![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/a7/1560f7d62ce1abfc33af8d0d58a2719d.jpg)
「奈良大OB(05M会)有志10名のミニ同窓会」
4月中旬、満開の桜花咲く甲斐路、地元出身者のOさんの案内と織田長篠の戦の研究者Nさんの解説で、山梨県の大月市・甲州市・甲府市・韮崎市を巡り、武田勝頼公終焉の地を訪ねました。(東京・千葉・埼玉・愛知・大阪・奈良・長崎と1都6県より参加)
武田家館・躑躅ヶ崎(つつじがさき)館は、武田信玄の父信虎が永正16年(1519)に石和から移し武田家三代(信玄・勝頼)の館となりました。そして武田家が滅びた後の永禄年間に現在の甲府城が出来るまで政治・文化の中心地でした。館は一辺200m四方の主郭(現在の武田神社)と周辺の郭からなりる平城形式のもので、館の南に家臣の屋敷や格子状の城下町が形成されていました。(甲府市教育委員会の解説板による)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/22/83101b9aecfc51fec6f50b2e60f2db00.jpg)
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(武田氏三代の拠点・躑躅ヶ崎館跡は現在武田神社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/83/dd877f39827bec63caf511a4ddbc7bcc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/02/5e3854a7a0c6f55254a6b5369276b359.jpg)
(武田神社大手門)
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(館北の土塁と遺構)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f7/7e5180438da4044a9d5bcc19e51c051f.jpg)
(お屋形様の散歩道)
江戸時代の甲府城は現在甲府駅の南東にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/51/ebe6131d20e13c88a4fd420800d6f298.jpg)
(天主台の残る甲府城石垣)
乾徳山景林寺(えりんじ)は臨済宗妙心寺派の名刹、元徳二年(1330)の創建で武田信玄の菩提寺。(先週4月12日終わった信玄まつりの、のぼりが立っていました。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/5a/09c00c8e7a5f86f1169d3ea14264f2d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/d8/5d666b6adf8c626758e1fd4f851e5179.jpg)
(景林寺山門)
山門に掲げられた快川(かいせん)国師の「滅却心頭火自煤涼(しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)」は有名です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/9b/15fe8a4c8ae9781d5041d84b3955c163.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/8d/5b2e6657096535ec40e074723727d6f4.jpg)
(景林寺本殿)
武田信玄は元亀四年(1573)4月12日、病のため信州・駒場の陣中で没した(53才)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ac/1e64fe7231a69caec49f1ce722181dd3.jpg)
(景林寺裏手にある武田信玄の墓)
信玄没後、長篠の合戦で信長に敗れた武田勝頼は韮崎の「新府城」に移るが、長くは続かず滅亡の坂を下り落ちるのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/da/136c4cca77ed87869beea7122dff62f2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/54/6fd6001f5f0907e43cf5aec38f4bb766.jpg)
(新府城跡)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/04/b6679948c317bfd803801e32f80a1a75.jpg)
(新府城跡より八ヶ岳を望む)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/2c/cbb505add638e02964bc1826ef57c248.jpg)
(新府城跡東南には南アルプスの雪山が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/ca/47edeee168a5efb8dee56df30bc8b3cc.jpg)
(武田家発祥の地・武田八幡宮の石鳥居と山門)
天正15年(1582)3月11日、武田勝頼終焉の地となった、甲斐大和(現甲州市)の景徳院には甲州市教育委員会文化財課担当の飯島氏(奈良大先輩)と観光ボランティアの野澤氏に案内していただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/7c/7ec8dc858adecd5a77c087967f093f5e.jpg)
(武田家終焉の地・景徳院入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/36/491bb9bf2720b94135c442e6a9e84139.jpg)
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(鎌倉五山を連想させる景徳院山門の桜は満開でした)
武田勝頼(37才)・同北条夫人(19才)・嫡男勝頼(16才)などが自決した場所に墓が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b6/20d47a05ca7d96e4123fbc3d5a982862.jpg)
(勝頼・北条夫人・信勝の墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/90/3717ffac1b8171a1daddcba739647f46.jpg)
(武田勝頼公生害石)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e4/4b711a6a0929ecf01b0bc9554392e7cf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/85/4eb5bec8ae65e214899922087f37acbf.jpg)
(教育委員会担当者の発掘状況の解説をしていただきました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/71/b59cd1d7a62697ead092134cc3b965c6.jpg)
(景徳院の奥にある武田家ゆかりの天目山栖雲寺の枝垂桜も満開でした)
大月と石和温泉の2泊3日の旅は、甲斐の猿橋・岩殿山・善光寺・石和温泉など盛りだくさんで、河口湖からの満開の桜と富士山を写真に入れて終わりました。
