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金子兜太の一句鑑賞(12) 高橋透水

2017年07月15日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
人体冷えて東北白い花盛り 兜太  

 句集『蜿蜿』に収録されているが、初出は「海程」昭和四十二年八月号である。東北・津軽にてとあり、十三湖から弘前を経て、秋田に向かう途中での句という。  
 暦の上では春といっても、日本の南と北では温度差にかなりの違いがあり農耕の時期もずれてくる。確かに北国の春は遅いが、その分花盛りは一斉にやってくる。特に林檎の花は、農家の人達には美しいだけでなく、摘花など収穫に向けての本格的な農作業が始まる季節でもある。また花盛りを迎えたといっても、風はまだまだ冷たく外出の体はすぐに冷えてくる。冷えるのは何も人間だけでない。動物も植物も同じである。
 鑑賞句は白い花のみえる東北の自然にいながら、外気温の変化についてゆけない敏感な人類に焦点を当てている。だから「体温」でなく「人体」という言葉を選んだのだろうか。このぶっきらぼうな表現がむしろ効果的になった。どうやら作者は列車で津軽を通過したらしい。白い花は車窓からも眺められた。列車が進んでゆくと、どんどん白い花が増えてゆく。梅の花、林檎の花だけでなく、目に飛び込んでくる花はみな白かった。それは兜太にとって初めて見る光景だった。
 しかし窓外の農民は決して裕福な姿には映らなかった。まだまだ寒い季節だ。体の冷えは自分だけでなく、むしろ働いている農民こそ寒さに耐えていると感じた。この句は兜太自身がいうように「津軽の早春の頃の農耕者」を詠ったのである。高度成長前の貧しい農村を象徴した「人体冷えて」だったのである。
 兜太の自選自解99句によると、
 「五月初め、津軽での作。リンゴもさくらも一緒に咲いた。まさに『白い花盛り』。しかし空気は冷え冷えとしていて、農家の人たちは頬被りをしていた。その冷えた体で農作業ははじめられている。『人体』ということばを遣ったのは、津軽そして東北地方の農家の御苦労を込めたため」とある。秩父の農民の苦悩をつぶさに見た観察眼がここにもある。


  俳誌『鴎座』2017年7月号より転載

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