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香港歴史博物館で、香港の歴史を辿る。(その1)

2011年04月16日 23時02分44秒 | -香港-

世界の国々にはそれぞれの歴史があり、歴史を辿るとその国をより理解できる…。

日本の天皇家のように万世一系続いてきた歴史もあれば、中国のような数千年間易姓革命で王朝交代を繰り返す歴史もある。
また、18世紀に建国された歴史の浅いアメリカのような国もある。

香港はというと、中国の一部でありながら、イギリスの植民地となり、その植民地化のおかげで大きく発展したという
複雑な歴史を持つ。

ということで、ここ香港の歴史を学ぶべく、香港歴史博物館へ行ってきました。


香港歴史博物館は、香港を代表する繁華街、尖沙咀に隣接するビジネス街 尖東の一角にあります。
なかなか大きな建物で、隣には香港科学博物館もあります。


階段を上ってすぐに入り口があります。


香港歴史博物館入り口。



博物館の入場料は10香港ドル(約110円)。安い。
さらに水曜日は無料です。

基本的に展示物の解説は中国語と英語ですので、日本語などの音声解説ヘッドフォンを借りることができます。

常設展示と特別展示の2種類があり、特別展示は2ヶ月ごとに展示内容が異なります。
僕が行ったときには辛亥革命特集を展示していました。

この博物館のメインとなるのは常設展示で、4億年前の地質時代からイギリス植民地時代を経て1997年に中国へ返還されるまでの
香港の歴史をたどっていく展示エリアです。

常設展示エリア「香港故事」の入り口。


エスカレーターを下っていくと…


4億年前の香港にタイムスリップ!


■有史前の香港

「四億年前」と書かれた入り口を入っていくと、人工の石で作られたタイムトンネルがあります。
ここでは、岩石や化石の標本を使って今の香港の地形が作られていった歴史を説明しています。


この狭いタイムトンネルを抜けると、今度は吹き抜けの広いエリアに出てきます。


18メートルを超える高さの樹木や、多くの鳥、爬虫類、トラや熊などの哺乳類の標本が置かれていて、
6千年前の香港の森林の動植物や自然環境を知ることができます。


ここはかなり大きな展示物で、なかなかお金がかかってますね。


さらに進むと、石器時代の香港について展示するエリアに着きます。

香港には約6千年前の新石器時代にはすでに人類が暮らしていて、海岸近くの砂浜で暮らしていたようです。
香港内ではこの時代の骨、石器、陶器などが多く出土しています。

館内には長さ42メートルの砂浜を作って、当時の原始人たちの暮らしぶりを再現しています。


■中国王朝時代の香港

次に秦の始皇帝が登場して以降の中国王朝時代の香港について展示するエリアに入ります。


紀元前221年に秦の始皇帝が中国を統一する前まで、嶺南地域(中国華南エリア)は南越族という民族が活動していました。
始皇帝による中国統一後、中華文明の一部に組み込まれたことにより、中原(黄河中流域)の漢民族が次々と嶺南地域に南下して
彼らの進んだ文化と技術がこの地にもたらされました。

その後、中国では2千年にわたって様々な王朝が登場して消えていきました。
11~13世紀の宋王朝の時代は、北方の民族が強大な力を持っており、漢民族王朝は南に追いやられていたこともあり、
中原から逃れてきた移民により人口がが大幅に増えて、香港を含む中国嶺南地域は発展していきました。


展示エリアでは、珠江デルタ地帯で出土された中国王朝時代の様々な文物が展示されています。


明王朝の時代(14~17世紀)に入り、東シナ海や南シナ海で倭寇(日・中・韓人の海賊)の活動が活発化して、
中国沿岸部を脅かすようになると、明王朝は16世紀末、香港九龍湾付近に沿岸防衛のための城砦を作りました。
その中の九龍峰火台がその後、有名な巨大スラム・九龍寨城(1993年取り壊し)となりました。

