城郭都市設計史30

2016年03月01日 | 湖と城郭都市

【事例研究:これからの都市づくり】

今回は「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導
のまち創る-近世城下町 彦根市本町地区の2例の場合-」
(これからの都市づくりと都市計画制度 全
国市長会 中
島一彦根市長) を参考にし、彦根市の都市再生の歩みを
考えてみる。

中国最古の字典である『説文解字』(A,D、100年)によ
ると、城とは「民を盛る所以
なり。土と成の合意。成の
亦声」とある。たしかに中国の城は、集落全域を土塁一

石塁で囲み、内部の住民を外敵から謹る構造になってい
る。

これはヨーロッパでも同様で、わが国でも、縄文時代か
ら弥生時代にかけて空堀
をめぐらLだ集落が認められ、
やがて柵をめぐらして、大規模化する(吉野ケ里遺
跡)。
洋の東西を問わない全欧界的な形態である。この意味で
集落(邑)全体が、
すなわち「墟」であり、『説文解字』
の説明は、大変に興味深い,


「シロ=墟」は「都市にすなわち狭義では城下町をさす
ものである。
わが国では、戦国用以降、大名の居城を中
心に形成された都心で、大名領国の首
都としての性格を
持っていた。
兵農分離を伴う本格的な城下町の設営か行
われたのは、豊臣政権以後である。と
くに徳川政権確立
後、諸大名の配置転換に伴って、領主権力による城下町
の嘸設は17世紀
前半(元和~寛永期)に全国規模で行
われた。元和の一国一城令(1615年)
によって城の多く
は破却されたが、新しい領国経営の拠点として、城地の
選定は軍
事的条件よりも交通・経済的面が重視されたも
のの、多くは山丘と河川を防御的に
利用した平山城が構
築され、市街地の造成が行われた。

城下の大半は武家能で占められたが、軍事上の配慮から、
上級家臣の屋敷地を城
の郭内あるいは近くに占め、その
周辺に中・下級家臣を配に足軽などの組屋敷や
寺社地は
町屋を隔てた場末や城下周辺部に配置するのが一般的で
あった。

「近既城下町彦根」においてもこの例に湖れないとこ
であり、近現代の主要都市のほとんどは旧城下町を母胎
としている。
この彦根城下町は元和8年(1622年)にほ
ぽ出来上がり383年。風土
や文化環境・民情などいわ
ゆる自然・文化・生活環境との調和を図りながら、永い

歴史の歩みの中で剔出され育まれてきたg、、経済の高
度成長に伴
う車社会の急連な到来、市民の価値観の大幅
な変化、さらには、ライフ・スタイルの
多様化が進むな
かで、都心基盤の整備を早急に図らなければ、都市間競
争に遅れを
とるおそれがあること等から「城下町再生」
の現代的必要が進んできた。その意味を下記に列記する。

1.都市の構造転換と都市’計画の役割一都市に定着し
 た人口を対象とした「生活」を基礎としたサービス産
 業、個性あるモノづくり産業、クリエイティブ産業が
 重要となる
2.コミュニケーションの時代ヘー地域や生活から考え
 るまちづくり
3.コミュニティと生活者-1)変化する緑中心のコミ
 ュニティ、2)未来を感じるコミュニティ、3)コミ
 ュニティは生活者を育てる。
4.「ハードの整偉とソフトの整備」の問題―彦根市の
 中心市街地の再生事例にみる-1)中心市街地再生事
 例・夢京橋キャッスル・ロード・四番町スクエア、2)
 魅惑(みわく)のまちづくり
5.中心市街地活性化の目標、l)中心性の創出、2)
 歴史警官や生活文化を生かしたまちづくり、3)新た
 な魅力の核づくり4)賑わいのネットワーク


