西浦の時間≪Nishiura no Time≫

思いつくこと全てやってしまいたい。
しかし、それには時間が足りなさ過ぎる。
時間を自分のものにせねば。

肉付け貼り付け。

2009-03-30 | 対話(話しことばの面白さ)
なんか、最近ダメだわ。

どうした、スランプか。

いや、なんか、調子が悪い。
頭が動かないんだよな。
ぼわ~んって、マヒしてる感じ。

あ~、あるね、そうゆう時。

お前も?

オールしたときとか。

眠いだけだろ。

目がピクピクすんのよね。

疲れ目だよ、それは。

これがホントの「過労視」ってか。

うん、死ねよ。

なんだよ、うまいこと言ったじゃん。

うまいのか?

うまいよ。

ん~、やっぱダメだわ・・・。キツイ。

大丈夫か?

心配するなら何かしてくれよ。

それはムリ。

一番イヤな言葉だな。

自分が相手に言ってほしい言葉ってのは、
そいつが一番言いそうにないからこそ、
求めてしまうんだよ。

確かに。

記号で表現するしかないぼくらは。

2009-03-29 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
文字は記号です。
つまり何かの「代わり」に、
それを表現している。
「犬」という漢字は、
実際に走ったりしません。
「犬」は、現実の犬とは違って、
生きてないからです。
しかし「犬」の話をしたい時に、
いちいち目の前に連れてくるのは面倒だし、
ましてやブログに書くとなれば、
そんなことは不可能です。
だから、文字は便利。

何かを読んでて、
ふと不思議に思う時があります。
目の前には文字という記号しかないのに、
なぜこんなに頭の中には、
生き生きとしたイメージが湧くのか。
文字はマンガのように笑顔を見せはしないし、
映画のように叫んだりもしない。
ただじっと、他のものの「代わり」をしてるだけ。

けど、よく考えてみれば、絵も記号です。
線をシュッと引っ張っただけで、
「鼻」になったり、
チョンッと点をふたつ付けるだけで、
「目」になったりする。
しかし、それは鼻でも目でもなく、
線とか点が、
その「代わり」をしてるに過ぎない。

つまり、マンガを読むとき、
目の前に広がる世界は紙とインクでしかないわけで、
そうゆう意味で言えば、
小説もマンガも同じようなものですね。
パッと見た瞬間に分かりやすいか、
それとも分かりにくいか、
それだけの違いに過ぎないわけです。

だから、逆に言えば、
小説というのは「抽象度の高いマンガ」と言えるでしょうし、
マンガは「具体的な小説」とも言えるかもしれません。
どちらが良いか悪いのかとゆう問題ではなく、
そうゆうことってあると思うんですよね。
最近、別に小説は書かなくとも、
ブログに何か書いたり、日記を付けたり、
メールをしたりといった感じで、
文字と触れ合う機会は確実に増えてますから、
文字に対する考え方も、
いろいろあって然るべきなんじゃないでしょうか。

アニメ、忘れられず。

2009-03-28 | 映画・映像(ビジュアルな面白さ)
5,6歳の頃に見たアニメなのに、
いまだに忘れられないシーンがある。

夏の暑い日に、セミが泣く中で、
ネコが女の子の死体を眺めてるという感じのシーンで、
全体がどうゆう話だったのか、
まったく覚えてないのに(たぶん理解してなかった)、
このシーンだけが強烈に、頭に残った。
とても幻想的で、静かで、
アニメ自体はとてもコミカルなタッチなのに、
凄まじくシリアスな内容だった気がする。
もちろん当時は、
「変なものを見た」
としか思わなかったのだけれど、
いま思えば、あれは、
実はとんでもないものだったんじゃないだろうかと、
そうゆう風に考えるようになった。

調べてみたところ、
あのアニメはどうやら、
「三丁目のタマ うちのタマ知りませんか?」
とゆうキャラクター番組だったようだ。
(タマ&フレンズの文房具は、一度は目にしたことがあると思う)

