崖っぷちロー

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ユリイカ「ゲーム実況、そして刺身。」について2

2009-04-29 04:05:26 | ニコニコ動画・ネットとか
ユリイカ「ゲーム実況、そして刺身。」について1のつづき

(1)テレビ実況動画とゲーム実況プレイ動画について-問題提起
 さて、この問題それ単独で取り出した場合、問題提起は以下のように改変することができるだろう。なぜ、「テレビ実況動画」よりも「ゲーム実況プレイ動画」の方が普及しているのか?と。

(2)補助線-プレイ動画とゲーム実況プレイ動画の対比
 この問題について考えるにあたっては、プレイ動画とゲーム実況プレイ動画の違いについて考えることが補助線になるように思う。つまり、ただゲームをプレイしているだけの動画と、それに伴って実況者のお喋りが入っている動画との対比である。

 もちろん、このどちらにおいても、先に金田氏が指摘したインタラクティブ性→物語生成力という構造は共通している。プレイ動画であってもゲーム実況プレイ動画であっても、視聴者は別の物語を愉しめる。
 (金田氏は「物語生成力」としているが、「別物語生成力」の方が直感的かもしれない)

 しかし、ゲーム実況プレイ動画は、プレイ動画にはない別個の「別物語生成力」を有するのである。

 実は、ゲーム(そして、それを用いたプレイ動画)にあると指摘された「別物語生成力」は無限の別物語を生成できるわけではない。ゲームとして作られている以上、その制限の範囲内で、有限の可能性の中から別物語を生成するのである。
 
 これは、映画の著作物の固定性要件についての議論を参照した方が分かりやすいかもしれない。「プレイヤーは絵柄、文字等を新たに描いたりすることは不可能で、単にプログラム(データ群)中にある絵柄等のデータの抽出順序に有限の変化を与えているにすぎない」のである。(東京地判昭59・9・28)

 もっとも、これは原告を保護するための苦しい構成ではあるし、人間の認識の限界を超える有限なんて実質的には無限ではないかとも思えるのだが……

 これに対して、ゲーム実況プレイ動画では、ゲーム外の事情が、ゲームを通すことなく直接に物語を作り上げる。実況者が「実況」として喋る音声はゲームに内在するものではなく、ゲームプレイを「動画」として作成する過程でゲームの外側から介入してくるものであり、これが全く新しい物語を生成してしまうのである。
 (ここでは異なる2つの「物語」が出てきている)

 そして、音声なんてものはゲームに固定されていないし、有限ではないのだから、実況者は無限に別物語を生成することが可能なのである。

 プレイ動画=ゲーム自体の(有限の)別物語生成力
 ゲーム実況プレイ動画=ゲーム自体の(有限の)別物語生成力 + 外部環境の無限の別物語生成力 


 直感的にも、プレイ動画よりも実況の付いたゲーム実況プレイ動画の方がよりプレイヤーの個性が発揮されている(発揮しやすい)ということは理解できるだろう。

  (ただし、実はこの議論は音声による実況には限られない。たとえ実況していなくとも、字幕などによる演出にも当てはまるのである。その意味では、実況と字幕等との違いは、無限の別物語生成力を与える手段の差異でしかない)

 
(3)テレビ実況動画とゲーム実況プレイ動画
 さて、このような構図を前提にすると、テレビ実況動画とゲーム実況プレイ動画との対比は、

 テレビ実況動画=テレビ自体に別物語生成力はないor弱い + 外部環境の無限の別物語生成力
 ゲーム実況プレイ動画=ゲーム自体の(有限の)別物語生成力 + 外部環境の無限の別物語生成力

 という感じになるだろう。

 とすると、「別の物語だから」面白いという評価基準からすれば、テレビ実況動画が持っている面白さの源泉は、外部環境=実況でしかないということになる。
  (同じ物語でも複数回楽しめうるというのは当然の前提として捨象している)

