ずっとそのまんまから一歩踏み出す

いつも同じところでつまずいてしまう自分。そのまんまから、ほんのわずかでもいいから、進んでいきたいがための日記

人の喜ぶことをするとは

2019-03-07 16:48:38 | 日記
長い間どうしていいか分からなくって、気が付けなかった。
無視されたり、人より退けられた時、どうしたらいいか。

わたしがいない方がいいってされたときの主人に対する対処法。

たまたま、悩んでいる最中に、数日前に申し込んでいた勉強会。
そこで教わった千恵

人の喜びことをする。
自分が損してまでも。


でも、そうしたからといって損するわけではないって。


私はこれを聞いた直後は、もっと主人に対してよくしなければならないと勘違いしていた。
でも、主人の行動によるメッセージを考えた時、
私よりもこの女性に好意があり、仲良くしたいんだと相手に気が付くように、
私がいない時に大きな声をだして、自分の気持ちをアピールしていた。

そういう人に対して、私が誰も見ていないところで好意的に接する義務は全くといってないのではないか。

教会ででももちろん、どこに至ってもそう言える。

相手も私を求めていない。私も主人を求めていない。
私にとって必要な人は主人ではない。
むしろ、精神的に肉体的に関わる必要はない方がいいのだ。

お互いにとって。

始めは声かけていた私も、相手も主人の態度に苦情言ってからはもしらーんかおするようになったので、
私も徹底的にこの際、言葉を交わさないことにした。

好きな女性に対して、望んでいることは、私と関わらないこと、
公の場所で、私よりも人の目気にせず、堂々と仲良く対話できるようになりたいと望んでいるのなら、
そうすればいいのだ。

私は決して心を許さない。
和みも自分が持つ癒しもその代わり与えない。
主人にすがらない。

こうすることが、主人の幸せなのだから。
そう信じる。

私も心の拠り所とする人は他にいるのだ。
いつも会えないだけで、深く関わったり一見そういうのはないだろうけれど、
でも、深い絆を持っているのだ。

私が主人のこういった性癖を悟る前に、
ずいぶん前に私を憐れんで?
否、そんな上から目線ではなく、私を対等な立場に立たせてくださり、自由意志によって愛させてくださった。

そう、誰にとって喜びことをするか、という選択の時、
主人にとって喜ぶことは私はできなかった。
主人から癒しやいつくしみや、愛は来なかったからだ。


私は、主人から退いた。
あの人が主人にとっての癒しなんだろう。
確かに、お似合いな感じがする。
あうんだろうな。

だから、私が彼女の名前を挙げて主人を批判した時、主人は徹底抗戦の姿勢だった。
自分のしていることは正しいと思っているようだった。

確かに、癒しなんだろう。
落ち着くんだろう。

私は彼女にはかなわない。


だからといって劣等感など感じる必要はない。
私が主人と合わなかっただけ。

ただ、教会に行くのは苦痛。
もう少ししたら、謙神父さまが来てくださる。

私が行かなくなったら、せっかく出会えるはずなのに、
私も寂しくなる。

でも、主人とtさんのことは目障りでしかない。
精神的苦痛でしかない。
それをどう耐え忍んだらいいのか。

私が他の人のところに行っても主人は全然良かったたんだな。
それをもっと早く気が付くべきだった。
主人が悲しむと思いこんでいた。

主人はこの人とは合うとわかって、仲良くしようと努力しているのはえらいと思う。
私もそんな感じで前向きになりたいわ。

私にはお金だけで、後は家事してくれるだけでなんもいらんとか・・・。
そういうことだったんかな。

もうひとつ、自分のすることで、劣等感感じたり、苦しんだりして苦痛を味わってほしい。
そういう存在だったのかな。

イエス様ならどうするだろう。
イエス様もずいぶん邪魔者にされてこられた方。
私のこの悲しみと心の傷をきっとよく理解してくださるだろう。