・・・ブログを書く手が震えております。
本日、NHK名古屋のお昼の番組「情報フレッシュ便 さらさらサラダ」にヤスさんが生出演されました。
と、そこへ小田さんからお手紙が届けられたのです。
封筒はお馴染みのFar East Clubのもの。表に「ヤスへ」裏に小田和正。
以下に手紙の内容を書き起こしました。
ヤスへ
久しぶりです。
そうですか、もう40年になるんですね。
音楽を始めた頃、30歳を越えて歌をうたっているというイメージすら持てなかった。
きちんと学業を修めた者が、いい歳をして歌なんて、そんな時代。
アーティストという言葉もありませんでした。
予想はしていましたが、それよりずっとはやく時は往きました。
でもそのあっという間にいろんなことがありましたね。
高3の聖光祭で初めてステージに立ったあの時。
ただ洋楽をコピーして歌っていればそれだけで楽しかったあの頃。
そして自分たちで歌を作り初め、いつか多くの人たちが僕等の音楽を受け入れてくれていったあの頃。
思いはどんな場所にもすぐに帰れます。
そんな数えきれないキラキラした思い出を共有してくれている人がいるということを心から嬉しく思います。
いつかそんなことを語り合うような時が来るのでしょうか。
身体に気をつけて。楽しく歌い続けていかれるよう心から祈ってます。
2010年10月
小田より
・・・もうね、熱が出そうですよ。この内容。
ヤスさんもめちゃくちゃ驚いてました。
私がこの番組のことを知ったのは一昨日。
私の住んでいる地域では見れないので、東海地方の小田友、くるみさんへ録画依頼をしていました。
この手紙は、電話口でくるみさんにテレビの音声を語ってもらい書き起こしました。
(電話口、興奮して言葉にならない二人でした。)
なにをどう語ったらよいのやら。
ちょっと落ち着いたらまた書きます。今日のところはこの辺で。
そのときのヤスさんがどんな顔をされていたのか?!考えただけで涙がでそうです。
ホントに、ステキな手紙ですねぇ・・。
いつかどこかで、おふたりが直接思い出を語り合う日がくるような・・・そんな気がしてきます♪
ヤスさんのこととか、オフコースのことも含めあんまり知らない私でさえ、涙があふれてきました。
オフコースがデビューした年に生まれた私達(歳バレルけど)一緒に生きてきたんだな~って思います。
きっといつかまた二人でゆったり思い出話ができる日が来るよ。
もう感激のあまり、涙が止まりません。
すごく心温まるお手紙ですね。
私もあまりの放心状態にちょっとおかしいです(獏)。
勝手ながら、私のブログにnanoriさんの本日の記事のリンクを貼らせていただきました。
よろしかったでしょうか?
ご迷惑でしたら、私に直接おっしゃってください。
今日のこの“事件"にも驚きましたか、検索してなら、なんと小田さんとヤスさんはメールを数年前からやりとりしていると、ヤスさんのインタビューで見つけ…色々ショックで、座り込んでしまいます。
もうあたしってば、手の平と脇汗がハンパじゃなかったって!
