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高柳重信の一句鑑賞(一)

2013年12月03日 | 日記
高柳重信の一句鑑賞(一)    高橋透水
身をそらす虹の/絶嶺/・・処刑台 重信

 句集『蕗子』(昭和二十五年)収録され、重信の代表句に挙げられる。冨澤赤黄男の、〈乳房や ああ身をそらす 春の虹〉が下地になっていると考えられるのが一般的だが、その点を四ッ谷龍の見解から見てみよう。
  女性が身を反らせた姿と、虹のアーチ形とが、アナロジーによって重ね合わされる。さらに乳房の丸みと虹の半円形も相似形を作っている。高柳重信の俳句〈身をそらす虹の/絶巓//処刑台〉にはこの句(乳房や ああ身をそらす 春の虹〉)からの影響が見える。
 確かに重信が赤黄男の影響は受けているのを認めたい。ところがこの句を夏石番矢の「精神的かつ性的エクスタシーの頂点の形象化。嘉悦の極みには、悲哀が、破滅が来る。『処刑台』はその象徴」(「高柳重信」蝸牛俳句文庫・蝸牛社)と鑑賞するのはいかがであろう。特に「性的エクスタシーの頂点の形象化」という解釈には与しがたい。不快ですらある。
 重信はただ従来の俳句形式を打破したかったのだ。『蕗子』は実験であり、それは重信が次ぎのように述べていることから明らかだ。
「数ある文学のジャンルの中から、特に俳句という歯がゆいものを選んだという動機――その動機の中に、見逃がすことの出来ない虚無的な考え方、敗北主義の萌芽のあることを、改めて注目したいと思う」「そして、多少の飛躍を感じながらも、僕は、この敗北主義の中に俳句の特殊性を考えたいのである」「僕は、その最後の虚無的な数条の光芒の中から、敢て最短詩とは言わなくても、日本語による新しい短詩の芽生えが始まるであろうことを、かすかながら予期したい」(「敗北の詩―新興俳句生活派・社会派へ―」、昭和二十二年七月「太陽系」第十二号)より。
 つまり、重信は問題提起や自己の方法論を
述べるだけで、結論は出さない主義なのだ。
要は実検的な多行詩は創るが、鑑賞と解釈は読者に委ねるという方法を取ったのである。
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