どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ベルンの仕掛け時計

2009年05月31日 07時14分33秒 | 旅への想い
 チロル・ドロミテを歩いたあとバスでオーフェン峠を経てスイスの東側に着いたもののそこから何処へ行くのかが定まらない。あの辺りで絶対に見たい行きたい場所が見つからないというある面贅沢な悩みである。

 考え付かないので日程の終りから具体化してみた。
サースフェー(Saas-Fee)を8:02のバスに乗ると、幹線からチェルマットへの分岐点フィスプ(Visp)に8:48に着く。10分の乗換時間で汽車に飛び乗ると約1時間の乗車でベルン(Bern)に到着する。
チューリッヒ空港からの帰りの便は15:35発である。その2時間前の午後1時半には空港に着かねばならない。時刻表を見ると、ベルンを12:02に出て13:16に空港駅に着く。この汽車に乗れば問題は無い、ベルンでオミヤゲを買う時間が2時間できた。

 バスから汽車への乗り換え時間が10分というのが気になる。バス停もしくはターミナルは駅前にあるとしてプラットホームまでは3~4分かかるだろう、ギリギリだ。改札口が無いのでただ走るだけなので間に合うかな。バスの遅延が無い事を祈るのみ。
30分間隔で汽車があるので遅れても致命傷にはならない。

 ただ問題なのはベルンには有名な時計塔がある、大きな針時計が時を刻み時間が来ると人形が出てきて鐘を叩く。これは見逃せない、しかし12時の仕掛け時計を見ると予定していた汽車に乗れない。マイッタ、ここも30分後の汽車にしようか。そうなるとチューリッヒ役が13:50になり予定便の2時間前には着かない。迷うところだ。

 この件で二日間悩んでいる、1時間半前に航空会社カウンターへ行っても大丈夫だろうと思うも結論は出しかねる。それならベルンで決めればいいと結論を先送りした。
しかし「案ずるより産むが易し」-こういう場合に使えるかどうか心もとないけどーの言葉どおりのことがおきた。ガイドブックで時計塔のことを読むと、「士掛け時計は毎時4分前に動き出す」とある。な~んだ、11時に見れば全て解決するのだ。

 12時に仕掛け時計が動き出すと勝手に思い込んでいただけなのだ。我が那覇の街の仕掛け時計は12時と5時に大掛かりに動き、残りはベルだけなので、そのことがアタマにあり惑わされてしまったのだ。

これでスイスにおける最終日の行動が確定しました。
余計な話だけど、ニッポン人ツアーが仕掛け時計を塔の真下で見ていた。離れたところで見ないと人形の動きは見えないのに。ガイドが引率しているのにわざわざ真下に陣取ったということは、真下から見ると何か別の動きが見えるのだろうか。

いよいよスイスへ

2009年05月28日 15時12分03秒 | 旅への想い
 チロル・ドロミテの日程が固まった。
1日目 ウィーン到着の日を1日目とする。その日はザルツブルグまで。
2日目 レンタカーの手続を済ませて出発するのは午前11時頃だろう。10時に出られるなら上出来といえよう。ツエル・アム・ゼーを経由し山岳道路を通り、フランツヨゼフスホッヘでケ-ブルカーに乗り、グロースグロックナー山を遠望し、ハイリゲンブルートまでおりて泊まる。
3日目 リエンツを通り抜けてマトライ方面からケーブルカーに乗り、グロースグロッケウナーを西側から見る。リエンツで泊まる予定だがこれだけなら時間が余りそう。天候のことを考慮し、予備日の意味を持たせて二日間としている。天候が良ければハイキングの時間に充ててもいいし、ドロミテ方面に進んでもいい。
4日目 この日はコルチナダンベッツオまで行く。トレチメを先に回ろうか、たっぷり時間の取れる翌日回しにしようか。中途半端な時間ならミズリーナ湖を見て、近くの峠から周辺を眺める時間にしても良い。
5日目 トレチメ周遊ハイキングをこの日にして若し天気が悪ければどうしよう。天気予報次第では前日にトレチメを眺める自体も考えられる。コルティナダンベッツオ泊まり。
6日目 景勝地を見ながらインスブルックへ。レンタカーを返す時間までに着けばいいので何ヶ所か景勝地を廻れるだろう。
チロル・ドロミテは地図からの印象よりも狭いと思う。3~4時間走れば何処へでも行けるのじゃなかろうか。天気に柔軟に対応しよう、滅多に無いチャンスだから大事に使うつもりだ。
7日目 スイスへ。インスブルックからドロミテ入口のボルツアーノまで引き返してメラノまで汽車で行く。メラノからスイスのツエルメッツという町までバスが出ているのでそれに乗る。インスブルックからツエルメッツまで4時間ほどで行けるとあった。
そこからダボス方面へ行くか、サンモリッツへ行くか・・・
 さてスイスの東側に到着したが、シャモニまでどのルートで行くか、これによりどちらにするかが決まる。ゆっくり検討課します。