西浦が見たのは、
その第2期、「まつりばやし」の回で、
「ノラ」というネコがいるんですが、
これがなぜ野良猫になったのかという、
回想的なエピソードだったらしい。
飼い主の女の子がとても病弱で、
夏祭りに縁側で座ったまま死んでしまった。
それが、ノラの心の傷となってしまったようです。

さらに調べてみると、
この「まつりばやし」に衝撃を受けたのは、
西浦だけではなくて、
いろんなブログやサイトで、
この話に関することが書かれています。

ちなみにこのアニメ自体、
高い評価を受けているようです。
特に第2期の作品は、
平成6年度 文化庁優秀映画部門の、
「こども向けテレビ用映画部門」で、
最優秀TVシリーズを受賞しているそうな。

なるほど、やっぱり、
ただの変なものではなかったようです。
あれを見たときの、あの感じ、
あの情感が忘れられずに残ってて、
時々フラッシュバックする瞬間が気持ちいい。
こうゆう体験を共有できたら、良いことだと思う。


うちのタマ知りませんか?#17.5 「まつりばやし」


なんと映像がありました。
やっぱり素晴らしいです。
[2009/07/05]

スラムドッグ$ミリオネア。

2009-03-27 | 映画・映像(ビジュアルな面白さ)
映画「スラムドッグ$ミリオネア」
の試写会に行ってきました。
今年のアカデミー賞において、
作品賞を含む8部門を受賞した話題作。
ちなみに8部門の中身は、
作品賞、監督賞、歌曲賞、作曲賞、
編集賞、録音賞、撮影賞、脚色賞。

まず見終わってひと言、
スゴく面白かった。
アカデミー賞受賞とゆうことで、
「これは期待できないな」
なんて思ってたもんですから、
(アメリカ人のセンスは当てにならない)
まさかこんなに面白い映画だとは、
予想もしてませんでした。
少しアカデミー賞を見直す。

ストーリーはそれほど難しくありません。
インドのスラム街で育った青年、
ジャマールは国民的なクイズ番組、
「クイズ$ミリオネア」に出演し、
難問にバンバン答えていきます。
そして、最高額である2000万ルピー、
日本円にして約4000万円を賭けた問題を、
あとひとつ残すというところで、
詐欺罪により逮捕されてしまいます。
理由は、ちゃんとした教育を受けてない、
スラム街の負け犬(スラムドッグ)に、
答えが分かるわけがないというもの。
ここから映画はスタートします。

なぜ、ジャマールは答えを知っていたのか?
その謎を追究するのがこの映画の主題で、
ジャマールはインチキをしたのか、
それともたまたま運が良かったのか、
あるいは、それが運命だったのか、
それを知るために、ジャマールの過去が、
次々と明らかにされていきます。

見ている人をまったく飽きさせない映画というのは、
なかなかありません。
ましてや、それがインドを舞台にしたものならば、
そのリスクの大きさ(退屈になる危険性)は、
高くなると考えるのが常でしょう。

しかも、この「スラムドッグ」には、
インドの実情を切実に訴える側面が強いです。
(たとえばイスラムとヒンドゥーの対立、
スラム街における生活水準の低さ、人権的な問題など)
それにもかかわらず、
スクリーンから目を離せなかったのは、
非常に不思議なことでした。
ふつうならドキュメンタリーチックで、
退屈してしまうはずなんですが、
この映画には、ふつうのキュメンタリー以上の、
リアルな雰囲気があったような気がします。

聞いた話によると、
この映画はイギリスで製作されたのに、
3分の2がヒンディー語のセリフらしいです。
キャストも、ほとんど現地でオーディションをして、
現地についての知識を持ってなかったのは、
主人公を演じたデーブ・パテルくらいだったらしい。
(彼はイギリス生まれで、今回がデビュー作となった)
思わず見入ってしまったのは、
こうしたリアリティに対する監督のこだわりにも、
原因があったのではないかと思います。

一般公開は4月18日~ということで、
時間があれば、また行きたいと思います。
みなさまも、せっかくの話題作、
映画館でご覧になってはいかがでしょうか。

君と目玉の関係。

2009-03-26 | 実験(よく分からない面白さ)
君と目玉の関係。

うすい神経でつながった、

細く、弱々しい。

眼球には、ぬめり。

そのやさしさは、

君にはない。

美しい目玉は、

君に及ばない。

目玉より美しい君が、

目玉になることはない。

その透明な液体が、

ただ全体を包んでいるだけ。

表面が光ると、少し軽くなった。

それが、君と目玉の関係。

世間は騒がしい。

2009-03-25 | 対話(話しことばの面白さ)
なんか優勝したね。

ああ、野球?

