書に「急がば回れ」は無いと語っています。

そして、「権力は常に自己改革し続けないと腐敗する」という「不断革命」の考えであり、民主党政権が変容すれば、新たな政治改革するだろうと推測していますね。

「週刊朝日」の記事で、「小沢トリビア」で、

”「国会の開会式の日は、本会議場ではなく国会議事堂の前庭で天皇陛下を迎える。皇室関係で記帳があるときは必ず朝一番に行く」”とし、
「天皇陛下は国民統合の象徴であり、国民そのものだというのが持論です」と紹介しています。

「週刊朝日」の記事を一読し、メディア報道から推察する小沢一郎像と、ギャップがありますね。
小沢一郎氏の将来思考の合理主義は、身近な人間は、「そこまでしなくても・・・」と思うでしょうね。
また、小沢一郎氏の人間性に共感した人間は、強烈な小沢ファンになるでしょうね。

当方は、本ブログ「渡部恒三議員よ!年寄りの跋扈は、改革の障害!」で、渡部恒三議員が小沢幹事長批判を広言することに不快感があると書きましたが、確かに、小沢幹事長は他人を批評しないですね。

渡辺氏は、小沢幹事長は、徹底した合理主義者者として、「逆にプロとして要求する水準は高いから、そこに達していないとはねつける。相手が政治家や記者でも同じです。」と紹介していますが、小沢幹事長の記者会見を連想しますね。
格調の高いブログ「永田町異聞」様がエントリーの、「フルオープン小沢会見にみる政策記者の不在」で、積年の自民党政権の間に「政局記者」はゴロゴロ育ったが、「政策記者」がほとんど不在とし、スキル不足の記者会見には、同感の思いですね。

小沢幹事長が、習近平国家副主席との特例面会の手続き問題で、羽毛田宮内庁長官を過激な言葉で批判しましたので、小沢幹事長の天皇感には関心がありました。
小沢幹事長が、”「国会の開会式の日は、本会議場ではなく国会議事堂の前庭で天皇陛下を迎える。皇室関係で記帳があるときは必ず朝一番に行く」”の天皇感を知り、石破茂政調会長が小沢幹事長批判は、的外れですね。

小沢幹事長は、本人が言っているように、口下手で、演説嫌いは、わかりますが、「週刊朝日」の記事によれば、「ありがとう」と言えない不器用であり、徹底した合理主義の一徹さは、誤解を生む、好かれない損なタイプの人間ですね。
そのことで、逆に、良くも悪くも「小沢神話」が醸成されてゆくのでしょうね。



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