旅するくも

『旅が旅であることを終わらせる為の記録』

虹の戦士

2012-07-20 21:58:01 | 物語
レラニー・フラー・ストーンが幼いころに祖母から聞かされた話の要約

虹の戦士たちは太古から残されたさまざまなメッセージを広め、すべての地球の
人たちに 「グレイト・スピリットの道の上での生き方」を教えることになる。
今の世界がどのくらいグレイト・スピリットの道から背いてしまっているかを諭し、
そのことによって「地球が病んでしまっている理由」を伝えてゆくだろう。
虹の戦士はまた、この時代を超えて存在し続けているもの
(これもまたグレイト・スピリットと呼ぶべきもの)がいかに「愛」と「理解」に
あふれているかを見せて、どうすれば母なる地球をもう一度美しくできるかを教えて
まわるだろう。
虹の戦士は人びとにこの世界を正しく歩んでゆくための「法」もしくは「原則」を
与えることになる。そしてそれらの「法」も「原則」も太古の部族から伝えられて
きたものであるだろう。
虹の戦士は人びとに、太古から伝えられた「みなをつなげる」「愛しあう」「理解しあう」
ための技を広め、地球のあらゆる地域の人たちに分け隔てなく調和を広めてゆくだろう。

太古の部族の人たちがそうであったように、虹の戦士は人びとに山の清流のような、
そしていくつもの流れを集めて生命の大きな海に注ぐ大河のような、つきることのない愛と
ともにグレイト・スピリットにむかっての祈り方を教えてゆく。
虹の戦士はたとえひとりでいても、大勢が参加する会議の中にいても、等しく喜びを
感じることができるだろう。狭量な嫉妬から心は解き放たれていて、肌の色や人種や宗教を
問わずすべてのヒトを愛するだろう。
虹の戦士は自らのハートに幸福が入り込むのを感じるとき、すべてのいのちとひとつに
なることができる。
その心はどこまでも清らかで、ヒトと自然とグレイト・スピリットに対する暖かさと理解と
尊敬とを放射しているだろう。
虹の戦士は自分の頭とハートと魂と行為とを汚れのない思考で満たしている。
彼らは命を支配するもの、グレイト・スピリットそのものの美しさを探し求め、祈りと
ひとりであることの中に、力と美とを見つけることになるだろう。

虹の戦士の子供たちはもう一度、自然と母なる地球の宝を堪能しながら、自由に走りまわることが
できるようになるだろう。
欲やそれに突き動かされた行為によって、肉体を汚されたり、命を失うような恐れからも
解放されるだろう。
川の水も再び清らかに流れゆくようになり、森は豊かで美しいものに姿を変えて、たくさんの魚や
動物や鳥たちが帰ってくることだろう。
植物や動物たちが持っている力が再び敬われるようになり、すべての美しきものたちの保全こそが、
人間の生きるべき道となるだろう。

貧しい者や、病んでいる者、生活に困っている者には、地球に生きる兄弟姉妹たちが庇護を
与えることになるだろう。
そうした行いは虹の戦士たちの日々の暮らしの一部になることだろう。

ひとびとは自分たちの指導者を、政党や、偉そうだからとか、声が大きいからとか、
大きなほらを吹くからとか、何度も連呼をしているからとか、罵りあうからという理由ではなく、
その人間がいかなる行いをしているかを判断する太古からのやり方で選ぶようになるだろう。
愛と知恵と勇気を行いで示して見せた者、すべての良き人たちのためになるつとめをなしてきて、
これからもそれができるだろう人物が、指導者やチーフとして選ばれることになるだろう。
その人たちは「人間の質」によって選ばれるのであり、彼らが稼いだ金の総量によって選ばれる
ことはなくなるだろう。
思慮深く献身的だった遠い昔のチーフたちのように、彼らは愛によって人びとを理解し、子供たちが
周囲の者たちの愛と知恵によって教育されているかどうか見るだろう。
彼らはいくつもの奇跡によってこの世界の病が癒され、健康と美が回復されることをひとびとに見せることになる。

