竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

なんとシンデレラの靴が正倉院展にあった?!

2010年10月31日 | 日記
昨日、正倉院展に行ってきました。
今回の見どころは、19年ぶりに出陳された螺鈿紫檀五絃琵琶でした。
その楽器は下記の国立博物館のホームページで観ていただくとして、
62回正倉院展

私が感激したのは、なんとシンデレラの靴が正倉院展にあったことです。
エー、そんなことはありえないと思うあなたにじっくり案内します。

シンデレラの靴というとみなさん、何を思い出しますか?
フランスのペロー童話では、ガラスの靴ですよね。
フランス語では「ガラス」と「毛皮」の発音が似ているので
ペローは口伝えの話を聴き間違えてしまった。
もとは「毛皮の靴」だったとの説もあります。

さて、ドイツのグリム童話では、灰かぶり姫は、3度ハシバミの木に願って、
鳥からドレスと靴をもらいます。
1度目は「金と銀のドレス」と「絹と銀で刺繍した靴」
2度目は「きのうよりももっと立派なドレス」とあり、靴のことは触れられていません。
3度目は「いままで誰も着たことのないような立派な輝くドレス」と「黄金(きん)の靴」を
鳥からもらいます。

特に1度目の「絹と銀で刺繍した靴」に注目したいと思います。
原語では 靴は Pantoffel とあり、正確には「スリッパ、室内ばき」です。

ところで、今回の正倉院展では、光明皇后自身が着用した可能性もある
「繍線鞋(ぬいのせんがい)」が出陳されていた。



これは、錦で織られており、花鳥文錦の刺繍が施されています。
唐の都の女性たちの間で愛用されていたといいます。
それが遣唐使によってわが宮廷へも舶載されたようです。

実はシンデレラのルーツはどうも中国にあるのを、皆さんご存知ですか?
9世紀の中国で書かれた『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』に出てくる「葉限(イェー・シェン)」と言う物語です。

継母にいじめられた葉限は、願いをかなえてくれる不思議な魚から、翡翠の羽衣と金の靴を出してもらい、
着飾ってお祭りに出掛けた。しかし祭りの場で継母たちに姿を見られてしまったので、慌てて家に引き返した。
その時に金の靴の片方を落としてしまう。その靴はある人に拾われ売られ、回りまわって王さまの手に入る。
金の靴は毛のように軽く、石を踏んでも音がしない。王さまは、この不思議な靴を国中の婦人に履かせてみたが、
一人としてぴたりと履ける者が無かったが、最後に葉限が履くとぴったり合い、王さまの后になる。

ところで、シンデレラのルーツが中国にあると最初に指摘したのは、民俗学者の南方熊楠です。

中国では昔、身分の高い家の娘には「纏足(てんそく)」という風習があり、
足の小さい人は美人とされたのです。

葉限の靴もきっと「繍線鞋」に似たものだったろう。

グリム童話の灰かぶり姫の「絹と銀で刺繍した室内履き」もこれと似たもので
あったでしょう。

というわけで、「シンデレラの靴が正倉院展にあった」と言っても
いいと思いませんか?!

あなたも、是非、正倉院展に行って、シンデレラの上靴を見てきてください。
もちろん、五絃琵琶、繍線鞋のほかにもすてきな宝物が展示されていますよ。

11月11日までやってます。金、土、日曜は午後7時まで延長しているので
夕方5時に行くのがねらい目ですよ。私もそうしました。

秋の奈良なら民話祭・1ヶ月後に迫る!

2010年10月27日 | 日記
このブログを見ていただいている皆さま!

私たち、奈良の民話を語りつぐ会では
秋の奈良民話祭りを11月27日(土)、28日(日)に
国際奈良学セミナーハウスで開催します。
下記サイトをご参照ください:
「奈良なら民話祭り」

いよいよ、秋の民話祭まであと1カ月です!

オンラインでお会いしている皆さま、
奈良民話祭りは、いわゆるオフ会です。
このブログの交流会です。

ネットでご縁を頂いている皆さま、
是非ぜひ、お子さま、お孫さまとご一緒にいらしてくださいね!

参考のため、夏の民話祭(8月11日・12日)のスナップ写真を見てください。


子どもたちも目を輝かせて聞いてくれました。

さらに、下記のブログも見てくださいね。

夏の奈良民話祭・盛会!感謝!

今は家庭で伝承されなくなったふるさと奈良の民話のかずかずを
お届けします。

秋の民話祭の詳しいプログラムなどは分かり次第、またブログで紹介します。

あっ、それから『ぱーぷる』11月号のイベント情報(83頁)でも案内が載ってますよ!



御鎮座1800年住吉大社特別展を観て来ました!