nanoriちゃんとの連携プレーで多くのオフコースファンにこの感動を伝えることができて、あたしもすごく嬉しいです♪
ヤスさんの驚きっぷりったらなかったですよ。
ファン以外から見たら、なんでもないような内容の手紙だけど、
あたし達には、とても感動的な小田さんからヤスさんへのラブレターです。
しかし、この番組の若い(?)司会者ったら、結構遠慮なくオフコースの頃のことや(若い広場の映像も出たし)、
脱退した経緯もサラリと訊くのでなんだか笑えました(笑)
いやぁ、普段はわずか20分の軽~いお昼の番組ですが、
ファンには中身濃すぎのずっしり重い番組でした。
頭の中では、小田さんが財津さんに送った「手紙にかえて」という曲が流れています。
「思いはどんな場所にもすぐに帰れます」
小田さんはどんな気持ちで手紙を書き、ヤスさんはどんな気持ちで聞いていたんですかね。
2人にしかわからない想いがあるのでしょうね。それをそばで感じる(自分勝手ですが)ことが出来るというのは幸せなことですね。
ファンとして82年からなんとなく止まっていた時間が、一通の手紙でまた動きだしました。
テレビ出演を知った時は、「あ、来月の名古屋ライブのキャンペーンかな?ぜったい番組内で歌うだろうし、くるみさんに言わなきゃ♪」くらいのノリだったのです。
生放送って、何が起こるかわからないものですね。
それにしても、この手紙。
電話口でパソコンで書き取りながら震えました。テレビから聴こえたヤスさんの声も心なしかうわずって聞こえました。
私も、ゆっくりとお二人が語らう時が来ることを願ってます。
ヤスさん生出演の話は、くるみさんとは前日にメールをやりとりしていたのですが、うるとらkさん達には、一体どこから説明を始めたよいやらわからず、あんなタイトルのメールになりました
歳はもうきっとバレていると思いますが(笑)、本当にこの人達の音楽と共に生きてきたことを嬉しく思います。
色々あっても、時が解決してくれることってあるんですよね。
ちょっとおかしくなっちゃう気持ちよくわかります。
私も昨日は行動がおかしかったですもん
リンクの件は、全然問題ありませんよ。
私もアベちゃんの記事読ませてもらって、またまた感動をあらたにしております。
本当に、こんな日が来るなんて、夢にも思いませんでしたよね。
じんわりとあったかい文章だと思います。
長年のファンにとってはまさに”事件”と呼びたくなる出来事でしたね。
私の場合は「座り込む」よりも、「じっとしていられない」状態でした
メールの件は私も聞いたことがあります。
長い間、直接会うことはなかったとしても、お互いに意識している特別な存在なんだろうと思います。
二人して電話口でオロオロして、可笑しいよね~。思い出して笑ってしまいます。
確かにファン以外には「は?それで?」っていう内容だよね。収録会場に来ていた人に、いったい何がどれだけ伝わったのでしょ~か?
それをあえてやっちゃったNHKさんに感謝!
(ていうか、知らないからこそなのか?!)
最初に番組名を見たときは「なんなん?このふざけたタイトルは!」とか突っ込んでましたけどね。とっても濃い20分でしたね。
この件、また色々と語りましょう♪
わたしも昨夜から何度読み返したことでしょう。(自分のブログなのに!)
motoさんの仰る「二人にしかわからない想いがある。」という言葉、本当にそうですね。
それを感じられる、その想いにこうやって触れることができる我々は幸せだと思います。
あの82年の”熱狂的な寂しさ”を思い出しつつ、お二人が今後も楽しく音楽を続けて下さることを願ってやみません。
まだ動揺しているようです(笑)
言葉にできない、言葉ならないこの想い。
こういうとき、己に文才がないことが悔しくって。
それにひきかえ、今回の手紙の文章の素晴らしいこと。
しみじみ「小田さんだなぁ」と。
また今度お会いした時に、ゆっくり、じっくり語りましょうね。
『ヤスへ』『小田より』ただその言葉だけでも、熱いものがこみ上げてきます。オフコースの原点であるお二人。その気持はあれからもずっとつながっていたことでしょうね。お二人にしか分からない想いを思うとき、またグッときてしまいます。こういう形でお二人のつながりにまた出会えたことは、オフコースの歌と今も一緒に生きている者として、何十年と待っていましたから、ただ涙がこぼれるばかりです。
そして、こんな気持ちになっているのは自分だけではなくて、それをまた共有している人たちがたくさんいることも嬉しいです。
昨日は風が強く吹いて素敵な日でした。
とっても素敵なコメント、ありがとうございました。
仰ること、非常によくわかります。
「ヤスへ」
