ITSELF

この世界で知っておくべき、たった一つのこと。

美しいと感じる

2016-09-29 | ブログ
メモ



コレしか存在しない

という言葉すら

すでにコレに含まれているという

美しさ。



何かの発言がスベったときの哀愁と

美しさ。



テーブル上のリモコンの定位置について語る

とか

散らかってた方が探しやすいんだ

的な美しさ。




美しいと感じること、感じてきたこと、

感じるであろうこと、すら

すでに含まれているという

これ。




または

生まれたてのおじいさんに出会ったような

好奇心。を含んだ平安 etc




スルーで笑

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ふまえて

2016-09-26 | ブログ



今日は

「何かしらの変化を得る」

という意図を持って

「気づきそのものに3〜5分間気づき続ける」

という瞑想をし

その結果何も得ることが出来なかった

という一連の流れを

あえて結果まで意識的に

やってみるという実験のご紹介です。


もしそんなタイミングならどうぞ〜






実験の途中で

もし

身体や思考への自己同一化が

薄れていくような感覚が起こっても

(無意識にその感覚を自分のものにしようとしていても)

それすらも一連の流れとして

そのまま放置でどうぞ〜




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Experiment.6

2016-09-23 | ブログ


実験.6 実験.5の続き)


気づきそのもの「不確定そのもの」であることを

見つめ続けることが 退屈になったら

この退屈という「思考の動き」と

熱中や没頭といった「思考の動き」は

どちらも同じただの思考の動きであるということを

留意し、全てそのままにしておく。



いずれ「退屈」という思考は失われる。



次にそれに替わる何らかの状態、例えば静寂や恍惚と

呼べるような認識が起こるかもしれないが

もちろんそれらも同様そのままにしておく。




「退屈さ」はおそらく再び認識される、と留意する。



すると再び「退屈さ」が認識されたとしても

それ自体の存在感は弱まり、

「退屈さ」への自動的な執着は難しくなる。




実験.6*終了





つまるところ

これまで「わたし」だと認識してきた

「意識そのものの感覚」それ自身に

気づいたり、気づき続けることができる

「核となる主体」は実在していないが

「これまで通りが一番さ」という思考の原理が発動し

物事に動きを求める。退屈さの必要性。


なぜ動きを求めるかというと

物事を動かすことにより

それを「他」と認識することが可能となり

それと同時に主体(わたし)という設定を

認識することが(仮にも)出来るから。



「わたし」という架空の主体は

台風と同じように、それ自体に推進力は無いが

条件が揃えば発生し、名前が与えられ、拡大する。


その中心には何もないのに。



文体。笑






パナマゲイシャを自家焙煎する勇気。笑





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数という概念

2016-09-17 | ブログ

沖縄そばを注文し、ぼ〜っと窓の外を眺めていると

厨房のおばちゃん達が

何やら本腰を入れて話し込んでいる。

声のボリュームは大きめだ。

何についての話なのかは分からないが

痩せた方のおばちゃんが突然こう言い放った。




一つ っていう「数についての概念」を

普通に「受け入れたことにして」考えを進めるのは

もったいないさ〜ねぇ〜








プロの空耳ストになれそうだ。



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Experiment.5

2016-09-03 | ブログ

実験.5



最初に「気づきそのもの」であることに気づく。

(少なくとも30秒以上)



この時点からの「気づき」の通常の動きは

思考などへの同一化がスタートするか、

認識対象との二元的なバランスをとるために

観照意識という「気づきの重心」を

定める可能性が高い、ということを想定する。

ただ、想定する。



そして

可能性は高いが、可能性は開かれている

ということを留意する。




それでは、もう一度

気づきそのもの「不確定そのもの」であることに

気づく。

(少なくとも60秒以上)





実験.5*終了





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