「虹の戦士」のやらなくてはならないことはかくも多くすべてが偉大なものである。
越えていかなくてはならない無知の山はとてつもなく高くそびえ、偏見と憎しみとを見つけることに
なるかもしれない。
虹の戦士はハートを強く持ち、一途に道を進み、くじけてはならない。
もう一度母なる地球に美しさと豊かさを回復させるための道の上で、彼らは同じように強い意志を
持った心と頭の持ち主たちを見つけることになるだろう。

その日は近い将来必ず訪れる。
そのとき、まさしく虹の戦士たちが存在してくれたおかげで、すべての部族の人たちが自分たちの
文化的な遺産を保ち続けられたことが明らかになるだろう。
儀式や、物語や、伝説や、神話を生かし続けている者たちの声に耳を傾けよ。
その声の中に、まさにそこにこそ、彼らが守護してきた「知」が存在する。
それによってわれわれはもう一度、自然と、母なる地球と、人類とが調和するところへ帰還することが
できるだろう。
まさしく「わたしたちの生存の鍵」は、その「知」の中に見つけることができる。

by Kitayama "Smiling Cloud" Kohei 
http://native.way-nifty.com/native_heart/2005/01/post_10.html

地球の上に生きる人の目で世界をみる

2012-06-06 21:06:11 | 物語
8年もかかってしまったけど、学んできたものをようやく言葉に
できるのではないかと思い、4ヶ月前から話をしたいと思っていた。
そんな僕のわがままをいつもお世話になっている喫茶店に聞いてもらい、
6月30日に話をさせてもらえることになった。

テーマは柔らかいが、話す内容はガチのインディアントークだ。
100回話をするなら、100回とも同じ。
そんな話ができたらと思う。


最南端編集部編集長 お話会
『地球の上に生きる人の目で世界をみる 』


カフェ・チャールストン
18:30~20:30
定員:8名さま
参加費:1ドリンクオーダーをお願いします。
これを読んでいるあなたが万が一、来られる場合は僕か
チャールストンに一声かけてもらえると助かります。

Cafe チャールストン
http://charleston.eshizuoka.jp/e907960.html

僕へのメール
nativebeatjapan8yahoo.co.jp 8を@に変えて送信してください。

イロコイ六連邦

2012-05-23 21:41:03 | 物語
アメリカ、ニューヨークの北にカユーガ族、モホーク族、
オナイダ族、オノンダーガ族、セネカ族。
後に加わったタスカローラ族を合わせてイロコイ六連邦という
アメリカ政府が簡単には入ることができない独立自治領、
いわば国がある。

デニス・バンクスがウンデッドニー後にテロリストとして
アメリカ政府に追われ日本山妙法寺の安田純さんと逃げ込んだ
場所がイロコイ六連邦である。

アメリカ政府は認めないがアメリカの民主主義のもとになったものは
古代ギリシャのシステムではなく、イロコイの当時まだ5連邦だった
時代の5つの部族どうしの関係、決め方が元になっている。
このまえ台湾の原住民でも共通のものがあったことは興味深かった。

何かを決めるには各部族の代表(男性)の意見が全員一致で
あるということが条件である。
台湾とイロコイではここまでは共通であると言えると思うが、
イロコイ六連邦の面白いのは、その男性が決めたものに「NO」
と言えるクランマザーという女性が存在することだ。
アメリカで起こった女性復権運動もイロコイ六連邦の女性の扱われ方が
きっかけになったものである。

