虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

希望の降る街 (1942/アメリカ)

2005年09月30日 | 映画感想か行
THE TALK OF THE TOWN
監督: ジョージ・スティーヴンス
出演: ケイリー・グラント
    ジーン・アーサー  
    ロナルド・コールマン 

 工場が全焼し、工場長が死ぬ。放火殺人で工場主に告発されたティルグは、町の感情を敵に回し、死刑は免れそうも無い。脱走した彼が逃げたところは、ガールフレンドの家の別荘。そこはちょうど、次期最高裁判事に推されようという、法学者が論文執筆のために借りたところだった。

 スターが揃って、映画自体もサスペンス、コメディ、ラブストーリー、シリアスな法廷シーンもちょっぴりというわけで、なかなか贅沢な映画でした。
 象牙の塔の教授が、実生活で不正と戦うティルグと、町の中の正義が通らない現実を知り、実力行使しても無実の彼を守ろうとする。そして、ティルグのほうは教授の高潔さを感じて、最高裁判事としての彼に傷をつけまいとする男同志の友情が育つ。そしてジーン・アーサーは、二人の男の間を揺れて、最後までどちらが本命かわからずに見るものを引っ張る。
 ティルグ役のケイリー・グラントの、ブルーカラーでも、ホワイトカラーでも馴染む演技力とシリアスなのにどこか暢気な逃亡者もあまり不自然でない軽やかさ、ジーン・アーサーの前向きな明るさ、コールマンの素敵な紳士ぶりにどっしりした安定感と、日本未公開とはいえ、今まで全然知らなかったのが不思議なほどリッチ感のある映画。
 最後はほっとするハッピーエンド。

 まあ、アメリカの正義が健在な時代のストーリーですが、それでも、感情が煽られるとリンチも辞さないというか、やはり「血に飢えた」といいたいような大衆気運が、わりと簡単に醸成される状況は恐ろしい。その中で、敢然と正義を守ろうとする弁護士さんも描かれるけど、本当に信念に生きるというのは命がけな状況だとつくづく思ったりもする。

 昔の映画が好きな人のほうが楽しめる映画だろう。

SHINOBI (2005/日)

2005年09月28日 | 映画感想さ行
監督: 下山天
出演: 仲間由紀恵   朧
    オダギリジョー   甲賀弦之介
    黒谷友香   陽炎
    椎名桔平   薬師寺天膳
    沢尻エリカ   蛍火

 徳川家康が天下を統一し、戦乱の時代は終わった。伊賀と甲賀それぞれの忍者は、長い間、その能力の高さのゆえに互いに戦うことを禁じられてきた。しかし彼らの強さを恐れた幕府は、両者を共につぶすために、一計を案じ、ある指令を下す。伊賀と甲賀それぞれの精鋭5人を戦わせ、どちらが生き残るかによって、次期将軍を決する、というもの。
 それぞれの跡取りである伊賀の朧と甲賀の弦之介は、密かに運命的な恋に落ちていたが、その精鋭の中には朧と弦之介も含まれていた。

 薄味なんです…
 私は、山田風太郎が大好きです。といいますか、大好きなんて言葉では語れない!
 山田風太郎の小説は、特に忍法帳なんて、むちゃくちゃエロくてグロくてきったなかったりしますが、清楚な美女は実に清楚に、荒くれ男がその命を捧げても悔いない乙女ですし、己を通す、男の中の男も登場し、悪役はまた悪役で憎たらしく実力があり、しかも奇想天外な忍術やら技がどっさり出てきてワクワクすることこの上なし。
 そのたっぷりのエンタテインメントで楽しませてくれた上で、人間の愚かさ、戦いの虚しさ、命のはかなさ、一途な思いの美しさ、見事な男性像などが読後にずっしり残るのです。

 というわけで、この映画も山田風太郎への期待をちょっと忘れて、特撮アクションものとしてみればそこそこ及第点なんですが、やっぱり薄味風味、絵はきれいなんだけど、きれいだからこそ「これは違う」感に付きまとわれてしょうがない。アクションも良く出来てるけど、全体としてさらっと軽い感じでした。
 オダギリジョーは期待してたけど、声と、主役の重みがもうちょっと。椎名桔平は実にのってたし、黒谷友香さん色っぽくて素敵です。仲間由紀恵は声が苦手ですが、後半の表情は良かったと思った。

