プロデュースユニット「ななめ45°」

白木原一仁による表現ユニット。関西を拠点に、パントマイム/ダンス/音楽を取り込んだ演劇をプロデュース形式で展開中!!

そういうものね

2011年01月25日 10時46分25秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
スゲー良い曲が出来た!
メロディもバッチリ、どんどん浮かんでくる。

でもこんなにスルスル繋がって出てくるということは、どこかで聴いた曲なのか?

まあいい、とりあえずこれを譜面に落とすか録音しなくちゃ。
うわ、今自転車こいでる。
早く家に帰らないと。
忘れてしまう前に何とか。

てか、ここどこだっけ?

どうすればこの緑道から抜け出せるの?
困ったー!



・・・というところで目が覚めた。
メロディなんてスッカラカン。

ぐはっ!

山の声

2011年01月23日 11時03分10秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
日に当たってると温かい気がします。

でも指先はジンジンしとります。
やはり寒いのな。

昨日、くじら企画「山の声」観てきました。
加藤文太郎という登山家のお話。
新田次郎著「孤高の人」で描かれた人のお話です。
マンガにもなってるよね。


いや~、何と言うか。

圧倒された。

加藤文太郎と吉田富久の最後の登山を演じていて。
登山記録の語り口調から会話へと繋がり、言葉のひとつひとつがその空間に舞い降りてくる。
寒さに震えつつ、口にする事で確信に繋がるそれぞれの想いが、降り積もる雪とリンクしていく。

雪山で遭難した2人が、寒さと疲労の中で思い起こす過去と現在。
行きつ戻りつ彼らは歩き続けていた。
山を登る事が、不器用な彼らの生き方であり歩み方であったのだろう。

しかし、チームではなく単独行を選ばざるを得なかったのは、彼の才能なのか業なのか。
一人で登破できる技術・体力・知識が、逆に他からの信頼に繋げられなかったのは非常に悲しいことである。
安心と安全の狭間で悩む姿が、やはり普通の人間なのだということを物語っていたように思う。

そして「山に登る」という事は、「降りる」という作業も同時に必要な行為だ。
むしろ下山のほうが危険を伴うはずである。来たルートを戻るのでなければ尚更の事。
いったいどんな想いがあるのだろう。
作中ではあまり触れなかった事であるが(見逃していたのかもしれないが)、非常に興味がある。
解放なのか、覚醒なのか、回帰なのか。

いずれにせよ「帰る場所がある」という事が、それだけで多くの意味を持つ。
それが、どんな状況にあっても諦めない理由となるのだ。
「会社に遅刻しないように下山しないと」という言葉には悲しさと笑いが、同時にそこにも彼なりの安心と安全の狭間が見え隠れしたように思う。

おそらく、目指していたのは未来ではなく立ちはだかる現実であり、それを五感全てで認識する事が目的だったのではないだろうか。
自然の驚異が見せる雄大さ、優美さ、厳格さが、生きる実感としての本能をくすぐり呼び覚ます。
それが飽くなき挑戦へと繋がっていたと。


2人で2時間という長丁場を、途中の出ハケ・休憩無しに上演。
その集中力と体力にも目を見張るものがあった。

会話の「間」を極力削り落とし、だが確実に内容を届かせる演出。
どんどん舞い込み降り積もる雪。相当な量。


残念だったのは、もっと積もってほしかった。
現実的な理由も分かりつつ。

でも、それだけ。
とても良かった。


今日は福岡からお送りします

2011年01月22日 08時28分58秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
・・・と、始めるつもりがそうはいかなくなったのでございます。

昨日移動で今日福岡でお仕事だったはずが、急に飛んでしまって。
というか飛んだこと知らされてなくて。参ったマイッタ。

自費で行くよな距離じゃなくてよかった。
行ってからだと泣くに泣けんよ。

そんなわけで本日はNG予定だった稽古に。
ただでさえ参加回数が少なくて迷惑かけがちだったので、結果良かったことにする。

そうして夜は2ndでくじら企画「山の声」観劇するずら。



それにしてもこの数日いろんな変更があった。

専門学校でも急遽手配が必要になって。
決定してからの配役変更なんて始めてだよ。
要するに降板手配だったんだけど。そこでは演出ポジだから。
理由はどうあれ、役者からすると「恥ずかしいこと」だもんね。

