さわやかな5月になりました。
我が家の庭にも野ばらが咲き始めました。
それから 私が手塩に育てた大輪のばらも見事に開花しました。
窓辺からみた風景です。
この大輪のばらは、「クイーン・エリザベス」といいます。
名のとおり、誇らしく咲いてるでしょ!
さて、今日は、薔薇にちなんで、グリム童話「いばら姫」の各版の比較をしましょう!
すでに、★グリム童話ミニ講義1★ と ★グリム童話ミニ講義2★ で
グリム童話の成立の事情についてお話をしましたので、
まだお読みでない方はそこをクリックしてみてくださいね。
それでは、いばら姫が百年の眠りから目覚めるときの語りの文体を比較してみましょう!
■グリム童話1810年初稿
王子がいばらの垣根に近づくと、いばらはみな花のようになって道をあけ、王子が通り過ぎると、
また、いばらにもどりました。
■グリム童話1812年初版
王子がいばらの茂みに近づくと、あたり一面にばらの花が咲いていました。それが分かれて、
王子がその中を通って行くと、うしろはまたいばらになりました。
■グリム童話1819年第2版
さて王子が来た日は、ちょうど百年が過ぎ去るときでした。王子がいばらの垣根に近づいていくと、
それは一面に大きな美しい花になって、ひとりでに道を開いたので、王子は傷もつかず、
いばらの中を通り抜けました。するとうしろで、ばらはまた垣根になって道を閉じました。
■グリム童話1857年第7版
さて、ちょうど百年が過ぎ去って、いばら姫がまた目を覚ます日がやってきました。
王子がいばらの垣根に近づくと、あたり一面大きな美しい花になって、ひとりでに道を開け、
王子を傷つけずに通し、うしろで、また閉じて垣根になって道を閉じました。
読み比べていかがですか?
口伝えの素朴な表現が、だんだん詳しくなっていますね。
第2版以降は、ばらの花が「大きな美しい花」となって表現が詳しくなっていますね。
また第2版では、「ちょうど百年が過ぎ去るときでした」と、「時の一致」を明確に述べていますね。
でも、第7版の「いばら姫がまた目を覚ます日がやってきました」と述べるのは
話の筋の先取りで、ちょっと言い過ぎのように思います。
でも第2版の「王子は傷もつかず、いばらの中を通り抜けました」よりも
第7版の「(花は)王子を傷つけずに通した」のほうが、
バラの花を擬人化していて、メルヘンらしい表現ですね。
ひとつのパラグラフだけの比較だけでも、こんなに新しい発見ができます。
ぜひ、他の部分も是非みてくださいね。
以下に文献をあげておきます。
■グリム童話(初稿・1810): メルヒェン集 エーレンベルク稿 小沢俊夫訳
(ドイツ・ローマン派全集 第15巻 グリム兄弟篇 国書刊行会・所収)
■グリム童話(初版・1812): 初版グリム童話集 全4巻 吉原高志/吉原素子訳 白水社
■グリム童話(第2版・1819): 完訳グリム童話 - 子どもと家庭のメルヒェン集 全2巻 小沢俊夫訳 ぎょうせい
■グリム童話(第7版:決定版・1857): 完訳クラシック・グリム童話 全5巻 池田香代子訳 講談社
「いばら姫」の全テキストを比較してみて、私は第2版の文体が一番好きです。
第7版は、弟ヴィルヘルム・グリムの加筆が多すぎ、民話の素朴な文体が少し殺(そ)がれている感じです。
では、★グリム童話ミニ講義6★はこれでおしまい。
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みなさん、5月21日の「金環日食」見ました?
その日の朝は、大阪の高槻にいたのですが、ばっちり見ましたよ!
午前7時半前後は、日食メガネで、リング状の太陽にみとれて、
少し遅れて、カメラに収めたのが以下の写真です:
今日は、これでおしまい! また次の土曜まで、お元気でね!
我が家の庭にも野ばらが咲き始めました。
それから 私が手塩に育てた大輪のばらも見事に開花しました。
窓辺からみた風景です。
この大輪のばらは、「クイーン・エリザベス」といいます。
名のとおり、誇らしく咲いてるでしょ!
さて、今日は、薔薇にちなんで、グリム童話「いばら姫」の各版の比較をしましょう!