一万円カレー、「チャイニーズ・オデッセイPART2」児童書

2005年09月28日 | 日記・雑記
 週に3~4回は前を通っているのに一度も入ったことのない横浜カレーミュージアムで、なんと超高級食材ばかりを集めた、一食一万円のカレーというのがあるそうです。

niftyデイリーポータル自腹で1万円カレーを食べる

 私としては、なんか邪道な気がします。
 あんな強烈なスパイスを効かせるものにステーキ肉みたいな、素材自体を楽しむものばっかり使うのは違うと思います。やっぱり煮込んでこそ滋味が出るとか、そういう素材をとことん選んで一万円とかがいいんじゃないだろうか。でもどっちにしろ私は食べません。本来が貧乏人なので、きっと一万円ばかりが気になって味なんかわからない。

「チャイニーズ・オデッセイ PART2」も、失速もせず、500年を行ったり来たり、それに孫悟空メイクのチャウ・シンチーも素敵だった。最後は惚れ惚れさせてくれて、おしまい。
 本当に「楽しい!!」映画であった。これだけ躍動感と熱気と楽しさに溢れたものはそうは無い。
 お買い物リストがまた増えてしまった。

 小学生に勧められた「ハッピー・ノート」という本を読む。
 両親に大事にされて、成績もよくて、でも人づきあいに苦労している、その場に合わせようと無理をしながら生活している女の子の話。身につまされて読んだそうだ。
 しかし小学生も、あっちこっちに気を使って生きているんですねえ。私にとっては、小説としてそれほど面白いとはいえないけど、子どもたちの経験する、暗黙のうちに出来上がる仲間うちの力関係と締め付けの厳しさに驚き、「私はこの時代を忘れちゃったんだろうか」と考え込んでしまった。ここまで強力な圧力を感じていただろうか。記憶が薄い。
 この小説では、主人公の家庭が、物分りよすぎることもなく、お父さんお母さんも実に理想的。自分の幸福の実現を子どもにおっかぶせることもなく、自身で成長しようと努力し、きちんと見るところを抑えている。それでも子どもには、それがわからずに誤解も起きる。
 最後は「ハッピーエンド過ぎてありきたり」と小学生は言っていたけど、ラストはほっとしなきゃいけません。

 子どもなんだから、大人になるまでたくさんの、でも乗り越えられるくらいの課題や障害をこなし、乗り越え、蹴飛ばしつつ、成長していってほしいものであります。子どもには子どもなりの時がないと。

チャイニーズ・オデッセイ PART1月光の恋(1995/香港)

2005年09月27日 | 映画感想た行
監督: ジェフ・ラウ
出演: チャウ・シンチー チンポウ
    カレン・モク  ジンジン
    ン・マンタ 
    アテナ・チュウ 
    チョイ・シウファン

 三蔵のお供に嫌気がさした孫悟空、牛魔王と組んで三蔵を殺そうとする。観音はそれを怒って悟空を殺そうとするが、三蔵の嘆願により時空を飛ばされ、500年後、人間の盗賊の頭領チンポウとして生きている。ある日、そこへ美しい女が現れるが、それは三蔵を探す妖怪だった。自分が悟空であるとわからないチンポウはかつての恋人妖怪もわからない…

 これは、今まで見てなくて損した!
 第1部だけで後半は見てないけれど映画全体から弾むような熱気・活気が伝わる。血流が良くなるような(感じがする)ほどエキサイティングな映画!
 10年前のチャウ・シンチーはさほど変わってはいないけど今よりもっとイケメン風に見える!見ほれるほどの体技という感じでは無いけど、きっちりと孫悟空らしさを感じさせるアクション。でもやってることはいとおしいほど思いっきりおばかでシモネタ。休み無しのギャグ満載。それなのにラブロマンスと泣かせる愛情物語もあり、それが気持ち良いスピード感で突っ走る!解毒のための局部踏んづけとか、自殺するジンジンを救うために時間を行き来するところの繰り返しなんか、お約束だけど本当に笑えた!
 妖怪姉妹も美しいし、それにあのヒラヒラ衣装で華麗なアクションしてるし、牛魔王の造形もよかったし、もう豪華絢爛サービス満点!
 元気出したい時には、超お薦め!
(なんかびっくりマークだらけですが、映画の活気にあてられたと思ってください。今日、続きを借りに行かねば!)

