アラフォー独身女の ガン体験記

病気の事 入院中の事 退院後の事 病人の日常を振り返る

残りの命は 贈り物

2010-05-28 09:28:08 | Weblog
そもそも ガン体験記を書こうと思ったのは
私にとって ガンが あまりにも衝撃的な体験で!!

とにかく 一方的に! 分かち合いたい??
という 気持ちからだった
そして もしかしたら 誰かのお役に立てるかもしれない~
なんて 淡い期待と
私を支えてくれた 多くの人々への 報告も兼ねつつ・・・ ねっ


しかし ガンの話 って 普通
ちょっと気が重い とか
暗い とか
痛々しい とか
難しい とか・・・

なんとなく 敬遠されちゃうイメージがあったもので・・・
何か ちょっと違うイメージで書けないものかなぁ
なんて 考えていた 

まぁ それで 自分の人生のテーマでもある“おもしろ おかしく”を
取り入れた ガン体験記 にしてはどうか? と思い立ち
入院中から構想を練り始め
骨髄移植後 半年が経ち
ようやく まとめることが出来ました!!

今まで 地道に 読みすすめてくださった 皆さま!!
心から お礼 申し上げます!!
ありがとうございました~!!


私は 今も 生きています!
   全身が痛い~
   足の先がしびれて感覚がない~
   すぐ疲れる~
とか 言いながら  うふふっ

生かされています!!!


はぁ~~ しかし
こうやって 改めて振り返ると
いかに 多くの人々に支えられて生かされていることかっ! 
じんわり そして ズシンと 感じることができ
ホントに 胸が 熱くなる!
そして
私も これだけの経験をしたのだから
これから 何が起きよーとも  ヨッシャ来い!! ヨッシャ来い!!と
いえる気がする


病気は 私に 大きな気づき 沢山の学び を与えてくれた・・・
同じように
苦しい事 辛い事 悲しい事・・・ にこそ!
素晴らしい気づきや学びがある事を・・・
忘れずに いたい!!



スキーの大事故で 頚椎骨折し
その後 手術 厳しいリハビリを経て
見事に社会復帰を果たした 

『命の授業』の 腰塚勇人サン

最後に
その腰塚サンが 退院する時にたてた 誓いを紹介したい・・・

  手足は 人を助ける為に使おう
  
  口は 人を励ます為に
  
  目は 人の良いところを見る為に
  
  耳は 人の話を最後まで聞く為に
  
  心は 人の痛みが分かる為に使おう 
  



感動的な この 誓い・・・
私にも 何か 出来るはず!
腰塚さんは そう 思わせてくれる存在だ


さて 多くの皆さまに つないで頂いた この命・ギフト を
これから どのように使っていけばいいのでしょう~?

可能性は 広がっていきます~!!



これにて アラフォー独身女のガン体験記 を終了します!
お時間のある方は 是非 また初めから読んでみてくださいませ~
ガンで悩んでいる方がいらっしゃれば このブログを紹介くださいませ~

  
  さあ!! 今日も いい1日に なりそうだ!!
  始めましょう~~!!

                    
                    愛と感謝を込めて・・・




老 病 死

2010-05-27 09:44:01 | Weblog
ある日 お釈迦様が遊びに出かけようと宮殿の東門をくぐって
外に出た所  一人の老人と出会った   
お釈迦様「あの者は何者だ?」
お付きの者「あなた様は若いですが それは一時的なもの・・・
           いずれあのような 本来の姿に戻っていくのです」
お釈迦様は 宮殿に戻り思索にふけった

ある日 お釈迦様が遊びに出かけようと宮殿の南門をくぐって
外に出た所  一人の病人と出会った
お釈迦様「あの者は何者だ?」
お付きの者「あなた様は健康ですが それは一時的なもの・・・
           いずれあのような 本来の姿に戻っていくのです」
お釈迦様は 宮殿に戻り思索にふけった

ある日 お釈迦様が遊びに出かけようと宮殿の西門をくぐって
外に出た所  葬式の行列に出会った
お釈迦様「あれは 何だ?」
お付きの者「あなた様は生きていますが それは一時的なもの・・・
           いずれあのような 本来の姿に戻っていくのです」
お釈迦様は 宮殿に戻り思索にふけった

ある日 お釈迦様が遊びに出かけようと宮殿の北門をくぐって
外に出た所  神々しいお坊さんに出会った
その姿を見て お釈迦様は あのような姿になろうと決意して 出家し悟りを開いたという

仏教の物語だ
この物語は 何を教えてくれているのかというと
老 病 死 は 人間が本来 自己の内側に抱えているもので
若さや 健康というものは 一時的なものに過ぎない ということらしい

現在の世の中は アンチエイジング! アンチエイジング!! と騒いでいる
抗加齢 抗老化・・・ これによって 予防医学の観点から 健康寿命を引き上げていこう!
というものらしいが
マスコミなんかで取り上げられているアンチエイジングは いかにも
老いたくない! 病気になりたくない!! 死にたくない!!!
老 病 死 なんて恥ずかしい!!
と言っているようにも見える

私は 何度も言うようだが 病気になってよかった!!派 なので
敢えて 敢えて 言う
   病気になっても いいんですよぉ~!!
   っつーか だいたいみんな 病気になりますからぁ~!!
   そして 死んでいくんですよぉ~!!!


