◆サッカー・第14回FIFA U-17ワールドカップ メキシコ大会
(2011年6月24日 @メキシコ・モレリア/エスタディオ・モレロス)
・1次リーグB組 (第3節)
日本 3(2-0)1 アルゼンチン
得点者:日本)4分 高木大輔、20分 植田直通、74分 秋野央樹
アルゼンチン)87分 ブライアン・フェレイラ
※日本は自国開催だった1993年大会以来、9大会ぶりに2度目の決勝トーナメント進出。
国際サッカー連盟の今大会の関連ページ
日本サッカー協会の今大会の関連ページ
今大会のU-17日本代表21名
出場24チームの最終登録メンバー(各国21名)
〔写真はアジアサッカー連盟より〕
* * * * *
日本がサッカーでアルゼンチンを泣かす日が来るとは
2戦を終えて1勝1分で勝ち点4(得失点差+1)を挙げた日本は、1勝1敗で勝ち点3(得失点差-2)のアルゼンチンと決勝トーナメント進出を賭けて、1次リーグ最終戦を戦いました。日本の1次リーグ最初の2試合の会場だったモンテレイは、標高こそ約500m台でしたが、高温で風が強い土地でした。しかし、今回の試合会場のモレリアは標高約1900mの高地でした。ただでさえ、高地なので空気が薄くて体力の消耗が激しく、連戦に伴う疲労も懸念されました。しかも、気温がモンテレイよりも10℃近くも低く、試合当日は降雨とあいにくの天候でした。日本はよほどの大敗をしない限り、決勝トーナメントに進出する可能性が高かったので、先の戦いを見据えて「ターンオーバー制」を用いて選手を数人入れ替えることが予想されました。
ただ、日本の先発メンバーを見て驚いたのは、GKとCBの選手を入れ替えたことです。攻撃が売りだった前回ナイジェリア大会とは異なり、今回のU-17日本代表は守りの堅さに定評がありました。中でも、CBの岩波拓也と植田直通はともに185cmと高く、このツインタワーの奮闘が日本の堅守を支えて勝ち点獲得に貢献しました。しかし、今回のアルゼンチン戦では、主将の岩波に代わって、172cmの新井純平を今大会初めて出場させます。たしかに、アルゼンチンは今までにU-17W杯を1度も制したことがなく、今大会も不調です。将来が期待されているスター選手も不在です。とはいえ、アルゼンチンはユース年代の育成には定評があります。選手の上背は無いけど技術に長けた彼らの攻撃陣を抑えるのは、決して容易ではないです。ましてや、この日の日本は守備陣の主力を温存した「実質1.5軍」の編成だったので、試合前は不安を覚えました。
しかし、当初の不安は杞憂に終わりました。前半4分、右サイドをドリブルで切り裂いた右サイドバックの川口尚紀がペナルティエリア内に侵入してシュート。GKがこぼした球を、猛然と詰め寄ったこの大会初出場のFW高木大輔が押し込み、いきなり日本が先制。皆様ご存知の通り、高木大輔の父は元プロ野球選手で「スーパーカートリオ」で有名な高木豊です。大輔はサッカー界ではとても有名な「高木3兄弟」の末弟です。長兄の俊幸は清水に所属し、次兄の善朗は先日東京Vからユトレヒト(オランダ)に移籍。なお、善朗は2年前の前回大会の代表選手で、1次リーグのブラジル戦で得点を決めてます(→詳細はこちら)。兄弟揃って、U-17W杯で南米の強豪から得点を奪ったのだから、本当に凄い一家ですね。しかも、大輔は、今大会の日本代表選手の最年少ですから、将来がとても楽しみです。