● 彦根市の中心市街地の歴史と現状
 

・中心市街地(商店街)の歴史と空洞化

彦根市の中心市街地は彦根城の南から東側に広がり、彦
根藩当時から湖東地方の購買を吸収する商業集積地とし
て中心市街地を形成してきた。特に、銀座商店街におい
ては、昭和30年代に入ると防災建築街区造成法に基づく
街路整備と防災建築造成が開始され、当時としては非常
に拡大化された商店街として多くの注目を集め、昭和40
年代(1960年をピークに滋賀県で最も賑わう商店街とし
て繁栄しする。その後、昭和40年代の後半には、JR彦
根駅周辺の整備にともない彦根市役所や滋賀県彦根県事
務所などの行政庁か中心市街地の北端に移転し、昭和50
年代(1970)に入ると、市街地周辺直路の整備とバブル
期の地価高騰を背景に、郊外への商業移動が起こり、ロ
ードサイド・シaップの発展など商業地が分散していく。

一方、中心商店街では、店舗やアーケードなどの老朽化

に加え、駐車場の不足や道路整備の遅れなどから顧客が
減少し、空き店舗が日立つ商店街へと変遷し、賑わいが
失われていく。

彦根市における中心市街地の空洞化の要因とそのメカニ
ズムについてとりまとめると、2つの要因が考えられる。

それは、外部要因と内部要因から成り立つものと考えら
れ、上表(下)のようにまとめる。こうした現状の中で、
平成14年(2002)には中心市街地の安全・安心の拠点で
あった彦根市立病院が郊外へ移転、空洞化に拍車が掛か
るのではないかと危惧されている。しかし、この市立病
院周辺が住宅地で敷地の拡大が困難なことや彦根城郭に
隣接しているため、城下町としての町並み景観確保の観点
から高層建築が不可能となり、床面積の確保ができず
やむなく移転としたものであるが、中心性を確保するた
めの跡地利用が最大の課題となった。


● 魅惑の街づくりをめざし

平成7年(1995)、このように空洞化の進むなかで、中
心市街地を再生するため、彦根市と彦根商工会議所が中
心となり
彦根市中心市街地再生事業委員会jを組織し、
平成9
年(1997)3月に彦根市中心市街地街づくり構想
(魅惑(みわく)のまちづくり)を策定。この中で、実
現可能ないくつかの具体的整備手法を示すとともに、中
心市街地再生のために最も必要とすることは、それらの
推進を一元的に管理する組織体制であることを提言され
る。

平成10年(1998)
7月、国においても『中心市街地におけ
る市街地の整備改修および商業等の活性化の一体的推進
に腿する法jが施行され、同様の整備計画や組織作りが
提案されたので、彦根市中心市街地まちづくり構想(魅
惑(みわく)の吏ちづくり)の一部見直しを図り、平成1
11年(1999)1月に「彦根市中心市街地活性化基本計薮』
を策定。この計画では、彦根市の中心市街地を12商店
街を含む面積150ヘクタールとし、この区域内におい
て概ね5~10年を目標に、これまでの計画で実現可能な
都市基盤整備事業と商業基盤整備を進めようとするもの
で、碑実に実施することを念頭においている。

さらに、彦根独航良孝の30~40%を目標に、街なか嶺光
へ誘導するため、都市基盤施設や商業基盤施設郷の整備
を進め、魅力の向上を回りながら交流人口の増加を回り、
併せて居住者にも高齢者にもやさしい扱わいのまちづく
りを目指すこととしている。同時に彦根商工会議所にお
いても、中小小売商店高度化事業構想(TMO構想)を
策定し、まちづくり会社の設立を将来目標としている。
当面の彦校商工会議所がTMO機関としてその任にあた
ることとし、近い将来独立した組織体制にしたいと考え
る。




● 彦根市中心市街地活性化基本計――何か艮いこと
  あ
りそうな予感のする街を求めて!