人間は 生まれた時から 死へ向かって 老いつつある存在
と いわれている

赤ん坊だと 老いる というより
成長する と言った方が分かり易いか

確かに!! 1日1日と 死へ向かって生きている、老いている・・・のだ

36歳で病気になった時は
この若さで!?死ぬのか!?
と 嘆いたものだが 考えてみたら
もっと若くして死ぬ人もいる
20代で10代で 死ぬ人もいる
子供で 赤ん坊で 死ぬ人もいるのだ
36年間も生きさせてもらって よかった というのがホントじゃなかろーか!?

とにもかくにも
今のところ 人間は いつ死ぬかわからないが
必ず 100% 死ぬ

だからこそ 
    
    “今 この時”を大事に いきること
    “一日一生” の精神で いきること

人生の達人 先人 は そう 教えてくれる・・・


“今 この時を 生きる”
もしかしたら  
そんなの知ってるよ 聞いたことあるよ  って言われるかもしれない

けれど それを 毎日 実践してます って人には
なかなか お目にかかれない

物事の本質 根本 原理
というものは 誰しもが 簡単に理解できるもののようだ が
実践する 実践し続けるのは とてつもなく難しい
そーゆーものらしい

ってことで 実践すること!!
これに尽きる!!

そりゃ 何度も挫折するよ! 簡単なことではないものね!!
その度に 
思い 改めて 実践する
それで いいじゃないかぁ~!
それが 人間ってものじゃないかぁ~!!


もともと 自分の内側にある
   老 病 死 
なのだから・・・ 
ムリに 闘おうとしなくても いい~♪
それを 受け入れつつ よき人間 よき人生を築きたい・・・

いつ訪れるやも知れぬ
生のサイゴに
私は 精一杯生きた! って言えるように
今日 一日を生きていく・・・

アッ チョン ブリケ !!






ホントの食道楽 とは・・・

2010-05-25 10:17:24 | Weblog
もともと エンゲル係数の高い家庭に育った私は
食べる事 大好き~!! 食道楽人間だった・・・
なので 知的文化的教養的には 薄かったのであるが ねっ

若かりし時は 食べ歩きが趣味で
ガード下の飲み屋 から 高級フレンチまで
時間をみつけては 友人と出かけたものだ・・・ あ~ 懐かしい!!

幼い頃は 母が そりゃもう いろいろな料理にトライしてくれて
私たち兄妹を楽しませてくれた!
家は普通の会社員の家庭だったが
鶏がらをズンドウで煮込んだスープでラーメンを作ってくれたり
小麦粉をこねて ロールパンを焼いてくれたり
肉まんは 皮から手作りしてくれた・・・
クリスマスには 骨付き鶏のもも肉 のソテーが 生焼けで出てきたり・・
まぁ それは ご愛嬌!!
どれも これも 私にとっては 珍しくて 美味しくて・・・!

家族で囲んだ楽しい食卓の風景は 今でも 私の中に強く残っている

そんな わけで 私にとって 食 は “幸せ 楽しさ” の象徴なのだった


病気になると
食 は 必ずしも “幸・楽” ではなかったが

食は いかに 細胞を元気にしてくれるか
       身体に力を与えてくれるか
       心を満足させてくれるか
身をもって 感じることができた


食べる事は 生きる事     って 誰かが 言った

食は 日々の積み重ね
私たち人間の 生命活動を じわりじわりと
しかし 大きく 左右しかねない!!
そんな 可能性を秘めているものなのだ・・・

食を整えると その人の人格が変わっちゃったり!?
        病気もよくなっちゃったり!?

う~ん!! 侮れない!!
ただ おなか一杯に なればいい! とか
好きなモンだけ食ってりゃいい! とか
食べられもしない量を 安いんだから買っとけ! とか

そういうことでは ないのです・・・ねっ


古今東西 様々な 食餌療法・プログラム なんかがある
どのプログラムも 長い経験や研究に基づいていて
素晴らしいものであることは わかるのだが・・・

なんさま! 制約が多い!!

素材は 無農薬、有機栽培のもので・・・  ??
    そりゃ 私も それがいいけど 高いし 何処に売ってんの~?・・・

肉も魚も あまり食べない方がいい・・・  ??
    う~ん そうなんかもしれんが 野菜だけっつーのも
    なんか 物足りなくな~い?

あるプログラムでは
できるだけ 生 火を通さず 食べたがいい とあり
あるプログラムでは
できるだけ 火を通して 食べたがいい とある・・・
    ??? どっちを したらいいんだろ~??

つきつめていくと 何も食べられるものが なくなってしまいそうな気がするのは
私だけだろーか?

