この二人何者なのか?
まずほっといても名前がよめねえ。
「フルタ・ショクブ」でもなきゃ「フルタ・オリブ」でもない
前者は「フルタ・オリベ」。
後者は「センゴク・ヒデヒサ」。
読み方がわかったところで改めてこの二人何者なのか?
戦国大名なんですな。早い話が。
「なーんだまたか、この戦国オタク」と思った人はケッコーです。
しょうがねえだろ、ここはそういうブログだ。
文句をたれる前に、テメエの薄弱なブログを充実させな!
でだ、戦国ネタに付き合ってくれる君のために話そう。
武田信玄や織田信長クラスの超メジャーネームから、
桂元澄や鳥居強右衛門クラスのドマイナーまで果たして何人の戦国武将がいるのか?
信長の野望に登場する武将の数でもおよそ1300人。
その1300人の中でこの古田と仙石は「さほど」と言っていいほど有名人じゃねえ。
餞ヶ岳の七本槍でもなけりゃ、関が原で裏切るとかの「何か」をしたキャラじゃねえ。
古田織部は本名を古田重然(しげてる)。
織部正(おりべのしょう)という役職についていたため通称を「オリベ」と言うのだ。
武人としてよりも、茶人として有名な男。
茶人ったらあれだ、千利休とか今井宗久とかの奴で、茶道な茶道。
その茶道の元締めだったのが上記の千利休で、こいつに高弟とも言える著名な弟子が七人いる。
それを「利休七哲」というんだ。
その七哲の一人。他には細川忠興(ガラシャの旦那な)とか蒲生氏郷(俺が会津まで言ってわざわざ墓見て来た奴な。蒲生氏郷の項参照)なんてのが比較的有名人で、
高山右近と古田織部が知るひとぞ知る的になってくる。
関が原もグッドチョイスで生き残り、あとは中川清秀の娘が嫁さんだなぁと。
じつは最後だけ人知れず派手なんだ。
大阪の陣で豊臣方が大阪城とともに炎上するわな、そん時にいっしょに改易されたはず。改易ってのは領土没収の上に切腹か永久追放のこと。
別に徳川家にたて突いて大阪城に入ったわけでもねえんだが、豊臣方に内通していた門で、切腹。
おかしくねえか?
大阪の陣てな、
世間の評判ならあたりまえのように徳川家の勝利間違い無しの鉄板レース。
真田や後藤のように「負けて当然」で入城したわけでもない。
木村長門のように「豊臣大好き」なわけでもない。
福島正則のようにあからさまに危険分子でもない。
味方したことが真実なら、なぜ鉄板レースでわざわざ大穴の大阪サイドに味方したのか?
味方そのものがデマゴギーだとするなら、なんで徳川家が古田織部をつぶしたのか?
徳川家からしてみりゃ、そんな目立つようなキャラじゃないし、
危険なキャラでもねえんだよな。
それなら他にも「つぶしたほうがいいんじゃねえ」的なキャラはいるんだよな。
なんで織部よ?
という不思議な結末を持ってはいるものの、
上記のようにさほども目立たない茶人大名がこの「古田織部」
で、「仙石秀久」
こいつもまた地味。
ただいま大河ドラマの山内一豊や盗賊上がりの堀尾義晴、中村一氏なんんかと並んで、
豊臣秀吉が長浜城城主となる前後、木下籐吉郎ぐらいの頃からの与力(部下みてえなもん)の一人。
長いこと秀吉直系で働いてきたので、
最終的には九州征伐軍の編成の段階編成された二個方面軍のうちの一手の大将が
確かこの「仙石秀久」。
ちなみにもう一手が豊臣小一郎秀長だから、この段階では仙石秀久のピークで相当のビッグネーム。
ところがだ、わかる人はお分かりでしょうが、
この後、九州の雄島津の連中にコテンパンに叩きのめされて秀吉大激怒、という合戦が起こるんだな。これを戸次川の戦いという。
そう、鬼十河や長曾可部の長男が死んだとこよ。
しかも四国まで逃げ帰ったっつうんだから、早えよ逃げ足。
でも関が原では徳川秀忠の下にいて上田城で足止めを食らうんだから、
どうやらそこまでには復帰を果たしてる。
ほかにも調べたところ、四国渡海の段階でも失敗をしてるし、
なんだよこう読むと「たいしたことない」キャラなのよ。
戦績悪いキャラなのよ。
正直言って古田織部と仙石秀久、この程度のキャラ。
で、なんがこのタイトルにこの二人か?っつう話題にもどる。
このふたり、ただいま連載中の漫画の主人公なのよ。
仙石秀久が「センゴク」ってタイトルでヤンマガに
古田織部が「へうげもの」ってタイトルでモーニングに。
ちょっと待てよ、この俺でさえさほども知らないこの二人。
漫画にしておもしれえのかい?ほかの武将じゃだめだったんかい?
