西浦の時間≪Nishiura no Time≫

思いつくこと全てやってしまいたい。
しかし、それには時間が足りなさ過ぎる。
時間を自分のものにせねば。

ペンギンのビール。

2009-11-30 | ニュース・新聞(時事的な面白さ)
The World's Strongest Beer: Tactical Nuclear Penguin



世界で一番アルコール度数の高いビールらしい(32%)。
「少量で飲まないと危ない」レベルの代物で、
その名も「戦術核ペンギン(Tactical Nuclear Penguin)」
日本名がちょっとカッコ悪いですね。
「タクティカル・ニュークリア・ペンギン」で充分な気が・・・。
戦術核並の強さのビールを、
ペンギンの住む温度で作り上げたことが名前の由来。
※戦術核・・・射程距離の短い核兵器のこと

500本限定で、最初の250本は一本約5000円、
残りの250本は、BrewOneの株式とセットで、
1本約3万5700円で売り出されるのだとか。
どんな味がするのか、ちょっと気になる。
ペンギンの味がしたら面白いのに。


人類史上最強のビール「戦術核ペンギン」がイギリスで発売
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20091129_tactical_nuclear_penguin/

4。

2009-11-29 | ・ドリーム・フォレスト・・テディベア。
「どうしたんだい」
公園のベンチに寝そべっていたぼくは、
白いスーツを着た、初老の男を見上げた。
ヒゲでアゴを白くして、
いかにも金持ちとゆう感じが気に食わない。
寝返りを打って背を向ける。
「おい、無視しないでくれよ」
男は隣のベンチに腰を下ろした。
「ヒマなんだよ、おれ」
その図々しさに呆れた。
確かに、ぼくは高校を卒業した後、
進学もせず職にも付かず、
親にも見離されて公園に寝泊りしてる。
好きでそうしてるわけじゃない。
仕事がないのだ。
もちろん焦りだって感じてる。
実を言えば、昨日から何も食べてない。
こんな豊かな国で餓死しそうだ。
けど、そんな人間に向かって、
小ぎれいなスーツを着た男が『ヒマなんだ』とぼやく。
まるでコントじゃないか。
「おれはあんたより忙しいんでね」
そう言うと、男は愉快そうに笑い出した。
「いいね、キミ! いいよ! 好きだよ、そうゆうの!」
HAHAHAHAとひとしきり笑ってから、
「ところで」
ぼくの目の前に、焼きそばパンを差し出した。
「お腹、空いてない?」
反射的に奪い取った。
男は楽しげにぼくがパンを頬張るのを見ていた。
「もう1個食べるかい」
おもむろに懐からパンを取り出す。
ぼくはまたそれをふんだくって食べる。
満足げな表情で男はそれを眺める。
そして食べ終えると、
またスーツの内からパンを出す。
「ぎゅーぬーうぁなうぃぬ?」
パンを含んだままの、不明瞭な音声。
「ぎゅーぬー? ああ、ミルクのことか。ほら」
スーツのポケットから牛乳ビン。
「オイシイ?」
男が嬉しそうにそう言うのでぼくは不審に思った。
「これ・・・なんかの売れ残りとか?」
するとまたもや男は愉快に笑い出す。
「そこのコンビニで買ったんだよ」
「なんのために」
「キミにあげるために」
「なんで」
「お腹空いてそうだったから」
「ハトか、おれは」
「いやいや、人間でしょ」
「そうだよ・・・!」
妙に会話が噛み合わない。
よく見てみると、
彼の顔つきはどこか、日本人離れしていた。
「ナニ人・・・?」
「ん? 南蛮人だよ」
「自分で言うなよ」
「ウソウソ。うちの国、寒いんだから」
「知らねぇよ」
「えぇ、南蛮人知らないの??
南の野蛮人のことだよ、ニッポン人くん」
「いや、それは知ってるけど」
「けど・・・?」
「え、いや、別に何もないけど」
「けど・・・?」
「だから何もねぇって・・・!」
「もう~、ニッポン語むずかしいヨ」
「そんなに訛ってなかっただろ。てゆうか誰なんだよ、お前」
「ああ、そうそう。すっかり忘れてた」
と言って男はぼくに名刺を渡して、
「じゃ!」
と言ってその場を後にしようとした。
すかさず止める。
「ええ、ナニ??」
「意味がわかんねぇよ」
「それ、メーシ。ネームプレート」
「それは分かってるよ」
「も~、ニッポン人、ニッポン語ヘタ!
ナニ言いたいのか、ゼンゼン分かんないヨ!」
「教育委員会に言ってくれ」
「とりあえずボクさ、今すっごい急いでるから」
ぼくを振り切って、男は立ち去った。
それがUだった。

「いい加減」とゆうこと。

2009-11-27 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
アクセス解析とゆう機能が、
gooブログにはあるようなんですが、
これ、アドバンスに登録しないといけないんですね。
つまり有料なわけです。
だから、けち臭い西浦は、
自分でこのアクセス解析をやってるんです。

まあ、解析と言っても、
何か難しい計算をするわけではなく、
毎週プログラムにカウンタの数字を打ち込んで、
前の週より増えたか減ったかを見て、
一喜一憂する、そんなもんです。