ようやくスイス入りした、長い道のりでした。

ノートパソコン

2009年05月27日 16時13分38秒 | 中国研修旅行
久々に中国への語学研修についてです。
 西安交通大学での語学研修旅行については着々と準備が進められているものと思われる。主催が日中友好協会なので、そのメンバーから漏れ聞こえる情報では、交大(jiao da)との打ち合わせはほぼ終り後は卒業旅行の詰めが残っているだけとのこと。

 前回の九塞溝・黄龍はオキナワ側である人を介して西安の旅行社に直接交渉して出かけた。しかし今回は大学が絡むようである。これほどまで我々のために手を焼いてくださることに感謝します。

 特に今回はオキナワのお盆を外した為に、中国の十一つまり国慶節の大型連休とかち合い交通から宿泊まで手配するのに余計なエネルギーを要するだろう。好ましい日程の組み方としては、学習と旅行を9月一杯に終わらせて国慶節に引っ掛からないようにするのが望ましい。
五一(wuyi)と十一(shiyi)は連休で何処もかしこも休みで、行楽地は人出で一杯になるので、その期間は避けたほうが良かった。しかしオキナワには大事な行事のお盆がある。今年は9月3日がお盆なのでこのような日程になったのは止むを得ない。
立案者はさぞかし頭を痛めたことだろう。

 ところで一昨年は西安からメールを送るのに苦労し、結局届かなかった。インターネット・カフェのお兄ちゃんの手を借りたのだかが結果としてダメだった。
今年は自前のPCを持っていってメールのやり取りをしたい。そこでノートPCを買った、これを直接接続してもらえたらラクなので頼むつもりだ。直接繋げなくてもラクになるだろう、前回のハンセイでgooのアドレスもとった。

 扱いに慣れるために小さいノートパソコンを触るが、やはりデスクトップが扱い易い。指先でカーソルを動かすよりもマウスがラクで、左クリックも要らぬ力を在らぬ所に掛けても反応しない。それに意図しない画面の動きに翻弄されている感じだ。
これも西安で楽するためだ。

 今のところノートPCの主な使い手は孫である。Gyaoギャオのアニメを見せろと五月蝿く、これまでは帰るまでパソコンを占拠されて、私が使えなかった。しかも週5日の夕方から3~4時間もの長時間であった。

 ノートPCが届いてからは、私も自由にパソコンの前に座ることができるようになった。それだけでも価値がある。
簡体字の入力ができるようにして、狭いキーボードや扱いにも慣れて西安に備えよう。

 募集要項が決定すると募集が始まる、どのような方たちが参加するのだろうか。公民館での中国語サークルのメンバーで迷っているおネーちゃん(オバチャン?)がいる。私は誘っている、一昨年使ったテキストを見せたり、この次の講座の日には日程表案を持っていく約束をしている。

予定した人数が集まればいいな~

同行者

2009年05月25日 13時36分04秒 | 旅への想い
 Heiligenbrut(ハイリゲンブルート) Lienz(リエンツ)とチロルで2泊もすればグロスグロックナー山は姿を見せてくれるだろう。レンタカーで回る予定なので天候が崩れても、出発時間をずらしたり、滞在時間を延長するなど柔軟な対応ができると思う。