基本計画では、彦根市中心市街地における各々の事業を
有様的に組み合わせて賑わいを再生することと、地域コ
ミュニティを再編するため『人づくり』をテーマに舞台
づくりと仕掛け作りに取り組もうとし、活性化の目標を
次のとおりとする。

1.中心性の創出
2.歴史的景観や生活文化を生かしたまちづくり
3.賑わいのネットワーク
4.新たな魅力の核づくり

そして、次の3つの事業を策定する。

1.都市基聾整備のための事業

 ・街路整備事業・特定交通安全事業・公共下水道事業
 ・街なか再生土地区画整理事業・街なか再生事業計画
  案作成事業、
 ・都市公園整備事業
 ・街並み修蚤事業
 ・街並みまちづくり総合支援事業

2.商業活性化のための事業

 ・商店街改造事業
  ・駐車場整備事業
  ・フアサード整備事業
 ・アーケード改修事業
  ・商店街商業集積活性化事業
 ・空き店錨活用事業
  ・製販‐体型施設整備事業

3.その他の事業

 ・パス交通の充実
 ・自転車交通の充実
 ・情報発信の充実
 ・文化・コミュニティ施設の整備
 ・医療福祉サーピスの充実
 ・街なか観光や文化芸術活動の充実
 ・中心市街地活性化に向けた推進体制の整備


※ 飲食店舗が1店舗から16店舗に増えている。 

● 彦根市本町地区の住民と行政が協働作業――住民が
  進めるまち削りの2例
 

1.夢京橋キャッスル・ロード住民・行政が協働の作業

1)経過


彦根城の京橋ロを出ると江戸町屋風の家並みが目に入る
のが、オールドニュータウン(OldNewTown)『夢京橋キ
ヤッスル・ロード』と銘打って整備した街並みで、都市計
画道路の整備に併せ12年の歳月をかけて、住民と行政が
協働して街並み景観作りに取り組む。彦根城集城の時に、

町人居住区の地割の基準となった道路であることや、彦
根城
の大手門に通じる道路であることなどから、彦根城
の正面の道路としで相応しい街
並みにしてはどうかとい
う思いで、彦根市が提案したものである。

住民の創意工夫に基づいて計画を進めるため、権利者全
員が参カUする「木町まちなみづくり検討委員会」を設立
街並み統一を目的した住民合意や地区計画・建築物の
制限
に関する条例制定に向けての調査研究を行うなど、
幾多の難局を乗り越えて、平成11年(1999)に完成した
もので、住民の熱意と指導に当られ、
地元の医師や建築
家たちの
努力があり実現する。

2)賑わいの回復

これまで彦根市は、彦根城や周辺の寺社、湖上遊覧など
を観光資源としてきたが、夢京橋キャッスル・ロードの
整傭が進むにつれて、街なかへと観光形態が変化し始め、
「第7回全国街路事業コンクール会長賞」などを受賞し
タウン誌などにも採り上げられる機会が多くなると同時
に、大勢の観光者が夢京橋キャッスル・ロードに訪れる
ようになり、今では、家族連れや若いカップルなどが行
き交う賑わいのある街並みに再生される。

①街並み統一の工夫(住民合意対策)

 ・住民と行政の協働作業・全員参加のまちなみ委委会
 ・まちなみ相談室開設・まちなみづくり通信・視察研
  修
 ・女性だけの視察研修

②まちなみ形成の手法(規制誘導)

 ・本町地区地区計画(都市計画決定)

2.四番町スクエアー住民が進めるまちづくり

中心市街地活性化への次の展開として、平成11年(1999)度
から本町市場商店街のまちづくりを進めている。夢京橋
キヤャスル・ロードの実績から「地区計画のような縛り
をかけなくてもまちづくりはできる」という住民の考え
で、本町市場商店街では住民の自主協定などで街並み景
観の整備する。

1)市場商店街の歴史と空洞化

本町市場商店街は、大正末期に数店の食品販売店が開店
したのが始まりで、彦根市はもとより、近隣市町村の台
所として、生鮮食料品や惣菜の街として、滋賀県下で最
も賑わった商店街の一つであったが、高度経済成長やモ
ータリゼーションとともに郊外型大型量販店が展開する
ようになり、昭和40年代をピークに勢いは衰え始め、次
第に空洞化が進み、時代の趨勢とともに衰退のカ向へと
変容する。