ところが、最近、
これをすっかり忘れてて、
2週間ほど記録が抜けちゃったんですね。
あちゃーって感じです。
仕方がないから適当に数字を入れて、
誤魔化すことにしたんですが、
適当に入れると2400とか2520とか、
どうも数字がウソっぽく見えてくるんですね。

しかし、よくよく考えてみると、
西浦はカウンタに表示された訪問数を、
機械的に入力してるだけで、
それがちゃんとした数なのかどうか、
一度も疑ってませんでした。
こっちの方がよっぽどウソっぽい。
機械の無作為さと人間のアバウトさは、
似ているようで全く異なるものですね。

ドストエフスキー「罪と罰」。

2009-11-26 | マンガ・ドクショ(インドアな面白さ)
ついに読み終えました。
なんとゆうんでしょうか、この達成感とゆうか。
悪霊に打ち勝ったような清清しさがあります。

ストーリーはウィキペディアの方に、
うまくまとめてあると思うので、
ここでは西浦なりの理解を書かせていただきます。

大学をやめて引きこもりを始めたラスコーリニコフは、
せまい安アパートの中で人殺しの理論を紡ぎ出し、
金貸し老婆を殺しても自分は大丈夫と盲信し実行する。
(勢い余って、老婆の妹まで殺してしまう)
ところが、実際殺ってみると、
想像してたのと何かがちょっと違う。
このおれ様だったら、
もっとカッコ良く殺せるはずだったんだけど・・・と、
いろいろ戸惑ってしまう。
あれ? ん? おやおや? となるわけですね。
こんな感じで、
自分の頭の中と現実とのギャップに気付くところから、
物語はスタートしてるように思います。

西浦にとってドストエフスキーとゆうのは、
50代くらいになって、
いろいろ知識や考えが深まった頃に、
サッと開いてフムフムと理解できる、
それくらい遠い世界の作家でした。
ところが、ふと読もうと思ったんですね。
遠い存在と思ってるだけなら、
いつまでも遠いままだし、
自分から近づいてかなければならないと、
まあ、そう気付いたんでしょう。

で、上下巻(全6部)読んでしまったわけですが、
意外とゆうか、かなり面白く読めました。
キャラのセリフがやたらに長いのを除けば、
シンプルなサスペンスなんですね、これ。
もっと「哲学書!」って感じをイメージしてたので、
拍子抜けた感がありました。

個人的に気に入ったのは第1部と第5部、
それからエピローグ。
特にエピローグは自然描写がめちゃくちゃキレイ。
自然に対して神々しささえ感じてしまいますね。
ドストエフスキーの、あの薄汚い顔からは、
ちょっと想像できないような美しさでした。

第1部はラスコーリニコフの状況説明と、
思弁と、それから理論の実行。
ここはかなりスリリングでした。
「今から面白いことが起こりますよ」
と言わんばかりに書くので、
殺人が起こると分かっててもゾクゾクします。

第5部は佳境ですね。
今まで仕掛けられてた地雷が、
ここで一斉に爆発して、
祭のような熱気に包まれます。
これは独特なものがありますね。
何百ページも読んできて、
初めて体感できるような気がします。
楽しくて仕方がない。

確かにいろんな思想が飛び交って、
至る所でとうとうと語られますが、
やはりこれはエンターテイメントですね。
人を楽しませるために書いてある。
眠い議論があっても、
(ドストエフスキーはよくわきまえてますね)
読み飛ばす人のために、
ストーリーが分かるよう作ってある。
「じゃあ、書くなよ」
とは、まあ、言わない方が良いでしょう。

誰かの残した何か。

2009-11-25 | 実験(よく分からない面白さ)
ぼうや、どうしたの?
ずっとそこにいるのね
お母さんは?

ぼうや、どうしたの?
ひとりでさびしそうね
お友達は?

ぼうや、どうしたの?
青い顔して
具合でも?

ぼうや、どうしたの?
大きくならないで
ご飯は?

ぼうや、どこへいったの?
なにも言わないで
また明日、なのかしら?

あそぶための。

2009-11-24 | ひとりごと・ぼやき(モノローグな面白さ)
かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた

かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった

(谷川俊太郎『ことばあそびうた』より)