 ところで同行者ができて三名になった。妻の妹で計画を立てた頃は、参加するの出来ないのと揺れたけど懸案事項が片付いたので一緒に行けるようになった。これまでにマチュピチュ、カナダへのオーロラ見物、スイスに台湾その他の地域へも一緒に動いている。私としてはナビゲーターが二人になり、万が一の場面でのドライバー交代要員にもなる。さらに一人当たりのレンタカー料金が割安になるという利点もあるので歓迎です。 

 ただ同じ便に乗れるよう旅行社に追加申込みをしたら私たちよりも料金が上がった。旅行社が足元を見たのではなく、業界内部のシステムらしい。私たちが申し込んだときも空席と料金の関係の説明を受けていたのである程度は覚悟していた。結果的に同じ便に乗れるので1万5千円アップはいた仕方無い事です。担当者の方お疲れさん。
国内便でも”早割り”というのは席数に限度があるのと同じことだと理解しています。

 ただ3名になるとやはり変則で、部屋の関係で宿泊に制約を受けることも多々ある。二月の台湾ではホテル探しに困った、しかしチロルやドロミテでは山小屋形式の宿泊所が多いだろうからとタカを括っている。二段ベッド式大部屋に泊まればいいのだ、さほど問題は無い。ホテルで一人だけ硬いエクストラベッドに寝させられるよりマシだ。どうせ硬いベッドは私の指定席になるのだから。

 二段ベッドの場合は私の寝相の所為かギシギシ音を立て、さらにベッドを揺らすので寝むれないと妻に文句を言われる。しかし寝ている間の自分の行いに気づくわけがない、謝り様が無いので笑って済ませている、私は安眠しています。

 ウルサイ姉妹に文句を言われないような日程を作るために、資料収集に検索に全力を挙げるつもりだ。なにせ五月蝿いだけでなくスポンサーなのだから。満足のいくルートを組み立てます。

ハイキング

2009年05月23日 11時27分02秒 | 旅への想い
 初日に東側のルートからグロースグロックナーと氷河が見れたとして、二日目は西に回ってマトライ(Matrei)方面へ行く。泊まりはリエンツ(Lienz)を予定している。
天候が気がかりなので予備日という意味を含めてこの地域に二日かけることにする。谷に点在する村は美しいとあったので、時間が余るようならチロルのハイキングとシャレても良い。

 ハイキングをするにしてもいつも下り専門です。ケーブルカーやロープウェイで上り、緩やかに下っていくルートを選んで歩くだけです。
ミューレンからアルメントフーベルまでケーブルカーで上り、あとはトラバース気味にグリュッチアルプまで歩いたことがある。周囲の雄大な山を眺め、足元に咲く花の中に踏み込み、時には陽光で雪が煌めく山をバックに花の中に立つ姿を写真に撮ったりと南国の島嶼県ウチナーでは味わえない楽しみを満喫した。
チロルでもドロミテでもチャンスがあれば歩いて見たい。

 日常生活では歩いて3分程度でもバイクに乗る習慣が付いている、それ故歩くことにアタマから拒否反応が出る。しかしこのようなグータラ生活をしていても、現地での気分次第では歩く。九塞溝では二日間毎日10時間も歩き詰めだった。足の指先・爪は痛くなったけど歩けないことは無い。あの風景を見ながら歩くのは全く苦痛にならない、むしろ快楽である。

 サンモリッツを見おろすムオタス・ムラーユからポントレッジーナまで下ったこともある。あの急斜面を登ってくる年寄りグループに出会った、只にタダにその気力に恐れ入るだけです。何せ前を歩く他人の靴を目の前に見ながら急斜面を登ってくるのです。下っている私の膝はガクガク笑っているのに、その斜面を汗を掻き掻き上ってくる同年代の人たち、いや~恐れ入りました。

 あのようなハイキングはしないし、考えもしない。お花畑を口笛吹いて景色を眺めながらのハイキングをしよう。
天気が良くて日程消化ができたとき、又ガスって山を見ることができないとき、中途半端に時間が余ったときにはハイキングで時間を潰そう。