案内していただいた、立川市のOさん、勝頼公退去への道 をまとめていただいた新城市のNさんをはじめ皆さんにはお世話になり、甲斐武田家の滅亡の様子が良く解りました。(善さんの誕生日のお祝いまでしていただきました)ありがとうございました。
4月中旬、満開の桜花咲く甲斐路、地元出身者のOさんの案内と織田長篠の戦の研究者Nさんの解説で、山梨県の大月市・甲州市・甲府市・韮崎市を巡り、武田勝頼公終焉の地を訪ねました。(東京・千葉・埼玉・愛知・大阪・奈良・長崎と1都6県より参加)
武田家館・躑躅ヶ崎(つつじがさき)館は、武田信玄の父信虎が永正16年(1519)に石和から移し武田家三代(信玄・勝頼)の館となりました。そして武田家が滅びた後の永禄年間に現在の甲府城が出来るまで政治・文化の中心地でした。館は一辺200m四方の主郭(現在の武田神社)と周辺の郭からなりる平城形式のもので、館の南に家臣の屋敷や格子状の城下町が形成されていました。(甲府市教育委員会の解説板による)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/22/83101b9aecfc51fec6f50b2e60f2db00.jpg)
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(武田氏三代の拠点・躑躅ヶ崎館跡は現在武田神社)
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(武田神社大手門)
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(館北の土塁と遺構)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f7/7e5180438da4044a9d5bcc19e51c051f.jpg)
(お屋形様の散歩道)
江戸時代の甲府城は現在甲府駅の南東にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/51/ebe6131d20e13c88a4fd420800d6f298.jpg)
(天主台の残る甲府城石垣)
乾徳山景林寺(えりんじ)は臨済宗妙心寺派の名刹、元徳二年(1330)の創建で武田信玄の菩提寺。(先週4月12日終わった信玄まつりの、のぼりが立っていました。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/5a/09c00c8e7a5f86f1169d3ea14264f2d8.jpg)
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(景林寺山門)
山門に掲げられた快川(かいせん)国師の「滅却心頭火自煤涼(しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)」は有名です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/9b/15fe8a4c8ae9781d5041d84b3955c163.jpg)
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(景林寺本殿)
武田信玄は元亀四年(1573)4月12日、病のため信州・駒場の陣中で没した(53才)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ac/1e64fe7231a69caec49f1ce722181dd3.jpg)
(景林寺裏手にある武田信玄の墓)
信玄没後、長篠の合戦で信長に敗れた武田勝頼は韮崎の「新府城」に移るが、長くは続かず滅亡の坂を下り落ちるのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/da/136c4cca77ed87869beea7122dff62f2.jpg)
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(新府城跡)
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(新府城跡より八ヶ岳を望む)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/2c/cbb505add638e02964bc1826ef57c248.jpg)
(新府城跡東南には南アルプスの雪山が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/ca/47edeee168a5efb8dee56df30bc8b3cc.jpg)
(武田家発祥の地・武田八幡宮の石鳥居と山門)
天正15年(1582)3月11日、武田勝頼終焉の地となった、甲斐大和(現甲州市)の景徳院には甲州市教育委員会文化財課担当の飯島氏(奈良大先輩)と観光ボランティアの野澤氏に案内していただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/7c/7ec8dc858adecd5a77c087967f093f5e.jpg)
(武田家終焉の地・景徳院入口)
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(鎌倉五山を連想させる景徳院山門の桜は満開でした)
武田勝頼(37才)・同北条夫人(19才)・嫡男勝頼(16才)などが自決した場所に墓が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b6/20d47a05ca7d96e4123fbc3d5a982862.jpg)
(勝頼・北条夫人・信勝の墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/90/3717ffac1b8171a1daddcba739647f46.jpg)
(武田勝頼公生害石)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e4/4b711a6a0929ecf01b0bc9554392e7cf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/85/4eb5bec8ae65e214899922087f37acbf.jpg)
(教育委員会担当者の発掘状況の解説をしていただきました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/71/b59cd1d7a62697ead092134cc3b965c6.jpg)
(景徳院の奥にある武田家ゆかりの天目山栖雲寺の枝垂桜も満開でした)
大月と石和温泉の2泊3日の旅は、甲斐の猿橋・岩殿山・善光寺・石和温泉など盛りだくさんで、河口湖からの満開の桜と富士山を写真に入れて終わりました。
案内していただいた、立川市のOさん、勝頼公退去への道 をまとめていただいた新城市のNさんをはじめ皆さんにはお世話になり、甲斐武田家の滅亡の様子が良く解りました。(善さんの誕生日のお祝いまでしていただきました)ありがとうございました。
三日間、安全運転ありがとうございました。
天気も良く、素晴らしい仲間と素晴らしい景色、歴史と文化に触れた旅でした。
お世話になりました。
車でなければこのようには廻れませんでしたね。
お世話になりました。
来月の四国大会、皆さんによろしく!
良い思い出作りになりました。
翌日の、春日大社フォ-ラムも、有難うございました。式年遷宮に、行った気分になれました。
重ね々々感謝です。
これから、ガイドの仕事が、目白押しです。
お互いに、健康第一、ソコソコ年を考えてそれなりに、頑張りましょう!!
春のガイドボランティアが急がしそうでお疲れ様です。
こちらは帰ってから農作業、来週から3週間ぶっ続きでゴルフトーナメントが入ります。
年を考えて行動します。