河童がラッパを盗んで、
一目散に逃げた。

菜っ葉をいっぱい買って、
切って食べた。

けど、そんなことが分かっても、
どうしようもないでしょ?
言葉が意味を失って、
呪文みたいになって無重力になって、
だから楽しいんだよ。

3#。

2009-11-23 | ・ドリーム・フォレスト・・テディベア。
ゴツゴツした球体は、
しばらく男の様子を見るように静止してたが、
突然、彼めがけて急降下してきた。
男は声を上げようとして、
口を開けて声帯を震わせたが、
しかし、耳には何も入ってこなかった、
岩の飛ぶ、ブンブンという音が鳴る以外には何も。
その数はどうやら1つではないらしく、
完全に囲まれているらしかった。
男が転げ回りながら逃げるの目がけて、
突進するかの如く降ってきた。
時々、床に何かが砕け散る音がした。
男はとにかく必死になって逃げ回り、出口を探した。
どこかにあるはずの脱出口を、
少なくともここに入ってきた入り口が、
どこかにあるはずだった。
部屋は、下手な画家が描いたみたいに、
遠近感が欠如していて、立方体であるはずなのに、
奥に辿り着くのにかなりの時間がかかった。
壁に近寄ると時間が引き延ばされたように長くなり、
中央に寄ると縮んで足が軽くなった。
しかし中央はひらけているために岩が動きやすい。
どうしても壁に沿って走らざるを得なかった。
ようやく目指すべき部屋の奥に手をつき、
肩を上下させながら、男はあえいだ。
しかし、そんな都合など全く気にする様子もなく、
ひときわ大きな岩が、容赦なく突っ込んできた。
そして、その塊は、
めり込むようにして男のくたびれた背中に激突した。
全身が捻れたように熱くなった。
彼は突然、底が抜けたように地面へと落ちていった。

つげ義春「無能の人」。

2009-11-22 | マンガ・ドクショ(インドアな面白さ)
つげ義春の『無能の人』を読みました。
「芸術性の高いマンガ」とゆうイメージを、
強く打ち出した最初期の漫画家のひとりですが、
この「芸術性の高い」という言葉が、
よく勘違いされがちのように思うので、
このイメージは、個人的にはあまり好きでない。

つげ義春のマンガは、
鬱屈とした暗さに溢れてるのに、
どこかユーモラスな感じがしますね。
主人公が「生活無能者」とゆう、
悲しいんだけど、どこかおかしさのある、
そうゆう人物に設定されてるから、
なのかもしれません。

『無能の人』は、売れないマンガ家が、
河原で石を拾ってはそれに「弧舟」とか、
「雲」とか「風」とかタイトルを付けて、
寝そべりながら、客を待っている。
基本的には全6話のほとんどが、
このテンションを崩さずに進められます。

これを読んでると、時間感覚とか、
常識とかが捻じ曲げられて、
何が正しいのか、何が間違ってるのか、
そうゆうことが分からなくなってくる。
まるで伸び切ったゴムを食むような、
そんな感覚です。

そして、冒頭ページの主人公の無気力な姿が、
最後のコマでは、
(同じポーズを取っているにもかかわらず)
シルエットに黒く隠されてて、
一種の人間離れした雰囲気が付与されてます。
最初と最後で価値観がひっくり返されてるわけです。
そこには悟りが開けたような厳かさがあり、
しかし、コマに描かれた、
「石を売ってる現実」と相まって、
悲しい笑いを誘います。

面白いのに悲劇的、
可愛そうなんだけどおかしい。
つげ義春のマンガの凄みは、
やはりここにあるんでしょうね。

イヴリー・ギトリスのバルトーク。

2009-11-20 | 音楽(音楽的な面白さ)
Bartok: Solo Violin Sonata ("Melodia")



ギトリスのバルトークは初めて聞きました。
名前の感じからギットリしてるのかと思いきや、
それほどでもなかったですね。ちょっと残念。
どっちかとゆうとネットリって感じです。

バルトークの無伴奏ソナタは、
無伴奏ヴァイオリンの「新約聖書」
と呼ばれることがあります。
(無論、「旧約聖書」はJ.S.バッハ)
その真意は掴みかねますが、
もはや楽器の限界とゆうレベルを、
一切感じさせない伸び伸びした響きは、
バルトークの音楽に触れたことのない人にも、
何かしらの気分を呼び起こすような気がします。
(まあ、眠くなる人もいるでしょうけれど)

今日の「ニッポンの教養」。

2009-11-17 | 日常(ふつうの面白さ)
亀山郁夫さんがテレビに出てましたね。
「罪と罰」とか「カラマーゾフの兄弟」とか、
ドストエフスキー作品を翻訳して話題の人です。
なんでも発刊数が100万部を超えたらしいですね。
驚きです。あんなめんどくさいものを、
わざわざ読もうと思う日本人がそんなにいたとは。

話し相手が爆笑問題だったので、
どうなることかと思ってましたが、
ウォッカを飲んでおとなしくなってたのが、
とても面白かった。
終わりに近づくにつれ、
みんな目がトロ~ンとしてて、
言葉からシャープさがなくなってく。
番組としてどうなんだろうって思いましたが、
まあ、毎度のことながら、
サルが可愛かったのでOKでしょう。

照れ隠しの技法。

2009-11-16 | 実験(よく分からない面白さ)
行政サッシン委員会は、
「ムダ削減」といって事業仕分けをやってますが、
これ、国立劇場をも含む文化シンコー事業や、
芸術家の国際コーリュー事業にまで及ぶようです。

確かに「意味があるのか?」と言われてしまったら、
芸術畑からは何の反論も出来ない。
だってムダだからこそ芸術は成立するんですから。
けど、こうゆう「ムダ削減」って、
この国には、文化を大切にする文化がないんですと、
公言してるようなもんですよね。
財政難だからと言って、
心まで貧しくなっちゃいけません。

とゆう使い古されたセリフは、
あまり使いたくない。