御嶽山が噴火してから25日経った。
多数の死者を出した日本史上最大最悪の噴火災害となったが、犠牲者を悼む声ばかりで、自然災害そのものの恐怖についてはそれほど騒がれていない。
そもそも自然災害の脅威の念が希薄なのである。
活火山はいつ噴火してもおかしくない。
それを知らずにハイキング気分で登山するのである。
秋晴れの日の標高3000mの御嶽山の頂上付近はさぞかし心地よかったであろう。
しかし、突然硫黄の臭いとともにもくもくと灰色の噴煙が盛り上がってきた。
このとき、山頂付近で佇んでいた多くの人がデジカメや携帯で噴煙を撮影していた。
まだ、気楽に構えていたのであろう。
ところが、数分後には次のありさまである。
メメント・モリとは「死を忘れるな」という西洋の賢人の言葉である。
それにならって、自然災害の脅威を忘れるな、と言いたくなる。
ひいては自然そのものに畏敬の念をもち、いつなんどきでも自然災害が降りかかることを忘れるな、と言いたい。
私にとって記憶に深いのは、
まず自ら小学校4年生の時に体験した十勝沖地震(震度5の縦揺れという公称記録だが、実際には6あったと思う)、
次に1995年の阪神淡路大震災、
それから2011年3月の東日本大震災である。
最初の体験で自然の脅威を体で知ってから、私は自然災害、特に地震に対して敏感となっている。
多くの地震学者が言っているように、日本は大地動乱の時代に入っているのだ。
その必然の帰結は日本の象徴・富士山の噴火である。
早ければ数年後という予測が出ている。
このように8合目付近から噴火するらしい。
江戸時代のがそうだったらしい。
そもそも日本は世界一の火山保有国であり、世界有数の地震大国である。
この小さな島国がそうなのである。
最近、大学教育の実学化が推し進められ、研究も企業利益と連携しよとする方向に進んでいる。
理系で言えば、基礎の理学よりも実利の工学を重視しようとすることになる。
地震学は基礎の理学に属すもので、企業の利益とは直接連携しない。
安部首相は、国立大学から文系学部をなくし工学、医学、薬学、農学などの理系実学系を中心に運営しようとする案を出している。
アベノミクスは、軽薄な経済重視の政策で、原発も再稼働しようとしている。
理学と哲学的な文系の学問は必須なのである。
今回の噴火は、自然が我々に、特に安部首相にそれを諭しているかのようである。
とにかく、我々は基本的に自然の脅威に疎い。
噴火で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。