まぁ 落ち着いて!!
そんな中でも 共通点は必ず あるはず!!
探してみましょっ そうしましょっ

とゆーことで 見つけたのは

①旬のものを食べる
   旬の時期には やっぱり美味しいし 年間でも1番栄養価が高いのだそう
②地のものを食べる
   地産地消とは経済効果を図ったものだけではなく 生まれ育った土地でできた
    ものは 身体にもいいらしいのだ 日本人は 日本産のものを意識して
    摂ったがいいらしい

ちゅうことだった!
うん!! これなら 気負いなく 食・幸・楽 で行けそうな気がする・・・
ありがと~!!


青森の山麓で
季節ごと旬の素材を
真心込めて 丁寧に 料理して
悩める人々と共に 食卓を囲み 癒していく・・・
そんな活動をしている人がいる
「森のイスキア」を主催する 佐藤初女サンだ

初女サンは言う
   自然の素材の一つ一つには 皆 かけがえのない いのち が宿っています
   食べるということは その いのち を頂くことだと 私は思っています

かけがえのない いのち を
ムダにしないように
必要な分だけ
心をこめて
感謝しながら
頂く・・・

これは まさに 大前提! 基本! ベース!
なのでしょうね~・・・

素材一つ一つに 思いをはせると
その おいしさも 変わってきそうな気がする
そこに 作った人の 真心が加わり
そして 愛すべき人々と食卓を共にできたなら・・・

こんなに 楽しく 幸せなことは ない・・・

これが 分かっていて 実践している人を 
ホントの 食道楽・・・
そう 呼んでみたい!!





    

理想の病院像

2010-05-23 15:21:41 | Weblog
多くの人が 思わず!
「病気になって 良かったんだ!!」
「入院生活 サイコー!!」
なんて 叫んじゃうような 病院って 
どんな病院だろう・・・?

38歳 独身 夢見がち 空想好きの私は
たまに そんなことを考えて 独り ほくそえんでいる


これからの病院は
より安全で確実な医療を提供する事 以外に
患者や家族 地域社会に
生きる事 死ぬこと を 考え 教え 導く そんな役割も担っていく・・・はずだ!

病院の職員は みんな いきいき 幸せに 働いている
あるものは 研究熱心で
あるものは 実務に長け
あるものは 癒し
あるものは リーダーシップをとり
あるものは サポートする

それぞれが 得意の分野 興味のある分野 において 尊重し合い
十分な力を発揮できる職場作りに貢献し
更なる 業務改善 スキルアップに励む
とんでもなく 素晴らしい 立派な 職員たちなのだ!!

そんな職員のサポートを受けながら
患者と家族は病気を通し 生と死 を学んでいく・・・!


まず 外の環境は どーしようかぁ?
広い駐車場の周りをグルッと囲むように 
四季おりおりの草花、木々に溢れた遊歩道がある
その一角には 芝生の広場、ベンチなんかもあって
入院患者には自然を感じる絶好の場所 として とっても喜ばれている
そんな環境はいかがだろう・・・?

病院の建物は・・・
2階までは全共通フロアーで 3階からは衛生面を考慮して別棟になっている
かりに A棟 B棟 とする
まず A棟側の1階~2階  受付 外来 検査部門 リハビリ部門
   A棟の 3階     事務 手術部門 集中治療部門
       4階~8階  入院部門(ベット数500 1フロアーに2病棟)

   B棟側の1階     ショッピングモールになっている!
               弁当、惣菜 から 薬局、雑貨店、本屋・・・
               ここに来たら 入院中に必要なものは何でも揃う
               っていう便利な場所だ!
       
       2階     今流行りの 自然食レストラン に
               フレッシュジュースから 変わった健康茶なんかも飲める
               オシャレなカフェ があって
               とくに 見舞い客 患者の家族 外来患者に好評なのだ
               その他
               代替医療として 針 灸 整体 リフレクソロジー
               美容室 エステ なんかも完備
               入院患者には オプションで出張サービスもある うふふっ

   B棟の 3階     ボランティア 患者会 の拠点
               セミナールームも会議室も集会場もある
               ビデオルームでは 免疫力を高めることを目的とし
               笑える映画 泣ける映画を中心に常に上映中だ
               図書室では 医学の専門書から 人生論を中心としているが
               マンガも置いてある

       4階     各種 相談窓口
               カウンセリングルーム カウンセラーが常時 対応する
  
       5階     スポーツジム ヨガ 太極拳 などのプログラムを用意
               患者も職員も参加できる

       6~7階   簡易 宿泊施設
               遠方からきている患者の家族 見舞い客
               病院の研修者 等が利用する

       8階     大浴場!! 勿論 男湯 女湯 に分かれる
               広いコインランドリー施設もある


どーだろーか?

そうやって 入院患者や外来患者は
通常の検査や治療  プラスα
様々な 施設やプログラム
様々な 人的サポート なんかを経て
新しい価値観 新しい生活習慣を 自分なりに
クリエイト出来るようになる!!
更に
病気を どのように受け入れ
どのように 死ぬか
どのように 生きるか を
それぞれに 意識できるようになるのだ!!