 ということはハイキングは必ず行なうということか。レンタカーなので次の景勝地へ行くというのも考えられなくも無い。
現地での気分次第だけどリエンツで泊まらずドロミテへ進もうか。

到着後のプラン

2009年05月20日 15時56分11秒 | 旅への想い
 航空運賃の安さと希望するルート(ウィーンに入りチューリッヒから出る)に合致するということでエミレーツ航空となった。KIX(関空)を深夜に発ちDXB(ドバイ)で乗り換えてウィーンに着くのが13時45分である。

 さてレンタカーは何処で借りようか。空港で借りるか、ザルツブルグまで汽車で行って翌日借りるほうがいいのか迷うところ。判断の基準は身体の疲れ、特に時差ボケと費用である。一昨年のスイスは成田を昼頃発ち夕方チューリッヒに着いた、7~8時間の時差を考えると身体は深夜なので眠くてたまらなかった。
あの状態で運転したら事故を起こすだろう。しかし今回は深夜出発である、飛行機で寝るだろうから前回ほど時差ボケが酷くないと思われる。その日の運転は大丈夫じゃないかな~

 レンタカーの料金は大雑把に言えば1日1万円程度である。ウィーンとザルツブルグ間の運賃は44.3Euro、二人ならレンタカーの使用料と変わらない。しかし汽車で3時間半も掛かるので初日からその距離をレンタカーで走るのは無謀かな。やはり汽車を念頭において計画を立てるのが無難か。レンタカーでの出発場所を何処にするか迷走が始まりそうだ。
 仮に翌日ザルツブルグで借りるとすると、手続やら車の扱い方などのレクチャーを受けてー言葉が通じないのにレクチャーなんておこがましい気もするー出発できるのは早くて10時ごろだろう。その前に地図が必要だし、運転中の心得ー高速チケット、ライトの点灯、燃料の油種などーも最低限のことはナンとしても知らねばならない。

 ここからがいよいよ旅本番というところ。
目指すはオーストリアの名峰グロースグロックナーを東と西の展望台から見ることである。Googleの地図を見ると、オレンジ色で表示されている道路がある、主要幹線なのか。黄土色も重要道路のようだ。縦横に通っているのは黄色である。どんどん拡大すると黄色の道路の先に白色の道が出てくる。谷沿いに行って行き止まりの道もある。この白色の道路はさしづめ市町村道というところか。

 ザルツブルグからまずチェルアムゼー(zell am see)を経てハイリゲンブルート(
heiligenblut)へまで行く、途中フランツヨゼフスホッヘ(Frantz-Josefs Hofe)へ寄りたい。初日はこの辺りまで来れたら上出来だと思う。

 地名を現地表記も合わせて書いているのは慣れるためです。現地ではカタカナ書きなんて桃のにはお目にかかれないだろうから今のうちに親しむ手段です。読みにくく発音と文字が合わない。

このように一日一日の日程を書いていこう。

レンタカー

2009年05月18日 07時41分08秒 | 旅への想い
 航空便の行きと帰りが決まったところでひと安心、いよいよ旅の中味、チロルとドロミテそれにスイスの観光ルートの具体的検討に入れる。
ところが航空ルートに気をとられている間に、せっかく調べたチロルとドロミテの様子がか薄れている。ここぞと思ってメモしていた地名が昆がらがって何処に位置するのか分からなくなっている。地図で一つひとつ探すハメになってしまった。

 何時もならある場所に行くと決めるだけで済んだのだが、今回これほど位置に拘るのはレンタカーで回ろうと考えているからです。
ザルツブルグで借りてまずチロルを走り、ドロミテに入りインスブルックで返却するという行程を考えているので走る順序が問題なのです。それも地図上に太くて濃く描かれた道路ではなく景色が美しいであろう山あいの道を走りたい。

