スペースもない

2017-06-20 | ブログ

結局のところ

思考や感情に同一化することが可能なのは

「わたし」という思考のみ


そして

その「わたし」という思考は

どの角度からジ〜っと眺めても

所有者や責任者の見つからない「わたし」という思考


ということは




__ということ。





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坐記

2017-06-04 | ブログ


境地や状態を指差したあらゆる固定観念は

それがどんなに素晴らしくても

それに同一化し出すとご存知のとおり

いずれまた次のより素晴らしい観念を求める



実験として

いまこれが最高の観念だというお気に入りを

じっくりと味わい尽くしたら

あえてそれ以上の観念を求めてみると面白い




そして固定観念に見切りをつけ(つけざるを得ない)

境界線が不確かなこの気づき

意識そのもの

不確定そのものでしかありえない

距離ゼロのこれに(これが)

心身を脱落しようという試みはさらに面白い



心身脱落の際は心身だけではなく

目の前に見える景色や物

音や空気そして「これ」という観念も

平等に同時に(同じ価値として)脱落される







喫茶去
できたらイルガチェフェで笑

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とは誰か

2017-05-31 | ブログ



在るに余白は無い


気づきそのものである

在るそのものには

特定の何か

という特区を

正式採用するモチベーションはない


もちろん仮想の特区から

何かを徐々に取り除こうとしてもよいし

一度に取り除こうとしてもよい


ただ

そもそも特区は仮想であり

取り除くべき特区

という公式は成り立たない




何がどこにあっても

何を消しても



何にも



何の影響も無い






完全性そのものが満ち

ただ

そのように在る







特区とは誰か








この問いは

ラマナの「私とは誰か」という問いの意図を

味付けなしで味わうことが出来るよう促す



」とは誰か

」とは何か

という問いに味付けはいらない



そのまま生で頂いたら


生そのものの

フレッシュさに

驚くかもしれない





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アンドプレミアム

2017-05-13 | ブログ

よく晴れた日曜の朝。

公園の椅子で珈琲を飲んでいると
少し太ったネコが話しかけてきた。


「 思ったよりいい天気だね 」


もちろん男は驚いたが、とっさに「そうですね」と言って珈琲を一口飲んだ。頭の中は真っ白だ。

ネコはゆったりとした動きで男の隣にちょこんと座り、毛繕いを始めた。白と薄い茶色が入り混じった美しい毛並みだった。

毛繕いはのんびりと丁寧に行われ、男は固まったまま目の前の植物たちや走り去るランナーたちを茫然と眺めていた。きっとそうするしかなかった。


「 朝が好きなんだね 」


毛繕いがひと段落したところで再びネコが口を開いた。
録音した自分の声を聞いた時よりもはるかに不自然な感じがしたが、間違いなく隣のネコが喋っていた。
男は自分の声がきちんと出るか自信がなかったが「あなたも朝が好きそうですね」となんとか口にした。
するとネコは満足そうに自分の前足を交互に眺めた。そして今よりさらにくつろいだ姿勢をとった。


たしかに思ったよりいい天気だった。


注文をせずとも適切なタイミングで心地よい風が届き、そのたびに美しい毛並みが揺れた。
まるで「理由や意味や貴方や私という類いの観念たち」を吸収することが出来ないキッチンペーパーのようにふわふわと揺れた。そんなもので世界が吸収されてもきっと重さは感じないのだろう。




どのくらい時間が経ったのだろう。

気づくと、男は心地よい風にすっかり酔いしれていた。
そしてその酔った勢いでネコに質問をした。






「 あなたはネコですか? 」




するとネコは瞑っていた目を少しだけ開けて答えた。



「 そういうものは何も決まってないよ。これから決まる予定もない。でも君がネコと言うのならそれでいい。」






そしてネコは男に質問をした。






「 あなたはネコですか? 」







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みなもと

2017-05-03 | ブログ

久しぶりにこのブログの投稿ボタンが押され、これからこの下に何かが書かれようとしている(あるいは書こうとしている)動きが認識された。その動きの源(みなもと)のようなものはきっと何かどこかにあったんだろうがそれに特に興味は起こっていないようだ。今のところは。

まさしくおかしな描写だし読みにくいがパッと見たところ今日はそのくらいの源しか持ち合わせていないようなので、とろサーモン久保田の「続行!」のように続行される。

ここまでで源が半分くらい使い果たされたようだ笑。



なるほど、今日はその「源のようなもの」について書こうとしているような気がする。


なぜそんなものが起こるのか?
(源への興味が沸き起こっくるその様が目撃される)







やはりこれまでの探求についての記憶の成仏のためだ(もう結論らしい笑)
※成仏という言葉は浄化でも蒸発でも飽和でも「飽きた」でも何でもいい


ふいに「探求の記憶」がインスパイアーされるような何らかの認識が起こると、その記憶が呼び起こされ(あるいはその都度再構築され)しっかりとコントラストが強められたあと成仏される。それはちょうど太陽の光が当たった水分が蒸発するような自然現象。大自然だ。

最初から「これはモニタリングだ」と気づいていながらお付き合いする演者のような「やらせ成仏」とも言えるが笑それもやはり大自然だ。


意図も無意識も、強風やそよ風のように沸き起こる源も、声に出して誰かに語ることも、文字で書き起こすことも、瞑想の中で思考にフォーカスが起こり蒸発されることも、もちろん全てセルフPlayでしかないけれど・・

・・源が尽きたようです。


ありがとう笑

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