病気は 人生を変えるチャンス
     人生を見直すチャンス

そう 私は 思っているので・・・ねっ
ちょっと 息苦しいかなぁ~?


けど このような病院なら 今でもありそうな そんな気がする
イマイチ 独創的では ないかしらねっ  えへへっ


   あなたが思う 理想の病院は どんな病院だろうか・・・?



ホントのホント!! 理想の病院像 その空想は・・・ むふふ~
ここでは いえませんのだわよ~~!!

            

外来受診

2010-05-22 14:12:46 | Weblog
今は デジタル ハイテクノロジー社会だ

まぁ 病院によっても違うが

受付は 自動受付機!
診察の呼び出しは 大型モニターに自分の番号が表示される!
        待ち順なんかも表示される
清算は 自動支払機!
        お大事に・・・なんて言ってもくれる!!


早くて 確実 便利
人手は どんどん離れてく・・・

そー言えば
外来で 看護師を あまり見かけなくなった 

診察も 担当医と患者 だけで進められる・・・
だからって言って とくに問題はないが ねっ



外来の待ち時間!!
大きな病院の外来は とくに 
慣れない内は 発狂するくらい待つ

初診のときは 
身体はキツイわ 不安だわ で
余計に待ち長い

具合悪いのに なんで こんなに待たされるんだー?
なんで こんなに 病人が多いんだー?

そうやって つい イラついてしまうのだが・・・
ヌフフ~ ここにいる人たち 皆 具合悪いから来てるんで
自分だって病人じゃね?  
そうね モットモねっ そう言いながら 自分をたしなめる・・・

確かに 外来には そうやってイラついてる人は多い
たまに 受付で 大声出して怒鳴っている人もいる
おおー!! お疲れでございます


2、3回 外来に来ると どれくらい待つか わかってくるので
その間は いかにイライラせず待てるか 自分の力量にかかってくる

私の場合 1時間は確実に待つ ことが分かっているので
この1時間は 診察室の前では待たず
売店を覗いたり
喫茶室で ゆったりコーヒーを飲んだり
ちょっとした用事を済ませたり
飾られている絵画を観てまわったり
なんなら ちょっと病院の外に出て散歩したり
そうやって 過ごす
1時間たったら 診察室辺りに戻って
用意してきた本を読んだり
携帯メールをしたり
ボーっとしたりして
過ごす
そうやって イライラを最小限に 食い止めるのだー!!

しかし ホントに具合が悪かったり 体力のなかった時は
横になって待てるような スペースがあればいいのに・・・と思ったものだ



外来の診療時間!!
昔は3分診療 と言われたくらい
あっという間に終わってしまうもの だったが
今では10分 15分 ゆっくり診てもらえる
何が変わったのだろう!?やっぱりシステム?
企業努力ならぬ 病院努力か!?
ありがたいものだ
だからなのか なんなのか・・・ 多くの医師たちはノンストップで診察する!
昼休みとか言ってらんないっ!!朝から夕方まで!!

ある担当医は 外来は最も緊張度が高い場だ と言っていた
当たり前だが 外来患者は帰ってしまう
見落としがあってはならぬ!!という緊張感!
集中力と持続力!
その全てを総動員して外来に臨むのだそうだ
ホントよね~ 
ありがとうね~


ずっと待っていただけあって
担当医に会えると
テンションあがるのが 患者心理ってもんで
担当医に聞きたかったこと 気になっていること 細かい症状など
すっかり 忘れてしまうことがある
診察が終わって帰る時 
あら 大事なこと聞くの忘れとったぁー!!なんてことになるのだ
 
う~ん これはもったいない

そーゆーものは 診察前までに
まとめて メモしておこう!
それを 担当医と一緒に見ながら 診療をすすめていくと
満足のいく 受診になると思う

そして薬の内容や検査なども 担当医とちゃんと確認したがいい!

最後は 労いの言葉も忘れずに・・・

これが 企業努力ならぬ 患者努力!!



自宅療養中の私にとって
外来受診は 今のところ唯一の 公の場だ!
なので ちゃんと オシャレをしていく! ららら~!
ノーブラ すっぴん だけどねっ
前日から 着ていく服や 読む本なんかを 選んだりしていると
なんだか ワクワクしてくるものだ


自宅療養

2010-05-21 15:40:11 | Weblog
38歳にして!!
生まれ変わった・・・ 生まれたての! 私!!

移植後 免疫系統が 再構築されるまでに 2年かかるのだそうだ!!

そう 私の免疫は 赤ん坊と同じで 
ばい菌にも ウィルスにも めっぽう弱いんだバブー!!

なので 人ごみにも 行っちゃダメ
社会復帰も 2年後からねっ  って担当医から印籠を渡されている

ええー!! 2年もかかるの~?
気持ち的には すぐにでも働けるのだけれどもねぇ~
なんて 虚勢をはっていたが
いざ 自宅療養が始まると
思っていたより 体力が低下しているのに
ショック!ショック!!ショッキング~!!