本当に、その一語だけで心が震えました。
小田さんの語りかけるその言葉を、ファンはどれだけ待っていたことか・・・。
昨日は東京にも木枯らし一号が吹いたそうですね。木枯らしもまたオフコースに良く似合います。
きっと昨日は沢山のオフコースファンが、82630さんと同じように涙したことでしょう。私もまた、その一人であることを嬉しく思います。
素敵なお話を文字におこしてくださり ありがとうございます。
なんだかユックリ、じっくりと事を進めていく小田さんらしさが表れてうれしくなりました。
この記事、リンクさせていただきました。
ご迷惑でしたらお知らせください。
とってもいい話 ありがとうございました。
Yassさんの過去のブログには小田さんとメールのやり取りがある旨の発言はあったので、まるっきりの音信不通ではないとは承知しつつも、やっぱりメールではなく、物理的な”手紙”(特に団塊の世代の彼らにはここ一番の思いを伝えるツールと認識しているでしょう)というのは、伝わり方が一味ちがうものですね。
30年ファンをしていて、忘れたり、思い出したりを繰り返す中で、やっぱり”小田ヤス”の事は常に気がかりと言うか、どうしても引っかかっている部分。我々外野が思っているほど、本人たちはもしかしたら変な気持ちはないのでしょうね。ただ、”オフコース”については、自分の音楽人生の過程の出来事、大きな存在ではあっても、現在進行形で常に新しいものをクリエイティブし続けている彼らにとって、”全て”とか”それそのもの”と言った受け入れ方は現時点では出来ない(未来も?)のかもしれないと・・・。松任谷正隆さんが、”ユーミン”は松任谷正隆と松任谷由美”で”ユーミン”なんだと言う妻の言葉を受け入れられないのと少しだけ似ているきがしました。
ああ!長文になってしまってすみません!
興奮しすぎです!
とにかくうれしい記事のアップに感謝します!
ありがとうございました!
リンクももちろん問題ありませんので、今後ともよろしくお願いします。
この手紙、私もとっても「小田さんらしい」と思います。
本当に、小田さんは”機を待てる人”ですね。
二人の伝説のハーモニーが復活するかどうかはわかりませんが、ファンとしては、これでまだ夢を見続けることができるかな?と思ってます。
長文の熱いコメント、ありがとうございます。
興奮するお気持ちよ~くわかります。
確かに、我々ファンがあれこれ思い込んでいるだけで、お二人にとってはシンプルに「過去の出来事」なのかもしれませんね。
でも我々にとっては、なかなか受け入れられず、どうしても82年で一度時が止まってしまっているようで。
だからこそ、この手紙にここまで興奮してしまうのでしょう。
すぎちゃんさん仰るように、私も「忘れたり、思い出したり」しながらの30年です。
きっとこれからも。
そんなわけですから、過去の作品の愛着や、周りからの要望はありがたいし応えるにしても、新曲を聞いて下さいって気持ちは強いのではないかと思うんですね。特にYassさんはそのような性分に感じられます。
きっと私たちのファンタジーなんでしょうね。こうであって欲しい、的な。
でもむしょうに懐かしく、同じスクラムを組んでみても・・・なーんて気持ちはきっと心の中にあるはず。きっと・・・。
実現うんぬんはまた別次元。
今の生活や、活動のリズム、お互いの事情があるし、何よりもプロとして仕事で音楽をしていますから、やってみようぜ!では片付けられないのが現実のような気がします。
また長くなってすみません。
またお邪魔させていただきます。
小さな部屋、サンプラでの秋ゆく街で、オフコースファミリーコンサート・・いつのステージにも向かって右にヤスさん、左には小田さんがいましたね
二人のMCの可笑しさや、あの美しいハーモ二ーも、あの頃の感動のまま思い出すことができます
もし叶うなら、もう一度当時の二人に会いたい・・
すぎちゃんさんのコメントを読ませていただいて、すごく納得しました。
そうなんですよね。(発注者のいない)真にクリエイティブな仕事をしている人達にとっては、常に”NEXT”なのですね。
ヤスさんは特に新作指向(という言葉でいいでしょうか?)が強いというのは、私も非常によくわかります。だからこそのオフコース脱退だったのでしょうし。
それでもやはり、今回の小田さんの手紙、そしてそれを聞いた時のヤスさんの驚きをみると、「ひょっとするといつか・・・」なぁんて思わずにいられません。あぁ、まさにファンタジーですね(笑)
なんだか話はつきませんね。
まだまだ思考が混乱してますが、落ち着いたら記事に書くと思いますので、よろしければまたお越し下さいませ。
皆さんのコメント、熱いですよね!
