IT翻訳 Nobuyuki の仕事部屋

ボランティアでソフトウエアーローカライズのために翻訳をしている。

告知一周期

2008-03-20 19:13:21 |  Mozilla Org.


昨年の3月22日に食道がんの告知を受けてからまもなく一年が経過する。摘出手術を受けたのが4月18日だから、一年近く生き延びたことになる。生き延びたとは何とも大げさな言い方だが、病気ががんだから思わずそんな風に言ってしまう。

この一年間は、実に様々なことがあった。告知、摘出手術、術後の不安、義父の死、相続をめぐるいざこざなど、私の人生でも最も長い一年間であった。

先月術後9ヶ月で、食道の精密検査を受けた。この前受けたのがその半年前である。術後3ヶ月での検査だった。特に問題はなく、がんは綺麗に切除されたのが確認された。今回も、検査工程は全く同じである。カメラを飲んで、食道を詳細に調べる。ルゴールという薬品を散布して、粘膜の状態を見る。

前回問題はなかったので心配はしていなかった。ただ、摘出手術前後から継続している右胸のなんとなくしっくりいかない感覚はその後も継続していた。医者に、がんとは関係ないと言われたが、なんとも嫌な感じである。晴天一片の雲なしとはいかない。

検査結果は前回同様問題なしとのことだった。採取した細胞も良性であり、検査結果から言えることは、がん細胞は完全に切除されてその後の経過も順調ということである。

昨年の3月22日に、病院長からがんの告知を受けた時に言われたことを思い出す。がんであるが、不幸中の幸いは早期に発見されたことでした。内視鏡を使い一週間程度の入院で、摘出できます。もし当病院で手術するならば、1ヵ月以内に、EMRの専門医を呼んで手術する手配をします。セカンドオピニオンが必要なら、それも自由です。というような事を言われた。

私は即断即決で、その病院での処置をお願いした。すると病院長はでは1ヵ月後に手術する手配をしましょうと言った。だだし、仕事が忙しかったりして都合がつかない場合は再度連絡くださいというようなことも言った。仕事が忙しいので、がんの手術を延期する人が世の中にいるとは不思議だが、なんとも大らかなものの言い方である。多分、そういう言い方で、がん患者を安心させると言う配慮だったかもしれない。

結局その後の経過は、全く院長先生の言われたとおりになった。手術のための入院期間は8日であった。入院の翌日まで、普通に仕事をしていた。そして、退院の翌日から普通に働いた。その後の検査で確認できたのは、手術は上手く行った事であった。

今回の結果をうけて、主治医から次回の検査は一年後ですよと言われた。今後毎年一回は検査を継続的に受けたほうがいいとのことだった。

こうして、50歳を超えて食道がんを患い、強運もあって早期発見のお陰で克服した。命拾したものだ。運が悪ければ、どうなっていたか分からない。死ぬのには早すぎる。すくなくとも世間的には。しかし、人間の運命など分からない。こうして生き続けることができたのだから、残りの人生がなんとも大切に思えてきた。

ここからは話が飛躍する。

昨年義父が亡くなった。心臓を患ってずっと入院していた。晩年は病気になったと言え、義父の人生は傍で見ていて恵まれた人生に思えた。大企業ではないが、現役時代は、中堅企業の役員であった。二人の息子がいて、それぞれ立派な地位についておられる。経済的にも恵まれていた。病院には住み込みで、家政婦を雇っておられた。義母は数年前に亡くなっていた。

しかし、ある日家内と入院先の病院に見舞いに行ったときの事である。病床のベットでしんみりと、「俺の人生はいいことは無かった。」と嘆いた。なぜだろう。若い頃は小説家希望と聞いたことがある。読書家であった。子どもが幼い頃、家内の実家を訪れるといつも離れで布団に横たわって本を読んでいた。小説家となる夢は叶わなかった。それで、不幸と感じておられたのだろうか。死後知ったことだが、かなりの小説を書き貯めておられたようだ。結局、なぜそんな風に嘆かれたのか分からない。傍目には十分幸せな人生にみえる。

がんを患って今思うのは、私はあと何年生きられるかわからない。しかし、祖父には申し訳ないが、死ぬ時は少なくとも自分の人生は楽しかったと思って死にたい。そう思うためには、これからの人生をどう生きるかにかかっているような気がする。過去はわからない。モーパッサンではないが、人生は思うほど楽しくも辛くもないのかもしれない。しかし、納得できる人生を生きたいと思う。そのためにはどうすればいいであろうか。自己実現を図りたい。そういえば、なんとなく、こうしたいと思う事があるようだ。漠然であるがこうしたいということがある。それを、育みながら生きていこうと思っている。



コスモス最後の日

2007-10-21 12:51:56 |  Mozilla Org.