和泉式部日記

2005年09月26日 | 
中原中也も、その詩に陶然となるけれど、凡人の手に負える人じゃないなあ、とため息が出る人です。
和泉式部は女性で、私の「かなわないなあ」の筆頭に上がります。

 冷泉院の皇子為尊親王の恋人だった和泉式部(当時人妻)が、疫病で皇子を亡くした後、その弟、敦道親王と恋に落ち、世間の糾弾にもかかわらず屋敷に移り、皇子の妻が憤激のあまり家を出るまでの10ヶ月を孤独感と恋の至福をともどもに描く。
 恋多き女と評判の和泉式部に、おそらくはじめは好奇心から近づいた親王が、お互いの魂の共感を感じて、恋の虜になっていくのが私にはどこか恐ろしいように感じる。和泉式部本人作説が有力になっているようだが、「憂し」「はかなし」な雰囲気と苦しみと孤独感に満ちて、それがまた、この世で心の寄り添える人と出会えた愛の歓喜の一瞬の至福の輝きを増しているよう。
 これは、自他の感情を深いところで感じ取り、その表現を創造する稀有な才能の行為であって、誰にでもできる恋ではない。残された情緒纏綿たる歌さえも、その余剰部分という気がするほど。その余剰部分たる歌が、生み出されるべくして生み出されたような宝石ぞろいなのだから。その心の呼吸が自然に言葉になったような歌が、私のような散文的な人間にも「これは私の心が求めていた言葉だ」と叫ぶような共感を抱かせずにいない。
 世間の目も痛く、人を傷つけている自覚も、罪悪感も十分すぎるほど感じていてもどうしても離れられない、自分のすべての心を相手に注ぎ込んでしまうような恋。

 私は、それほど深い恋をする能力は無いな、と読むたびに感じさせられる。でも、これは私の待っていた言葉なのだ。

 人間それぞれ能力とか、向き不向きがあって、私なんか事務的なことがきちんと出来ないとか、取扱説明書を読まない男って、むちゃくちゃ嫌いだ。別に親しくなければほって置けばいいようなものだけど、ビデオの再生画面が乱れてるのに、トラッキングも調整せずにそのままぶつぶつ言いながら見ている男は腹が立つ。実生活もきちんと抑えて、その上で芸術的飛躍も求めるのはぜーたく過ぎるし。
 私も波乱を含んだ人生には憧れはどっさりあっても、自分は無理だと思うし。
 座って本を読んで心を泳がせるほうが似合っていて、自分からシュトルム・ウント・ドランクに飛び込むと即座におぼれるだろう。
 無理なだけに、憧れは強烈なのかもしれない。

ダウン・バイ・ロー (1986/アメリカ、西ドイツ)

2005年09月25日 | 映画感想た行
DOWN BY LAW
監督: ジム・ジャームッシュ
出演: トム・ウェイツ    ザック
    ジョン・ルーリー    ジャック
    ロベルト・ベニーニ    ロベルト
    ニコレッタ・ブラスキ   ニコレッタ

 元DJのザックと、かっこつけのポン引きジャックはそれぞれ、罠にはめられて刑務所で同房になった。そこへやってきたのがイタリア人のロベルト。

 運の悪い、ダメ男そうな3人が、刑務所に入って同房になって、脱獄して一人一人になるまで。
 これも、しっかり心に食い込んでくる映画だけれど「どこが」「どうして」を説明するのは難しい。
 微妙なヌルさとおかしみと緊張感に満ちた映画。このどうしようもない世間の負け犬を見て、なぜこんなにも見た後で開放感を感じてしまうのだろうか。この独特な、やはり妙な世界になごんでしまうのは、変に親近感を感じるのはなぜだ。
 ことの発端はかなり丁寧に描かれ、ジャックとザックがどんな男か、二人ともそれなりに曲がり角に来ていることを納得して、しかし全編にわたって葛藤のシーンというのが省略されている。脱走の決意も、実際の脱獄場面もまた省略。時々看守こそ出てくるけど、刑務所シーンは3人の世界だけに限定され、他のものは背景となる。脱獄後も、ニコレッタの家に着くまでは3人以外のものは気配しかない。
 とりあえず逃げ切って、逃げ込んだところが「見たようなところ」というシーンはシュールで情けなくおかしい。
 シュールといえば、この美しい映画の画面の刑務所内の光はまったくシュールで光源がわからないような、影が無いような無機質な感覚がある。逃亡する人家の見えないような湿地や森は、どこでもないような不思議なところに見える。

