こんにちは。
わたし、よく主人と話をするんです。わたしの家で、今まで、ある動線上があって、それに沿って、火の玉が走る。
無論、通常の人には見えるわけのない火の玉で、頭がおかしくなったのかというと、そうじゃない。何故かというと、何度かここのブログで書いているけれど、わたしの家には、あるところにオーディオがあって、それに向かって、火の玉が走るのね。まぁ、あんまり、そういうことを言う人じゃないけれど、これ、火の玉が走ったときは、気がつくのよ。
走る予感に駆られて、顔を上げると、火の玉が走っていって、オーディオが、「ぼふん」と音を立てて、それっきりになる。
スピーカー内蔵アンプを買って、おしゃれにいくはずだった、わたしの新築マンションライフ。これが、毎度毎度、「ぼふん」。これで終わりだ。これを予知することはできる。予知して、顔を上げて、何が起こるのか、見回している。そこへ、火の玉が走って、なんと、BOSEのスピーカーまでお釈迦にしてくれた。
わたしは、これが三回続いて、気がついたのね。そういうことが起きる予兆を見ることができるんだとね。
ところが、わたしは、防ぎようがない。ソファからオーディオまでは距離があるし、あっと気がついて、走っていってオーディオが無事かどうかは、やってみなくちゃわからない。けれど、確実なことで、わたしが知っていることは、少なくとも、対策がわかるまでは、4万円するBOSEのスピーカーには手を出すなってこと。
それ位はわかるわね。
それで、わたしは、時々、主人と笑う。あっと、顔を上げたら、オーディオが壊れる。壊れる瞬間ばかり、何回も見て(IPODもその動線上にあるとやられる)、銅線上を変えればいいのか、それとも、どうしたらいいのか、まったく策がわからないんだよって笑う。知ってて、予知までできても、まさか、走りよって、毎回守るわけには行かないよね。だって、寝ているときに、走られたら、どうしようもないし。別に、わたし、24時間起きて、オーディオを見張っているわけじゃないし。
そもそも、その物事が起きることに不規則なリズムがあるので、どうしても対策は立てられない。なのに、壊れる瞬間は、見ちゃうんだよね。
って、無駄な感知力じゃない?起きる瞬間がわかって、それで、それが走っていく瞬間も、壊れる瞬間も見ているわけ。でも、何一つ対策は立てられない。強いて言うなら、BOSEはあっという間だったけれど、ONKYOは大丈夫かと思った。あっという間だったわよ。
それで、帰国して買ったちょっと壊れたオーディオをそこに設置したのね。
なんか、これは壊れないのよ。時々、「ぼふん」「ぼふん」やってるのは、寝てて寝室を開けてた時は、聞こえる。あーまたやってんだと思うんだけれど、まぁ、あのオーディオなら大丈夫だなと思って眠りにつく。
けれど、問題は、そのオーディオは、見た目がくたびれていて、実は、スピーカーの後ろの板が、微妙にはがれている。ケーブルも今ひとつだし、どうにもこうにも、新しい斬新なスタイルのオーディオがほしい。けれど、わたしには、自信がない。他の斬新なオーディオが、繊細さを持ち合わせていれば、やっぱ、
「ぼふん」
にて、あっという間にくずになる可能性もある。修理は考えたけれど、申し訳ないけれど、恐らく、その微妙な板のはずれがあったら、お買い求めなおしてくださいになると思うんだな。だって、そうそう高い値段じゃないしね。昔なんて、オーディオ買うのには、清水の舞台から飛び降りる程の覚悟が必要だった。今じゃ、ほんと、簡単に斬新なモデルが買える。まぁ、壊れちゃうんだけれど。
なので、わたしとしては、予知して、見て知って、聞かなくても分かることがある。
でも、だからどうなのって思う面がある。病気をして、大病を患った人なんか、割と感覚過敏になるから、誰にでもあるものだと思うのね。で、何かの具体的な策があれば、わたしだって、苦労はしないのよ。オーディオの位置をずらせって、言われたら、わたしはこう言うわね。こっちは、火の玉如きに、インテリアを左右されたくないのよってね。だから、防ぐ策に関して、いろいろ考えてることは考えているわよ。まぁ、毎度、沈没しているけれどね。