夏から秋にかけてコスモスの開花を期待していた。順調に生育し、素朴で温かい風情の花を咲かせてくれることだろう。しかし、台風5号のせいで生育していた茎が変形してしまった。ぽっきりと折れることは少なかったが、くにゃっと、しなだれるように下を向いてしまった花が多かった。とんぼの頭のような、芽をつけ始めてこれから開花しようかと言う時に、ダメージを受けてしまった。

そのためか、風にゆらゆら満開のコスモスという風情を楽しむことはできなかった。それでも白やピンクの花をつけたコスモスを切花にして、家内が亡き父母の写真の前に供えたりした。義母が生前愛したのがコスモスだった。

そのコスモスも今日根こそぎにした。10月も半ばである。そろそろ、来春の花の種を蒔くリミットとなった。パンジーであれば、もう蒔くのは遅すぎる。スイートピーは今年堪能したので、来年はお休みの年だ。何を蒔こうか。カスミソウ、デイジー、キンセンカ、キンギョソウ、ストック、色々考えた末、アスターにした。ぽんぽん咲きと、そうでないのと2種類の種を直播にした。それとあと、チューリップ。恒例の花だ。春を告げる使者かな。

家内と二人で、コスモスを抜いたあと雑草を除去する。秋晴れの今日気温もあがり、なぜか蚊が多い。香取線香を焚くも、あちらこちら刺される。やれやれ、ガーデニングも楽でない。ふと、肥料を買いに行こうと思い立つ。街中に肥料の無人販売所があり、主に牛糞を主原料とした、乾燥堆肥を売っている。車を飛ばして、購入に行くことにした。種蒔きまで、今日中に終わらせるつもりだった。家内に雑草とりを託して、車を出す。

帰宅すると、家内の姿がない。雑草取りが完了したのだろうか。花壇にプランタの土が、プランタの形を留めたまま、置かれている。そこで、その土を崩し、もとからあった花壇の土と混ぜ合わせる。途中プランタの土から、大きなみみずが出てきた。プランタに住み着いていたらしい。見ると一匹だけではなかった。

ははあ、虫の嫌いな家内が作業を途中放棄したらしい。後ほど本人から「みみずを見てテンションが下がった。」との説明があった。虫嫌いがガーディニングをすると、確かに辛いものがあるのかもしれない。

そんなわけで、それからの作業は、亭主どの孤軍奮闘。雑草を除去し、チューリップの球根を埋め込み、アスターの種を蒔き、最後にホースから水を撒いて終わり。

うららかな小春日和の午前。この秋も無精していた花壇を、遅まきながら整えました。いい汗かいたな。お昼はごほうびの缶ビールがついたとさ。


クライマックス!

2007-10-17 23:15:19 |  Mozilla Org.


クライマックスシリーズで日本ハムとロッテの対戦成績が2勝2敗となり、明日3勝目をかけて激突する。ここまでは、お互い譲らず、闘志のぶつかり合いで、実力互角というところである。5戦目は、ダルビッシュと成瀬の先発が予想されて興味深い。どちらが勝つか予断を許さない状況である。監督もアメリカ人どうして、采配ぶりを見るのも楽しみである。

一方のセリーグは中日と巨人で、これも、阪神に2連勝して勢いのある中日が巨人とどう戦うか興味深々である。日本ハムとロッテのように、がっぷりと組み合って5戦目までもつれる可能性もありそうだ。中日投手対、巨人打線の対決が楽しみである。

ところで、阪神ファンの私としては、クライマックスの初戦の状況はかなり辛いものであった。名古屋ドームでの2試合をNHKBSが、試合開始から終了まで完全放送してくれたので、全部見ることができた。しかし、阪神の不甲斐なさには、失望したものだ。

レギュラーシーズンは、中日、阪神とも勝ち星は拮抗していた。従って本来の戦力から言うと、クライマックスシリーズのように、中日の一方的勝利に終わることはないはずだ。わずか2勝したほうが勝ちと言う短期決戦を、中日のほうがうまく戦ったと思う。

端的に言って、両監督の技量の差が出た2試合であった。戦力的に阪神が極端に劣っているわけでない。確かに、阪神は先発投手陣や打力では中日に劣っていたが、豊富なリリース投手陣を抱えている。その、強みを生かすような試合運びができなかったのだと思う。これは、選手の責任というより、岡田監督の試合運びのまずさのせいだと試合を見ていて感じた。