この日本の民主主義のようなものの男性的な部分が崩壊している状態で、
必要なのはクラン・マザー……女性的な部分であろう。

あなたが女性であるのなら嫌なものに対して理屈抜きで『NO!』と
言えばいい。




僕はUAと言葉を交わしたことはないが、5年くらい前に同じ日の
同じ場所で祈ったことがある。
北山耕平氏が「特別な女性」と呼んだ女性のひとりである。

新しい心の時代

2012-04-26 21:30:15 | 物語

北太平洋のロシア沖で4月、全身が白いシャチの成体が目撃された。

nationalgeographicニュースより
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20120426003&expand#title

1994年に北アメリカの白いバッファローに始まり、世界各地で
白い生き物が発見されている。
ラコタにとってそれは
「地球がひとつになる新しい心の時代を告げるもの」
とされる。
その時代とは母なる地球という視点では癒しの時であり、人類にとっては
試練、警告ともいえるだろう。

つながり

2012-04-05 20:28:42 | 物語
「 環境省は4日、新潟県佐渡島で野生復帰を目指して放鳥した
国の特別天然記念物トキのペア1組が抱卵を中止したと発表した。

巣の下の地面から卵の殻が回収されており、同省は暴風の影響で
卵が落下した可能性が高いとしている。
抱卵中止は今季2例目。
現時点で抱卵が確認されているペアは5組となっている。 」
ーJijicom より

いちど失った地球との繋がりを取り戻すことは、やはり簡単ではない。

短い話

2012-01-15 14:05:51 | 物語
『日本にいんのか?』

『ああ、台湾に行って台湾のネイティブの人たちと会ってきた。』

『そいつはいいな!歩き続けろよ!』

『歩いて自分の中のネイティブ・マインドと話してんだ。』

『じゃあ、そいつに俺がアメリカから「hi!」って言ってるって伝えてくれよ』

『OK…でも、英語がわからんてさ!』

Seediq Bale 霧社事件

2012-01-14 13:19:46 | 物語




ウォークに合流してから、しばらくして台南に着いた。
台湾で注目を集め、話題になっている「Seediq Bale」という映画の存在を知った。
「Seediq Bale」とは「本当の人の意味」。
映画館に着くと、映画は前半・後半合わせて5時間。
前半を観てから続けて後半を観るか決めようと相談するが、前半終了後すぐに後半も観る事で一致した。


1930年、台湾の原住民セデック族による最大規模の抗日暴動「霧社事件」を再現した映画。
出演者は日本でもおなじみのビビアンスー(先住民の血を引く)や木村祐一、安藤 政信で
セデック族の頭首モーナ・ルダオなど重要な人物は台湾の役者が演じるが、それ以外は
みな原住民の素人が演じている。
そして、原住民どうしの会話は全て原住民の言葉が使われ、映画を観ている台湾人も
字幕でしかわからないという映画である。

映画の中に日本軍がセデック族を野蛮人と呼ぶシーンがあるが、人類学者によって
「彼らは動物と同じである」という事がいわれ、それは自分たちがどのように扱ってもかまわない
という「GOサイン」でもある。
しかし、日本軍はその野蛮人に全くとらえる事ができず、違うセデック族をお金で雇うという歴史で
おなじみのやりかたで戦うわけである。

監督は台南市出身の鍵屋の息子。
映画の構想十数年。
映画の制作費は20億円。
この20億円の制作費を作る為に監督は前作品でふざけた映画をつくり「Seediq Bale」の制作費を
稼いだそうだ。
映画収入はいまのところ15億円ほどだそうだ。

ボリビアで先住民出身で初の大統領となったエボ・モラレス大統領は映画「アバター」を絶賛して
いたが、このSeediq Baleはアバターとは次元が違う。

日本軍を非難し、かわいそうな原住民という構図の映画ではなく可能な限りありのままを伝える
ということに力が注いで映画が5時間になったと映画を観たあとダン君の解説を聞いて感じた。
そのくらい1シーンごとに意味が込められている。
霧社事件は原住民がいかにSeediq Bale「本当の人」であり続けるかという戦いであり、それは
セデック族でいう「戦士」として生き続ける事を意味する。