 ダメな奴らではあるものの、ザックもジャックも無実で、ハメられて刑務所にいいる。そして裁判も済み、どうしようもないと骨身に沁みた状態でここにいる。世の中に無実を叫ぶ手段を積極的に探すでもなし、鬱積するものをやり過ごすことに専心しているようで二人のいさかいは、自分の神経を保つためのよう。そこへ入ってくる妙に軽やかなイタリア人ロベルト。彼は刑務所へ入れられる理由はちゃんとあるのだが、これまた不運。そしてこの物語も復讐劇だのには進んでいかない。
 そしてトム・ウェイツの歌がまた、映画の雰囲気を決定付けてエンディングとなる。
 この3人のトゲトゲしつつのもたれかかりあいが、どうしてこんなに素敵になごむものなのだろう。

ゆあーん ゆおーん ゆやゆよん

2005年09月24日 | 日記・雑記
今週の毎日ウィークリーのアーサー・ビナード氏の詩のコーナーは中原中也の「サーカス」の英訳だった。

あの人口に膾炙した

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

のオノマトペの入った超有名な詩。
ビナード氏も何とか英訳でこのオノマトペを伝えられないかと四苦八苦し、ついに諦めた、と記している。

Yooaaaan Yooyoohhn Yooyayooyon

と綴ると、似た音を持つ語との連想から、英語圏の人には「ロレツの回らない酔っ払いが発する"Yoo-hoo"といったところ」に聞こえるという事態だという。

そこで氏は、この部分を

SEEEEEEE SAAAAAAAW, SEE and SAW,

と訳している。この詩の最初の


幾時代かがありまして
 茶色い戦争ありました

There was an Age of This, an Age of That,
 and a sepia-colored War.


seesaw(シーソー)の上下の動きと、see sawという「見る」という動詞の変化に通じる行ったり来たり感、それに「その時代を見た」という意味を響き合わせて訳したそうだ。

なるほどなあ、と感心するがやはり「ゆあーん ゆおーん」の持つしなり感までは英詩では感じられないだろうなあ、日本人に生まれてそのまま読める私は幸せ!なんて思った。まあ、もちろんその逆も真なりで、私が訳詩でしか読めない国の詩も山ほどありますのですが。

毎日ウィークリーのビナード氏のコーナー、実に楽しみにしています。週刊新聞の月に1回の連載ですが、どうかずっと続くように願っています。この新聞は、ネットで1回315円で配信していて、好きなときだけ見られます。興味のある方は是非お薦めです。

===============
 
本日は大井町のハードOFF(中古PCショップ)に出撃。
数は少ないけど、かなり参考になった。
ショックだったのは、アキバで見っけもんだと思ったペンティアム3の1ギガが3,990円で売っていたこと。思わずこれも買って値段を薄めようか、などと思ってしまったが、それをしても意味ないぞとやっと気付いて思い止まった。

家に帰ってから、ショックを癒すためにジャームッシュの「ダウン・バイ・ロー」を見る。
しかしどうしてこういう映画で癒されるんでしょうか。
この映画の感想は明日。

五人の軍隊 (1969/イタリア)

2005年09月23日 | 映画感想か行
THE FIVE MAN ARMY
監督: ドン・テイラー 
脚本: マーク・リチャーズ ダリオ・アルジェント
撮影: エンツォ・バルボーニ 
音楽: エンニオ・モリコーネ 
出演: ピーター・グレイヴス
    ジェームズ・ダリー
    丹波哲郎
    バッド・スペンサー 
    ニーノ・カステルヌオーヴォ

 メキシコ革命当時。政府側の50万ドルの砂金を積んだ厳重警護の列車を襲うために集められた5人のプロたち。
 ボスであるダッチマン。爆破のプロ、怪力男、侍、軽業出身の銀行強盗。
 
 なんだか不思議な感覚の映画。マカロニウェスタンの香りはぷんぷんしてます。それど革命とか、動乱の匂い。オープニングのタイトルから「圧制と闘う民衆たち」みたいなバックの写真の上にキャストやらスタッフが出ます。音楽エンニオ・モリコーネですが、けっこう控えめに感じます。ラストも爽やかだけど、いささかポカンとして終了。