 つまり、テレビ実況動画においては「実況」がその前面に出てこざるを得ないのである。
 (もちろん、ゲーム実況プレイ動画でも「実況」が前面に出ているのものはある。それ故に「実況付」を嫌う人も少なくない。)

 しかしながら、テレビというものは極めて「実況」がしにくいものである。単純に、テレビの音声と実況者の音声が被るからという理由がある。
  (これはフルボイスのゲームの実況のしにくさと同じである)

 更に、ゲームプレイで動画のクオリティを上げるという手法が通じない以上、テレビ実況動画では必然的に「実況」のクオリティを上げなければならなくなる。
 (ここでクオリティが高いと言うには、コミュニケーションとしての実況の上手さと共に、解説としての実況の上手さが加わるのではないかと思う。)

 つまり、テレビの音声の邪魔をせず、かつ、クオリティの高い実況しなければならないという、二重の困難さをはらんでいるのである。
  (VTRにコメントする芸能人が「上手い」と感じられる確率の低さを想起して頂きたい。)

 そして、テレビ実況動画における「実況」の困難さは、そのままテレビ実況動画のクオリティの低さにつながり、その反射として、テレビ実況動画の受け入れられにくさにつながるのではないか。

(4)まとめ
 テレビ実況動画では、テレビのメディアの特性ゆえに、「実況」が重要になる。しかし、テレビの「実況」は困難である。だから、良質のテレビ実況動画は作りにくく、視聴者に受け入れられにくい。したがって、テレビ実況動画はゲーム実況プレイ動画に比して普及していない。

(5)テレビ実況動画のあり方
 とはいえ、テレビ実況動画が皆無という訳ではない。

 例として適切かどうかは微妙だが、【マリみて】考察!俺の嫁を大実況するよ!!part1などがある。
 これは、アニメのOVA(だからテレビではないかも知れないが、本質は変わらない)を実況者が見ながら、適宜再生箇所をシークしつつ、このシーンがいいだの、このキャラがかわいいだのといった感想や解説を話しているものであり、極めて異色の動画でありながら5000再生されている。

 より適切な例は、商業製品に見出すことが可能である。いわゆるコメンタリーと呼ばれるものである。これはDVDのマルチ音声機能を利用し、スタッフ等が実際の映像に対してリアルタイムに解説したものを収録であり、国内外問わず映画やドラマ等で一般的な特典であり、作品の裏話や業界の事情も聴く事ができるものである。(はてなキーワード)
 
 先のエントリで書いたような「実況」の定義からすれば、このようなコメンタリーも「実況」であり、それを動画にすれば「実況動画」となるのである。

 で、コメンタリーが一般に成功しているのは、そこで話している「人」に価値があることが多く、それが「実況」の価値につながるからでしょう。内容がただの雑談であっても、好きな俳優・声優がやっているから聞くという人も一定数いるでしょう。そこでは、実況の上手さとは異なる別の価値が生じていることになる。
 (一般人であっても、固定のファンを多く持つ者にはあてまるでしょう。)
 

 また、動画形式ではなく、テレビ実況「配信」ということになれば、その実況の難易度はかなり低くなると考えられる。
 
 実況者が視聴者と同じテレビ番組を同時に見ながら、実況者があれこれテレビについて喋れば「テレビ実況配信」であると言えるだろう。

 これは、みんなで(リアルに一緒になって)テレビを見るのと変わらないものであって、テレビの音声の阻害が許容限度内であれば、あとはコミュニケーションさえ出来ていれば「実況」の質は緩くても受け入れられやすい上に、みんなが初見の番組であればメディアの特性としての別物語形成力の弱さが問題にならなくなる。

 この形態であれば、コメンタリーにおける実況者ほどの知名度が無い者であっても、比較的視聴者に受け入れられやすいのではないかと思われる。
 (また、未放送地域でのオルタナティブとしての現実的な需要もある)

※初見のテレビの実況動画と、初見のゲームの実況プレイ動画との差異については、もっと考える必要があるかもしれない。現状では、実況の困難性しか理由がない。


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