ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

だての人名録 〔4〕

2016-05-06 22:01:54 | 北の湘南・伊達
 終の棲家である伊達で出会った人々とのエピソード。
その第4話である。


  8 来年まで生きてたら

 雪解けと共に、山も野も道端も花壇も、
その木や草花が、芽吹きの時を迎えている。

 今年も、最初に私が足を止めたのは、
ご近所さんの、日当たりのいい庭先に咲いた、クロッカスだ。
 その日、すべての景色が水墨画だった冬の伊達に、
待ち望んだ色が戻ってきた。

 つまり、冬からの目覚めの日である。
これから、全ての生命が彩りの時を迎える。
その『初めの一歩』が来た。

 私は、思わず「春だ。」と、
青や黄、紫の小さな花に、今年も心動かされた。

 クロッカスが咲いた日を境に、
周りは、木や草花に加えて、
小鳥たちも、エゾリスやキタキツネまでもが、活気づくのだ。

 もうすぐ、新緑の時がくる。
続いて、強い日差しに覆われた深い緑色。
そして、いつの間にか10月下旬。
あの唐松が、柔らかな橙色に山裾を染める日まで、
その折々の素敵な色に、街は覆われていく。

 北国は、いま早春。
海に面したこの街は、それを囲むように広がる丘陵の畑で、
盛んに、春野菜の作付けが行われている。

 掘り起こされ、柔らかく整えられた土色の畑に、
キャベツやブロッコリーの新芽が、
凜とした立ち姿で並んでいる。
 そう、まもなくアスパラも芽を出す。

 そんな春の畑を横目に、
のんびりと散歩を楽しむ私だが、
ふと、昨年の夏、
立ち話をした農家の主人を思い出した。

 その方は、農作業用一輪車を押し、
これから畑仕事と言った格好で進んできた。
 私は、真夏の朝、散歩の途中だった。
一輪車に積まれた沢山の野菜の苗に、目が止まった。

 若干腰をかがめ、
頭を真っ白なタオルでおおった小柄なお年寄り。
 そして何よりも、ゆったりとした足取りが、
私に親しみを伝えてくれた。

 「何の苗ですか。」
とっさに尋ねてしまった。
 とうとう私も伊達の人になったようで、
挨拶も自己紹介も省略し、初対面の方に話しかけた。

 「これか、ブロッコリーさ。200個はあるかな。」
「これから、植えるんですか。」
「そうさ。だいたい3ヶ月で収穫できる。
まあ、10月には出荷だな。小遣い銭稼ぎだ。」
「畑は、どちらに。」
「そこ。そのコスモスとひまわりのむこう。」

 立ち話をしている横には、
沢山のコスモスが間もなく開花の時を迎えようとしていた。
 その奥には、満開のひまわりが、これまた一面を覆っていた。

 「このコスモスとひまわりは。」
「俺が、植えたんだ。でも、失敗だ。」
私は、腑に落ちない顔をした。

 「畑と同じ肥やしを入れたんだ。
コスモスが大きくなりすぎた。
これじゃ、ひまわりが見えないもんな。」

 確かに、その通りだった。
でも、見事な眺めだった。
 「そうは言っても、素晴らしいお花畑ですね。
去年もその前の年も、楽しませてもらっていました。」
「そうかい。あっちにあるガーベラとコスモスも、
俺がやってるんだ。」
 「エッ、あのお花畑もですか。」

 例年、秋口になるのを、
楽しみにしているお花畑である。
 見事なまでに色鮮やかなガーベラとコスモスが、
数百坪の畑に咲き乱れるのである。

 「毎年、あの花畑には感激してます。
タダで見せてもらって、申し訳ないくらいです。
こんな機会ですが、本当にありがとうございます。」
 とっさには、うまい言葉が出てこなかったが、
精一杯のお礼を伝えた。

 「そうかい。もう88になるけど、
じゃ、来年もがんばるわ。」
「ありがとうございます。」

 笑顔で、頭をさげ、歩き始めた私。
農家さんも、再び一輪車を押して、畑へ向かった。
 ちょっとの時間が過ぎ、距離があいた。

 「あのさ、来年まで生きてたら、やるから。」
「エッ。」
 立ち止まってふりかえり、言葉を探している私に、
「そう言うこと。」
 後ろ姿がゆっくりと遠ざかっていった。

