松川です。またコメント多くなりそうなんで新記事立てます。テーマもしぼってズバリ「自我ってなに?」
参考にるいネットを検索したら松茂さんの投稿を発見。パソコンユーザーは直接読んでみてね。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=76801
ケータイユーザーのために、その投稿を引用・編集して以下に書きます。
★佑梨ちゃんや響子ちゃんが学校(教科書)で学んだ「自我」の概念(旧)とは?
デカルトの「我思う故に我あり」から始まる自我心理学(=一般に言う心理学)上の概念。自我心理学では、イドや自我は自己のアイデンティティーであって不変であると考えるため、もっぱら規範や共認である超自我に対してどうやって心を防衛する(=自我を確立する)かということを考えている。そのため、イドと超自我との葛藤対立はそのまま解消することがない。
★なんで屋(共認心理学)での「自我」の概念(新)とは?
「人々の共認こそが羅針盤」であるので、共認と対立葛藤する自我はとことん解体していくものと考える。自我を解体しきれば、共認や規範内容がそのまま潜在思念とつながった状態になるので、心の葛藤も消え去る。みんなに対する肯定視、同一視が基盤にあり、原始共同体を色濃く残している僕ら日本人の実感から生まれた新しい概念。
参考にるいネットを検索したら松茂さんの投稿を発見。パソコンユーザーは直接読んでみてね。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=76801
ケータイユーザーのために、その投稿を引用・編集して以下に書きます。
★佑梨ちゃんや響子ちゃんが学校(教科書)で学んだ「自我」の概念(旧)とは?
デカルトの「我思う故に我あり」から始まる自我心理学(=一般に言う心理学)上の概念。自我心理学では、イドや自我は自己のアイデンティティーであって不変であると考えるため、もっぱら規範や共認である超自我に対してどうやって心を防衛する(=自我を確立する)かということを考えている。そのため、イドと超自我との葛藤対立はそのまま解消することがない。
★なんで屋(共認心理学)での「自我」の概念(新)とは?
「人々の共認こそが羅針盤」であるので、共認と対立葛藤する自我はとことん解体していくものと考える。自我を解体しきれば、共認や規範内容がそのまま潜在思念とつながった状態になるので、心の葛藤も消え去る。みんなに対する肯定視、同一視が基盤にあり、原始共同体を色濃く残している僕ら日本人の実感から生まれた新しい概念。