元気モリモリ! 体力自慢だった私は
入院中 体力を 少しでも保とうと
調子のいい時は 1~8階までの階段を下って 上って 下って 上って 
ベットの上では ヨガをして
体力低下を阻止すべく 努めていたのだが
その努力もむなしく 
モリっと張っていた自慢の筋肉は すっかり姿を消し
今や 鶏がら のような身体になってしまった・・・

骨髄移植後1~2ヶ月は 身体がキツくて 起きて5分10分 座っているのもやっと
食事の時間以外は ほとんど 横たわっていた ブッダの涅槃のように横たわっていた

骨髄移植後3ヶ月 ちょっと散歩に出られるようになったが 100歩くらい歩くと 
足先が痛くてたまらなくなって 足のユビの爪は内出血で黒くなった
んでもって 息も上がるし 心臓も苦しくなった

いかに 骨髄移植が キョーレツな治療だったかってことを
思い知らされる気分だった

こんな状態だったら 社会復帰には 2年かかるっつーのも なんだか分かる気もする

しか~し!
     焦りは 禁物!  焦りは 禁物!!


現在 骨髄移植から半年 毎日散歩は30分!! ヨガ 柔軟・・・ 
体力回復中 なり~

時間が くすり ってこーゆーことなりかぁ!?
う~ん 実感!!



自宅療養・・・ 何がいいかって・・・!
やっぱりね~ 自分の慣れ親しんだ場所って
ホント 落ち着く~!!!
馴染みの風景 馴染みの物 に囲まれて過ごすことは
こんなにも 人を 落ち着かせてくれるものなんだ~ そうなのよ~
しみじみ しちゃう!!

病院には 医療スタッフもいて安心できるし キレイだし
何にも 文句はないのだが 
やっぱり やっぱり 自宅が何より~

まぁ 女性の病友の中には 
自宅に帰ると家事やなんかで 休めないから 
退院したくないって人もいるようだが・・・ねっ


鳥の声 風に揺れる木や葉っぱの音 車の音・・・
様々な生き物がそこにあるって感じでいい!!

自然の風・・・ これを肌で感じるのは 何とも心地良い 格別な体験だ!!

夕方になると 隣の家からカレーの匂いがしたりするの
これも何だか温かみを感じていい!!

ああ~!! シャバに戻って来たんだわ~!
でもって 
また! しみじみ しちゃうのだっ



入院当初から 自宅療養の今も
いつ ゴローン!ってなっても痛くないように
ノーブラジャーだ! ノーブラだっ!
まぁ もともと 友人たちからは 少年のような身体と言われてきた私
今では 鶏がら になってしまったが
胸は AカップとBカップの間くらい なので 
ホントだったらノーブラでも良かったのに
ムリしてBカップのブラをしていたものだが
もう これからは ムリせず ノーブラでいこう!!
と 思っている
黒柳徹子サンも ノーブラ だと言うしねっ フフッ
また どーでもいい話 しちゃったけれどもねっ

とにも かくにも!

私は この自宅療養生活中 
    どう 過ごしていくかで
      今後の 人生が変わってくる!?  を合言葉に

何か 始めたいと ウズウズしている

あっ けど やっぱり  
     焦りは 禁物!  焦りは 禁物!!


自宅療養中
身体や 症状に変化があると つい 不安になってしまうもの・・・
あんまり敏感にならず 冷静に 様子をみるのも大事 だけど
やっぱり心配な時は まず担当医に電話して 相談しよう
大丈夫 きっと 優しく応対してもらえる・・・?
そう 願いたい・・・


両親の存在

2010-05-20 10:27:50 | Weblog
私が病気になる前 
両親にとって 娘である私は どんな存在だったろう!?

40歳近くにもなって 
結婚もせず 孫も産まず 自慢できるような職に就いてるわけでもなく
仕事以外は 家でゴロゴロして 手伝いもロクにしない

そんな娘・・・  う~ん!いたたまれない!!

確かに 母は いつも嘆いていたなぁ~
  早く 結婚しろーー!!
  結婚相談所に行ってこーい!!

私は いつも 反発していたなぁ~
  そもそも 結婚ってなんなの!?
  結婚だけが 人の幸せじゃないでしょっ!?

そんな
冴えない 行き遅れの 恥ずかしい娘・・・が
病気になったことで
生きてるだけで 素晴らしい 自慢の娘・・・に
一気に 格上げされたのだ!!  ヌハハ~!!