他の組の成績を考慮しても、勝利を挙げる必要があったアルゼンチンは失点後は猛然と反撃を敢行。しかし、シュートはたくさん打てど、焦ってゴールマウスの枠から大きくはみ出し、事なきを得ます。逆に、日本は前半20分、右CKからCB植田が相手選手に競り勝ち、ゴールマウスの左上隅にヘディングシュートを鮮やかに決めて貴重な追加点を奪います。ちなみに、植田は中学生時代はテコンドーで全国大会出場経験があり、本格的なサッカー歴はまだ3年だそうです。しかも、長身と高い身体能力を見込まれて、FWからCBに転向しました(もう1人のCBの岩波も同様にFW出身です)。さすがに、選手を入れ替えた影響でパスミスこそ少し目立ちましたが、ボールを奪われても複数の選手が囲い込んで素早く奪い返しにいくなど、統率が取れた組織的な守備でピンチを未然に防ぎます。更に、高い技術と運動量を駆使し、チームの連動性にも長けており、試合を優位に進めました。前半はシュート数こそ3対10と下回りましたが、ボール支配率では日本がアルゼンチンを上回りました。日本はこのまま2-0と望外のリードを奪って前半を折り返します。
後半も同様に、個人技を前面に繰り出すアルゼンチンに、日本が組織力で対抗する展開が続きます。ただ、日本の堅い守備を崩せないアルゼンチンは次第に苛立ち始めます。そして、後半23分、アルゼンチンは日本選手との接触したシーンの際に、ラフプレーで一発退場処分を喰らいます。完全に気落ちしたアルゼンチンは守備で緩慢なプレーを繰り返し、そこを日本が付け込みます。急いでリスタートした日本はカウンターから後半途中に投入されたFW鈴木武蔵が左サイドを突破し、中央の秋野央樹へグラウンダーのセンタリング。秋野のシュートは一度は相手GKに阻まれるが、こぼれ球を再度詰め込んだ秋野が蹴り込み、決定的な3点目を奪いました。その後、ロングシュートを決められて1失点を許すも、日本が3-1でアルゼンチンに快勝し、史上初めて同一大会で2勝を挙げました。更には、同時刻で行われていたフランスvsジャマイカ戦が1-1で引き分けに終わった為、日本が勝ち点でフランスを上回り、大会前の予想を覆す1次リーグ首位通過に成功しました。
日本は主力選手を温存し、代わりに出場した選手が活躍した上での勝利なのだから、吉武博文監督の選手起用や采配は本当に見事です。日本のこの世代は、高校受験によるブランクや実戦経験の不足、更には体格や身体能力で外国選手に劣ることもあり、非常に苦手にしております。決勝トーナメントに進出するのは、1993年に地元日本で開催された大会以来、実に18年ぶりです(なお、当時は16チーム参加の大会)。しかも、国外開催の大会では初めてなので、まさに快挙です。試合終了の時点では、まだアルゼンチンの成績は確定してませんでしたが、殆どの選手が人目も憚らずにユニフォームで顔を拭って号泣していたのがとても印象的でした(なお、その後アルゼンチンは、1次リーグ3位チームの中で成績上位4チーム以内が確定)。最終的にシュート数は9対22と下回り、ボール支配率は50%同士でしたが、試合中に日本のパスが繋がる度に地元メキシコの観客から「オーレ」と何度も連呼されていたのは、それだけ日本がパスワークで魅了した証しなので、とても誇らしい気分でした。決勝トーナメントでは1試合でも多く戦って、貴重な経験を積んでほしいです。
余談ですが、「U-17世界選手権」の旧称だった18年前の大会の日本代表には、後にW杯に出場する選手が4人おります。松田直樹、宮本恒靖、戸田和幸、そして中田英寿です。ただ、当時韮崎高校2年生だった18年前の中田はそれほど有名ではなかったです。最も期待されていたのは、絶対的な司令塔だった読売ユース所属の天才MF財前宣之です。以前にも書きましたが、当時は中田よりも、大会ベストイレブンに選出された財前の方が高く評価され、遥かに有名でした。ちなみに、この大会はスローインの代わりに「キックイン」が試験導入されました。このルールは「オフサイドが無い間接FK」という扱いなので、正確なキックに定評のあった財前がプレースキッカーを担当し、国見高校1年だった193cmの長身FW船越優蔵の頭に目掛けてロングボールを蹴り込んで、こぼれ球を狙う泥臭い戦術でした。こぼれ球を拾う役割だったのが中田でした。なお、当時の代表監督が国見高校監督の小嶺忠敏で、コーチが読売ユースのコーチの小見幸隆でした。今大会は、吉武監督は大分県出身の指導者で、コーチの菊原志郎は読売クラブ出身です。18年前と同じ「九州の指導者&読売クラブ出身者」の組み合わせなので、まさに奇遇ですね。