とにかく驚いた。この二人を主人公に漫画が連載していることに。
内容?評価?ちょいと長くなったんで、また次の機会に。
まずほっといても名前がよめねえ。
「フルタ・ショクブ」でもなきゃ「フルタ・オリブ」でもない
前者は「フルタ・オリベ」。
後者は「センゴク・ヒデヒサ」。
読み方がわかったところで改めてこの二人何者なのか?
戦国大名なんですな。早い話が。
「なーんだまたか、この戦国オタク」と思った人はケッコーです。
しょうがねえだろ、ここはそういうブログだ。
文句をたれる前に、テメエの薄弱なブログを充実させな!
でだ、戦国ネタに付き合ってくれる君のために話そう。
武田信玄や織田信長クラスの超メジャーネームから、
桂元澄や鳥居強右衛門クラスのドマイナーまで果たして何人の戦国武将がいるのか?
信長の野望に登場する武将の数でもおよそ1300人。
その1300人の中でこの古田と仙石は「さほど」と言っていいほど有名人じゃねえ。
餞ヶ岳の七本槍でもなけりゃ、関が原で裏切るとかの「何か」をしたキャラじゃねえ。
古田織部は本名を古田重然(しげてる)。
織部正(おりべのしょう)という役職についていたため通称を「オリベ」と言うのだ。
武人としてよりも、茶人として有名な男。
茶人ったらあれだ、千利休とか今井宗久とかの奴で、茶道な茶道。
その茶道の元締めだったのが上記の千利休で、こいつに高弟とも言える著名な弟子が七人いる。
それを「利休七哲」というんだ。
その七哲の一人。他には細川忠興(ガラシャの旦那な)とか蒲生氏郷(俺が会津まで言ってわざわざ墓見て来た奴な。蒲生氏郷の項参照)なんてのが比較的有名人で、
高山右近と古田織部が知るひとぞ知る的になってくる。
関が原もグッドチョイスで生き残り、あとは中川清秀の娘が嫁さんだなぁと。
じつは最後だけ人知れず派手なんだ。
大阪の陣で豊臣方が大阪城とともに炎上するわな、そん時にいっしょに改易されたはず。改易ってのは領土没収の上に切腹か永久追放のこと。
別に徳川家にたて突いて大阪城に入ったわけでもねえんだが、豊臣方に内通していた門で、切腹。
おかしくねえか?
大阪の陣てな、
世間の評判ならあたりまえのように徳川家の勝利間違い無しの鉄板レース。
真田や後藤のように「負けて当然」で入城したわけでもない。
木村長門のように「豊臣大好き」なわけでもない。
福島正則のようにあからさまに危険分子でもない。
味方したことが真実なら、なぜ鉄板レースでわざわざ大穴の大阪サイドに味方したのか?
味方そのものがデマゴギーだとするなら、なんで徳川家が古田織部をつぶしたのか?
徳川家からしてみりゃ、そんな目立つようなキャラじゃないし、
危険なキャラでもねえんだよな。
それなら他にも「つぶしたほうがいいんじゃねえ」的なキャラはいるんだよな。
なんで織部よ?
という不思議な結末を持ってはいるものの、
上記のようにさほども目立たない茶人大名がこの「古田織部」
で、「仙石秀久」
こいつもまた地味。
ただいま大河ドラマの山内一豊や盗賊上がりの堀尾義晴、中村一氏なんんかと並んで、
豊臣秀吉が長浜城城主となる前後、木下籐吉郎ぐらいの頃からの与力(部下みてえなもん)の一人。
長いこと秀吉直系で働いてきたので、
最終的には九州征伐軍の編成の段階編成された二個方面軍のうちの一手の大将が
確かこの「仙石秀久」。
ちなみにもう一手が豊臣小一郎秀長だから、この段階では仙石秀久のピークで相当のビッグネーム。
ところがだ、わかる人はお分かりでしょうが、
この後、九州の雄島津の連中にコテンパンに叩きのめされて秀吉大激怒、という合戦が起こるんだな。これを戸次川の戦いという。
そう、鬼十河や長曾可部の長男が死んだとこよ。
しかも四国まで逃げ帰ったっつうんだから、早えよ逃げ足。
でも関が原では徳川秀忠の下にいて上田城で足止めを食らうんだから、
どうやらそこまでには復帰を果たしてる。
ほかにも調べたところ、四国渡海の段階でも失敗をしてるし、
なんだよこう読むと「たいしたことない」キャラなのよ。
戦績悪いキャラなのよ。
正直言って古田織部と仙石秀久、この程度のキャラ。
で、なんがこのタイトルにこの二人か?っつう話題にもどる。
このふたり、ただいま連載中の漫画の主人公なのよ。
仙石秀久が「センゴク」ってタイトルでヤンマガに
古田織部が「へうげもの」ってタイトルでモーニングに。
ちょっと待てよ、この俺でさえさほども知らないこの二人。
漫画にしておもしれえのかい?ほかの武将じゃだめだったんかい?
とにかく驚いた。この二人を主人公に漫画が連載していることに。
内容?評価?ちょいと長くなったんで、また次の機会に。