すでに、★グリム童話ミニ講義1★ と ★グリム童話ミニ講義2★ で
グリム童話の成立の事情についてお話をしましたので、
まだお読みでない方はそこをクリックしてみてくださいね。
それでは、いばら姫が百年の眠りから目覚めるときの語りの文体を比較してみましょう!
■グリム童話1810年初稿
王子がいばらの垣根に近づくと、いばらはみな花のようになって道をあけ、王子が通り過ぎると、
また、いばらにもどりました。
■グリム童話1812年初版
王子がいばらの茂みに近づくと、あたり一面にばらの花が咲いていました。それが分かれて、
王子がその中を通って行くと、うしろはまたいばらになりました。
■グリム童話1819年第2版
さて王子が来た日は、ちょうど百年が過ぎ去るときでした。王子がいばらの垣根に近づいていくと、
それは一面に大きな美しい花になって、ひとりでに道を開いたので、王子は傷もつかず、
いばらの中を通り抜けました。するとうしろで、ばらはまた垣根になって道を閉じました。
■グリム童話1857年第7版
さて、ちょうど百年が過ぎ去って、いばら姫がまた目を覚ます日がやってきました。
王子がいばらの垣根に近づくと、あたり一面大きな美しい花になって、ひとりでに道を開け、
王子を傷つけずに通し、うしろで、また閉じて垣根になって道を閉じました。
読み比べていかがですか?
口伝えの素朴な表現が、だんだん詳しくなっていますね。
第2版以降は、ばらの花が「大きな美しい花」となって表現が詳しくなっていますね。
また第2版では、「ちょうど百年が過ぎ去るときでした」と、「時の一致」を明確に述べていますね。
でも、第7版の「いばら姫がまた目を覚ます日がやってきました」と述べるのは
話の筋の先取りで、ちょっと言い過ぎのように思います。
でも第2版の「王子は傷もつかず、いばらの中を通り抜けました」よりも
第7版の「(花は)王子を傷つけずに通した」のほうが、
バラの花を擬人化していて、メルヘンらしい表現ですね。
ひとつのパラグラフだけの比較だけでも、こんなに新しい発見ができます。
ぜひ、他の部分も是非みてくださいね。
以下に文献をあげておきます。
■グリム童話(初稿・1810): メルヒェン集 エーレンベルク稿 小沢俊夫訳
(ドイツ・ローマン派全集 第15巻 グリム兄弟篇 国書刊行会・所収)
■グリム童話(初版・1812): 初版グリム童話集 全4巻 吉原高志/吉原素子訳 白水社
■グリム童話(第2版・1819): 完訳グリム童話 - 子どもと家庭のメルヒェン集 全2巻 小沢俊夫訳 ぎょうせい
■グリム童話(第7版:決定版・1857): 完訳クラシック・グリム童話 全5巻 池田香代子訳 講談社
「いばら姫」の全テキストを比較してみて、私は第2版の文体が一番好きです。
第7版は、弟ヴィルヘルム・グリムの加筆が多すぎ、民話の素朴な文体が少し殺(そ)がれている感じです。
では、★グリム童話ミニ講義6★はこれでおしまい。
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みなさん、5月21日の「金環日食」見ました?
その日の朝は、大阪の高槻にいたのですが、ばっちり見ましたよ!
午前7時半前後は、日食メガネで、リング状の太陽にみとれて、
少し遅れて、カメラに収めたのが以下の写真です:
今日は、これでおしまい! また次の土曜まで、お元気でね!
個人的にはチャールストンが好きなんですが、薔薇は棘があるから、育てる気にはなりません。
(もっとも、鉄の手を持つ身としては、ガーデニングがとても苦手。最近は、忙しさにかまけて、雑草抜きもサボっております。)
「いばら姫」の比較…難しいけど、面白い。
グリム兄弟の進化(変化)は、文章を考えるうえでもとても勉強になると思いました。
「いばら姫」の比較楽しいですね!
第7版にかけて、心理描写が増えていくことは、「ふーん、いばら姫もこんなこと考えていたんだ!」なんて思えて、楽しいです。
金冠日食は残念ながら移動中で見られませんでした…なので、その後、いろんな方に写真を見せていただいて楽しんでいます!