そうよねぇ~
本来ならば 
人間 生きてるだけで 素晴らしい存在のはず なのだけど
何か不測の事態が起こる迄 その本質を理解するのは難しかったりする・・・

とにも かくにも
人の価値観は 一瞬で変わったりもする事を
認識していたがいい・・・


病気になったとき
これで 結婚 云々 言われずに済むな・・・しめしめ
なんて 思っちゃったり
その 反動で??かどうかは わからんが
私って なんて親不孝者なんだーー!!
なんて 自分を責めちゃったり  していた

そんな時
スピリチュアル系に強い友人が
   
   あなたは 病気を通して学ぶ人生を選択した
   同じように 
   両親も 病気の子供の親として学ぶ人生を選択してくれている

と 言ってくれた

この言葉で 私は どんだけ楽になったであろう・・・


“子供は 親を選んで生まれてくる”
と 聞いたことがあるだろうか?
スピリチュアルの世界では 私たちは 
生まれる前に 今回の人生の 大まかな計画を自分で たててくるのではないか・・・
といわれている
例えば 生まれる星 年代 場所 性別・・・ もちろん親もその中に含まれる

ならば 親のほうは どうだろう?
実は 親もまた その子供を 引き受けることを既に 約束してきている ようなのだ

ホントか ウソか それは誰にも分からない
信じるか 信じないかは 人による

しかし
そう考えることで
親も子も 

一方的に責めたり  ~~ 産みたくなかった あるいは  生まれたくなかった
一方的に引け目を感じたり  ~~ 私はなんてダメな親なんだろう 
                  私はなんてダメな子供なんだろう

しなくて済むような気がする

だって  お互いが 選択し了承し合って今ここに存在している!!  のだもの!!

おお~ 素晴らしい!!
両親よ!! 病気の娘の親の役を 引き受けてくれてありがとう!!
一緒に経験してくれて ありがとう!!
安心して 療養できる環境を与えてくれてありがとう!!
いっぱい 心配かけましたね
いっぱい 泣かせましたね
けど だからこそ 人生って 素晴らしい 修行の場であることが
わかりました
私の 希望としては 両親とも 看取って 
私も人生を全うしてから死にたいと思っていますが
何卒 人間 いつ どーなるかは分からんもんで
お互いに 心構えは しておきましょうねぇ~


現在 自宅療養中・・・
両親からは そろそろ 小言が聞かれ始めているが・・・
今の私は それさえ ちょっと楽しめる 心の余裕ができた
母はまだ 私の結婚を 諦めてはいないようだ・・・

分かっていますよ 結婚 子育て・・・家族って 素晴らしいもの ですものねっ


この両親を 私は選んだ・・・
この私を 両親は選んだ・・・ 


これは 余談
骨髄移植のとき 死亡率60~50% と脅かされていたので
私の両親は すでに葬儀の話をしていたらしい
  
  父 「葬式 どこで出すとよかろか?」
  母 「私 互助会に入っとる所のあるけん」
  父 「なら そこにすっと良かたいね」    みたいな・・・?

おおー!! サスガ!! 私の両親!! 私はとっても 誇らしいです!!







骨髄移植  その2

2010-05-18 09:42:38 | Weblog
骨髄移植 9日前・・・
 私は やれることはやった! あとは 大いなる流れに身を任せよう~
 という気持ちで 骨髄移植の為の入院に臨んだ

骨髄移植 7日前・・・
 この日から 6日間 
 くすり界のゴットファーザー!である抗ガン剤を 
 今までも しこたま使ってきたが
 今度は 致死量 使用する・・・ ハンパな~いねぇ~!!
 ん?? 致死量って??  致死量使ったら すぐ死んじゃうんじゃ?
 いえいえ! 抗ガン剤投与後 骨髄移植を しなければ 時期に死んでしまう
 ということ でねっ! おおー!!
 これを 前処置 という
 この前処置が患者に始まってしまったら 
 ドナーさんは やっぱり提供やめます 
 ということは出来なくなる  

 前処置 6日間が終わったら 
 抗ガン剤を身体から抜く為に 1日おいて
 いよいよ 骨髄移植の日を迎える・・・


骨髄移植
ドナーさんは 手術室で全身麻酔のもと 
1~3時間かけて骨髄液を腰の骨から採取される
のに対して
患者は 普通に 病室(クリーンルームで)で ベットに横になって
鎖骨辺りから入れてもらった 中心静脈カテーテルという管から
輸血や点滴と同じように 入れて貰うだけだ

う~ん 何だか ドナーさん ごめんなさいねぇ~ って感じねっ

骨髄液の有効期限は
骨髄採取日と翌日の 2日間 とされているようだ
ドナーさんと患者は 別施設で それぞれ採取 投与される
基本的には 患者側の病院職員が ドナーさんの病院に 
骨髄液(光り輝く!命のモト)を取りに行ってくれるのだ

私のドナーさんは 中国地方の方だったので 
私のお世話になってる病院の 職員ならぬ 命の運び屋 が
タクシーに乗ったり~ 電車に乗り継いだり~ ビジネスホテルに泊まったり~ 
中国地方のドナーさんのいる病院まで行って
骨髄液を いち早く!!
私に 届けようと 尽力してくれるのだ!! 
何か 感動的だ! ありがたし!!

日本の骨髄バンクでドナーさんが見つからず
海外のバンクを利用する患者もいるようだが
その場合 有効期限とか どーなっているのだろうか・・・?