※九龍寨城はイギリスの新界地区租借後も清王朝の飛び地とされ、清王朝が倒れて以降どこの国の支配も及ばない
 不管理地帯となり、中国大陸からの不法移民・流民がなだれ込む巨大なスラム街となって「東洋の魔窟」と呼ばれた。


19世紀末の九龍城。


19世紀初頭、清王朝時代の香港の地図。


しかし、まだこの時代までは、香港に住む住民は香港という独自のアイデンティティはもっておらず、
あくまで珠江デルタ地帯の一地域という位置付けでしかありませんでした。

香港の本格的な発展は、19世紀のイギリス植民地化の後となります。


■香港の原住民と民俗

次のエリアでは、イギリス植民地化以前から香港に住んでいた4つの主要民族の紹介と、多彩な民俗について展示されています。


19世紀半ばアヘン戦争以前の香港に住む人々は、主に4つの民族がいました。
それは、「水上人」、「福老人」、「本地人」、「客家人」です。

この博物館では、これら香港の原住民の生活・文化について詳しく展示していて見ごたえがあります。


まずは「水上人」。
いわゆる水上生活者です。

彼らは香港を含む広東・広西沿岸部に住み、その名の通り船の上で水上生活をしていました。
一生のほとんどを船の上で生活し、漁業や、水産加工品を生産したり、海上輸送業を営んで生計を立てていました。
船の修理中や、日用品を購入したり、茶楼へ飲茶をしに行くときだけ陸に上がっていたといいます。

博物館には、香港仔の造船職人が造った水上人の帆掛け船が展示されています。




近年は水上生活者を陸上で生活させる政策が採られたため、水上生活をしている人はほとんどいなくなってしまったようです。



次に、「福老人」。(中国語では老はイ+老)
福建省などの中国東南部から南下してきた民族で、水上人と同じように漁業をしながら水上生活をしていました。

福老人は独特な鮮やかな衣装をもっていて、婚礼時などに女性や子供がこの華やかな衣装を着ます。


福老人は漁業のほか、沿岸地域で塩田を作り、伝統的製塩技術をもっていました。
かつて香港にたくさんあった塩田を再現しています。


福老人も今は陸上生活をしています。
かつて水上生活をしていた頃、結婚式で新郎はドラゴンボートに乗って花嫁を迎えに行きましたが、
陸上生活に変わった後、それがドラゴンボート踊りに変わったそうです。

ドラゴンボート踊り。



続いて、「本地人」。
11~12世紀の北宋王朝時代、中国北部で北方民族が侵入してきた際に混乱を逃れて南下してきた漢民族です。

本地人は比較的早く香港に住み始めたため、平地の肥沃な土地に住むことができ、主に農業に従事していました。
盗賊などから家を守るため、同族で固まって囲村と呼ばれる城壁に囲まれた村を造って暮らしていました。


本地人のランタン祭りで使われるランタン。


最後に、「客家人」。
客家(はっか)は、昨年末に旅した福建土楼で有名ですが、香港にも多くの客家の人たちが住んでいます。

本地人と同じように城壁に囲まれた囲村を造って一族で暮らしています。


ただ、本地人と違うのは、香港(他の地域でも同じだが)には後から移住してきたため、すでに住みやすい平地は
他の民族が住んでおり、客家の人々は、香港北部の新界地区の山がちな土地にしか住めなかった。
そのため、少ない耕地で農業を営み、生活は質素であった。

現在も新界地区の一部に客家人の囲村が残っています。
以前、錦上というところの客家囲村を訪れたことがありました。


そのほか、民俗展覧エリアでは香港の様々な民俗が紹介されています。

広東オペラ「粤劇」。


長州島の太平清醮祭り(いわゆる饅頭祭り)に飾られる3つの巨大な饅頭の塔は圧巻です。


実際に長州島に行ってこのお祭りを見てみたい。。


お祭りの出店も再現。


これにて1階展示エリアは終了。




ここから一気に3階上がると、近現代の香港の歴史を展示するエリアです。

アヘン戦争を経てイギリス植民地となり、いよいよ香港の歴史が動き出します!



(つづく)


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