 今春、その2つのお花畑は、
すでに、柔らかく掘り起こされている。
 


  9 この花の名は

 住まいから徒歩5分の所に、私のお気に入りはある。
1年を通して週に数回は、その場所を散策している。

 早朝も、真昼も、夕暮れ時もいい。
そこは、その時々の自然の素晴らしさを、
いつも私に気づかせてくれる。

 そこは、小川に沿って、
高い木々に囲まれた散策路が、1,3キロほど続いている。
『水車アヤメ川自然公園』と呼ばれている。

 冒頭だが、若干話題がそれる。
 30数年前、市はこのアヤメ川に、
コンクリート3面張りの護岸改善工事を始めた。
 まだ、自然と調和した街づくりなどが、
強調されていない時代だった。

 ところが、市民の有志がこの工事に異議を唱え、
中止を求めて、立ち上がった。
 多くの署名が集まり、市はそれを受け、英断を下した。
工事は数十メートル実施して、取り止めとなった。

 その後、多くの市民が参加し、
当時の国鉄から枕木を無料で譲り受けるなどして、
散策路を作った。

 移住してすぐ、私は、この自然公園の素晴らしさを、
ご近所のお年寄りに熱く語った。
 「まるで、街中のオアシスです。」

 すると、その方は、急にタオルで目頭を抑え、
「そう言って頂き、30年ぶりに報われました。」
と細い声で呟いた。

 一市民として、休みの日には、
せっせと散策路づくりに参加したのだそうだ。
「そうでしたか。」
もっとご苦労に感謝を伝えたかった。
うまい言葉が見つからなかった。

 さて、本題に戻る。
3月の下旬の昼下がりのことだ。
 雪がすっかり消えたその散策路に、
早春を探しにカメラ片手に出かけた。

 現職の頃、草花への興味など皆無だった私である。
野草の名などについては、
胸を張って「無学」と言い切れた。
 それでも、日々伊達の自然に触れ、
草花にも野鳥にも目が行くようになった。

 だから、この日も、誰もが知っている黄色い福寿草以外にも、
レンズを向けた。
 足下に、真っ白な小さな花たちが、
春の淡い光りを受けて咲いていた。

 勇んでシャッターを切ったものの、
その花の名は、当然分からなかった。
 それでも、私は早春の息吹を感じ、浮き浮きしていた。

 アヤメ川は、春の小川らしく
さらさらと澄んだ水音を奏て、流れていた。

 気配を感じ、前方を見ると、
同じ年格好の男女が、カメラにメモ用のファイル板を抱え、
足下の草たちをながめながら、
ゆっくりゆっくりと歩を進めていた。

 私は、二人の横を足早に追い越しながら、
その様子をしっかりとうかがった。
 明らかに、早春の植物観察をしていることが分かった。

 意を決し、振り向いた。
「散策中、申し訳ありません。
全く無学なので、花の名前が分かりません。
今、そこで撮影したのですが、
名前が教えてください。」

 お二人は、すぐに私のカメラをのぞき込んでくれた。
「これは、キクザキイチゲですね。
ほら、ここにも咲いています。」
 足下に、咲き始めたばかりの同じ花があった。

 「花の形が、菊に似てるからキグザキと言うらしいですよ。」
そう言い終わるのを待っていたかのように、今度は女性が、
「その横にある黄色の花は、キバナノアマナです。
もしかすると、甘い草なのでアマナと言うのかも。」

 すかざず、次は男性。
「これこれ、これはアズマイチゲ。
さっきのより、花びらも葉も丸みがあるでしょ。」

 もう、私には弱音をはくしかなかった。
「すみません。最初の花の名前はなんでしたか。」
「キクザキイチゲ。」
「そうでした。どうも覚えが悪くて。」
「漢字で覚えるといいですよ。
イチゲは、数字の一に中華の華と書きます。」
「そうですか。覚えられそうです。」

 お礼もそこそこに、その場を後にした私は、
その後、何も目に入らず、
「キグザキイチゲ、アズマイチゲ、キバナノアマナ」
と呟き呟き、帰宅した。

 わずか3つ、早春の花の名を覚えた。
それだけなのに、散策路を訪ねる楽しみが増した。

 出会った、あの親切なお二人に、もう一度お礼が言いたい。





 ジューンベリーの小さな花・今日、満開を迎えた

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