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☆日本vsアルゼンチンのダイジェスト
☆「キックイン」が試験導入された大会でもあったU-17世界選手権日本大会の1次リーグ初戦のガーナ戦
(1993年8月21日 @国立競技場)
(2011年6月24日 @メキシコ・モレリア/エスタディオ・モレロス)
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日本 3(2-0)1 アルゼンチン
得点者:日本)4分 高木大輔、20分 植田直通、74分 秋野央樹
アルゼンチン)87分 ブライアン・フェレイラ
※日本は自国開催だった1993年大会以来、9大会ぶりに2度目の決勝トーナメント進出。
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* * * * *
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2戦を終えて1勝1分で勝ち点4(得失点差+1)を挙げた日本は、1勝1敗で勝ち点3(得失点差-2)のアルゼンチンと決勝トーナメント進出を賭けて、1次リーグ最終戦を戦いました。日本の1次リーグ最初の2試合の会場だったモンテレイは、標高こそ約500m台でしたが、高温で風が強い土地でした。しかし、今回の試合会場のモレリアは標高約1900mの高地でした。ただでさえ、高地なので空気が薄くて体力の消耗が激しく、連戦に伴う疲労も懸念されました。しかも、気温がモンテレイよりも10℃近くも低く、試合当日は降雨とあいにくの天候でした。日本はよほどの大敗をしない限り、決勝トーナメントに進出する可能性が高かったので、先の戦いを見据えて「ターンオーバー制」を用いて選手を数人入れ替えることが予想されました。
ただ、日本の先発メンバーを見て驚いたのは、GKとCBの選手を入れ替えたことです。攻撃が売りだった前回ナイジェリア大会とは異なり、今回のU-17日本代表は守りの堅さに定評がありました。中でも、CBの岩波拓也と植田直通はともに185cmと高く、このツインタワーの奮闘が日本の堅守を支えて勝ち点獲得に貢献しました。しかし、今回のアルゼンチン戦では、主将の岩波に代わって、172cmの新井純平を今大会初めて出場させます。たしかに、アルゼンチンは今までにU-17W杯を1度も制したことがなく、今大会も不調です。将来が期待されているスター選手も不在です。とはいえ、アルゼンチンはユース年代の育成には定評があります。選手の上背は無いけど技術に長けた彼らの攻撃陣を抑えるのは、決して容易ではないです。ましてや、この日の日本は守備陣の主力を温存した「実質1.5軍」の編成だったので、試合前は不安を覚えました。
しかし、当初の不安は杞憂に終わりました。前半4分、右サイドをドリブルで切り裂いた右サイドバックの川口尚紀がペナルティエリア内に侵入してシュート。GKがこぼした球を、猛然と詰め寄ったこの大会初出場のFW高木大輔が押し込み、いきなり日本が先制。皆様ご存知の通り、高木大輔の父は元プロ野球選手で「スーパーカートリオ」で有名な高木豊です。大輔はサッカー界ではとても有名な「高木3兄弟」の末弟です。長兄の俊幸は清水に所属し、次兄の善朗は先日東京Vからユトレヒト(オランダ)に移籍。なお、善朗は2年前の前回大会の代表選手で、1次リーグのブラジル戦で得点を決めてます(→詳細はこちら)。兄弟揃って、U-17W杯で南米の強豪から得点を奪ったのだから、本当に凄い一家ですね。しかも、大輔は、今大会の日本代表選手の最年少ですから、将来がとても楽しみです。