私にとって 2つ目の誕生日 となる
骨髄移植 当日・・・
  強く緊張するでも
  大きく動揺するでもなく
  何だか とても 静かな静かな 穏やかな穏やかな 気分だった
  そして その時が いよいよ やってきた!!
  担当医が 光輝く! 命のモト を運んで来たのだ
  
  骨髄液は 赤血球の輸血と同じ 暗赤色であるが そこに
  少しの脂の成分が入っているのが特徴らしい
  ドナーさんの 骨髄液は 1500ml 程はあっただろうか
  私には 十分過ぎるほど十分な量 いや 愛 を
  分けてくれたのですねっ
  その輝く!命のモト は
  鎖骨辺りに入れてもらった管から
  3時間半 かけて 私の身体に入っていった・・・
  こうやって 骨髄移植は完了した!!


前処置の副作用も やっぱり 吐いたり 水ぶくれになったり 痛かったり きつかった
そして脱毛した

ドナーさんの骨髄が 私の身体で正常に働き始めてくれることを 生着(せいちゃく) というが
この生着前が 最も危険な時だ 
私は これを 命の第一関門 と呼んだ
この時も やっぱり 高熱がでたり 落ち着きがなかったり 眠れなかったり きつかった
そして薄毛になった

しか~し!!
私は 順調だった! グンを抜いて、すこぶる 順調だった!!

命の第二関門 ドナーさんの骨髄の拒否反応(急性GVHD) も出ず!!

骨髄移植後・・・ 11日で 生着! (平均17日)
骨髄移植後・・・ 31日で 退院! (平均2ヶ月弱)

いずれも 異例の??かどうかは わからないが
私のなかでは 異例のスピードで・・・ 
オリンピックの日本代表入りするくらいのスピードで・・・
回復 していった!!

よっぽど ドナーさんの骨髄が ガンバってくれたか
      ドナーさんの骨髄と私の相性が良かったのか
     
      家族や友人たちの エール のお陰か
      医療者たちの 熱意か
   
      天の 思し召しか・・・ 

いずれも 大いに 絡んでいるかとおもわれるが
詳しいことは 分からない

とにも かくにも  私は いま 生かされている


私は 欲張りサンだわっ!
ついに 2つ目の 誕生日を 手に入れてしまったのだから・・・うふふっ

その しばらく後 
普通なら あまり喜べない!?
38歳の誕生日を 夢見心地で迎えた私は
生まれたて!生まれ変わりたて!
でもあった!!   あはっ



   


ドナー(骨髄提供者)

2010-05-17 11:34:02 | Weblog
日本での 骨髄バンクの歴史は・・・

1989年  民間の骨髄バンクが活動を始める
         東海骨髄バンク 次いで 九州、北海道にできた

1991年  公的骨髄バンクが設立され これに1本化された

それから 約20年・・・

現在 ドナー 登録者数 約36万人(H、22、4現在) 日々、増えている!
   移植数は1万件を超えている 
   H、20 からは 年間1000件を超える骨髄移植が行なわれている

おおー!! なんて ありがたいんだろう!!

2人兄妹の兄とは 移植に必須な白血球の型が 全く合わなかった私が
今 こうして 生きて 自宅療養できているのは 

バンクの存在と 
コーディネーターさんの活動と 
ドナーさんの協力によるところが大きい!!

ホントに ホントに ありがとうございます!!


ドナーさんは やはり 誰かの役に立ちたいという善意の人だ

私たち患者の為に
リスクを負って 貴重な時間と 身体の一部を 
ボランティアで 提供してくれるのだ!!

骨髄提供には 時間も日にちもかかる
確認検査、面談 等 何度も病院へ出向いたり
骨髄採取時には 全身麻酔のもと行なわれるので 3~4日の入院期間が必要になる 
トータル 10日程を 要するといわれている
もちろん ドナーさんの 家族や 職場の 理解と協力もなければ
成立しないのだ

様々な 事柄を全てクリアにして 初めて
骨髄移植は成り立つのだ・・・

やっぱり
患者とドナーさんの間にも 見えないけれど
引き合う力が働いていた  うん、
そうとしか 思えない・・・  


ドナーさんの情報は(患者の情報も同じ)
  住んでいる地域 年代 性別
これだけは 教えて貰える
私のドナーさんは
  中国地方に住む 30代の男性
ということだった


骨髄移植では 白血球の型が合えば
赤血球の型(A、B、O、AB型)は違っていてもOKなので
もともと私 O型だったけど 骨髄移植して (ドナーさんの)A型になったのよ~
みたいなことが 起こることも!!

私の場合はドナーさんと同じ赤血球の血液型だったから 変わらなかったが
性別は違ったので 移植後 私の血液の染色体は 男性に変わった!
おおー!! 私は女だが 血は男なんだね! ほほー!!

だからといって 
声が低くなる とか 毛深くなる とかはない!

とにも かくにも!
ドナーさんには 感謝 感謝してもし尽くせない!
けど ありがたく ただ ありがたく 頂きます!!