2試合敗戦後、岡田監督はあれくらい阪神の先発投手が悪ければしょうがないというようなことを言ったそうだ。しかし、先発投手が弱いことや、打力が中日に劣ることは最初言うから分かっていた話だった。解説者も言っていたが、失点を押さえて逃げ切るのが阪神の勝利への道であった。自分のチームの欠点を理解し、それを補う采配をふるうのが監督の役目であろう。監督のコメントは、選手に敗戦の責任転嫁をしているにすぎないように感じた。

第一戦については、先発の下柳が最初に点を取られた時点で、すぐに投手交代をするべきだったのではないか。続けて、タイロンウッツにホームランを許すのは余計である。1点でも失点されたり、その可能性がある時は、投手交代をして失点を最小限に抑えるしかないと思う。また、同様にリリーフした久保田が最初に失点した時点で投手交代をするべきでもあった。その後、森野に3ランを食ったのは決定的であった。岡田監督の采配は、座して失点を待つような趣が強かった。2勝で決着が着くような短期決戦に対して、戦略、戦術がまるでないようであった。

第二戦も同様である。先発の上園投手が中日中村選手にタイムリーヒットをうたれ、2点失点した時点で、投手交代すべきであった。その後の、李選手のホームランは余計であった。結局初回の5失点が阪神側に重くのしかかり、後半の好機にくつがえすには、貧打の阪神にしては挽回不能な得点になった。

優秀なリリーフ投手陣を抱える阪神である。2勝必勝の短期決戦では、先発が5回まで投げるという概念を打ち壊して、初回からリリーフ投手を準備するくらいの戦術を持てないものかと、苦々しい気持ちで試合を見ていた。岡田監督は、落合監督や、はたまたヒルマン、バレンタイン監督などと比較しても、決断がスローであり、クライマックスの2試合で見たように、投手交代のテンポが、遅すぎるように感じる。

今回の阪神の敗因は、8割がた監督の技量の問題ではないだろうか。敗戦理由を先発が悪かったの一言で、片付けるのもどうだろう。

本日岡田氏は阪神本社を訪ねて、オーナに「今季の数字が悪かった分などは来年まで鍛え上げて、来年も当然、優勝を狙わないといけない」と意気込みを語ったそうである。一番鍛え上げなければならないのは、ご自分の監督としてのスキルではないかと思ったりしたものだ。



レクイエムを聴く

2007-10-10 01:00:31 |  Mozilla Org.


先週の土曜日に、ミューザ川崎でモーツアルトのレクイエムを聴いた。この曲は中学生の頃から聴きなれた曲だ。初めてLPレコードで聴き、その後30年以上に渡り、CDでも繰り返し聞いてきた。しかし、生演奏を聴くのは今回が初めてである。

オーケストラの後ろに、合唱団が並んだがその数およそ200人くらいであろうか。その他、バス、テノール、アルト、ソプラノの各歌手が指揮台の前に並んで、合唱と交互に歌った。何と言っても圧巻は、合唱の迫力である。モーツアルトの変化に富んだ美しいメロディを朗々と歌い上げる。コンサートホール中に響き渡る歌声は、ホールの天井を突き抜けて、天空へ届くのではと思われるほど、力強いものだった。モーツアルトの時代には、教会で歌われる曲だったのだろうか。レクイエムとは、日本語で鎮魂歌と言うようだ。あるいは死者のためのミサ曲とも言う。教会のような神々しい雰囲気で披露されると、聴衆にはさぞ強烈な印象と感動を与えた事だろう。

ところで、今回初めて知ったのだが、この曲はモーツアルトの未完の作品となったようだ。彼の死後、弟子によって最終的な完成を見た。健康を損なっていたモーツアルトの下へ、匿名の依頼主の使者が現れ、レクイエムの作曲を依頼する。モーツアルトの要求した作曲料の半額を、その場で使者は支払った。残金は曲の完成後支払う約束になったようだ。しかし残念ながら、未完のままモーツアルトは生涯を終える。この辺の事情はモーツアルトの生涯を描いた映画『アマディウス』に、謎の使者の訪問を受けるシーンにおいて表現されていたように記憶している。

未亡人となった妻コンスタンツエは、レクイエムの完成に執念を燃やす。その訳は、作曲を完成できないと、作曲料をもらえないためである。それどころか、モーツアルトが受け取った前金を返却しなければならなくなる事を、彼女は恐れた。何とも、やりきれない話である。晩年貧困に喘いだモーツアルトが、死後共同墓地に葬られたという話を思い出した。それほど、晩年は不遇に見舞われていた。真の天才であり、永遠の作品を生み出しながら、この末期は酷すぎるように思える。

結果的に弟子によって完成されたレクイエムは、モーツアルト自身へのレクイエムとなったと言える。しかし、あまりにも、美しく見事なこの作品は、作曲者の不遇を越えた永遠の芸術作品そのものだ。時を越えて、今も聴衆に感動と共感を与え続けている。



今夜の巨人阪神戦

2007-09-17 19:59:09 |  Mozilla Org.