 得体の知れないかなり悪い凄腕たちが5人だけで、軍隊相手に実行不可能な砂金強奪をやっちゃおうという筋立てで、いつも闘う民衆たちが絡んでくるし、どうしても「七人の侍」のイタダキかな~?みたいに思う。でも見ている私の気合の乗り方が全然違う。
 丹波哲郎の侍がすごくかっこ良く描かれているけど、すごく類型的にも思う。無口な剣豪で久蔵さんタイプかな。お互い口利かないままに心惹かれあってる女性を救いに行き、あっという間に部屋中の敵を切り倒すシーンなど見せ場はけっこうあるけど、ここのチャンバラはあまりかっこよくない。
 列車襲撃とか、砂金を積んだ列車を別の線に引き込むための線路を細工するタイムアタックなど、プロの仕事を見せるシーンも用意されてるけど、「各シーンちゃんと取り揃えております」的に見えてドキドキハラハラ感が高まらない。なぜだ?

 個人的には「シェルブールの雨傘」のギイが、こんなに汚れちゃって…と。でもけっこう似合ってた。

インドの仕置人 (1996/インド)

2005年09月22日 | 映画感想あ行
HINDUSTANI
監督: シャンカール
出演: カマル・ハサン
    マニーシャー・コイララ
    ウルミラー・マートーンドカル

 独立運動の闘士で、清廉の人セナパティは賄賂要求に応じなかったため、事故で重態の娘を放置された。そして娘は亡くなった。賄賂とたらいまわしの横行する世の中に怒ったセナパティは、悪質な役人たちに制裁を加え始める。
 セナパティの息子、チャンドゥはそんな父に反発し、袖の下を取る役人になっている。セナパティの行動が国中で有名になったころ、チャンドゥが袖の下をとって営業許可した車が事故を起こし、大勢の子どもが犠牲になる。

 177分、長かった…
 いえ、ストーリーはすごく深刻で、親子の対立とか、愛情と正義とか重~い問題をどっさり詰め込んでラストも悲劇的なんですが、さすがインド映画、豪華絢爛な歌と踊りもどっさり詰め込んで、それが例のドンドカドカドカのリズムでくどいくらいたっぷり続くのでいささか頭クラクラ。
 特殊効果もいっぱい使って、歌と踊り、アクション、親子の問題、イギリスからの独立、三角関係、それに役人の腐敗と全部入れちゃう、まあ要するに足し算で出来上がったような映画。
 それはストーリー的にも感じるところで、なんだか現代風説教節―割り切れない現実に生きる庶民の「斯くあれかし」的な要求をすくい上げるみたいなとこも感じる。ヒロインがまるっきり現代女性だったり、息子役がなかなか好青年で、優しい男なのは今的なところかな。それにクラクラしつつも、かっこいいところはかっこいい。

 イギリスがまるでナチスみたいな役回りなのは始めてみたのでちょっと驚いたけど、他の映画でもこんな扱いなのだろうか。
 お父さんがいわゆる「仕置」の前に指を攻撃型に作るんだけど、それが緒方賢の仕置人に似ている。しかし、この邦題はあからさまにトンデモ映画みたいだ。

 チャンドゥ、セナパティ親子の一人二役もちょっとお父さんお元気すぎとは思ったものの、拍手ものでした。そういえば「ムトゥ!踊るマハラジャ」でも親子は同じ役者でしたっけ。まあ、あの場合は一緒に映るシーン無かったけど。
 インドの女優さんの美しいこと!

ゴーストワールド (2001/アメリカ)

2005年09月21日 | 映画感想か行
GHOST WORLD
監督: テリー・ツワイゴフ 
原作: ダニエル・クロウズ
出演: ゾーラ・バーチ     イーニド
    スカーレット・ヨハンソン    レベッカ
    スティーヴ・ブシェミ     シーモア
    ブラッド・レンフロー     ジョシュ

 高校を卒業はしたものの、職も無く、当面の当ても無く過ごすイーニド。落とした美術の補習では前衛でハイテンションな講師に憮然とし、友人のレベッカと、フラフラする毎日。ある日、一度出会った女性を探す新聞広告を見た二人はその男に電話をかけ、待ちぼうけを食う姿を見て面白がる。そして家まで尾行までしてしまう。その中年男はレトロな音楽オタクで、イーニドは彼に興味を持つ…