 先人のブログや旅行者のツアー内容に記載されている地名を頼りに地図を見ると行き止まりになっている箇所も多い。またバスで通過したと書いてあった場所が行き止まりに見える。地図をどんどん拡大すると、道らしきものが現れ道路を示していた色が消えてラインだけになっている。国道が村道になったということか。

 また日本語サイトで調べた地名を地図で探そうとすると、これがけっこうムツカシイ。表記と発音が一致しない、英語読みしているのが原因だ。SALZBURGやINNSBRUCKはカンでザルツブルグにインスブルックと読めるが、カタカナからドイツ語を探すのに苦労した場所も多い。「チョピンとは俺のことかとショパン言い。」という感じです。(笑)

 ところでレンタカーを利用するのに多少の不安もある。向うは凄いスピードでぶっ飛ばすということだし、それに左ハンドルを運転したのは30年も前の話だ。右側通行を一夜にして現在の左側通行に変更したときの混乱が頭をよぎる。カーブでハンドルを切ったとき反対車線に入ろうとするのが多々あった。身に付いた習性はカンタンに抜けるものではない。ナビ担当にその都度声を出して注意喚起してもらうしか無いだろう。

 1978年7月30日までオキナワの車は道路の右側を走っていた。変更になった日を「ななさんまる」という。慣れの問題だが混乱は当然起きた。あのときの逆のこと、アタマの中は右だ左だとパニックになる事態も予想される。それでもレンタカーで回りたいと今現在は考えている。危険危惧はあってもバスの時間を気にせず好きなように回れるレンタカーのメリットはあると思われる。

航空便決定

2009年05月12日 07時20分57秒 | 旅への想い
 スイスへ行く前段でいろいろ迷ってしまった、しかし決まった。バンザーイ。
ヨーロッパへ行くのに中華航空で台北経由で行けるけど4都市と限定されている。スイスへ向かうには何処が便利かと考え始めた。オーストリアにはチロルがある、それならチロルを見てからスイスへ行けば一石二鳥という感じになる。チロルを調べているうちにドロミテとチロルは隣同士だと気が付いた、同じ山群と言えなくも無い。チロル・ドロミテがアタマにこびり付くと自縄自縛的に其処へ行かざるを得ない状況に陥ってしまった。

 スイスは二番目に置かれて如何にしてチロル・ドロミテを廻るかというのが主目的になってしまった。しかしウィーンに飛ぶのはいいけど帰りの便は条件が悪い。迷っても諦めきれない。
安いということで南、台湾や香港の旅行代理店ばかりに目調べていたのを国内に目を転じた。するとあった、エミレーツ航空というのが。早速連絡を入れてより詳しい情報を送ってもらった。
    -------
6月28日(日)関西国際空港発 23:15 エミレーツ航空 EK 317便
6月29日(月)ドバイ   着 04:45( 所要時間 10:30 )

6月29日(月)ドバイ   発 09:55 エミレーツ航空 EK 127便
6月29日(月)ウィーン  着 13:45( 所要時間 05:50 )

<ウィーン~チューリッヒ間はお客様ご自身での移動となります>

7月14日(火)チューリッヒ発 15:35 エミレーツ航空 EK 88便
7月14日(火)ドバイ   着 23:55( 所要時間 06:20 )

7月15日(水)ドバイ   発 03:10 エミレーツ航空 EK 316便
7月15日(水)関西国際空港着 17:20( 所要時間 09:10 )
    -------
 27日に出発と予定を組んでいたけど28日になっている、毎日就航ではないのだろう。それに帰りが14日チューリッヒから帰るようになっている。これは私の問い合わせ方が拙かった。問い合わせのとき15日に帰ると書いたら、15日にニッポン到着と考えたようだ、私は現地出発が15日のツモリだったのだけど。

 都合二日間少なくなった感じがして損した気分になった。でもしょうがないこの日程で行こう。
メールでの問い合わせは得てしてこのような舌足らず的な間違いを起こす。前にもミューレンの宿の予約を入れる際に、窓からの景色を楽しむために山側の部屋を頼んだ。しかし通された部屋は景色が丸っきり見えない。斜面に立っているホテルで、アイガーやメンリッフェンは谷向うに見える。つまり谷側なのだ、私は山が見える側のつもりで山側と予約したら、ホテルの山側は何の変哲も無い通りと向いの建物が見えるだけ、確かにそこがホテルの山側でした。
その時は部屋をチェンジできたので朝に夕に夜中にと美しい景色を堪能しました。早とちり、独り善がりの解釈は失敗の元なのに又やっちゃった。

