アイデア

2018-01-28 | ブログ

こんにちは〜


「知ること・分かること」という観念は

人類史上最も不思議なアイデアだと

言われていますが(さきほど言っちゃいました笑)

今日は、そんな攻めたアイデアと直に触れ合うことの

できる実験をご用意しました。


愛孫に接するようなやさしい気持ちでどうぞ〜




【 実験の仕方 】


「それは わかりきっていること」

という思いや考えが

浮かんできたのを発見したら

少しの間

その観念のそばにいる




それが

良いとか

わるいとかじゃなく

ただそばにいる





ただただ

そばにいる





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ただそばにいることは

その両方の参照点へのフォーカスを

蒸発させる作用が働きますが

ただそれだけのことでもあります

誰のことでもありません


言葉はむずかしい

でもそれもいい笑



ではまた〜 ^ ^



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memo

2018-01-19 | メモ


端も真ん中もない

何も決まっていない 決まることがありえない

そのもの自身は

意識や気づきや在る といった

観念的なこととは一切喝采何の関係もなく

ただ 目前のイスに直面する

イス自身

そのもの



自分なりの 今という瞬間 を作り

その後 という瞬間を空想し

今の自分 というオリジナルの状態というものを作り

変化した後 というオリジナルの状態を空想し

不足 というオリジナルの状態を作り

満足 というオリジナルの状態を空想する


そのもの



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ナンシー

2018-01-12 | ブログ


いくつかの

やらなければいけないことを

手際よく済ませたナンシーは

ふっと一息ついて

ソファに身体をゆだねた。




いつものクセで

スマホに手が伸びたが

その手を離して

もう一度、ふっと一息ついた。









リビングは思ったより静かだった。






耳を澄まそうとしなくても

自然と耳は研ぎ澄まされ

澄ましている側がくっきりと浮き彫りになるほどの

静寂が包んだ。




かろうじて見つかるのは

窓の外から微かに聞こえるクルマの音と

ノーカードのまま

たたずむナンシーの「意識そのもの」の感覚だけだ。





ふいに

ナンシーは「意識」という感覚を改めて感じてみる。





うん、わたしの意識だ。とナンシーは思った。



目には見えないし

どこからどこまでが

わたしのものか分からないけれど

この意識の感覚は、恐らくわたしのものだと思う。




ただ

それを断定するのには

なんだか気が引けた。




こんなことは

もう考えても仕方ないから

と思っていたけど

気がつくとまた考えていた。





きっとわたしは退屈してるんだ

ナンシーはそう思った。






✳︎





ナンシーでもないのに

心の中でだけ

自分のことをナンシーと呼んでみる

という遊びを始めたのは三日前だった。




自分の名前が気に入らないわけじゃない。

ナンシーという響きが気に入っているわけじゃない。

ただ、何の思い入れもない名前が一つ必要だった。



完全にナンシーじゃないのに

ナンシーと呼んでみることが必要だった。






目的は

ナンシーに愛着がわく瞬間を

目撃することだった。







最初は自分でやりながらも

そのシュールさに少し笑ってしまう瞬間もあったが

三日が経ち

恥ずかしながらそれにも慣れ、

彼女はついに「愛着がわいた瞬間」を目撃した。




それは

「きっとわたしは退屈してるんだ」

と思った瞬間だった。




まだ三日しか

自分のことをナンシーと呼んでいないのに

「わたしが退屈している」ということと

「ナンシーが退屈している」ということが

全く同じ意味を持ってしまっていることに気づいた。



そして愛着と同時に

「わたしという感覚」のカラクリのようなものに一瞬

触れたような気がした。





それはちょうど

中心を持たない仮想通貨のようだった。




土の匂いがしない仮想通貨だ。



だから


だからナンシーは

ピクニックに行こうとひらめいた。



すぐにスニーカーを履き、

ヒモを結んでいる最中にこの展開の速さシンプルさに

軽く動揺するナンシーを感じながら玄関を出て

マンションのエレベーターに飛び乗り

一階のボタンを素早く押した。



そしてドアが閉まる瞬間に

やめようと思った。










リビングは思ったより静かだった。






ナンシーの顔は思ったよりニヤけていた。






やることがなくなった

仮想ナンシーは

彼女自身に向かってつぶやいた




「あけましておめでとうございます」




Picnic & Fuse


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presence, present

2017-12-24 | メモ


いま自然と認識される全部


そのまんま「純度100%」のまま

その認識がゆるされる



家でくつろいでいる時に

何も考えずに空気を吸っていたように

無防備に全部の認識がゆるされる



全部とは

全ての思考や身体感覚

自分という感覚・自分じゃないという感覚

何らかの変化を待つということに伴う緊張

見えるもの聞こえるもの全てのこと


これを読んでいる瞬間に認識された

まさにその思考も含む






何かを変えようとすることや

変えないようにしようとすること


何であれ何かに変えてもらうのを待つことや


個人という感覚を守ろうとする緊張のようなもの


じゃあどうしようも出来ないという諦めの感覚


諦めの感覚が去った後に残る生き物としての存在感


目の前にあるマグカップをただ見つめる生き物


何をどうやってもやらなくても

純度100%がただあるということが

ゆるされると

不思議と

純度100%それ自身への

感謝や愛おしさや元気が

距離ゼロで認識され


それだけになる


と同時に

測り(我)を忘れる








メリークリスマス🎅


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2017-12-13 | メモ


この身体と精神が

生きる上で無意識のうちに拠り所としている

見えない軸のような何か


それは

何かになろうと常に動き続ける何か



もういいじゃないかと

とても静かにして


誠心誠意の謙虚さそのものとして

改めて

その軸を見つめる

皮膚感覚で繊細に見つめる



見つめる前も

その最中も

何者かになろうと

微弱にでも動き続けるその軸を見つめる




その軸を見つめるという出来事は

その軸の動きに同化あるいは感化されていた

身体と精神の高ぶりを鎮め弛め癒す





身体や精神にとって

軸は必ずしも常設されなくてはならないものではない



物や人

場所と場所など

コミュニケーションという場が

またはそういう観念が成立するには必要だが


雨が止んだら傘が閉じられるように

太陽が沈んだらグラサンが外される



それは


知識を置いて

素直に謙虚にシンプルに

軸を見つめることで

そっと自動的に起こりはじめる





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