小田さんの言葉ではありませんが、思いはどんな場所にもすぐに帰れるんだなぁ、と。
私は「二人のオフコース」時代はまだよちよち歩きで、リアルタイムでは知りません。なので、celicaさんのような思い出をお持ちの方がとっても羨ましいのです。
また色々と私の知らない時代のお話をお聞かせいただければと思います。
私も今夜は『秋ゆく街へ』を聴きたい気分です。
mixiのオフコースのコミュで、番組のことを知りました。
こちらのブログについては、ブロ友さんの記事を通じてたどりつきました。
貴重な情報を読ませていただき、ありがとうございます。
先日、松尾一彦さんがリリースされた「せつなくて」に、小田さんがピアノで参加されています。
そして今回の鈴木さんへの手紙。
何か、動きが続いていますね。
必ずしもオフコースの再結成を望んではおりませんが、例えば「クリ約」で、小田さんと鈴木さんの共演が観られたら、などと思います。
こちらこそ、読んでくださってありがとうございます。
松尾さんの「せつなくて」は、夏の神戸のライブの際に聴かせて頂きました。
とっても小田さんらしいアレンジの素敵なバラードですね。
本当に、何かが少しずつ動いている感じです。
私もnaokichiさん同様、再結成までは望んでおりません。たとえファンの前でなくてもいい、せめてどこかでまた一緒に歌ってくれれば、と思います。
じつは私もnanoriさんの『オフコ-スと私』を読み進めていくうちに、改めて「4人のオフコ-ス」時代を知らないことに気づかされ、妙なゾクゾクを感じています。
シングルジャケットも見たことのないものばかり、いつしか「早起きして並んだもん勝ち」方式ではチケットも取れなくなり、コンサートも遠のき・・
小田さんのことなら何だって!と自負していた私も、小田さんのことすら思い出さない日々があったわけで。
でも、それぞれの時代の小田さんを知り、ひとつの出会いが、途切れていた線を一本にして続いていく・・とても不思議な気持ちです。
アルバム『秋ゆく街で』は私もリアルタイムでは知りませんが、小田さんが『こんなおっきなとこで・・」と声を詰まらせたあの時、も、間違いなくおふたりの共有するキラキラした思い出なのでしょうね。
小田さんのことを思わない日はなかったのが、社会人になって仕事が忙しくなったこともあり、気がつけば『Looking Back』以降はすっかり離れてました。
でも、celicaさんも私も、それぞれ熱中した時代が違うけれど、今こうして同じ熱さで語り合える。これって凄くないですか?
それもこれも小田さんやヤスさんが今も現役で歌い続けてくれているからですね。
こういうアーティストを好きになった子供の頃の自分を褒めてやりたいです(笑)
『秋ゆく街で』、声をつまらせた小田さんのあとを笑って引き取るヤスさん。いいですよね!
