
GR DIGITAL III
言葉は、時間を超えて思想や事実を残す力がある。
それは「記録」するという機能なのだろうけど、
もちろん、「記録」されたものが事実かどうか、
分かるわけではないし、
言葉は受け取る人次第でその意味が変わってくる。
広島に投下された原子爆弾について、
その光や匂いや肌感覚を実際に体験した人の数は減り、
その人たちが記した「記録」のみが残ることとなる。
そうやって記憶は新陳代謝を繰り返し、
ただの「記録」になるのだけれど、
「記録」になり果てた記憶は、どこまで僕らに
その事実を訴えかけることが出来るのか。
そんなことを考えると、事実なんてものは
やはり意味なんて無くて、事実と思われるものを
どう切り取るかが重要になってくるのだろう。
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