 気持ちの振れであれこれ定まらぬ昏迷があったけど、ここで終止符を打つことにした。大阪のSPCという旅行社を通してエミレーツ航空で行きます。
チロル・ドロミテ・シャモニ・サースフェーそれから何処へ行こうか・・・楽しみだ~

紆余曲折

2009年05月09日 19時49分52秒 | 旅への想い
 未だ見ぬフルカ峠越えの九十九折りのように、アチラこちらに振れていたスイスへのルートがやっと確定しそうです。

 当初スイスへは香港から行こうかと考えていた、ところが何かの拍子に中華航空のヨーロッパ便があると知った。直接スイスへ飛ぶ便は無いけどウィーン、フランクフルトにローマの何処で乗り降りしても同一料金¥126.000だという、オキナワ発着で。アムステルダムへも飛ぶが最初から除外した。

 ウィーンか・・・それならチロルを通りスイス入りもいい、と調べ始めるとドロミテはチロルの隣り、山向うにあると分かったのでウィーンを入口にしようと気持ちが傾いた。チロルとドロミテについて勉強を始めると益々ウィーンから離れられなくなってしまった。
ところが帰りの便が不便だ、ウィーンに戻るにしてもフランクフルトやローマに行くにしても半日以上かかり、そこで一泊して翌日のフライトとなる。これは問題だ。
そこでチューリッヒから帰れる便は無いかと香港HISに頼んだ、あるにはあったけど乗換やらナンやらでピタッとこない。

 チューリッヒ往復にしてチロルとドロミテは陸路にしようかと考え始めたところ、香港に拘らず関空を調べたらと妻が言う。関空だと前泊か後泊の問題が出るのじゃないか、とか香港より割高にならないかと案じつつ検索すると、エミレーツ航空に安チケットがある。早速旅行社にメールを入れる。

 するとものの1時間足らずで旅行社から電話が掛かってきて、ウィーンに入りチューリッヒから帰国するルートで、希望する日にちの便が取れそうだと言う。料金はインターネットに表示されている\87.000に空港使用料・入国税に燃油サーチャージを含めると\106.000になるとのこと、即座に仮予約した。
しかも前・後泊なしの時間帯で飛ぶ。
香港からの便よりも若干高いけど乗換の時間待ちなどを考えると関空初のほうが効率的に廻れる。良いのが見つかりました。

 これで旅の中味チロル・ドロミテにスイスの山の廻り方に入れる。これまでの道のりはダラダラ坂だった。
もう少しで峠を越える、山が見えるのも近い。

下手の考え休むに似たり

2009年05月04日 09時39分15秒 | 旅への想い
 ただいま連休の真っ最中、遠出や海外旅行の話題がニュースを賑わしている。
ゴールデンウィーク期間の旅行は、金はあるが普段の時間が取れない人たちが出かけるのであって、何時でも時間と暇がある人はチョッピリ羨ましくてもこの時期は家に籠っている。ただこの時期で無いと見れない祭りや催し物が多々あるので、それらについてはザンネンの一語である。

 民俗文化に接する機会が大幅に減っても、その面での時期外れであっても、自然景観を楽しむのを第一目標にしている。今回もウィーンから入るのを前提に旅程を組んでいるけど、ウィーンは入口であって汽車かレンタカーで即西に出ることばかりが頭にあった。これを書きながら市内見物を入れてもいいかなと気づいたほどです。
ザルツブルグも通過するだけの予定だが、ここも観光すべきなのかな~。