WBCだよ、ダブリュビースィー

けど要するに「世界野球大会」だろ。

うわぁ~、興ざめだよ・・・。

まあ、なんにせよ、
案外、日本は強かったんだな。

「案外」とはなんだ、アンガイとは。

ん~、・・・「思ってたより」みたいな?

意味を聞いてるんじゃねぇよ、案外の。
日本は強いんだよ、野球大国だぞ?

うん、まあ、別にいいよ、興味ないし。

おおぅ!?
興味がないだと・・・?
お前、ホントに日本人かっ!!

サッカーに興味なかったら、
ブラジル人じゃないのか?

バッカ野郎!
暗かったらイタリア人じゃねぇよ!!

お前、イタリア人に謝れよ。

じゃあ、お前、何に関心があって日本人だってんだよ。

そりゃ、国内事情に精通してることだよ。

なんだよ、最近の国内事情って。

・・・陣内と紀香が離婚した、とか?

え、マジで・・・?

え、知らなかったの!?

いや、知るわけねぇだろ。
なんだよ、そのゴシップ。

ゴシップどころか、一面記事だよ。
記者会見までしてたし。

え~、マジかよ~。
まあ、別に好きってわけでもないけどさぁ、ふたりとも。
あんだけ世間騒がせといて、結局ソレかよ。

なんでも、陣内の浮気が原因らしい。

バカかアイツは。
藤原紀香を嫁にして、まだ足らんのか。

それを報道に載せるのも、
スゴい度胸だけどな。

バカなだけだろ。

まあ、なんにせよ、
そんなことも知らずに、
日本人やってられねぇよ。

どっちもどっちだよ。

嫌言感。

2009-03-24 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
前々から感じてたことだけど、
西浦は、口数が多過ぎると思う。
つまり、自分の語れないところまで、
語ろうとしてしまう。
なんとか言葉を足そうとしてしまう。
しかしたとえば、
哲学者ウィトゲンシュタインが言うには、
『語りえぬものについては、沈黙しなければならない』

ことばを連ねることで、
見えなくなってしまうことがたくさんある。
同じジョークを何度も聞くと笑えなくなる。
あえて語らないことが、何よりも語ることになる、
そうゆうことも往々にしてよくあることだ。

このブログをはじめた頃、
良い感じのことばを考えて、外に出す、
そうゆう作業が文章を書くことだと思ってた。
けど、いろんなものに触れるようになってから、
それだけが文章ではないと思うようになった。
印象的なことばを書くよりも、
ただ単に、事実を示すだけの方が、
強く伝わる場合もあるのを知った。
(事実を示す方法は、何も言葉だけによらない)

放っとけばいくらでもしゃべり出す、
このオートマチックな「装置」を制御するのは、
なかなかに難しい。
正しいから語るのではないし、
間違ってるから語らないのでもない。
語るべき時まで口を閉ざすように、心がけたい。

お勉強してますか?。

2009-03-23 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
そろそろ国公立大学の発表が出始めてますね。
さくら色の笑顔がどれだけ見れるのか、
元受験生としては、多少は気になるところです。
とゆうわけで今日は、そんな感じの話を。

学校が嫌いだったころ、
「勉強をするとバカになる」
と本気で思ってました。
正確には、信じ込もうとしてました。

で、実際、勉強してみた結果、
本当にバカになったと思います。
確かに、興味関心の幅が広がりました。
英語も少しだけ分かるようになりました。
読める漢字も増えました。

けど、確実にバカになりました。
たとえば自分で考えるのが下手くそになった。
あるいは、感受性が鈍くなったのかもしれない。
この病気を治すのに、
いったいどれくらい時間がかかるのやら・・・。
「リハビリ」はまだまだ続きます。