2010年10月24日 | 日記
昨日、天王寺美術館に「住吉さん 住吉大社1800年の歴史と美術」を
観て来ました。



奈良は平城遷都1300年祭でにぎわっているが、
住吉さんは、御鎮座1800年と言うのだから、
奈良よりさらに500年も古いことになる。

つまり、住吉神の出現は神話に始まる。
イザナギの神が黄泉(よみ)の国から地上に帰り、
禊(みそぎ)をして清めたとき、住吉三神が生まれた。
住吉三神は神功皇后が朝鮮出兵の時に、海上を守護したという。
このように、住吉明神は古くから海路安全の神として崇敬され、
遣唐使の出発にあたっては住吉社に旅の平安を祈願するのがならわしであった。
のち神功皇后も合祀された。

大陸からの客人も、九州から瀬戸内海を通り、まず住吉浦に上陸し、奈良に向かった。
この地の歴史的重要性を再認識する必要がある。

ところで、住吉神は文学作品にもよく出てくる。
源氏物語では、源氏が住吉詣で明石の君と行き合わせる「澪標」が有名である。

そういえば、御伽草子の「一寸法師」は、難波里に住む夫婦が
住吉大社に祈り、授かった子であった。
住吉浦より船出して都に上り、


             (板本『一寸法師』より)

鬼を退治をして、
打ち出の小槌で立派な若者になり、
公家の姫と結婚し、中納言にまで出世するにだった。

子どもの頃、初詣にはチンチン(阪堺)電車に乗って住吉さんに行き、
太鼓橋を渡って参拝したのを思い出した。

そして1800年前に想いをはせた一日だった。




女性の柔肌に魅せられ神通力を失った仙人がいた!?

2010年10月21日 | 日記
今回も吉野の民話をひとつ、紹介しよう!

女性の柔肌に魅せられ神通力を失った仙人がいたのです。
少し長い話ですが、面白いので、読んでくださいね。


久米の仙人

ずっーと昔、吉野に竜門寺ていうお寺があってな、
この寺に二人の男がこもって、仙人になる修行をしてたんやて。
一人はあつみ、もう一人は久米という男やった。
仙人になるには、滝にうたれたり、山や谷を駈け巡ったりの厳しい修行をして、
雲をおこしたり、風をよんだり、空を飛ぶ術を身につけんとあかん。
二人は毎日毎日修行を重ねて、とうとう、あつみの方が先に空を飛べるようになったんやて。
「ほな、先行くで」ゆうて、あつみは空の彼方に飛んでいってしもた。
「あーあ、先を越されてしもた」と、それからは、久米は夜寝るのも惜しんで修行した。
そうして、やっとのことでどうにか、空を飛べるようになったんや。
さあ、ちょっとでも空を飛べたら久米はうれしゅうてしゃあない。
はじめは山の辺りを飛んでたんやけど、
「わしもすてたもんやないで、もっと飛んで行けるがな」と、
調子に乗って、山里のほうまで飛んでいったんや。

吉野川の川辺りのほうを飛んでたときのことや。
ひょっと、下を見たら、若いきれいな娘が川で洗たくをしている。
裾を巻くし挙げて雪のように白い足を見せて、せっせと洗たくをしていた。
「わー、きれいなねえちゃんやなー」
久米は、くらくらっとして、自分が空を飛んでること、ころっと忘れてしもた。
そのとたん、ドスーンとそのまま下に落ちてしもた。

「ひゃあ、空から人がふってきたあ!」と、娘はびっくりしたけど、
気のええ久米と、なんとなく気が合うて、いつの間にやら二人は夫婦になってた。
折角厳しい修行して、やっと仙人になったのに、久米は唯の人間にもどって、
娘の村で、娘と仲良う暮らすようになったんや。

その頃、天皇が、高市(今の明日香村のあたり)に、新しい都を造ることにしはった。
大勢の人が集められて、材木や土を運んだりして都造りがはじまったんや。久米もその中にいてた。

ある日のこと、仲間等が久米のことを「仙人、仙人」と呼ぶのを聞いた役人が
「なぜ、久米を仙人と呼ぶのか」とたずねはった。
「へえ、あいつは、昔仙人でございましたが、
川で洗たくしてた女の足にくらくらっとして、
空から落ちてきよりましてな。わしらの村で住むようになりましてん」
それを聞いて、役人は
「ほう!もとは仙人であったのか」と感心して、久米を呼ぶと
「お前は、仙人であったそうじゃな。ひとつ頼みがあるのだが、
お前の術で材木運びを手伝ってはもらえまいか。
この大きな材木を運ぶのは難儀な仕事でな、怪我人も出ておる」
と頼まはってんて。久米は考えた。
「そんなこといわれたかて、わしはもう唯の人間に戻ってしもて、
術は使われへん。けど……人助けのためやったら……もう一回ためしてみよかなあ」
久米は
「できるかどうかわかりませんけど、もう一度やってみましょう」
そういうと、その日から、何も飲まず食わずで、
七日七晩こもって一心に祈り続けたんや。

