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福島原発の半径20キロは人も家畜も住めない

2011-06-04 15:46:13 | ニュース
福島県郡山市の避難所となっているイベント会場「ビッグパレットふくしま」で2日、同県富岡町の家畜処分に付いて説明会が開かれたのだが、農林水産省の男性職員が福島第一原発から半径20キロの警戒区域を「現状では人も家畜も住めない様な所」と発言し、参加者から抗議を受け、職員はその場で謝罪したと言う。
農水省等によると、説明会には同町の畜産農家約50人が出席して行われ、職員の発言は家畜の処分方法や補償内容を説明後、質疑応答の中であった。

参加者から「(区域内で)家畜の世話が出来ないか」等の意見が出たのに対し「20キロ圏内での世話は人の健康を考えると非常に困難。現状では人も家畜も住めない所」と発言したらしい。
その後、参加者の男性から「帰る事を前提としているのに、否定的で夢を壊す様な事を言わないで欲しい」との抗議を受けた。
男性職員は「言葉が不適切で申し訳ありません」と謝罪したと言う。

これは農水省の職員が正しい事を言っている訳で、職員が謝る必要は微塵も無いのであり、夢だの何だのと現実逃避して、抗議をした住民がおかしい。
福島第一原発事故によって、大量の放射能が撒き散らされている事は事実なのだから、その事実を現実として受け入れ、対処して行かなくてはならない。
住民は、チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故によって、その地域に何が起こって、どう言う対策が為されたのか、原発事故が起こった地域に住む当事者として、学ばなければならない。

東京電力は4日、福島第一原発1号機の原子炉建屋1階の床を貫通する配管の周辺の隙間から湯気が出ている事を、調査に入った米国製のロボット「パックボット」で確認、撮影したと発表した。
地下にある「圧力抑制室」から漏出した約50度の汚染水から出る湯気が1階に噴き出している模様。
蒸気が噴出している周辺の放射線量も、最高で毎時4000ミリシーベルトと極めて高く、東電は「継続して監視する」としている。
毎時4000ミリシーベルトと言う数字、職員に抗議した人達は、この事実をどう捉えるのか?、これが現実に起こっている事実なのだ。

福島第一原発は制御不能なのが現状であり、未だに収束の気配を見せておらず、放射能汚染はどんどん広がっている。
この現実を見ずして、夢だの何だのと言っているのは、単なる現実逃避と言われても仕方が無いだろう。
職員が言った「20キロ圏内での世話は人の健康を考えると非常に困難。現状では人も家畜も住めない所」と言う発言は事実であり、厳しい現実を突き付けられたからと言って、抗議すると言う事は、事実を隠蔽して捏造した事を言えとでも言うのかね?。

耳障りの良い言葉を聞きたいのは判るが、現実を認めなきゃ、現実を。
今、大事な事は現実を知り、過酷な状況にどう対処するのかであり、現実逃避して夢物語を語っている場合では無い。
「臭い物に蓋」をして、その場凌ぎの対応をしていては、被害が拡大するだけ。
放射能は無色無臭だから、どれだけ放射能汚染が進んでいるのか、なかなか理解出来ない。
それ故にガイガーカウンター等を使い放射線量を測定して、その数値を見て危険性を判断するのが現状だ。

汚染地域の飲食物に付いてもそうなのだが、放射能汚染を知るには数値で判断するしか術は無い。
それなのにマスコミ等は風評被害を強調して、飲食物は安全です等と煽っているのだが、放射能に汚染されている事は風評では無く現実な訳で、荒唐無稽に安全と言って、後で健康被害が出たら、どう責任を取るのかね?。
マスコミが無責任体質で、言ったら言いっ放しなのは今に始まった事では無いが、遣っている事は余りにも出鱈目だろう。

テレビ番組で出演者が福島の野菜を食べると言う企画があって、出演者が「美味しそう」等と言って福島の野菜を持ち上げたらしいのだが、食の安全とは「美味しい」とか「不味い」で判断するものでは無いのである。
そんな馬鹿な事を言っている提灯番組を視て、本気にする視聴者も居るのだろうから、テレビ局は本当に安全かどうか責任を持って報道しろ、責任を持てないなら根拠も無く、安全です。って言うな。と、近所の爺さんが言うとりました。

まぁ、あれだ。厳しい事を書いているが、実際に奇形植物やら奇形動物等を見て初めて、放射能汚染の恐ろしさを理解するのかも知れないが、チェルノブイリやスリーマイル島で何が起こっているのかを知る事で、福島で今後、どんな事が起こるのか知る事が出来る。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言う言葉があるのだが、今までに起こった原発事故を参考にして、対処する事が大事なのだ。
しかし、福島第一原発はチェルノブイリやスリーマイル島の原発事故以上の段階に進んでおり、未曾有の原発事故となっている事も現実として、捉えなければならないのだろう。では。

【ネッタイムス・東坊京門・作】