今日首位攻防戦となる巨人阪神戦を楽しみにしてた。しかし、なんとテレビでは放送していないようだ。地上波でも、NHKBSでも、番組表に載っていない。いったいどうしてこんな事が発生するのだろうか。太平洋を越えたアメリカの東海岸、ボストンで開催されたレッドソックスと、ヤンキーズの3連戦でも、NHKBS ですべて放送されたではないか。それが、日本では優勝を争うこの時期に、しかも巨人戦が放送されないなんて、あっても良いのだろうか。

でも、これは現実なのだ。

巨人戦の年間試合完全放送が無くなったせいのようだ。なるほど、今までは巨人戦の完全放送のお陰で、この時期に、巨人が勝っていようと、優勝争いから遠ざかっていようと、ともかく巨人戦だけは放送されていた。それが、巨人戦の視聴率低迷のために完全放送がなくなると、逆に巨人が優勝争いに関わっている今シーズンでも、放送されないことが発生しているらしい。

なるほど、今までは、優勝争いに関わっていないシーズン末期でも、巨人戦は見ることができた。反面、巨人戦以外の優勝争いは、巨人戦でないと言う理由で見ることができなかった。優勝に関わらない巨人戦を、シーズン末期に見て楽しく思うのは、余程の巨人ファンであろう。野球ファンなら、巨人ファンの何割かも含めて、優勝争いを見たいと思うのは人情でなかろうか。

今年は実に、皮肉な現象となっている。巨人が優勝争いに関わっているのに、当の巨人ファンもテレビで巨人戦が見れない。

ところで、巨人戦の完全放送が無くなったのは、仕方がないのかもしれない。世の中の好みが分散化している時代、一つのチームだけが異常に人気があるのはまっとうではないだろう。結果、巨人の人気は衰え、完全放送を維持するだけの視聴率を確保できなくなった。

それでは、今までシリーズ末期に見れなかった、優勝争いを見れるような放送をいていただけないものか。好みが分散化している今であっても、優勝がからむ試合は面白い。選手も必死でプレーするので、名試合になり易い。

思うに、プロ野球の人気が全盛の時代でも日本のプロ野球ファンは不幸であった。試合を最後まで見せてもらえないのである。少なくとも、NHK以外は。野球発祥のかの地はどうだろう。アメリカは民間放送しかないが、試合は最後まで放送してもらえたようだ。優勝を争う接戦中に、「まことに申し訳ありませんが、試合の途中ですが、・・・・」という決まり文句はアメリカにはないだろう。たぶんかの地では、放送に携わる人のスタンスや考えが違うのであろう。日本の放送人はもう、30年以上の間、そのスタンスを変える事を潔しとしなかったのであろう。

だから、今こそ、シーズンのクライマックスに、優勝争いを見せて欲しいと願うのは、野球ファンとして当然と思うが、無理な相談なのかもしれない。現に、首位チーム(しかも巨人)と2位チームがデッドヒートを争う試合も見れないのだから。テレビの放送局の数を考えれば、可能な気もするが、スタンスを変えることの苦手な日本の放送局に、ないものねだりをしても無理なのだろう。せいぜい、お金を払って専用チャンネル(そんなのがあれば)で見てくださいと言われるのが落ちであろう。

・・・・・

宿痾ということ

2007-08-31 23:49:43 |  Mozilla Org.

宿痾という言葉は、持病に近い意味である。人は年を取るにつれて病気になる確率は上がるが、宿痾は比較的若い時からの持病というニュアンスがあるのかもしれない。そう言う意味で、私の宿阿は食道アカラジアである。これは摩訶不思議な病気である。現象的には、胃に食べ物が到達しなくなる病気である。その結果、胸焼け、食道拡張、はたまた体重減などに襲われる。食道と胃の間に噴門が存在する。食道から胃に食べ物を送るゲートであり、胃から胃液の逆流を防ぐ役割を担ってもいる。食道アカラジアになると、噴門の制御が利かなくなるらしい。それと同時に、食道の蠕動運動も消失する。食道は、食べ物を胃に運ぶ機能を有するが、ベルトコンベアが物を運ぶように、食道は蠕動運動によって、食物を胃に届ける。アカラジアになるとこの機能を失うために、食物は単に重力の法則で、胃に落ちることになる。この機能障害は、一生回復することはない。

