ITSELF

非二元 ・ ノンデュアリティ ・ アドヴァイタ について

“何もしない”について

2020-07-03 | 非二元性について


非二元性という文脈において、「何もしない」という言葉は「何かを出来るような誰か(主体性)は最初から存在していなかった」という認識が ”触れてくる” ということと同じ意味を指します。

“認識に触れる”のでは無く、”触れられる”というある種「受動的」な体感。

そして”何もしない”という”何かをすることが出来る可能性“をはらんだ観念は「何も出来るはずがなかった」という”力の入れどころの無さ”を前にして、ベクトルの方向性を見失い、新たな意識の足場を見出すことが出来ずに、そのままこの”不確定そのもの”へと回帰します。

この”触れられるまま”がそのままにされる時、意識の足場(主体性)の輪郭は徐々に浮き上がり、次第にそれが維持される力は弱まります。





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わたし中毒

2020-06-28 | 非二元性について


自然な流れとして、人間は誰もが「わたし」という主体性への中毒になります。


それはほとんど場合、避けることが出来ず、とても自然に起こり、継続します。

中毒による症状を「症状」だと認識させられることもなく、人は生きていきます。

ただ、全てのことは自然に自動的に起こります。

主体性という中毒が起こることも、台風が発生することも、次から次へと自然に事が起こり続けたことにより、その結果として、例えば目の前の街路樹の葉っぱがフワっと揺れることになります。

そして今この文章を読むことが起こり、わたし中毒であることが認識されようとしています。あるいは”再認識“されようとしています。


「中毒である」ということが明白に認識されると「主体性への自己同一化」という現象が、より客観的に認識され、どこかにあったアイデンティティという”仮想フィルター”への粘着力のようなものが落ち、これまで「他」とされてきたものの温度が直に感じられるようになるかもしれません。



もちろん、それはほとんど場合、避けることが出来ず、とても自然に起こり、継続します。





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何だろうのその先

2020-06-20 | メモ


きっと

こういうことなんだろう

と予想したら

すでにそれは

思考の中で整理されてしまった

私のオリジナル非二元性



ちょっとだけ静かにして

誰のものでも無い空気にふれる

誰のものでも無い皮膚を感じて

目的の無い

ゴールの無い

空間の無さそのものが

いま

この文章を読んでいる

または

この文章そのものになっている



もしも

だから何だ

がやって来たら


何だ

の先には

思考の中の

オリジナルの何か

しか無いことを

話してあげてください





今日はこんな感じだそうです
良い週末を〜♪




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エクササイズ 4(完結)

2020-06-13 | エクササイズ

エクササイズの後にをお読み頂いた後、それでもまだ何かが残っていて”何とかしたい“という思いが再び湧き起こるのであれば、最後にこちらのエクササイズ4をお試しください。

“何であれ掴めるような誰か(主体性)がいるのか?という問い掛けが、府に落ちなかった探求者への最終エクササイズ”

それも掴まなくていいんだよ

【 Exercise 4 】

ホコリ(思考の暴走)が沈みクリアになった後、再び ”何か(主体性)“ がどこかに向かおうとベクトルの出発地点に立っていることを確認する。

その ”何か” を優しく丁寧に身体の中で感じてみる。

もう、この”何か”を掴んでいる必要は無いことを受け入れ、その力を抜く。
”何か” がまだ残っているか確認する。
掴んでいる力が抜けるまで、何度でも力を抜く。
”何か” が消滅していることを確認する。

身体が存在していることを確認する。
“何か” が呼吸しているのではなく、誰のものでもない呼吸が、ただ起こっていることを確認する。
”何か” と ”何か” が分離しているという事実が見つからないことを確認する。



最後のエクササイズ、いかがでしたでしょうか〜(^^)
もしも、そのうちまた ”何か(主体性)” が湧き起こるようであれば、「思考のサポート機能」の設定をお勧めしますので、ぜひお試し頂ければと思います。

【設定方法】

主体性のような ”何か” に自己同一化が起きていることが確認されたら「それも掴まなくていいんだよ」という思考が自動的に湧き起こるように一度だけ意図する。

これで、主体性のような ”何か” にまつわる思いや考えが必要以上に持続するような居心地の悪さが起こった時にはすぐに「それも掴まなくていいんだよ」という思考が自動的に湧き起こりますので「”何か”を掴んでたんだ〜」と力を抜いてもいいことが分かると思いますので、ぜひお試しください。

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エクササイズの後に

2020-06-12 | エクササイズ

エクササイズの後は、一切何もせずにホコリが沈んでいくのを静かに待つのような時間をお過ごし頂ければと思います。

ホコリ(思考の暴走)が沈み、クリアになると、この「主体性の無さそのもの」が「静寂という方向性の無さそのもの」でしかなかったという何一つ手掛かりの無い”あたりまえの世界”が、何の意図もなく完璧に調和して動いていることを目撃するかもしれません。

すると、やっかいだったホコリすらも「この完璧に調和された世界そのもの」でしかなかったんだなぁと、愛おしささえ込み上げてくるかもしれません。


何もせずに、あるいは何かを出来るワタシ(独立した中心)なんて存在していなかったという思いの黄昏れに、くつろぎそのものが生きていることが目撃されるかと思います。




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