2)第1種市街地再開発事業の実施

衰退に歯止めをかけ、商店街に活力を取り戻そうと、昭
和56年(1981)に第1種市街地再開発事業(事業計画面
積2.4ヘクタール)の実施に向け敗り組みを始め、平成4
年(1992)には再開発ピルを建設するための基本計画を
策定したが、十数年の歳月をかけた再開発計画も道路な
どの基盤整備の遅れから核店舗の撤退、バプル経済下で
の地価高騰による保留床の処分価格などで行き詰まり、
平成9年(1997)3月、彦根市中心市街地再生事業委員
会の提言を受け、事業の見直を行う。

3)地区の現況と災害防止

この地区は、街区を構成する道路幅員は3㍍程度、木造

老朽住宅が遠祖し、商業と住居の混合した建築密度が高
い地域で、防災上非常に危険な地域であるため、面的整
備が求められている。建築物は、商業業務施設が約40%、
専用住宅が約30%、
空き家が約20%、その他が約10%な
どとなっていて、空洞化が目立つ。地区を取り
巻く道路
状況は、幹線がほぽ整備を終えてはいるが、依然未改修
の路線もあり、中
心市街地の利便性を確保するためにも
早急に道路アクセスの改善が求められている。

4)「檄の会」奔走―自分たちの力でまちづくりを―
  
このままでは本町市場商店街が死滅し、中心市街地はゴ
ーストタウンになってしまう」という強い危機感を抱い
た若手商店主が「檄の会」を結成、行政に頼らない自カ
での本町市場商店街再生の活動がスタートアップ。

5)都市再生土地区画整理事業の取り組み

平成10年(1998)に建設省において新たに「街なか再生
土地区画整理事業』が創設。区画整理事業による基盤整
理の見通しとなり、居住者対策などを含め1、33ヘクタ
ールに拡大、実現可能な計画づくりが進められる。「檄
の会」は権利者とヒアリングを通し計画づくりを進め、
ほぽ全員の同意を得て、「彦根市木町土地区画整理組合」
を設立。

                  この項つづく

 

四番町スクエア


【エピソード】      

      

 【脚注及びリンク】
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  1. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  2. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  3. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  4. 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導
    のまち創る-近世城下町 彦根市本町地区の2例の
    場合-(これからの都市づくりと都市計画制度 全
    国市長会) 中島一 2005.05.09
  5. 「城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷出版
  6. 「続・城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷
    出版部 
  7. 中島一・水野金一・田中治是『建築空間における
    都市計画額』コロナ社
  8. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  9. 内藤昌編著『城の日本史』角川書店
  10. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  11. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  12. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  13. ボーデン湖 Wikopedia
  14. コモ湖 Wikipedia
  15. ネッカー川 Wikipedia
  16. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  17. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  18. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  19. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  20. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論とし
    ての『絹と明察』(1)~(7)詩文楽-Shibun-
    raku
  21. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  22. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  23. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  24. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  25. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  26. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  27. リンダウ - Wikipedia
  28. ハイデルベルグ Wikipedia
  29. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  30. 城郭都市 Wikipedia
  31. List of cities with defensive walls Wikipedia
  32. ヨーロッパ100名城 Wikipedia 
  33. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  34. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  35. 万里の長城 世界史の窓  
  36. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  37. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  38. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライ
    ズ出版
  39. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」太
    田浩司 サンライズ出版
  40. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する
    移築大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  41. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出
    版2007
  42. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジ
    タル・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.
    05.27 
  43. 彦根市指定文化財 「山崎山城跡
  44. 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
  45. ドイツ流 街づくり読本  水島信
  46. 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  47. 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  48. 都市計画-1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一   
  49. 都市計画-2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
  50. 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
  51. 「協働的プランニング」の都市計画理論 Patsy He-
    aley ,“Collaborative Planning
    2010.02.13
       
     
  52. 都第4回 リスク社会論 ベック・ギデンズ・ルー
    マンの「リスク」論(現代都市文化論演習 2009)
    筑和 正格 2010.05.25
     
  53. ビフォア・セオリ 現代思想の<争点> モダンと
    ポストモダン 慶應義塾大学出版会|人文書

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