この病気への対処は色々あるようだが、手術によって処置するのが、一番有効らしい。私の場合も、今から30年ほど前、大学生の頃、手術を受けて、嚥下障害を解消できた。手術を受ける前は、ビールを飲むと胃に流れ落ちずに、鼻から戻ってくる状態だった。手術によって、胃に食物が到達するようになった。しかし、同時に手術の弊害も発生していた。閉じて開かなくなった噴門を開かせるために、手術によって噴門の筋肉を削除した。これによって、食べ物の通りは良くなったが、逆に胃から食道へ胃液が逆流し易くなってしまった。その結果、胸焼けや、食道の炎症が慢性的に発生するようになった。もちろん、胃液の逆流を防ぐために、胃を食道下端部に巻き付けるなどの、処置をしたようだが、就寝した場合など、胃液の逆流を完全に防ぐことはできなかったようである。

医者から、食道アカラジアをすると食道がんになり易いと聴いていた。実際私の場合、術後30年目にして食道がんになったわけである。しかし、アカラジアになると必ず食道がんにかならずなるわけでもない。ヘビースモーカーは、年を取ると肺がんになり易いと言われるようなものだそうである。

ところで、私の場合早期食道がんで済んだのは、医者の話が頭の片隅に残っていたお陰である。昨年の春ごろから胸に違和感を感じるようになった。市内の総合病院で胃カメラを飲み、胃にポリープを見つけたもらい、細胞を検査してもらったが、良性で問題がないと言われた。それで安心して、処方されたタケプロンという薬をずっと服用していた。しかし、違和感がなかなか取れないので、自分なりに、胃よりも食道を疑うようになった。病院に、昔、食道アカラジアの手術を受けたことなど話したが、別に問題はないと言われた。この時点で、私は食道がんを疑っていたわけではない。むしろがんである事など、考えもしなった。しかし、食道アカラジアで手術を受けたことが、頭にあったので、胃ではなく、食道の専門医にかかってみようかと考えた。それで、問題がなければ、安心もできるだろう。

インターネットで近隣の病院を調べると、隣の市の消化器外科に食道の専門医がいることを知った。そしてそのお医者さんの外来診察日を調べて、予約なしで診察を受けることができた。診療を受けるまでの経緯をお話すると、では食道を徹底的に調べてみましょうと言われ、精密検査を受けることになった。その際当然のごとく、食道アカラジアから食道がんになるケースがありますと言われた。やはり専門医であった。以前に掛かっていた病院では、食道アカラジアの話をしても、特に食道を器質的にしらべましょうとならなかた。結局、検査で早期がんが発見されるのだが、やはり医者はその道の専門医に見てもらう必要があると、痛切に感じた。

宿痾とはまさに私の場合の、食道アカラジアに違いない。私の人生に影響し、人生そのものを覆すような大きな病気だ。なぜそんな病気になったのであろうか。大学生になるまで、そのような症状の片鱗もなかった。ある日を境として、緩慢に、食べ物の通りが悪くなり、気がついたら、手術をしなけば直らないほど、重篤な状態になっていた。全身麻酔の手術である。今も私の身体には、胸の下から臍にかけて、開腹手術の跡が蚯蚓腫れの状態になっている。一体何の因果で、そんな病気になったのだろう。そんな、病気にならなければ、食道がんになる事も無かったであろう。思えば残酷な話である。

しかし、今となっては、そんな事を嘆いてみてもしょうがない。自分の運命として諦めるしかない。思うに人生は不条理に満ち満ちている。自分の意思で、すべてが解決できないのである。せめて、何とか早期にがんを発見し、治療できたことが幸いである。それも、自分の意思で、病院を変えたお陰である。今から思えば、それが分かれ道だった。

がんの告知を受けたとき、医者は不幸中の幸いといった。早期に発見できたからである。そして、今の医療レベルでは、わずか一週間の入院で、治療は完了した。退院後、翌日から通常の生活に戻ることができた。30年前にアカラジアの手術を受けたときは、まるまる1ヵ月の入院となった。手術時間も、3倍くらい長かった。

アカラジアとはこれからの人生も、宿痾として付き合っていかなければならない。疎ましい悪友とつきあうようなものだ。しかし、私はこの病気とすでに30年間、付き合っている。おそらく、死ぬまで、私に付きまとい、これからも私の人生を左右するでろう。私の人生はこの病気なしでは、語れないのかもしれない。自分の意思ですべてを変えることのできない人生であるから。

5 ヶ月たって

2007-08-14 23:56:12 |  Mozilla Org.


