ITSELF

そのものについて

沸き起こる疑問、その理由

2015-06-26 | そのものについて
はじめての方はこちらからどうぞ♪



ぎもん。




ぼくらは

これまでのクセで

どんなことでも

「分析・解明・解釈・整理」を

したくなってしまう。



「どうしてだろう?」 ←こういうふうに笑)



思考は

世界と自分との距離を測る

「ものさし」のようなもので、

その距離によって

実在しない「自分」という存在の位置を

導き出している。


きっと自分はこの辺にいるだろう、

自分の足場はこの辺りだ、と。



だから

次から次へと沸き起こる疑問は

その測定作業をするにあたっての

貴重な手掛かりとして重宝されるし、

逆に言えば

「自分」という存在を

維持するにあたっての

「無くてはならない材料」とも言える。



はっきり言ってキリが・・ない(笑)



僕も

この「疑問地獄♪」を

長い間(本当に長い間)彷徨い続けたけど

この測定作業で

(見かけ上)明らかになることは、

(または、明らかになったと考えられることは)

非二元性そのものとは

全く何の関係もないと言える。





なぜ「全く関係ない」という

表現になってしまうのかと言えば、

その疑問一つ一つが

その答え一つ一つが

測定という作業を始める前から

すでに

「非二元性そのもの」でしかないからで

別の言い方をすれば

分離というものがなければ

そもそも「関係」という観念が

成立しないからだ。


もちろん

どんな疑問も、その答えも

色々あっていいと思うし、

(あるのが健全だし)

とっても自然なことだと思う。



でも

やっぱり意識を向けてほしいのは


その疑問を気にしているのは誰か?


ということ。



ただ

その主体そのものに

意識を向けてみる。



エアコンの音に耳を傾けるように

何の分析もしようとせずに、そっと。




そうすると

その疑問の答えを

知りたがっている誰かは

「どこにもいない」ってことに気づく。


じゃあ誰がそれに気づいてる?

もちろん、こんな疑問が起こってもオッケー笑)


非二元である以上、

(言葉を使って答えるなら)

気づきが「気づきそのもの」に

気づいている、としか言えないけど。



何らかの答えを手にしても

きっとまた新たな疑問が沸き起こるのは

もう気づいていると思うけど

どんな測定結果も

それが「非二元性」を解明することは

出来ない。





すでに「これ」



ただここで起こっていること



または起こっていないこと。







今日はこれでおわり^ ^












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1 コメント

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わ~ ぱちぱちぱちぱち (ぷち)
2016-09-26 21:06:46
スタンディングオベーション~

わかる と わからない に
たいした違いはなく
とくに大事でもない

面白かったら遊べばいい

ついうっかりまきこまれる
こっけいさ(´艸`*)

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