「それがしも!」「それがしも!」
って、前にも見たことのある光景です。
一人一人の戦は、出陣の前に既に始まっている。
関が原の合戦前、小山評定での出来事でした。
千代から受け取った未開封の三成からの弾劾状を、一豊は家康に差し出すことで、家康への強い忠誠心を示す。
そこには千代の文も添えられていた。
いざと言う時は、大阪で自刃する覚悟でいるということ。
家康が陣を構えていた下野・小山にて軍議が開かれる、その前の晩。
迷っているのは一豊だけではなかった。
もっと前から徳川に付いていた福島でさえ、亡き太閤殿下のことを思うとどうする事がいいのか分からなくなってきた、と。
三成は憎いが、徳川も分からない・・・。
考えすぎて、かなり頭に血が上っている様子です。
一豊も年の功、って言うんでしょうか。
気の利いたことを言う様になりましたね。
誰のために戦をするのか?と。
天下が再び乱れぬために、家臣や領民のために戦をするのだと。
秀頼君のためとか、三成のためとか、家康のためとか、そういう選択ではなく、ということですね。
隠居した父の変わりに来ていた堀尾忠氏は、父から言われていた。
浜松の城を全て差し出し、身も心も徳川に捧げるようにと。
ただ、戦が終わった時、帰るところがなくなることを思うと、心を決めかねている、と一豊に相談するのだった。
凄い決意だな~と、一豊は堀尾の思いに感動する。
そう言えば、千代もそんな様なこと言ってたっけ・・・って、そんなつぶやき、この年になって、人に聞かれない方がいいですよ。
一方の大阪の三成、細川家のガラシャのように、人質になるより自刃を選ぶものが続けば、徳川に付く者たちの結束が固まってしまう、と、その作戦は中止に。
秀頼君の下に、毛利、宇喜多、島津、長宗我部の軍が集まり、総勢10万、徳川の7万5千を超えていた。
秀頼君と淀殿にお目通りする、三成と毛利ら。
正義は必ず勝つの三成の言葉に、久々に見た淀殿の笑顔。
小山評定。
軍議、と言いつつ、徳川に忠誠を誓う場のようにも見えました。
もしもの場合は妻子たちがどうなっても覚悟は出来てるとか、それから、徳川のために我が城、領地を一切合財差し出すと。
一番に言い出したのは、なんと一豊。
その後に続いて、堀尾が、そして次々と
「それがしも!」
「それがしも!!」
が始まる。
一豊、堀尾の一大決心の案をパクったね?
後で、謝ってたから許すけど。
忠氏も言い出せずに躊躇っていたから、その後押しをしたとも思えるけれど。
それにしても、ここぞと言う時を逃さず上手く使えるようになってきた一豊。
それから、戦に向けての家臣たちへの態度などにも、成長したな~って、ついつい感動してしまう場面多々有りでした。
成長もしますわね。
もう50代ですよね?
家康が大勢の前で、信長様の頃より数々の戦をしてきたお方、って持ち上げてくれたのだって、事実だもの。
その、信長様に仕えし頃から、秀吉様と共に戦ってきた時、そして今までに、負け戦はたった一度だけ。
それは自分が強かったのではなくて、仕えた主が強かったからと。
ただ、その主を選んできたと言う運の強さは自分にある、と。
家運を開き、運を信じて、今やるべきことはただ一つ。
家康を勝たせること!と。
家臣一人一人の名前を呼び上げ(これこれ、これが嬉しいんですよね)、士気を高めようとする一豊の表情が、とても凛々しかったですね。
・・・ああ、これなら、信長役も大丈夫、と、これは余談でした。
吉兵衛が死の直前に言っていた「上手の大将の振り」を思い出しました。
ところで、武将たちの兜の飾りが随分派手で過激なデザインでしたね。
前からあんなでしたっけ?
あの時代の流行でしょうか。
一豊のは神主の持つあれ(名前なんでしょう・・・)のデザインのようでしたね。
千代が出家?と思いきや、変装ですね。
後ろにはボディーガードの六平太僧侶が。
高台院に会いにやってきました。
ちょうどそこに秀吉の養子だった小早川秀秋が現れて、迷いつつも三成に付こうとしているようでした。
豊臣のことを思うなら、家康に付くように、と言う高台院。
三成が守ろうとしている「秀頼君あっての豊臣」は、高台院にとって、秀吉と二人で作り上げた豊臣家ではないんですね。
三成は剃刀であって、斧や鉈ではない、と高台院。
その三成は、相変わらずの優等生振りです。
夜襲は正義の戦の名を汚す、軍議中に島津の案を退けます。
でも、それを言うなら、あの人質作戦はどうなの??