今日病院へ行った。
先日受けた内視鏡検査の結果を聞くためである。

検査では、食道の 3 箇所より粘膜の細胞を採取していた。いずれも、がんがあった場所から取られた。今から2週間前に、受けた検査であったが、検査を担当した主治医からは、“綺麗になっていますね”と言われていた。4月に受けた EMR の手術でがん細胞のある粘膜を切除していたが、その後切除された部分に新しい粘膜が生成され、見たところ問題がなさそうだった。

従って、今日は前回検査を受けた時のように、切迫した気持ちではなかった。病院の待合室では、テレビで高校野球を放送していた。今年は、駒大苫小牧が初戦で敗退したので、昨年のようにもう一つ気持ちが盛り上がらない。しかし、接戦が続いているようだ。本日の4試合のうち、2試合が延長戦となった。しかも、1試合は、延長15回で決着がつかずに、再試合となった。これは、個人的な感想だが、最近の試合は、昔に比べて各チームの戦力が拮抗しているような印象をうける。かっては、もっと大差がつく試合もあったように思う。これは、今年大いに問題になった、特待生制度と関連のある話かもしれない。

よく聴く話だが、各県の高校野球のレベルには、当然実力差がある。大阪府や、神奈川県のような地域は、代表になるのが難しいようだ。そういう地域では、実力のあるチームでも甲子園に行けるとは限らない。しかし、甲子園出場は高校球児の夢である。実力があって、どうしても甲子園に行きたい高校生は、一つの手段として、野球留学をする事ができる。最近、各県の私立高校で、甲子園への出場を目指すところも多い。そういう高校は、全国から実力のある選手を募ろうとする。そういう高校に入って甲子園を目指す球児も多いのであろう。人材を得てそのような学校はレベルが向上する。甲子園出場を勝ち取るところも多いだろう。つまり、実力のある選手は、全国区でより強い学校に入ろうとするのだ。結果として、各県の戦力は拮抗する。

これは、あくまでの私の仮説である。しかし例えば、駒大苫小牧の場合を考えてみる。北海道のチームである。かって、北海道のチームは甲子園の弱小チームであった。優勝などまた夢の夢。ベスト8にでも残れば、全道あげての祝い事だった。従って、駒大苫小牧の連続優勝など、昔であれば有りえない話である。しかも、昨年は早稲田実業と死闘を演じた上の、準優勝である。これには、私の仮説が関連していると思う。マー君も、野球留学生だと思う。大阪府出身ではなかったけ。レベルの高い県である。

このように、最近の接戦の傾向は、全国に優秀な人材がばら撒かれている結果の反映ではないかと思う。

さて、話を元に戻して、診察室に呼ばれたのは、第一試合の日南学園と桐光学園の延長戦にけりがついた直後だったと思う。

食道の3箇所から採取した組織は、いずれも Group 1 の診断だった。Group 1 とは、良性で問題なしとの意味らしい。前回内視鏡を見た時に、手術跡に引きつれが認められたが、それは、新しく粘膜が生成された場合に発生する現象らしい。細胞はそこから採取された。

これで一安心である。3月に食道がんと診断されて、5ヶ月かけて、とりあえず問題の箇所は治癒したようである。その間、不安に苛まれることが多かったが、結果的には早期発見で一命を取り留めた。運がよかった、の一言である。



術後3ヶ月

2007-07-26 17:12:01 |  Mozilla Org.


今日病院へ行く。
内視鏡による食道内部の検査のためである。

4月に食道がんの切除手術を行なって以来3ヶ月ぶりである。3ヶ月後に検査しましょうと主治医に言われて、とうとうこの日が来たという感じである。がんは完治しているのかどうか心配だ。手術以来治療は行っていない。抗がん剤の手当てもない。初期食道がんという診断で、切除して終わりだった。

今日にいたるまで、実はひとつ憂慮することがあった。

手術が終わって退院後2週間たって、手術して切除したがん細胞の検査結果を聞きに病院へ行った。がんがどの程度のものか、その結果治療をどうするかの結論が出ていた。

憂慮することとはこういうことである。食道粘膜のがんができている部位を切除したのであるが、切除された粘膜の周辺の一部にがん細胞の露出が見られたという。ふつう、がんを取り込むように、粘膜を切除するので、粘膜周辺にはがん細胞は露出しない。露出しているということは、食道内部の粘膜にがん細胞が残っている可能性があるということだ。

しかし、主治医の見解では、内部にがん細胞が残っている可能性は少ないという。ひとつは、粘膜を焼き切っているのと、肉眼で見た限りは切り取られているそうだ。そんなわけで、心配するには及ばないという話だった。