日本での上映は難しいとは思うけど、もし観れる機会に恵まれたら、なにがなんでも観た方がいい。


セデック族の頭首モーナ・ルダオの銅像  霧社にて



九州への道

2011-09-15 17:20:03 | 物語
九州Walk9に合流する為に九州に向かった。
ただお金を払って九州に行くのは簡単でつまらないということで、
友人に東名高速の牧の原SAまで送ってもらい日本で初めての
ヒッチハイクをすることにした。

ただ段ボールに『九州』と書いて見せていても止まってくれる気がしなかったので
直接トラックの運ちゃんに「どこまで行くんですか?」と声をかけることにした。
3時間ほどたくさん話しかけたがなかなか載せてくれる人は現れなかった。
ほとんどの人が会社から他人を乗せることを禁止していた為だったのだけれど、
みんな親切な受け答えで面白かった。

諦めかけたとき、一度断わられた陽気なオジサンが助手席に満載になった荷物を
どけて載せてくれることになった。
喜んで飛び乗る僕。
大阪まで載せてくれることになった。

大阪に着くまでのあいだ話を色々聞かせてもらったのだけれど、非常に勉強になる。

まず、ヒッチハイクをするなら牧の原か草津だということ。
そこが長距離トラックの運転手に人気があるらしく、乗用車が集まるサービスエリア
よりもパーキングエリアの方がトラックを捕まえやすいそうだ。
牧の原の場合はトラックの運転手の為の24時間のレストランがあるため、長距離
トラックが来るが、上り線は11時に店が閉まるので、11時以降はヒッチハイクで
トラックを捕まえるのは期待できない。

知らない人間を載せることを禁止している会社の見分け方は、トラックの横のライトが
純正であるのかどうかで、トラックの両側のランプが変えていないものは、載せてくれない
厳しい会社であろう。

『〇〇行き』と書いて立っていても、トラックでは止まりたくても止まれないので、
直接運転手に話しかける方が正しいと僕は褒められた。
非常に面白いトラックの車内だったのだ。
やはりお金を払ってインスタントに移動するよりも面白い。

それから大阪で万博跡地の国立民族博物館へ寄り道をして、深夜バスに乗って桜島港。

桜島を2時間ぶらついてWalk9に無事に合流した。
昨日は25キロほど歩き、僕がWalk9のブログをつくってあげたので、時々見て欲しい。
まだ僕の夏休みはまだまだつづく!

walk9 / エネシス巡礼記→ http://blog.goo.ne.jp/walk9

捨てられない

2011-09-03 23:07:26 | 物語
静岡に帰ってきて、さっきから実家の前に車を停めたまま降りられないでいる。

311以降、最初の満月。
駅に着いて家まで歩こうと橋を渡りながら、「このまま駅まで引き返して、
どこか遠くまでいこう」と考えたあの時と同じ事を考えている。

長野での2ヶ月は充実していて、学ぶ事、知りたい事、ずっと繋がっていたい人、
本当に僕にとって気持ちがいい、抱きしめたい日々だった。
「このままここで暮らすことを選べば、どんなに毎日が気持ちよくて楽しいのだろう」
と、何度も考えた。

上田の直井さんのように地域と繋った生き方。
ひかり祭りのように地域にとけ込んだ祭り。
大鹿のようにリニアの問題に対して自分の住む場所を変えられたくないと、
声を上げている人たち。
僕みたいなわけのわからない人間を受け入れてくれたキャンプ場の仲間。

いつになったら地元がそんな町になるのだろうか。
どうすればそれができるのだろうか。
あまりにも遠すぎて見えない。

どうして僕は地元にこだわってしまうのだろう。
静岡に入ってからずっと考えているのに理由が見つからない。
誰かが僕を必要としてくれてるわけでも待っているわけでもない。
でも、地元を捨てられない。

車の中はムシムシするし、とりあえず車から降りることにしようか。