他の組の成績を考慮しても、勝利を挙げる必要があったアルゼンチンは失点後は猛然と反撃を敢行。しかし、シュートはたくさん打てど、焦ってゴールマウスの枠から大きくはみ出し、事なきを得ます。逆に、日本は前半20分、右CKからCB植田が相手選手に競り勝ち、ゴールマウスの左上隅にヘディングシュートを鮮やかに決めて貴重な追加点を奪います。ちなみに、植田は中学生時代はテコンドーで全国大会出場経験があり、本格的なサッカー歴はまだ3年だそうです。しかも、長身と高い身体能力を見込まれて、FWからCBに転向しました(もう1人のCBの岩波も同様にFW出身です)。さすがに、選手を入れ替えた影響でパスミスこそ少し目立ちましたが、ボールを奪われても複数の選手が囲い込んで素早く奪い返しにいくなど、統率が取れた組織的な守備でピンチを未然に防ぎます。更に、高い技術と運動量を駆使し、チームの連動性にも長けており、試合を優位に進めました。前半はシュート数こそ3対10と下回りましたが、ボール支配率では日本がアルゼンチンを上回りました。日本はこのまま2-0と望外のリードを奪って前半を折り返します。
後半も同様に、個人技を前面に繰り出すアルゼンチンに、日本が組織力で対抗する展開が続きます。ただ、日本の堅い守備を崩せないアルゼンチンは次第に苛立ち始めます。そして、後半23分、アルゼンチンは日本選手との接触したシーンの際に、ラフプレーで一発退場処分を喰らいます。完全に気落ちしたアルゼンチンは守備で緩慢なプレーを繰り返し、そこを日本が付け込みます。急いでリスタートした日本はカウンターから後半途中に投入されたFW鈴木武蔵が左サイドを突破し、中央の秋野央樹へグラウンダーのセンタリング。秋野のシュートは一度は相手GKに阻まれるが、こぼれ球を再度詰め込んだ秋野が蹴り込み、決定的な3点目を奪いました。その後、ロングシュートを決められて1失点を許すも、日本が3-1でアルゼンチンに快勝し、史上初めて同一大会で2勝を挙げました。更には、同時刻で行われていたフランスvsジャマイカ戦が1-1で引き分けに終わった為、日本が勝ち点でフランスを上回り、大会前の予想を覆す1次リーグ首位通過に成功しました。
日本は主力選手を温存し、代わりに出場した選手が活躍した上での勝利なのだから、吉武博文監督の選手起用や采配は本当に見事です。日本のこの世代は、高校受験によるブランクや実戦経験の不足、更には体格や身体能力で外国選手に劣ることもあり、非常に苦手にしております。決勝トーナメントに進出するのは、1993年に地元日本で開催された大会以来、実に18年ぶりです(なお、当時は16チーム参加の大会)。しかも、国外開催の大会では初めてなので、まさに快挙です。試合終了の時点では、まだアルゼンチンの成績は確定してませんでしたが、殆どの選手が人目も憚らずにユニフォームで顔を拭って号泣していたのがとても印象的でした(なお、その後アルゼンチンは、1次リーグ3位チームの中で成績上位4チーム以内が確定)。最終的にシュート数は9対22と下回り、ボール支配率は50%同士でしたが、試合中に日本のパスが繋がる度に地元メキシコの観客から「オーレ」と何度も連呼されていたのは、それだけ日本がパスワークで魅了した証しなので、とても誇らしい気分でした。決勝トーナメントでは1試合でも多く戦って、貴重な経験を積んでほしいです。
余談ですが、「U-17世界選手権」の旧称だった18年前の大会の日本代表には、後にW杯に出場する選手が4人おります。松田直樹、宮本恒靖、戸田和幸、そして中田英寿です。ただ、当時韮崎高校2年生だった18年前の中田はそれほど有名ではなかったです。最も期待されていたのは、絶対的な司令塔だった読売ユース所属の天才MF財前宣之です。以前にも書きましたが、当時は中田よりも、大会ベストイレブンに選出された財前の方が高く評価され、遥かに有名でした。ちなみに、この大会はスローインの代わりに「キックイン」が試験導入されました。このルールは「オフサイドが無い間接FK」という扱いなので、正確なキックに定評のあった財前がプレースキッカーを担当し、国見高校1年だった193cmの長身FW船越優蔵の頭に目掛けてロングボールを蹴り込んで、こぼれ球を狙う泥臭い戦術でした。こぼれ球を拾う役割だったのが中田でした。なお、当時の代表監督が国見高校監督の小嶺忠敏で、コーチが読売ユースのコーチの小見幸隆でした。今大会は、吉武監督は大分県出身の指導者で、コーチの菊原志郎は読売クラブ出身です。18年前と同じ「九州の指導者&読売クラブ出身者」の組み合わせなので、まさに奇遇ですね。