すっきりしない話である。それにもかかわらず、絶対残っていないといえるのであろうか?万が一残っていたならどうなるのだろう。時間の経過とともにがん細胞が成長するのではないか?手術には、大学病院からEMRの専門医を呼んだというが、その指導はたしかだったのだろうか?など、疑問を感じた。

さらに手術後も、手術前に感じていた右胸の違和感のような感覚はやはり継続していた。手術直後は当然、手術跡の痛みや違和感があってもしょうがないと思っていたが、最近になっても、手術によって違和感が解消したわけではなかった。

そんなわけで、今日の内視鏡検査は、一緒に行った家内ともどもはらはらどきどきと言った状況だった。

検査では、食道内部だけを見てくれた。横になりながら、上目遣いにモニターをながめると、自分の食道が綺麗なピンク色に写しだされていた。カメラを飲んでいるのは苦しいが、モニターが見えると意識をそこに集中できるので、かなり苦しさが軽減できる。時々白い突起上のものが見えたがそれがなにか分からない。唾液のかたまりかな?。集中してみているような箇所があったが、そこが手術で粘膜を切除した場所のようだった。途中でルゴールという赤い薬液を散布した。薬液が水鉄砲から発射されるように、一直線に食道内部に撒かれるとたちまち、ピンク色の内部が、赤オレンジ色に染められてしまった。聴いた話では、この薬液に染まらない箇所があると粘膜に異変が起きている可能性があるそうだ。手術跡は、なにやら白い引き攣がヒトデのように星状に広がっているように見えた。なんだろか?がんが成長しているのだろか?などとぼんやりと思うが、なんの感慨も湧かない。手術跡の細胞を3箇所ほど採取を試みた。内視鏡に備えられた爪が3本開きながら粘膜に接近して、その一部をつかみとると、その瞬間、鮮血が粘膜を走った。2箇所で細胞を採取できたようだ。

内視鏡を抜きながら、主治医が言った。“綺麗になっています”と聞こえたが、“綺麗に治っています”と言ったのかもしれない。2週間後に、採取した組織の検査結果が分かるので来てくれとのことだった。

一安心していいのだろうか?廊下で待っている家内のところへ戻り、その事を話した。彼女は、検査中心配で胸が苦しかったと言った。

最悪の結果は免れたようだ。見た目に明らかにがんがまた成長していますよ、とはならなかった。あとは、組織検査の結果問題なしとなれば、とりあえず安堵できるのかもしれない。本当にそうなってほしい。


台風4号の夜に

2007-07-21 20:13:50 |  Mozilla Org.


シューマンのピアノコンチェルトを聴く。ポピュラーなピアノコンチェルトのひとつである。今日市立図書館へ行きCDを借りてきた。ピアニストはマルタアルゲリッチ。珍しくこの曲しか収録されていない。40分にも満たないCDである。

先週の今頃東京のコンサートホールでこの曲をライブで聴いていた。ライブで聴くのは始めての曲であった。まるで、ベートベンのコンチェルトのように迫力があった。しばらくクラッシクのライブなど行っていなかったので、久しぶりに楽しい時を過ごした。

今こうしてCDで同じ曲を聴いても、先週のライブ演奏には遠く及ばない。迫力が違う。コンサートは、音が腹のそこまで響いていた。終始目を瞑って聞いた。そうすると、音に集中できる。クラッシクを聞く時は、目を瞑って聞いてしまう。音が心にまっすぐに響いてくる。本当に心地よい。音楽と自分が一体化して、恍惚とする瞬間である。

家内と一緒に聴いた。席は離れ離れとなった。というのは、チケットを買うのが別々だったから。家内は娘と一緒にショッピングに行くつもりだった。しかし、娘は当日アルバイトがあるというので、中止になった。そこで、私と一緒にコンサートに行く事になった。私は予約券を持っていたが、家内は当日件を買ったので、別々の席になった。

家内はクラッシク音楽のファンではない。しかし、演奏後感想を聞くと結構満足していたようだ。ショッピングより楽しかったかな。

演奏会がおわって、子どもたちの家へ行った。台風4号のせいで大雨であった。遅い晩御飯を一緒に取ろうと約束して、最寄の私鉄の駅に降りたときは、傘をさしてもずぶぬれになるほどだった。水たまりを避けるように歩いて、待ち合わせの焼肉店へ行く。やれやれ、店に着いた頃には、履いていたスニーカーの中まで、濡れてしまった。