同席していた宇喜多が、後から三成に忠告するんです。
真っ直ぐすぎる、と。
自分の曲がった所を言われたようで、皆お前が憎くなるんだ、と。
正しきことは必ず勝つ、と三成。
それが本当なら、戦なんて起こらないんだ、と宇喜多。
これこそ真実ですね。
木曽川を挟んで、大垣と清洲に構える両陣営。
いよいよ関が原です。
これまた余談ですが・・・。
かつて、小山に住んでいた事がありまして、歴史のことを思いながら住んでいたなんてことは全くなく、ただ、今日「陣内評定餅」と言うお菓子があったな~、ということを思い出しました。
評定跡地は・・・市役所あたりだったのかしら?と記憶を辿ったりもしました。
あのお菓子には、こんな歴史的物語があったのだと、新たな発見でもありました。
「功名が辻」公式HP
なぜそこで一豊のところに来るのかは謎ですが。
武将たちの兜の飾りがやたら大きかったのは
私も気になりました。しかもこれから出陣する
わけでもないのに、頭にかぶってるし。
みなさん来週もあれを被るんでしょうか…?
いつもありがとうございます。
一豊さんの“言ったもん勝ち”でしたね。
いくらいい案を出してもその場で
臆していえないのではダメね。
忠氏は父上になんて報告したんでしょ。
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/bluestar1719/diary/200610290002/ba6bf/
>正しきことは必ず勝つ、と三成。
それが本当なら、戦なんて起こらないんだ、と宇喜多。
そうですよね。
この場面、大事な場面でした。
宇喜田秀家を演じていらっしゃったのが、私の好きな安田顕さんという役者さんで。
「きゃー!安田さんかっこいいー!」と思いながら見ていました(笑)
一豊が信長に…(笑)
「役を入れ替えただけじゃんか!」と思ったのは私だけじゃないはずw
あまり接点がないように思うのですが。
ず~っとず~っと迷った挙句、徳川の所に来た人だから、と言う風に捉えておこうかな?と思っています。
決して主役特権などとは・・・
福島がキレて何かぶっちゃけていた所が可笑しかったですね。
あの派手な兜たちは何?
気になってしょうがないんですけど。
本人たち真剣なんでしょうけど、あの場面だけ漫画チックに見えましたよ。
だから臆してしまったんですね。
パクリとは言え、先頭きって言えるようになっただけ、一豊の今までの経験も決して無駄ではない、と感じました。
成長されたものですね。
なんて言っては失礼な年齢だと言うことも事実ですね。
堀尾家は親子揃って、穏やかな性格なのかな。
胸のうちはともかく、父上もきっと怒ったりしないでしょうね。
問題は母上かも?
だから見とれて台詞をしっかり聞いていられなかったと・・・。こらっ
あ~いえいえ、そういうことは、私も多々ありますので。
この宇喜多と言う文字を入力する時、すんなり変換できないので面倒です。
上川さんが信長やってるところ見ても、なんだかおかしな気分でしょうね~。
康豊と同様、一豊という役が結構印象深くなっちゃって。
光秀もあの人なんでしょ?
いよいよ一豊の決心も決まりましたね。(千代に後押しされて)迷いに迷うけど、一度決ったら潔い一豊。
堀尾のセリフを評定の場で一豊が先に言ってしまって家康の心証をかなり良くしましたが、そのあと、あやまる一豊に対して、堀尾の息子が言った台詞。
「評定の場から既に一人ひとりの戦は始まっているのだということがよく分かりました。」
これ、現在生きている私たちにも当てはまる言葉ではないかなと思った次第です。
あ、それと、「三成は正しすぎる・・・その正しさが周りの人の憎しみを生む・・・」これも味わい深い言葉でございました。
小山評定での「それがしも!」「それがしも!」は、家康が現在のワンマン社長に見えてきました。戦国大名とはいえ、現代のサラリーマンのような所はある気はします。
三成を聖人君子のように描くのは、人質作戦は確かに矛盾しますね。最も途中でやめてはいますが、三成は秀頼の忠誠という正義一本槍になっていて、手段を選ばない家康とは対称的に思えます。
このドラマを見ていると、現代のサラリーマンたちの社会での図式と、当てはめて考えることのできる事柄が多い気がします。
勿論今は命の取り合いまではないけれど。
現場に立つ前から常に心せよ。
それから、遊び心もほどほどに。
キャパシティーを広く持とう。
あ、かたかな言葉を使うと、蝉マルさんにコトバ探検されそうだ~。
それにしても、秀吉に対してもこんな場面ありましたね。
彼らの本心はどうなんだろう、って、ついつい思ってしまいます。
特に今回は城や領地を明け渡す、なんて、忠氏が心配していたように、自分のものが全て無になる覚悟が必要でしょう?
内心、やばいことになった、って思っている人もいたのじゃないかな~。
特に後の方で言った人・・・。