 みんながみんな、きれいでもかっこよくも無い映画。
 女優2人もなんかムチムチして、それがグラマーという感じでなくて、よくあるしまりきってない成熟以前のムチムチに見えるのです。たいしたものです。それにあのすごいファッションを着こなしてるのがエライ。なによりも飛び上がったのがあの絵に描いたような美少年、ブラッド・レンフロのダサさ。目が信じられないくらい。
 アメリカのコミックの映画化というけど、アメコミもアクション系でなく、日本で言えば初期の柴門ふみや、とがった少女漫画を思わせるこういう青春ものがあるんだな、というのも改めて認識です。

 あの、ハイティーン2人の女の子は見てて実にわかって恥ずかしい。私もかつてそうだったという身に覚えが十分あるし、今そうなってるのも家にいる。
 下手に出てる優しいおずおずしたお父さんへのつっけんどんな態度ってなんでしょうね、卒業後の進路についての話をしてるのに知らん顔して、
「聞いてないんだけど」
ひえ~!覚えがありすぎて恥ずかしい!(うちの場合はこれをすると、2~3日の暴風雨は覚悟ね)
 でも本当に、あのころはワケわかんないいらだちをしじゅう抱えてたなあ。今はそれをやっても自ら恥ずかしいから適当なところで撤退してますが。
 それに、はぐれもの中年、ブシェミへの共感もなんとなく理解できる。またブシェミが可愛い!

 メイキング映像で「ゴースト・ワールド」について、スタッフ・出演者それぞれが違う解釈を語っていたのも面白かった。私は、自分を捉えきれない十代の今ひとつ現実世界と自分の間に薄膜ができているような妙な感覚の世界は日本でもどこでもゴーストワールドのようなものだと思う。
 あのラストは現実の出発の暗示とも、それまでの世界との決別でも、ともかくある時期の終焉を意味しているのでしょう。

女王の教室・アキバなど

2005年09月21日 | エンタテインメント
週末からの生活など、ちょこっと。
 土曜は留学説明会を覗きに行き、パロディ彫刻を見て外でお食事をした。お酒を出すところだったので、注文したものが時間をすご~く置いてでてくるのでお酒でなく紅茶を飲んでる私は手持ち無沙汰な時間長かった。それに途中で食べたものの計算がよくわからなくなるので、食事制限持ちにはファミレスのほうがましだなあ、と思う。それに照明が暗い。字がよく読めない。

 日曜は模様替え。今まで使っていた19インチCTRモニターとやっと別れる決心して、液晶モニターに交換。でも今までのモニターは画面がとってもきれいだから、DVDを見られるように予備のPCにつなぐ。

 月曜はアキバ。
 なんとなんと、ペンティアム1ギガが5,980円で落ちているのを見つけ、直ちに購入。他に怖くて買えないものを屋台でいっぱい見る。巨大なヨドバシが開店したせいか、ソフマップなど安くなった感じがする。
 メイド喫茶も覗いてきた。文字通り外から見物。だって怖いんだもん。ややずん胴な感じのするメイドさん2名と、お客さんはさすがに男ばっかり。メイドさんの美醜についてのコメントは出来ません。

 火曜は午前中銀行など。帰りについマックへ入ってしまった。それでコーヒーとアイスクリームで昼食。入っちゃったのは「スパーサイズ・ミー」の影響だと思うが、さすがにハンバーガーは手が出なかった。マックでのいつものパターンの注文。

 小学校6年生女子に「女王の教室」最終回の感想を聞いた。
「あんなのあり得ない。和美ちゃんみたいないい子いないし。それに和美ちゃんと中学行きたいから受験やめるって友達がいたのに、和美ちゃん自分が受験して裏切ってるし」
 でも全回欠かさず、録画までしてみていたそうだ。
 その子は「友達と遊ぶより、勉強して差をつけるほうが楽しいわ」とか言ってる子だけれど、実はいつも宿題を友達に写されて、でも断りきれない自分にちょっとイライラしているらしい。
 私は、多少の引っかかりは別としてマヤ先生のクールさに大拍手でした。あの先生の緊張感が番組全体を支えてる感じ。それでマヤ先生の行き過ぎと和美ちゃんの出来すぎがこけないでいられました。でもあれはやっぱりやりすぎですって。カンチガイで真似したりする先生が出ませんように。

女子高生ロボット戦争 (2001/アメリカ)