だからとゆうか、何とゆうか、
勉強はするもんじゃないと思います。
少なくとも、学校でやる勉強はやっちゃいけない。
たとえば国語の授業を受けて、
すべての小説には「作者の意図」が隠されてると、
そう信じ込んでる人が、どれくらい存在することか。

ふつうに考えて、そんなの説明できるんなら、
作家は小説なんて書かないでしょ。
「『こころ』における漱石の意図」を、
100字以内で説明するなんて、
本人にだって出来ないはずです。
なぜって、出来るんなら最初からそうしろ!
って話じゃありませんか。
何百ページも読ませられる身にもなって下さい。

まあ、だから、あえて言うなら、
作品そのものが「作者の意図」でしょう。
本当に「作者の意図」を説明するんだったら、
こちらも小説を書かなければならないはずです。
つまり、小説でしか書けないものには、
小説で答えるしかないんですが、
そこを勘違いしてる人がスゴく多い気がします。

ところで、いまこれを読んでる中には、
今年から大学生になるとゆう方もいるでしょう。
しかし、何よりもまず大学で重要なのは、
「知識」を得ることではなくて、
勉強する「方法」を学ぶことです。

英単語や漢字を覚えるのではなく、
どうやって文章を効率的に読むか。
(賢く辞書を使うにはどうすればいいのか)
あるいは、年号を覚えるのではなく、
どうやって歴史を自分で調べるか。
(自分の欲しい情報を素早く抜き出す力)

そうゆうことは「勉強」とは呼びません。
「学問」です。
少なくとも、西浦はそう思ってます。
ところが、一般的には、
大学で「学問」してる人は少ないようです。
西浦と同じように、
バカになってしまった人たちが、
「お勉強」を続ける場として、大学が存在してる。
だから個人的には、
これから大学に行かれる方にはまず、
一刻も早く「健康」を取り戻して、
勉強しない人間になってほしいですね。
その後、学問するかどうかは、
もちろん、皆さん次第です。
少なくとも、楽しい大学生活に、
お勉強は不要だと思いますよ、西浦としては。
ただし、学問さえあれば

感覚的な言葉の遊び。

2009-03-22 | 実験(よく分からない面白さ)
かんかく。

(1)目・耳・鼻・皮膚・舌などが、
身体の内外から受けた刺激を感じ取る働き。

かんかく。

また、感じ取った色・音・におい・温度など。

かんかく。

(2)(美醜・善悪など物事について)感じとること。

かんかく。

また、感じとる心の働き。感受性。感じ方。

かんかく。

哲学的には、感覚は知覚の構成分であり、

かんかく。

まだ意味づけられていないものとして知覚とは区別される。

かんかく。

缶に詰め込まれた核兵器。

かんかく。

三角、四角・・・

かんかく。

ピタゴラスの定理には納まりきらない。

かんかく。

金閣、銀閣・・・

かんかく。

国の重要文化財。

かんかく。

新しいパンダの名前。

かんかく。

愛称:かんかくん。

かんかく。

何かの記号。

かんかく。



かんかく。



かんかく。



かんかく。



かんかく。

力h力<

かんかく。

蘇る。

かんかく。

込み上げる。

かんかく。

うつむいた。

かんかく。

悲しいまでの。

かんかく。

剣客。

かんかく。

感覚商売。

かんかく。

つまりはどんぶり勘定。

かんかく。

横滑りな。

かんかく。

上ずりがちな。

かんかく。

ぼくらにとっての。

かんかく。

おれらにとっての。

かんかく。

わしらにとっての。

かんかく。

みんなの。

かんかく。

かんかく。

かくかん。

かかくん。

かかんく。

かんくか。

かくんか。

かんかく。

だれかの。

かんかく。

何かに関する各言、想感、意思。

2009-03-20 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
Ⅰ.
音楽を聞きながら文章を書いてると、
内容が薄くなってく気がする。
だから、なるべく音がない状態を、
がんばって作ろうとすることが多い。
少なくとも、自分が集中してるかどうか、
それが自覚できてる時は、
まだ、それほど集中できてないのだ。
しかし困ったことに、
音楽は、その自覚さえも忘れさせる。
そしてそれが、音楽の力でもある。

