傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

菅首相の「第三の道」は、当たり前の世の中の仕組みであり、本質論とは思えず。(雑感)

2010-06-27 22:43:48 | 民主党(菅政権)
テレビ朝日の番組「サンデー・フロントライン」で、菅首相の知恵袋といわれる小野善康氏(大阪大学教授)の増税を雇用創出に充当すれば、経済が活性化し、国民に経済効果が還元でき、経済規模が拡大するという説明を視聴したが、当方には、当然の世の中の仕組みであり、なんら特筆するような内容と思いませんでした。
当然の世の中の仕組みが機能不全に陥っていることが問題であって、本質的な問題ではないと思いましたね。

当方は、経済・政治音痴であるが、菅首相の掲げる「強い経済、強い財政、強い社会保障」の循環で、「財政健全化」「経済成長」を目指すことは、当たり前であり、小野善康教授が強調する「増税で雇用創出させ、経済活性させ、税収増・可処分所得増につながり、財政健全化につながる」論説は、世の中の仕組みで当たり前の話であり、当たり前の話にコメントのしようがないですね。

「第一の道」は公共投資でインフラ整備に雇用創出させ経済基盤を形成、「第二の道」は「第一の道」の後遺症(バブル破綻)を規制緩和で強い企業を形成させたが、社会的弱者(格差・貧困)を増大化した社会の歪を醸成、「第三の道」は、社会的弱者を社会参加させるだけの話としか思えず、それを増税で社会弱者に社会参加させるだけの話であり、それを透明性をもってやるという当たり前の話にすぎないですね。

当方は、当たり前の話が当たり前でないことが、日本社会の本質の問題と思っています。
日本は、戦後の復興・経済成長を果たしたが、その後、社会全体が「老化体質」「自閉気質」の硬直化社会になったのは、経済的な施策の是非は表層的な問題で、根源的な問題が考察がされてこず、政策に活かされず、対処療法だけできたのでないかと思いますね。

当方は、文化論的な問題が重要ではないかと思いますね。
本ブログ「中谷 巌氏の新自由主義にもとづく構造改革の懺悔のついて」で、”「経済に疎い当方は、中谷 巌氏の反省の記を読み、初めて経済学は人間の営みを考慮していない学問であったかを認識した次第です。」”と書き、経済学者・エコノミストでは、日本を再生・復活の筋書きはできても、現場・現実と遊離しており、社会科学者らの出番ではないかと思うようになりました。

藤原正彦氏(お茶の水女子大学名誉教授)が『文藝春秋』(2010.07)に寄稿の「一学究の救国論 日本国民に告ぐ」を読み、先鋭的な部分がありますが、藤原正彦氏は、日本の直面する諸課題は、戦後政治・教育の功罪と資本主義の歪で、日本文化が持つ普遍的価値が希薄になったと言及しています。

藤原正彦氏は、
”「頻廃に直面しているのは日本ばかりでない。欧米をはじめ世界的規模で変調が起きている。産業革命以来、世界は欧米の主導下にあった。それは、論理と合理と理性を唯一の原理として進む文明であった。帝国主義も共産主義も新自由主義もその原理から生まれたモンスターであった。20世紀になってから生まれた世界中で一斉に噴出し始めた困難は、この原理の行き詰まりを意味する。論理、合理、理性は無論、最重要のものであり断じて否定されるべきものではない。ただそれだけで人間社会を仕切るのは不可能ということが露呈したのである。
・・・・・・
・・・・・・
ここ一世紀間に次々とモンスターは破局を迎え人類は悲惨を味わったにもかかわらず懲りない欧米は未だに原理を疑おうとせず、同じ原理で物事を進めようとしている。欧米は他の原理を持ち合わせないからだ。欧米以外の諸文明に生きる人々は、この原理から適切な距離を置きつつ、自ら文明を少しずつ取り戻すことである。効率、能率、便利、快楽、なかんずく冨、こそが幸福と大いなる勘違いをし、それらばかりを求めるグローバリズム、大きくは欧米文明への追随に決別し、各国はその国柄を大事にすることである。新しいローカリズムである。
」”
と論じ、
”「日本人の築いた文明は、実は日本人にもっとも適しているだけでない。個より公、金より徳、競争より和、主張するより察する、惻隠や「もののあはれ」などを美しいと感じる我が文明は、「貧しくともみな幸せそう」という古今未曾有の社会を作った文明である。
・・・・・・
この美的感覚は普遍的価値として今後必ずや論理、合理、理性を補完し、混迷の世界を救うものになろう。日本人は誇りと自信をもって、これを取り戻すことだ。これさえあればわが国の直面するほとんどの困難が自然にほぐれて行く。
」”
と論じています。

当方は、日本の貧困・格差社会は、資本主義の歪と考えており、再生には、「破壊と創造」しかないと思い、小沢一郎氏の「破壊力」と鳩山由紀夫氏の「自立と共生」の友愛理念による社会改革を期待しましたが。
菅直人首相の「強い経済、強い財政、強い社会保障」による「最小不幸社会」の指針は、過去の延長線上の「理屈」しかなく、世界観・人間観がなく、経済学問的で問題解決でしかなく、期待できませんね。

日本社会は、理屈ではなく「破壊」し、新しい独自色彩の社会を「創造」するしかないと思うこの頃です。



1 コメント

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第三の道 (uncorrelated)
2010-07-04 09:09:13
第三の道はどうやら、所得再配分を進めることで、消費性向の低い金持ちから、消費性向の高い貧乏人に所得を移転させ、国全体の消費を向上させて景気を拡大する作戦のようですよ。
拡張的財政と大きな政府を主張するケインジアンでもなく、財政規律と小さな政府を主張する新古典派経済学でもないので、第三の道となるようです。
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