ちょうどニール・ヤングの4枚目のソロアルバム「ハーヴェスト」からのシングルカット曲“ Heart Of Gold ”(邦題「孤独の旅路」)がヒットしていたあの夏。
隣の県の高校と国体出場をかけての一戦。もうすぐロスタイムに入ろうとしたその時、右のウイングから流れてきたパスが相手チームのバックに当たってコースが変り、フリーで走りこんできていた自分の目の前にボールが転がってきた。
ゴールまでの距離、およそ5メートル。前にいるのはゴールキーパーただ一人。誰もが、そして自分が一番、その劇的ゴールを思い描いて疑わなかったその瞬間、右足から放たれたシュートは無情にもゴールポストの上を大きく越えていき、ヒーローとなることなく暑い夏はトホホと終わってしまった。
「あんな近くから蹴って、外すほうが絶対難しいぞ」と、あとからことあるごとにからかわれ、当時サッカー専用のグランドがほとんどなかったので「(国体に出場して)芝生で一度やりたかったな」というチームメイトみんなの思いに対しては、今でも申し訳なく思っていた。
あれから30年余り。昨日、その当時のチームメイトだったK君が亡くなった。癌だった。
2年前に腎臓で見つかって以来、ずっと戦い続けていたということをはじめて知った。
享年 51歳。余りに若すぎる死だった。
冷たい雨が降り続く国道、お通夜に向かう車の中、たまたまつけたFMから懐かしい声が流れてきた。
それがニール・ヤング。
1972年の『ハーヴェスト』、1992年の『ハーヴェスト・ムーン』の続編であり、それら2作の続編:3部作の完結編となる『プレーリー・ウィンド』というアルバムが先月発売され、その中からの1曲だとDJが紹介していた。
余りの予期せぬ偶然に、心熱くなって少しだけ泣いた。
隣の県の高校と国体出場をかけての一戦。もうすぐロスタイムに入ろうとしたその時、右のウイングから流れてきたパスが相手チームのバックに当たってコースが変り、フリーで走りこんできていた自分の目の前にボールが転がってきた。
ゴールまでの距離、およそ5メートル。前にいるのはゴールキーパーただ一人。誰もが、そして自分が一番、その劇的ゴールを思い描いて疑わなかったその瞬間、右足から放たれたシュートは無情にもゴールポストの上を大きく越えていき、ヒーローとなることなく暑い夏はトホホと終わってしまった。
「あんな近くから蹴って、外すほうが絶対難しいぞ」と、あとからことあるごとにからかわれ、当時サッカー専用のグランドがほとんどなかったので「(国体に出場して)芝生で一度やりたかったな」というチームメイトみんなの思いに対しては、今でも申し訳なく思っていた。
あれから30年余り。昨日、その当時のチームメイトだったK君が亡くなった。癌だった。
2年前に腎臓で見つかって以来、ずっと戦い続けていたということをはじめて知った。
享年 51歳。余りに若すぎる死だった。
冷たい雨が降り続く国道、お通夜に向かう車の中、たまたまつけたFMから懐かしい声が流れてきた。
それがニール・ヤング。
1972年の『ハーヴェスト』、1992年の『ハーヴェスト・ムーン』の続編であり、それら2作の続編:3部作の完結編となる『プレーリー・ウィンド』というアルバムが先月発売され、その中からの1曲だとDJが紹介していた。
余りの予期せぬ偶然に、心熱くなって少しだけ泣いた。
僕は腰をおろし
これまでに僕が知りあった
すべての良き友たちにあてて
長い一通の手紙を書こう
一緒にすごしたグッドタイムを感謝して
みんなにお礼の言葉を送るんだ
もう今はみんな大人になって
ばらばらになってしまったけど
そのうちいつかきっと僕は腰をおろし
これまで僕が知りあった
すべての良き友たちにあてて
長い一通の手紙を書こう
いつかきっと
いつかきっと
そう先のことじゃないさ
お礼をいうんだ
あのカントリーのバイオリン弾きの老人や
ロックンロールを響かせる
荒くれ小僧のような仲間たちすべてに
自分から橋を燃やそうとしたことはないけど
わかっているさ
素敵な何かをだいなしにしたこともあった
ロスからナッシュビル
ニューヨークシティ
それにカナダの草原の僕の故郷
古いメイプル・トリーから散った葉のように
友人たちもあちこちにばらばら
疲れた奴もいれば
元気な奴もいるだろう
いつかきっと
いつかきっと
これまでに知り合った素敵な仲間たちにあてて
僕はゆっくり長い手紙を書くんだ
遠い先のことじゃないさ
きっともうすぐ……
それにしても胸に染みる選曲、恐縮至極であります。
本当にありがとうございました。