Ⅱ.
目的とか目標をもって文章を書いてると、
必ずと言っていいほど、
期待ハズレな、ろくでもないものが出来る。
だから、がんばって、
行き当たりばったりで書くようにしてる。
要するに、自分に期待しないのが一番。
その冷めた目が、文章には大切。
何か「スゴいもの」を書こうとした瞬間、
「スゴいもの」は死ぬということだ。

Ⅲ.
人に喜んでもらうことは大事だ。
けど、どうしたら喜んでくれるのか、
それをちゃんと考えないと、
喜ばせることなんて、当然できるわけがない。
けど、「人」って誰のことだろう?
ここでアーティストを気取って、
「そりゃ、大衆のことさ」
と答えるのは、どうかと思う。
なぜなら、表現は「届く」ことに重点があるべきだから。
ステージの上でどんなパフォーマンスをしようが、
客席がなければ、それは表現とは言わない。
では、大衆に何かを届ける手段をもたない人間が、
不特定多数の「大衆」を、
どうやって喜ばせることが出来るのか。
これは逆に考えると、
自分の届く範囲内でしか、
「表現」は成立しない、ということだ。
そういう制限された中で、
いったい自分に何が出来るのか、
それを考えることこそ、
今やらなきゃならないことだと思う。
もし、自分ではない「誰か」を喜ばせる気があるのなら。

武満徹を聞かなくちゃ。

2009-03-19 | 音楽(音楽的な面白さ)
急に、無性に、武満徹が聞きたくなったので、
とりあえず、たまたま手元にあった、
「テクスチュアズ」を聞くことに。

武満徹の良さとゆうのは、
いまだによく分からない。
よく分からないのに、
スゴく聞きたくなってしまう。

個人的なイメージとしては、
体の中をショベルカーでえぐられるような、
そうゆう衝撃がある気がする。
曲としてはとても静かなのに、不思議だ。
それと、湿布を貼られたような、
熱いものがじわぁっとくる感じもある。
何にせよ、確実に「ふつうの音楽」ではない。

「テクスチュアズ」は、
そんな武満徹が34歳の時に書いた作品。
「テクスチュア texture」とは英語で、
「素材、材質、質感」といった意味。
おそらく「音の肌触り」それ自体を音楽にすると、
こんな感じになるんじゃないだろうか。

つまり、「紙の」ではなく「木材の」感触、
加工したものではなく、原料の良さを提示するような、
たとえば、打ちっぱなしのコンクリートのイメージ。
生のままだからこそ、強く伝わってくる。
そうゆうカッコ良さのある曲だと思う。

「ここ」とは違う別の世界というものを、
芸術ってのは作ってきたんだと思う。
けど、その「芸術」という世界とは、
また別の世界を、武満徹は作ったような気がする。
現実逃避に飽きた人が、
もっと違う逃避の場所を求めたとき、
武満徹の異常なトランス性に気付けるはずだ。
酒飲みが、より強い酒を飲もうとするのと同じように、
それは刺激に対する、人間の自然な欲求なのだろう。
真剣に何かを求めた人にしか分からない感覚。

何かを感じるとき。

2009-03-18 | 音楽(音楽的な面白さ)
特別なことじゃない。
むしろ、みんながどうでもいいと思ってるようなこと。
それに気付いて、どうゆう風に捉え、
どうゆう風に相手に伝えるか。
ある人は、それを「歌」と呼ぶ。

シンプル・ソング.mp3

大事なのは、音と音の間。
たとえば「音がなくなる」とゆう状態が、
どうゆうものなのか。
それは実際体験しないと分からない。
そして、それが効率的に表現できる音楽装置は、
言うまでもない、ピアノだ。
シンセサイザーやエレクトーンなどなど、
多彩な(そしてうるさい)音を出す機械はいっぱいある。
けど、音をキレイに消す(減衰させる)楽器は、
ピアノを含めて、少ししかないと思う。
最近の楽器は「出す」ことに目を向けすぎだ。
それと同じくらい、消えることは大事なのに。