私は未だに5人時代のオフコースサウンドが自分の中のリファレンスサウンドとなってます。
あの人数であの楽器編成で、あのコーラスワーク。
最近の音がたくさん出すぎのサウンドは、それはそれだし、好みの問題なんだとは思いますが・・。
洗練されているからこと必要以上に音を重ねすぎない部分が好きなんです。
だから今でも5人時代のオフコースを完全コピーとかして楽しんでます♪
あ、自分の話はさておいて・・・
Yassさんは以前ラジオ番組の中で、オフコース再結成を求めるメール(かなりのチャレンジャーだなぁ。)が立て続けに寄せられ、それを読ませるスタッフもチャレンジャーだと思うのですが、「皆さんの気持ちは僕は受け止めましたから。後は小田さんに言ってください。僕はわかりましたから、僕に言わないで小田さんに・・」って言う旨の発言をしてましたからね。
期待が膨らむのも無理はないですよねぇ♪
まあそうやってわくわく出来ること自体がうれしいことかもしれませんね。
こおしてネットワークが繋がることも驚きの時代です。
いつも長文すみません。
確かに周囲がチャレンジャーすぎますね(笑)
お二人が再び「ハモる」ためのハードルは、あとは小田さんの気持ちだけ、なのかもしれません。
ヤスさんの方は、ソロライブで『SAVE THE LOVE』の封印を解いて以降は、そういう頑なさが取れたようにも思います(思いたい)。
私は、最初に出会った音楽がオフコースサウンドだったものですから、このレベルが当たり前だと思ってしまって。
『LIVE』があまりに完璧すぎて、ライブっぽくないのが不満っていう贅沢ものです
メールをやりとりしていることや。
98年ごろの小田さんの会報もビデオでも
後姿がうつっていたりで、中学からの幼馴染の関係は続いているのだとおもっていました。
小田さんの心の中のもやもやは、
ヤスのなかの脱退への罪悪感と重なり、再結成は不可能であるとおもっていました。
小田さんが4人時代のオフコースを解散させるときは相当悩んでいたようで、ツアーまで中止しようとして、仁さんに止められた経緯を会報で呼んだ記憶があります。
すべてのことは思い出の中で同窓会のように
音楽を昔のように純粋にたのしめるといいね。
小田さんの心の中にもやもやしたものはずっとあったろうと思います。
今自分が、オフコースが解散した時の小田さんの年齢に近づいて、しみじみとその複雑な心境に想いを馳せるようになりました。
再結成は無理かもしれませんが、幼馴染の関係だけは大切に、いつか同窓会のように語り合える時が来ればいいなと思います。
そして、そこに「音楽」があれば最高ですね。
私は何故かずっとラジオ番組だと思い込んでいました…TVだったのですね
一連のヤスさんの姿が映っていたなんて。見てみたかったです。
私がこの手紙を知ったのは2014年夏です。書かれてからほぼ4年経ってから。
初めて文面を読んだ時、当事者でもないのにいろいろな感情が一気に渦巻いてとても複雑な気持ちでした(複雑でしたが、決してマイナスの感情ではなく)。
同時に、時の流れをしみじみ感じてしまいました。
一番気になっていたヤスさんの様子を知ることが出来て、嬉しいです。
個人的にはオフコースの再結成はないと信じているのですが、そんな自分でもこの手紙は高揚感を与えてくれますね。
記事にしてくださってありがとうございました。
もうオフコースの再結成はないでしょうし、それはそれで私も納得なのですけど。
それでも。
お二人が、音を、声をもう一度合わせる機会はあって欲しいですね。
再結成はなくとも、それは二人とも望んでる・・・ように思います。
こちらにたどり着きました。
Facebookで「小田和正さん・オフコース大好き」というグループを管理しています。
こちらの記事にリンクを貼らせていただきました。
貴重な記事をありがとうございます。
昨日のラジオをお聴きになったということでしょうか?私も聴いていて感動しました。
小田さんの手紙も7年も前になるんですね。
あっという間です。
「ひとりで生きていければ」
やっぱりヤスさんはこの頃の曲が好きなんだな~
などと思ったりしてます。
70になっても気持ちの整理がつきません、ってすごい世界ですね。
ファンでよかったと改めて感じました。
先日 のラジオ放送は私もリアルタイムで聴いてました。小田さんの正直な反応に胸熱でした。
今年に入って仕事上の立場が変わったことで余裕がないのと、他の方面への興味が増えたのとで、なかなかオフコースを考えることが出来ず…。私にとって、オフコースは特別な存在なので片手間では語ることが出来ないんですよね。脳内のオフコース濃度が上がればまた更新しますので、しばしお待ち頂ければ…と。
今までの曲もこれからの曲も大大大好きだからね。小田さんと時間を共有できるわたしは幸せものです。