直接 お礼をすることは できないが
いつも 心に想い、祈っている

あなたのお陰で 今 生かされている  と
私は あなたの分身だ  と

私に2つ目の 誕生日をくれた あなたへ・・・

    私の 生 は 
    あなたの 生 なのだから
    私は あなたに誇れるように 一層 よき生 に注意を払える

    私の 身体 は
    あなたの 身体 なのだから
    私は あなたを労わるように 一層 よき身体 に注意を払える

    私の 行い は
    あなたの 行い なのだから
    私は あなたに恥じぬように 一層 よき行い に注意を払える

    私の 心 は
    あなたの 心 のように
    大きく 深く 広がる 宇宙に 繋がっている 宇宙で 繋がっている


 
ドナーさんへは
移植後1年以内に 2回まで 手紙を送る事ができる
勿論 バンクを通じて
個人情報や 詳しい健康状態、移植後の経過や なんかは
書けない決まりになっている
手紙の内容は バンクがチェックして
ドナーさんに届けられる

私は あと1回 
ドナーさんへ 手紙を送ることができる
私の 2つ目の誕生日 が近づいたら 送ろうと思っている
  




サイゴを迎える準備

2010-05-16 15:35:23 | Weblog
生きる為の治療を 納得して選択した私だったが
一方では 
サイゴを迎える準備も いよいよ完了しておかねば・・・
と 思っていた

だってぇ~!! 人間 何が起こるか分からないもの!!
ましてや 死ぬか生きるか!50%の確率!!
という 治療を受ける前なんだもの!
準備しておくのは 当然といえば 当然だ

37歳 独身、無職女の私は
同世代の友人達に比べたら 
現世に 後ろ髪引かれる要素は少ない・・・
パートナーも子供も 仕事もない
勿論 家も土地も財産もない

あはは~~ シンプル&コンパクト人生が 目標って言ってるけど!
何だか 今でも十分 シンプル&コンパクトな 人生じゃあ!? ヌフフッ!


では サイゴを迎える準備って 何かってーと

私が死ぬ間際になって 両親が困らないようにしておかねばねっ!
立つ鳥あとを濁さず・・・ってねっ
  ①整理整頓
  ②遺言メモ
  ③遺影
これらを 整えておくことだ

①整理整頓
   これは以前にも書いたように 素晴らしい整理整頓習慣を
   身に付けることが出来ていたので 心配はいらなかったが
   移植に向けて入院する前日は 念には念を入れた

②遺言メモ
   実は 白血病発病当時から
   しっかりした感じの表紙がついた 高級メモ帳を準備していて それに
   少しづつ 考えながら書いていた・・・
   その内容は 死後の様々な処理について両親に依頼するものだった
   ・緊急時に連絡して欲しい 友人のリスト
   ・死後の挨拶状とお礼の品 を送って欲しい友人のリスト
   ・解約するもののリスト
   ・保険証書 銀行の通帳、印鑑、暗証番号 などの保管場所
   ・葬儀 墓 について~~ 今は自然葬なんかが流行りのようだが
                私は 全くこだわらない と明記しておいた
                ただ あんまりお金をかけ過ぎないように と付け加えた
   ・私物の処分

   そして これが メイン!!
   両親 兄弟 親戚 そして 友人たちへ・・・
   愛と感謝のメッセージ
   これを 記しておいた

③遺影
   葬式の準備で
   両親が 慌てて私の写真を探す場面が 頭に浮かんだ・・・
   きっと ロクデモナイ写真を選んじゃうんだろーなー と思ったら
   葬儀には 全くこだわらない なんて言った私も さすがに
   これだけは これだけは ちゃんと準備してよっ!って心に決めた
   しかも!
   移植後死ぬとしたら 脱毛したままだよぉ~!
   薄毛の私が棺の中に横たわっている・・・ ならば せめて せめてぇ~
   遺影だけでも キレイにしていたい!!
   さいわい 1度は抗ガン剤で抜けてしまっていた髪も
   この頃には スッカリ元通りに伸びていたもんで
   や~るなら今しかね~ ってことで
   家の近くの写真スタジオに予約をいれた
   予約をいれたあと 
   私服の中から衣装を選んで 友人からのプレゼントのヌイグルミと一緒に 
   鏡の前で ポーズと笑顔の練習
   撮影当日は前日の練習が功をそうし!?カメラマンに誉められながら
   2パターンも 撮影しちゃったのだった!! ヌフフ~
   すっぴんで撮ってもらったので 修正はチョットきつめでお願いした
   出来上がった遺影は・・・
   ああ~ん!! やっぱり!! 撮っててよかったぁ~!!
   と 思わず叫んでしまうような!!そんな出来栄えだった!!


うん うん!!
これで いよいよ 準備完了!!
そういって 納得できる・・・かな!?


しかし これらの準備ができる ということは
私は 幸せだ と思う 
ガンならでは といってもいいのかも・・・

いきなり 急病で
いきなり 事故で 災害で 事件で
死ぬ人々の中で サイゴを迎える準備を整えている人は 少ないだろう
そう 思う・・・


私はこれを機に
遺言メモ 遺影 などなど
3年か 5年 をメドに リニューアルしていこうかと
密かに 思っている