旅限無(りょげむ)

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何かが起こる前に 其の壱

2005-09-09 12:10:55 | 社会問題・事件
■2年間の時限立法だった「テロ対策特別措置法」がなし崩しに延長されてから、11月1日に期限をやって来ます。言わずと知れた2001年9月11日の米国を襲った同時多発テロに対応して大急ぎで作った法律で、同年11月25日には海上自衛隊の補給艦が出発したのでした。2年ごとに派遣を見直す約束になっていますから、2003年の11月に特別な議論にもならずにほぼ自動的に更に2年間の延長。そして、4年目に当たる今年が2度目の節目になるというわけです。でも、インド洋に派遣されている海上自衛隊員の肉声や激務と噂される現場の様子はほとんど報道されていませんなあ。「2度と行きたくない」という自衛官の発言がテレビで流れたことが有りましたが、日本のジャーナリストの中で補給艦に同乗して取材する人はいないようですし、激励に行く政治家もいないようですなあ。

■何よりも本当の目的とされているアルカーイダ撃滅やビン・ラディン殺害(逮捕)が現在どんな状況で進められているのか、これもさっぱり報道されていませんが、毎日、水と燃料を炎天下の洋上で補給し続ける自衛官にも作戦の進捗状況は知らされているのでしょうか?自分達が危険を冒して補給作業を続けているのに、それが作戦にどんな貢献をしているのかを知らされないとしたら、まるで「シジフォス神話」みたいなもので、精神的に参ってしまいますぞ!

■陸上自衛隊の方は大騒ぎしたわりには、例の困ったボランティア3人組の人質事件が起こったりして、元々、国会でも枝葉末節の「素人談義」に終始していたイラク派遣問題でしたから、マスコミが飽きたらそのまま放置されているような状態のようです。改めて派遣までの推移を振り返りますと、


03年3月18日、ブッシュ大統領がイラクに最後通告。小泉さん「全面的支持」発言。
03年3月20日、イラク戦争開戦
03年5月1日、ブッシュ大統領「大規模戦闘終結宣言」
03年5月23日、日米首脳会談で小泉さん「積極的役割」表明。
03年6月13日、政府が「イラク復興支援特別措置法案」国会に提出。
03年7月26日、「イラク特措法」成立。

もう忘れてしまった人も多かったでしょうが、こんなに大急ぎだったのですなあ。後に外務官僚が脳味噌に汗かいて法的に問題の無い自衛隊の派遣方法を捻り出したのでした。

■慌てて作った法律を実行しようと、政府は必死で「非戦闘地域」
を実証しようと努力しましたなあ。


03年9月14日、政府調査団がイラクに出発、10月9日に帰国。
03年10月24日、イラク復興支援国会議で川口外相が50億ドル支援を発表。
03年11月14日、ラムズフェルド国防長官来日、小泉さんが「できるだけのことをやる」と発言。
03年11月15日、自衛官の専門調査団がイラクに出発。同月28日帰国
03年11月29日、ティクリートで外交官2人が射殺される
03年12月3日、「サマワは安全」との専門調査団報告に基づいて石破長官が首相に「自衛隊派遣は可能」と説明。
03年12月9日、自衛隊派遣基本計画を閣議決定。小泉さんは「武器・弾薬」の輸送はしないと言明。
03年12月13日、フセイン大統領の身柄を米軍が拘束。
12月19日、石破長官が陸海空自衛隊に準備命令、航空自衛隊先遣隊に派遣命令。
03年12月20日、神崎公明党代表がサマワを視察。
03年12月26日、空自先遣隊の一部がクウェートに出発。


当時、国連無視の独断だと責められていた米国は、形だけでも良いから日本の自衛隊派遣を求めていましたが、こうして振り返ると日本も大慌てだったことが分かります。後に、フセイン大統領はずっと前に拘束されていて、米国は発表のタイミングを計っていたのではないか?との疑惑が出ましたがうやむやのままに終りましたなあ。

■年が明けて1月9日に、石破長官が陸自先遣隊と空自本体に派遣命令を出して、同月16日に陸自先遣隊が出発したのでした。その後、現在まで幸運にも犠牲者は出ていませんが、オランダ軍やイギリス軍ばかりでなく民間軍事会社の社員にも守られている自衛隊の現状がバレてしまいました。見た目には重武装しているようですが、実際は丸腰同然の自衛隊員は現地人からは「軍隊」と思われ、自分達は軍服を着た土木作業員だと思うしかない立場になっているのです。

其の弐に続く

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1 コメント

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同時多発テロ (東北のこやなぎ)
2005-09-10 07:55:20
お邪魔します。「同時多発テロ」関連でトラバさせていただきました。

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