 これまでウィーンから入るという入口論だけに気が向いていた。それを大まかにウィーンからザルツブルグを経てチロルを見て、ドロミテに移りインスブルックへ行く。さてどのルートでスイスに行くか、サンクト・ガレンからかティラーノからか。アンデルマットからフルカ峠を越えてローヌ谷へ行くか、それともアンデルマットから更にグローセシャイデックを越えてグリンデルワルドへ行くのか。
シャモニにサースフェーとの兼ね合いは・・・等など考え始めると収拾が付かなくなた。
 それに帰りの便はどうなるかと調べると、フランクフルトもウィーンも思ったよりも遠い。フライトが昼頃なので前泊が必要になる、これも面倒だ。やはりチューリッヒ往復にしようか・・・
でもせっかくチロルとドロミテを目の前にして手を引くのも・・と逡巡する。それで香港からウィーンとチュウリッヒに飛んでいる航空会社は無いかと香港の旅行社(HIS)に問い合わせることにした。

 返事が来るまではスイスでの旅程を考えておこう。
旅のルートは一筆書きにしたいとの意識が無意識に働くようだ。この事で自分が縛られているのに気づき可笑しくなった。

 まてよ・・ミラノから帰るほうがルートを決めやすいかな。サースフェーからのシンプロン峠を越えるルートに、ルガーノからミラノへの鉄道もあるだろうから。

バラバラの案だけ浮かんでくる、系統立てて考えるのはこの年になっても未だ学習していないな~。
まさしく「下手の考え休むに似たり」です。
”メーんかい あっかん”漢字カナ混じり文では、「前んかい 歩っかん」となる。

写真はアイロロからゴッタルド峠への道です。
3年前四つの峠を巡るバスに乗りました。そのときフルカ峠を通っていないので心残りがしている。意地でも通りたい。四つの峠とは、あの辺りの道路をH型と見なすと、Hの各線分上に峠あり、横棒上にフルカ峠がある。Hは8の字型に繋がっている。この説明で意味が分かりますかね。

着々と・・・?

2009年05月02日 06時09分23秒 | 旅への想い
 スイス観光局から資料が届いた。インターネットで申込み郵送料負担だけ負担する、着払いで送ってくるので手間暇が掛からず気軽に申し込める。情報量としてはインターネットを丹念に読むほうが詳しく書かれている。それに一番欲しかった”スイストラベルシステム"が入っていなかった。
 これまでに私が調べたものより安チケットが無いかとHISへ行った。するとパンフレットの中にスイストラベルシステムの冊子が並んでいる。個人配布を止めたのは旅行社に足を向けさせる手段なのだろうか。

 オーストリア政府観光局からも資料が届いた。これは390円の切手を同封し申し込んだもので、もっと時間が掛かるかと持っていたけど予想以上に早く届いた。どちらかといえばスイスのように着払方式が手軽でラクに思える。
 その中味だが一番欲しかった地図が期待はずれだった。汽車の旅のルートが組める程度の地図を期待していたけど、これでは大雑把過ぎる。
ウェブサイトとパンフレットの内容を見るとスイスのほうが充実しているように感じる。
 チロルに関して検索しサイトを開いて読んでいると、グロースグロッケナー山の眺望が良いとされるハイリンゲンブルートとか州都のリエンツとかの地名は覚えてきた。しかしその位置・所在地が未だハッキリつかめない。そこで地図を見るために図書館へ行った。目的とする地図は見つけられなかったけど概念図がありコピーし、その横の棚にハインリッヒ・ハラー「チベットの七年」が目に付いた。河口彗海と並びチベット旅行記では有名な本である。それにアイガー北壁を眺めて「白いクモ」は何処を指しているのかと探したのはつい三年前のこと。ハラーはアルプス・チベットで思い出す人なのでチロルを後回しにして小脇に抱えて家に帰った。

 いずれチベットからヒマラヤを見るという夢に近い計画も胸に秘めているので早速読み始めた。たった一行だがグロースグロッケナーの記述がある。この山を見るために調べている最中なのでこれも何かの因縁だろう。

 送られてきた資料や検索して印刷したものなどを読まねばならないのに、横道にそれてしまうのもまだまだ余裕を持っているということだ。(笑)

写真は朝日のあたるアイガー北壁です。