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☆「キックイン」が試験導入された大会でもあったU-17世界選手権日本大会の1次リーグ初戦のガーナ戦
(1993年8月21日 @国立競技場)
破るなど昨年までは考えられなかったのですけどね。
しかも‘勝たないといけない’アルゼンチンなのに対し日本は主力メンバーを休ませながらの戦いでしたから‘引き分けでも’と思っていたら3-1、それも一時は3-0ですから完勝といってもいいでしょう。
これでNZに勝ってベスト8でブラジルと戦って欲しいですよね。
勝てば最高だし負けても素晴らしい経験ができると思います。
93年は予選なしでキックインというルールの下での試合でしたから今回のような予選をしっかり突破して1位通過というのは本当に凄いことですよね。
ここ2年近くのアルゼンチンの若年層の代表チームは、2009年のU-20W杯と来年のロンドン五輪の出場を逃すなど、かつての栄光に陰りが見えてます。
しかし、それでも腐っても鯛なので、公式戦で彼らに勝つのは容易ではないです。
たしかに、相手GKが酷過ぎましたけど、それを差し引いても、自分達のやり方を貫いて結果を出したのだから、評価できますね。
しかも、日本は1次リーグ3試合で、控えGKを除いて全員出場させたのだから、とてもよい経験になりました。
近年の日本は育成年代で結果を出せなかったのは、やはり指導者の存在だと痛感させられますね。
ちなみに、18年前の小嶺監督は、当時FWだった松田直樹をDFに転向させました。
今回健闘が光る2人の長身CBは、あの時の松田のように、これからも順調に成長して日本の守りを支える存在になってほしいですね。
いつも、この手の記事では、古い映像もよく探してくるなぁ、と感心していましたが、今回は、個人的に非常に嬉しかったです。
それは、17歳の中田に会えたからです。
おかげで、最初に何をコメントしようと思っていたか、忘れてしまいました。
それ位、嬉しかったです。
今回のU-17は、本当に素晴らしい結果を残してくれましたね。
このように、日本の若者が、伸び伸びと自分の実力を発揮しているところを見るのは、それが何であっても、嬉しいものです。
そうできるベースを支えていける大人でいたいなぁ、と思いました。
過去の映像に関しては、youtubeにアップして下さる方に本当に感謝ですね。
18年前の大会では、日本は準々決勝で優勝したナイジェリアに1-2と敗れますが、中田はその試合でヘディングで得点を決めてます。
この試合の映像は見つかりませんでした(泣)。
ちなみに、各年代別の世界大会での中田は、どのチームでも最年少選手だったせいなのか、それほど目立つ存在ではなかったです。
(ただし、年代別の世界大会に全て飛び級で参加したのは本当に凄いです)。
常に、どのチームにも中田よりも際立った存在の選手が君臨しており、その選手の背中を追いかけるような存在でした。
しかし、このU-17世界選手権の4年後には、中田は日本をW杯に導く絶対的な司令塔として君臨することになります。
つまり、育成年代の選手は、大舞台での経験をきっかけに、意外な選手が突如才能を開花させることがあります。
今回の日本代表選手は際立った存在はおりませんが、あの時の中田のように数年後に日本を支える存在となって、海外でも活躍する可能性も秘めております。
それだけに、日本サッカー界は彼らを今後どのように育てるのかが、本当に問われますね。