沢木耕太郎氏のベスト著作はいまだに、『テロルの決算』だと思っている。その後、彼は私的ノンフィクションに走った。それはそれでいいと思っている。不思議な透明感のある文章を書く人で、初めから、小説家のほうが向いていたのかもしれない。
彼の後は誰が素晴らしいノンフィクションの書き手になるのだろうかと思っていた。猪瀬直樹氏の著作は面白く、夢中で読んだ。初期の『天皇の影法師』や『ミカドの肖像』『欲望のメディア』あたりは素晴らしい出来栄えだと今でも思っている。週刊文春で連載した『日本国の研究』も快作ではある。多分、彼は彼で、この国の統治機構の欺瞞性や権力者の誤謬を抉り出す仕事に価値を見い出していたと思う。また、大学院時代に橋川文三氏に保田與重郎あたりを学んだ人だから、保守の論客になる可能性はあると思っていた。しかし、次の段階で道が少しずれたのではないか。
政官財の癒着構造を引き離し、白日のもとに晒したら、今度はそれを市民の立場から改善する方法論を構築すればよかったのだ。改善する手段として、彼は権力を利用しようとした。そして、権力は逆に彼を利用した。彼は賢くない人ではないから、多分自覚はしていると思う。
道路公団の借金体質を改善する方法として、自分が思い描いた民営化という選択枝しか持ち得なかった。違うのだ。公的機関は公的機関として、改善すべきだったのだ。そしてそれは、現代の政治課題の全てにつながっている。昨今の風潮では、そこになにかしらの問題があると、解決策として民営化が真っ先にきてしまう。例えば、教育の問題だ。ゆとり教育の弊害や、学校の安全性の問題は私立学校に進みさえすれば解決するのか。そうではないと思う。あるいは、私企業には「公」の概念は必要ないのか。実は私企業にも「公」の概念は必要なのだと思う。建築物を作る時にも、食品を販売する時にもそれは必要なのだ。真のノブレス・オブリージュはそこにある。正義や倫理の概念はたしかに難しい。しかし、倫理の概念を確立する前に民営化がすべての解決策であるかのような錯覚が生まれたのだと思う。それに猪瀬氏は貢献してしまった。私たち日本人は「公」であろうが、「私」であろうが、そこになるべくなら、存在してほしい倫理と正義を思考し、それを議論することを忘れてしまったのかもしれない。
氏の最新作『ゼロ成長の富国論』にはかつてのような輝きはない。修身の教科書でも書くつもりだろうか。それとも、自分が菊池寛にでも成れるつもりなのだろうか。氏の最初の発想は悪くなかった。しかし、解決策を単純化し過ぎてしまった。そして、それが権力に近づき過ぎる原因にもなった。
才能はある。筆力もある。しかし、立ち位置がずれた。
残念だが、もうこちら側には帰ってこないだろう。
漫画家の弘兼憲史氏もそうだ。『人間交差点』は良かった。『課長・島耕作』は出世しないほうが面白かった。
彼の後は誰が素晴らしいノンフィクションの書き手になるのだろうかと思っていた。猪瀬直樹氏の著作は面白く、夢中で読んだ。初期の『天皇の影法師』や『ミカドの肖像』『欲望のメディア』あたりは素晴らしい出来栄えだと今でも思っている。週刊文春で連載した『日本国の研究』も快作ではある。多分、彼は彼で、この国の統治機構の欺瞞性や権力者の誤謬を抉り出す仕事に価値を見い出していたと思う。また、大学院時代に橋川文三氏に保田與重郎あたりを学んだ人だから、保守の論客になる可能性はあると思っていた。しかし、次の段階で道が少しずれたのではないか。
政官財の癒着構造を引き離し、白日のもとに晒したら、今度はそれを市民の立場から改善する方法論を構築すればよかったのだ。改善する手段として、彼は権力を利用しようとした。そして、権力は逆に彼を利用した。彼は賢くない人ではないから、多分自覚はしていると思う。
道路公団の借金体質を改善する方法として、自分が思い描いた民営化という選択枝しか持ち得なかった。違うのだ。公的機関は公的機関として、改善すべきだったのだ。そしてそれは、現代の政治課題の全てにつながっている。昨今の風潮では、そこになにかしらの問題があると、解決策として民営化が真っ先にきてしまう。例えば、教育の問題だ。ゆとり教育の弊害や、学校の安全性の問題は私立学校に進みさえすれば解決するのか。そうではないと思う。あるいは、私企業には「公」の概念は必要ないのか。実は私企業にも「公」の概念は必要なのだと思う。建築物を作る時にも、食品を販売する時にもそれは必要なのだ。真のノブレス・オブリージュはそこにある。正義や倫理の概念はたしかに難しい。しかし、倫理の概念を確立する前に民営化がすべての解決策であるかのような錯覚が生まれたのだと思う。それに猪瀬氏は貢献してしまった。私たち日本人は「公」であろうが、「私」であろうが、そこになるべくなら、存在してほしい倫理と正義を思考し、それを議論することを忘れてしまったのかもしれない。
氏の最新作『ゼロ成長の富国論』にはかつてのような輝きはない。修身の教科書でも書くつもりだろうか。それとも、自分が菊池寛にでも成れるつもりなのだろうか。氏の最初の発想は悪くなかった。しかし、解決策を単純化し過ぎてしまった。そして、それが権力に近づき過ぎる原因にもなった。
才能はある。筆力もある。しかし、立ち位置がずれた。
残念だが、もうこちら側には帰ってこないだろう。
漫画家の弘兼憲史氏もそうだ。『人間交差点』は良かった。『課長・島耕作』は出世しないほうが面白かった。
猪瀬さんの本は読んだことありませんでした。(って本をほとんど読まないので、どの方の本もほとんど読んだことがありませんが・・。苦笑)今の猪瀬さんが大きらいなので、よく悪口を書いていますが、悪口を言う前に本くらい読んでいないといけないと、反省。それにしても、もうこちら側に帰って来れない人が、なんと多くなったことか・・・。悲しいですね。
あまり疲れないように御自愛ください。
ところで、コンサーンの意味は何ですか。マジで教えて下さい。
たしか、都合のいい女と開設されていましたね。これはたいへん深い読みだと絶賛していましたが・・・。(笑)
私に英語の意味を聞かれても無駄だと思いますが、先週のテレビでの竹村さんの説明では、関心と訳されていたと思います。検索すると 懸念、 心配、関心 とか書いてあります。
前原さんは“脅威”という意味で使われたのでしょうか?