岩波文庫の『方法序説』著・デカルトを読んでいると、セブンイレブンを立ち上げた鈴木敏文が言っていることと驚くほど酷似していることに気づく。
「古い基盤の上だけに建設し、若い頃に信じ込まれた諸原理にだけ、それが真か胴かも確かめずに依拠するのではなく、それまで受け入れ信じてきた諸見解すべてにたいしては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ」
このデカルトの言葉は、鈴木敏文がイトーヨーカドーを立て直そうと過去に築き上げてきた総合スーパーのイメージを取り払い、例えば3万円のジーンズを店頭に並べ、ファッションの拠点になるような新しいイトーヨーカドーを創出する姿勢に他ならない。
1637年に書かれた書物の言葉が2005年の今日まで生きていることに驚くと同時に、人間の真理というものは相も変わらず同じところを堂々巡りしていることにうんざりする。
科学は進歩する。それは対象がモノであり、積み重ねによって進化し続けるからだ。
形而上学的なものに触れることは出来ない。形に残すことも出来ない。
言葉に残すことはできても、言葉が言葉であり続ける限り、それは対象の一片を切り取ったに過ぎず、言葉に表した瞬間に「そのもの」は「そのものの一部(あるいは一面)」になってしまう(この辺に件は玄侑宗久の「禅的生活」ちくま新書を参照)。
村上春樹の「東京忌憚集(新潮社)」では、言葉はそれだけでは機能しない。介するものがあって初めて言葉になると言っていたが、それはさておき形而上学が進歩しない理由は、やっぱりよく分からないが、それが個人に帰するからかもしれない。
話がはちゃめちゃになってきました。昔の文章みたいです。
そんな感じで、正直しんどい。