要望があっての事だけど、本心ではあれが本当に良い判断だったのか疑問は残ってる。
変更しなかった場合のほうがリスクが高い事も分かってはいるんだけどね。

ただ、その決断を求めた彼らは「大人」だった。
いや、子供なんだけど、思いやりのできる良い子達だ。
逆にいろいろ思い知らされる。

「優しいだけ」って、時に人を傷つけるもんね。
難しいよね。


すこーし溢れそうなアタマを何とか保ってる感じ。
目の前の事を処理するので精一杯。\(イカン)/

でも自分がやらなきゃ解決はしないのだよ。
「小さなことからこつこつと」
きよし師匠、がんばります。


ハッとして振り返る

2011年01月18日 23時28分54秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
毎日寒い日が続いております。

朝からいろいろテンパってました。

そんな一日も終了間近。


先程フラッとコンビニに行ったんだけどすれ違った男の人を2度見した。

そのいでたちが、

上から
ニットキャップ

マスク

ダウンジャケット

7部丈ズボン


・・・寒いだろ。
7部丈ってもヒザを隠してるくらい短めなのよ。

ファッションってガマンが要るものなのかしら。


無責任な〆

2011年01月17日 19時42分11秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
朝一からお仕事をして帰ってきました。
それほどバタバタではなかったものの、何かを考えるほどの余裕も無く。

そうして帰ってからmixiの日記などを覗いてみると…
今日は「1月17日」だったのですね。


本当にうっかりでした。
仕事を請けた時も気付かないままだった。
すごいいろんな想いがドワッと来た。
でも一番始めに来たのは忘れてしまっていたことに対して。

何か焦った。

「忘れちゃいけない事」というほど高尚な考えとかがある訳じゃないけど。
自己嫌悪というか悔しいというか。
でも本当はそういうことじゃなくて。
うまく言えないんだけど、落ち着かなくなってる。

とりあえずギターロック系を流して、余計なことを考えようとしている。



友達が、寝苦しさで目が覚めて ふと時計を見たら5:52だった、って日記に書いてた。
出来過ぎだけど彼女の感覚が引き起こした事実だ。
自分なのか他人なのか記憶なのか叫びなのか囁きなのか。誘いでないことを切に祈る。

自分は今幸せだ。
そう思う。

どうせ何かしらの命を吸収しないと生きてはいけないのだから、先に逝ったヤツらの何かしらを喰らって自分の一部や活力にしてしまえばいい。
その上でならば忘れることは罪では無いと思う。
あ、これは自分の言い訳ではなくて。


怖いのかもしれない。
毎年この件について思い返したりブログに書いたりしてたけど、今ようやく怖かったことを認識した。
あの日親戚を助けには行ったけど、本当の当事者ではなかったし。
だから経験した人達とは全然比べものにならないだろうけど。
怖いんだと思う。
今更。

押しつぶされそうな不安の恐怖ではなくって、未知への畏怖に近いか。
コワいんだけど何か背中を後押しされる様な、何かをしないと気が済まない様な感覚。
映画「NIL BY MOUTH」見終わった時にも感じたと思う。
一体何なんでしょうかね?

まだわかんないや。
誰か教えてくんないかな?


おっともうこんな時間。
書き始めが19:42になってる。
途中いろいろやってたからなあ。
投稿時間をリセットしときます。
垂れ流し文章できっとムチャクチャだろうけど、今回はカンベンしてください。
無責任ですが今日のところは。
自分も読み直して、必要があれば書き直します。明日以降に。おやすみ。



1月18日追記
やっぱり文脈とかいろいろおかしいけどこのままにしときます。
また来年も読み返すと思いますし。
読みにくくてごめんなさい。