日高見製作所 業務日報

「鉄分」欠乏中。。

M183型電動客車(現役時代) ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年03月19日 00時12分57秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
先日アップしたM183型電車の現役時代の画像。
他の電車と同様にヘッドマークを付けて、運用についていた。

ただ、この電車。
どうも電力消費量が多かったとかで、出来るだけ使いたくない車輌であったという噂話を聞いたことがある。

どこまで事実かわからないので、その辺りをご存じの方、情報を求む。

C151型制御客車 ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年03月08日 23時30分19秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
若柳駅構内に留置されているC151型制御客車。
モーターなどの電装品は持たず、M15型電動客車(電車)とペアで動いていた車輌。
朝夕のラッシュ時に増結用として使われていたようだ。

今は駅の片隅で倉庫になっている。
かつて、この場所には西武鉄道から来たM17型+C17型が留置されていた。
そこに今は、西武・所沢工場製の車体を載せた車輌が留置されている。

なにかと西武鉄道(または所沢工場)と縁があった栗原電鉄。
もしも、今も電気鉄道のままだったら、上信電鉄などのように101系電車の中古車が走っていただろうか・・・。

あ、福島交通から中古車を買っていたっけ(爆

細倉マインパーク前駅にて ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年02月01日 23時01分23秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
細倉マインパーク前駅に停車中のM15型電車と、静態保存されているED20型電気機関車。

ED20型電気機関車はナローゲージ時代から活躍していた機関車。
昭和30年に行われた改軌に際し、台車とパンタグラフが交換された。
ナロー用の狭幅ボディに不釣り合いな足回りと、大きなパンタグラフ。
架線に向かって背伸びをしているような愛嬌のある姿も、ディーゼル化と共に過去のものになってしまった。

旧細倉駅付近を走るM15型電車 ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年01月17日 01時12分06秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
細倉駅は旅客営業の終端駅だった。
貨物列車は、細倉駅からさらに奥の細倉鉱山まで走っていた。

これを撮影した頃には「細倉マインパーク」が開園しており、旅客駅も細倉駅よりも鉱山寄りに「細倉マインパーク前」駅が出来ていた。

車輌の前面に付いているのは「細倉マインパーク」のマスコットが描かれたヘッドマーク(というのだろうか)。
ちなみに栗原市のサイトによると、このマスコットは「マイン坊や」と名前が付いている。

去りゆくもの ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年01月02日 00時25分41秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
  今年の年賀状に使おうとアルバムを整理してみたところ、写真がぞろぞろと出てきたので、当分ブログのネタに困らなくてすむな、と思っています。

 そんなわけで、カテゴリが増えました
 日記ネタに困窮した時(いつもか)に画像をアップします(たぶん)。

 さて、最初の画像は若柳駅の壁に貼られている看板です。

「みんなの足だよ栗鉄
乗って残そう孫子のために」

と、書かれています。大きな文字の下には合併前の沿線市町村の名前が並んでいます。
 こういった看板は、かつて各地のローカル線沿線で見ることができましたし、今も見ることができる路線があることでしょう。
 日高見製作所資料室にも「乗って残そう足尾線」と書かれた看板の写真が保管されています。
 さて、「孫子のために」という文句が書かれていますが、「孫子」は自家用車で移動しているんですよね。
 かくいう私も東北本線・石越駅から乗り換えたのが2回。自家用車で訪れたのが2回と、50:50の割合です。
 もう皆が自家用車中心の生活をしている地域で、公共交通機関を維持するのは無理なのでしょう。
 バスが残るだけ良い、とも思います(横浜ではバス路線が大幅に縮小されたとか)。