子どもたちと食事をするのは、2ヶ月ぶりである。義父の葬儀以来のことだった。皆でビールで乾杯。4人で外食したのも、数ヶ月ぶりであった。自然会話は弾む。子どもの近況についてである。いつの間にか長男の話になった。

長男は、専門学校へ行ってギターを学んでいる。高校時代から、バンドを組んで活動していた。高校卒業後も、大学へは行かずに音楽を選択した。自然、話題は音楽活動についてになった。ライブ活動をしたいが、オーディションに受からないとできないという。彼の通う専門学校では、ライブ活動をする生徒には、資金援助をする制度がある。しかし、無条件に援助してくれるのではなく、オーディションを受けて通ったバンドにしか、援助はないという。そして、まだこれからオーディションを受けるとの話だった。それを聴いて家内は、怪訝な顔をした。

その専門学校の入学案内には、ライブへの資金援助について最大の“売り”として説明されていた。しかし、そのような条件には一切触れられていなかったという。入学案内を見る限りは、生徒ならだれでも資金援助を得られるように読めたという。長男がその学校を選択した理由の一つは、ライブ活動への援助があるためだった。オーディションに受からないとライブへの援助がないと言う事は、その学校の生徒でも一度も援助を受けてライブを持てないことがあると言う事になる。

思うに、アンフェアな話だ。確かに、無条件にライブの資金援助を与えることはできないのかもしれない。それならば、条件があることを入学案内に明記すべきだ。条件に触れずに、“わが校は生徒がライブを開く時は援助をします”と宣伝するのはおかしい。しかも、公認された専門学校での話である。世の中この種の話が多い。さしずめ“不当景品類及び不当表示防止法”に抵触するような話であろう。

そんな訳で、長男の話はせかっくの家族団らんに水を差すことになった。


雨の日の午後に

2007-06-24 18:50:16 |  Mozilla Org.


午後から雨が降り出した。今日は習慣となっている家内とのウオーキングは中止だ。窓を開けているとひんやりとした空気が仕事部屋に入ってきて、半袖の服では寒いくらいだ。上から長袖の綿のワイシャツを着て仕事をしている。

昨日は晴れていた。花壇に、次の花の種をまいておいてよかった。ひまわりと、コスモスを蒔いた。2、3週間前にスイートピーを片付けた。花壇から引き抜いた蔓をビニールのゴミ袋へ入れると目一杯詰め込んで、4袋になった。今年は、スイートピーの当たり年となった。4月、5月と晴天に恵まれたこともあって、蔓は伸び放題で、次から次へと色とりどりの花が咲いて、2ヶ月間は開花を楽しむことができた。花壇のフェンスを乗り越えて、蔓が往来まで延び、森のように茂みを作った。車の通行の邪魔になるくらいに繁茂した。6月になると、一部は枯れて、ドライフラワーのように黄ばんでしまったが、まだ大半は青々として、花の勢いは盛りを過ぎても、まだまだ開花が継続しそうな気配であった。すでに、きぬさやのような、鞘豆をあちらこちらにぶら下げていた。これ以上置いておくのも気の毒に感じながら、不精していたが、ついに片付けた。

その後、花壇を地肌がむき出に殺風景なまま放置しておいた。一応、種は買ってあったので、肥料を施して耕してはあったが。漸く昨日、梅雨の晴れ間に、そそくさと種を蒔いた。



パソコンに、メールで、コンサートのチケットの予約確認の案内が入っている。来月、東京へ聞きに行くつもりで購入した。土曜日の夜の演奏会である。演奏会が終わってから、子供の所に行って泊まって、翌日帰宅しようか。その話を家内に昨夜したら、自分も行くという。コンサートは行かないが、彼女も子供のアパートに泊まるそうだ。早めに行って、娘と都内で買い物でもしていようか、と言った。

そこで、昨夜のうちに娘にメールを打ったようだ。スケジュールを確認したらしい。今日の昼食時にどうなったと聞いたなら、返事がないという。完全に無視されたかな?いつもなら、メールの回答はもっと早いのに。まあ、親に来られてもあまりありがたくないのかもしれない。学生生活をエンジョイしているのに、親の来訪なんて。なんとなく、分かる気もするが。

GBMに流れるのは、パールマンが演奏するヴィニアフスキーのバイオリン協奏曲。二番が有名だけれど、一番もなかなかいいなあ。

そうこうする間に、雨脚が徐々に強くなってきた。雨の音に混じる憂愁を帯びたバイオリン。しばし、仕事の手をとめて、音の共演に聞き入る。窓の外はまだ明るい。闇の訪れはまだまだ先のことだ。夜の女王の来訪の前に、遣り掛けの仕事は終わりにしようとするか。な?