みやがわみちこがお届けする「なんでも仙人」ブログ

東日本大震災から3年~みなさんにお届けしたい愛のメッセージ~

東日本大震災から3年がたちました。

今朝、たまたまテレビを見ていたら、
福島から京都に疎開されている
女性の方の活動について、
放映されていました。


その方は京都のみなさんのお力をお借りして、
「町やカフェ」を運営されている方でした。


被災地から疎開されてきた方が
この「町やカフェ」で集えるようにと、
居場所づくりをされている内容を取材した
情報番組でした。


「話を聴いてもらえるだけで救われる・・・」


そこに集まってこられる方々も、
カフェをされている女性の方も、
そうおっしゃっていました。

被災者の心のよりどころとなる
居場所づくりをされていることに、
わたしは感動で胸をうたれたのですが、

その女性の方は、こんな話をされたのです。

「わたしは京都に疎開していて、
京都のみなさんには本当によくしていただいて、
感謝の気持ちでいっぱいです。

 だけど、

福島に残っておられる方々のことを思うと、
 申し訳なくて・・・。」

そう言って、その女性の方は涙ぐまれました。

こんなにも頑張っておられる方でさえ、
「申し訳ない」と感じる・・・。

この思いを軽くしたい!

テレビを見ていて、
わたしはいてもたってもいられない
気持ちになりました。

実は、わたし自身も「申し訳なさ」を
感じていたからです。

わたし以外にも、多くの方が
「申し訳なさ」を感じておられるのでは
ないでしょうか?


なぜ「申し訳ない」と感じてしまうのか?

どうしたらそのエネルギーを軽くできるのか?

どうしたらしあわせのエネルギーが巻くのか?


ぜひ知りたい!


そう思いました。


そこで対話をしてみたら、
とても愛にあふれたメッセージが届きました。


そのメッセージをみなさまに分かち合いたいと思います。

もしこのメッセージに響いてくださる方がおられましたら、
どうぞご自由に分かち合ってください。

◆  ◆  ◆

「申し訳ない」には、

「自分はなにもしていない」
「何もできていない」
「自分だけ普通の生活がおくれている後ろめたさ」

がある。

今まで福島で一緒に暮らしてきた友人、仲間がいる人は、
その後ろめたさはさらに大きくなる。

「その人たちに悪い」
「申し訳ない」
というふうに・・・。

その感情の奥には、

「仲間を助けたい!」
「被災地で頑張っている人に、少しでも笑顔を届けたい!」
「今日一日を生き抜くための力を送りたい!」

という切実な願いがあるんだよ。

「生きる」ということに、真っ向から向き合っている人の、
強い想い、願いが・・・。

その想いは、祈りにも似ている。

ただ・・・、同じ祈るなら、
 自分も相手もしあわせにする祈りの方がいいね。

(みやがわ)「自分も相手もしあわせにする祈り方とは、
 どのように祈ればいいんですか?」

「あなたもわたしも、
今日一日を生き抜いてくれて ありがとう」

「辛いことがあっても、落ち込むことがあっても、
はいあがれないない時があっても、
大地に足をつき、
 今日一日を生きてくれて、ありがとう」


「生きる」ことは、あたりまえのことじゃない。

ただ呼吸をしているだけ、食べ物を口にしているだけで、
精一杯の人もいるだろう。

失った家族、仲間、地域の人たち・・・あまりに多くの喪失感と、
未来への不安でいっぱいの人もいるだろう。

なぜ自分は生きているのか?

なんのために生まれてきたのか?

なんのために大切な人たちは亡くなったのか?

答えの出ない問いを、いくどもいくどもしたことだろう。

その悲しみ、むなしさ、心の痛みは、どれほどのものだったか・・・

そんな中、

「今」を必死で生きてくれて、ありがとう。

そこに居てくれてありがとう。

あなたが、あなたとしてそこに居てくれて、ありがとう。

 ありがとう  ありがとう  ありがとう 


(みやがわ)「ものすごく強い愛のエネルギーを感じました。
無上の愛を感じます。(涙)

あの・・・、わたしはボランティアとして、一度も被災地に行っていません。
寄付はしているのですが、実際に支援している実感が得られず、
 申し訳なさを感じています。」


ボランティアとして被災地に行っていない・・・。

では、そちは、何もしていないのだろうか?

そうではなかろう?

今、自分ができる愛を放っているじゃないか。

何もしていないわけじゃない。

人はとかく自分の価値をゼロ評価することがある。

「自分はなにもしていない・・・。」
「役立っていない・・・。」

と。

だけど、そうじゃないんだよ。

一人一人が、ちゃんと今日一日を生きている。
その人の中では、めいいっぱい頑張っている。

それは被災地であろうとなかろうと、かわらない。

ボランティアとして被災地に行っていない・・・。
目に見えて役立った感が感じられない・・・。

これは、「与える側でいたい」という意識だね。

誰しも「与える側」でいたいものだ。

だけどね、それ、本当に相手は望んでいるんだろうか?

「与える側」「受け取る側」その境界線を、もう越えようじゃないか。

「あなたもわたしも、今日一日を
 めいいっぱい生きてくれてありがとう」


この言葉には、「与える側」「受け取る側」の垣根がない。

共に「今」を生きる者として、尊厳や感謝があふれているんだよ。

◆  ◆  ◆
















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