2005年09月20日 | 映画感想さ行
XTRACURRICULAR
監督: ティム・T・カニンガム
出演: ミシェル・フェアバンクス
    マリア・ジョーンズ
    マシュー・コーンズ

 天才少女ブリトニーは、周囲に馴染めない高校生活の中で親友アリーの存在だけが支え。ところが、ロスから転校生クリスがやってきたために二人は恋のライバルとして反目しあう仲になってしまう。そしてブリトニーはその頭脳を駆使してアリーを蹴落とそうと様々な武器やアイテムを作り出す。

 一波乱の後、女同士のフレンドシップでほのぼの終結という、なんか日本のマンガの筋立てによくあるようなストーリーで、しかもマンガやらゲーム画面で見たような絵がいっぱい。タイトルのロボットなんか、モロにそうですね。それに拳から吹き上がる炎、マッチョな男を叩きのめす少女とか。
 はじめからそういうものだと思っていたので、お気楽に笑っていられました。
 問題の男、クリスの登場シーンも真っ白バックに浮き上がるシルエット。思わず爆笑。これで彼がもうちょっとかっこよければねえ…
 それに全体にたる~い展開で、意味ありそうで、ぜんぜん伏線じゃなかったなというのも多し。あのケバイお姉様方も、もっとけばく根性悪く活躍してほしかった。

 もっとスピーディーで、クライマックスをもっと派手に作りこんだら面白かったのに。へんてこアイテムや、腰砕けロボットの能書きとか、タイムボカンシリーズも連想したけど、ずっこけるなら思いっきりずっこけてくれたほうが面白い。
 それに頭脳少女なんだから、本で読んだカンフーだけじゃダメでしょう。パワーアップ器具装着とか、これを飲めば5分間だけ天才武道家になる薬とか発明して、それを飲んだブリトニーに対し、いかにその5分をアリーはしのいで逆転するか、それでどっかにウルトラマンのカラータイマーのようなシルシがでる…とか。
 ダメだ、私もすぐのってしまう。

スーパーサイズ・ミー (2004/アメリカ)

2005年09月19日 | 映画感想さ行
SUPER SIZE ME
監督: モーガン・スパーロック

 1ヶ月間、マクドナルドのメニュー以外のものを食べない、スーパ-サイズを勧められたら断らない、すべてのメニュ-を制覇する、などのルールーで挑んだ1ヶ月マック生活の記録。

 個人的にとっても気持ち悪い映画でした。
 私は小学校の時から腎臓が悪いので、外食があまり出来ない。たんぱく質を過剰に取らない、塩分は1日4~7グラムまで。脂よりは油を摂る、の生活がずっと続いているので、マクドナルドなんて1ヶ月に一度食べるかどうか。ケンタッキーは付き合いで行ってもコーヒー飲むか、骨なしクリスピーを半分分けてもらうだけ。フライドポテトは毎日は食べたくない。それにああいう味の変わらないものを、しかも濃そうなものを毎日食べるなんて拷問。
 家族がモンゴルへ騎馬トレッキングツアーに行ったことがあって、そのときは1週間のキャンプの間中、ゆでた羊肉とパンとパサパサしたチーズだけがメニューだったそうだけど、味は薄いし、あの草原の中ではそんなもんだと頭も身体も納得してしまって10日間元気に過ごしてきたと言う。おいしいとは思わなかったそうだけど。
 やっぱりあのマヨネーズと揚げ物の取り合わせはきつい。
 アメリカものでも、ミステリでは美食家探偵とか最近ではケータリング経営探偵が増えたりしてるが「クッキングママ」シリーズのレシピとかはそれほど脂まみれでもなく、けっこう健康的でおいしそうなのに。

 まあ個人的な「うげげ」はともかく、これは日本で見てもさほど我が身に迫らず、アメリカってすごい国だな、というふうに見てしまうのではないだろうか。
 最近では日本のマックでやたら大きなパックコーラが登場してるけど、あれほど巨大なポテトはあまり一般的でないし。
 2リットルのソーダを一人で抱えるのが異常だという日本人なら普通思うだろう。
 マック食べ続けの人も少ないだろうし、食事の選択肢がまず第一にご飯ものとパンものがある。
 日本の給食はお菓子だらけってこともなく、ほとんどでメニュー押し付けだから「今日は魚だよ~」とか不満言いつつ食べてる。あの袋菓子だらけの昼食なんて、良く親が黙ってますね。

 ただ、アメリカでも一日に摂取する食物の望ましいあり方ってキャンペーンされていて、参考になるからと食事療法の教室でも紹介された覚えがある。
 一番問題なのは食文化教育とキャンペーンですね。
 それにフード産業と保険業界の綱引きが浮き上がってくるのもなんか資本主義だなあ…でおかしい。
 実に「極端なあり方」を感じる。極端を訴えるのにこんな極端なやり方というのもすごい。

 しかしアメリカでも、こんなに食べられるようになったのは最近の数十年ですよね。「小鹿物語」なんかで描かれるギリギリの生活はそれほど昔のことでもない。どうしてこうなっちゃうのだろう。

お出かけ続き

2005年09月17日 | 日記・雑記
 懸案になっているヒーロー像の変遷もなかなか片付きませんが、連休中には、やってしまおうと思っています。
 今日は実は留学説明会でした。私はとてもいけないけれど、チャンスがきたら行ってみたいなあ。
 アメリカの総合大学の中の英語教育システムなので、いわゆる語学留学だけど、レベル試験にパスしたら一般の授業も少しは受けられるとのこと。寮生活で、そちらは一般の学生と共同生活。ほんと、学生時代ならちょっとの無理だったけど、今は清水の舞台ですね。でもまあ、夢は持っておこう。

 で、帰りに横浜駅に寄って見て来たのが岩崎祐司さんという作家のパロディー彫刻。
 私のツボにはまったのはそれほど多くなかったけど、これは受けました。

リョーマの休日

やはりこれはヴェスパでしょうか。

太陽が一杯


さけびたり

足もとのビンが見えますか?

ガラス越しでよく撮れていませんが、興味のある方は横浜駅東口、スカイビル各階に展示されていますので、お出かけになってはいかがでしょうか。

やっぱり気になる「愛の流刑地」

2005年09月16日 | 日記・雑記
 ただいま、主人公がヒロインを殺してしまい、小町九相図になってきました。おぞましや…
(念のために、小町九相図というのは、人が死んでからの変化を時系列で9枚に描いた絵で、小野小町のように、絶世の美女でも死んだらこうなると、もてない男の恨み思い知ったかとばかりに悪趣味なものです。別に美女であってもなくてもそうなるんですが)
 しつこいけど朝刊連載ものとは思われません。

 最近の小説の出来への興味はとっくに失せましたが、渡辺淳一先生と日経がこの連載を締めくくるのか、すごく注目してます。「失楽園」連載時よりも一般読者の反応がネットでダイレクトにわかる時代ですから、渡辺先生もすっごく気にしてらっしゃるみたいで

ヒロインの家族の立場はどうなる!
と声が起きれば

「自分は女の部分しか見ていなかったが、
 彼女は家では優しい母だった」

とかなんとか述懐させ、
身体がきれいなうちに子どもに見せてやらなければ、と
死後変化が進むヒロインに

「子どものところへ帰るかい」

と声をかけさせ…

そのたびに反応が
「キモイ!」
「死んだら用が無いのか、なんて勝手な男だ」

と、主人公の一挙一投足がますます新たなる強烈な反感を巻き起こしているところがおかしい。
 このドツボにはまったような状況をどう収束し、性愛による男女の結びつきの極地を描く小説として完結させるのか!今のところ、ヒロインの現実感のなさもあって男の一方的妄想ストーリーとしか思えないもん。

 あ、ある下着会社の社長さんブログでうっかり
「『愛の流刑地』を楽しみにしている」と書いたばっかりに、不買運動までおきかねない拒否反応を買いそのブログ閉鎖しちゃったそうですね。
 女の人を相手にする会社には渡辺先生はとても危険な存在だとやっと認知されたでしょうか。
 まあ「化粧」あたりから登場する女性
「こんな女いるかあ~~~!!」でしたけど。

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昨夜はBS2で「隊長ブーリバ」を見た。J・リー・トンプソン監督、ユル・ブリンナー主演。
 ユル・ブリンナーはこういう誇り高き男を演じると見事だ。息子役のトニー・カーティスがどうも時代感を表現しきれない感じなのに比べて、まさに平原のコサック、タラス・ブーリバに見える。猛々しき高貴が燃え立つようだ。
 昨日は熱が出ていたので、ユル・ブリンナーのためにもう一度見て、きちんと感想をまとめたい。