八日目の朝、にわかに空を黒雲が覆い、雷がごろごろと鳴り響いたと思うと、
ざーっと物凄い雨が降り始めた。みんな恐ろしいて、ちっちょうなってたんや。
そのうち、ぴたっと雷がおさまると、空が晴れ渡っていったんや。
みんなが外へ出ると、材木が空を飛んでるがな。
山から切り出してぎょうさん積んだった材木が、
次から次へと浮かんでは都のほうへ飛んでいくんや。
都では、飛んできた材木がきちんと積み上げられていったんやて。
こうして、難儀な仕事があっという間にかたづいて、
みんな大喜びや。
天皇も、この話を聞いてえらい感心しはってな。
久米に広い土地をくださって、久米はそこにお寺を建てたんやて。



それが、今の橿原神宮の側にある久米寺やねんて。

原話:『ふるさとお話の旅 奈良・大阪―やまと・なにわの昔語り』星の環会
再話:吉房 啓子

再び「伯母が峰の一本足」を語ろう!さてどんな妖怪かな?

2010年10月18日 | 日記
今、吉野の民話地図を作成中です。

吉野には「蛙になった人間」、「ガタロウのくれた薬」、「狼報恩」、「犬を飼わない村」など
動物や妖怪が出てくる話もたくさん、あります。
吉野での妖怪話といえば、やはり「伯母が峰の一本足」でしょう。

5月19日のブログ
でも一度取り上げましたが、
もう一度、別ヴァージョンで語ってみよう!


伯母が峰の一本足

むかし、伯母が峰に大きな猪(イノシシ)が出て人をとって食ういううわさやってん。
あるとき、ひとりの侍が、
「その大猪、退治したろ」いうて犬連れて山の中に入っていってんて。
伯母が峰の奥まで来ると犬がえらい鳴きだしたん。
見ると、クマザサがえらい揺れたあんねん。
ところが、クマザサやと思たんは、背中にクマザサがいっぱい生えた猪やってん。
猪は、だあっとかけだして、谷渡って逃げよった。
犬は追いかける。追いつめられた猪は牙鳴らして犬に向こうてきた。
侍は、ねらい定めて鉄砲を撃った。
猪は弾が当たって暴れまわりよったけど、
とうとう力尽きて倒れてしもうてんて。

それから何日かして、紀州の湯の峰温泉に、
足を痛めたひとりの野武士が湯治に来てんて。
野武士は宿の主人に、
「静かなはなれの座敷かしてくれ」いうてん。ほんで、
「わしが寝てるときは、だれも来たらあかんぞ。のぞいてもいかんぞ」いうねんて。
あんまりきつういうもんやから、
主人は(おかしいなあ)と思て、夜寝にそっとのぞいたんや。

ほしたら、寝とったんは、背中にクマザサが生えた猪やってん。
主人が(あっ)と思たら、そいつ目さましよった。
「きのう、あれだけ見るないうたのに、見たな。
わしは、伯母が峰に棲んでた猪笹王の幽霊や。
侍に撃たれて無念でならん」いうねんて。ほんでな、
「あの侍の犬と鉄砲を手に入れてくれ」て頼むねんて。
主人、そんなことようせんかった。
そしたら猪笹王の幽霊は一本足の鬼になって、
伯母が峰を通る人を襲うようになってんて。



それからしばらくして、ひとりのお坊さんが伯母が峰にお地蔵さんをまつって、
お経を埋めて経塚を作り、鬼を封じ込めたんやて。
それで旅人が通れるようなってん。
けどな、お坊さんは、
「毎年十二月二十日だけはおまえの好きにせえ」て鬼にいわはってん。

そやから「果ての二十日」いうて、この日は伯母が峰の厄日や。
この日は伯母が峰通ったら鬼に食われるいうねん。
ほんで、その晩に限って、猪笹王を撃った鉄砲が、
どうもせんのに汗をかくんやて。
その鉄砲は天ヶ瀬の祠に納めてあるいうことや。

原話:高田十郎『大和の伝説』
再話:村上 郁   不許転載
 

「犬を飼わない村」があるってホント?!

2010年10月14日 | 日記
ただ今、「吉野民話地図」を制作中です。
そこで、今日は吉野の民話をひとつ紹介します。


犬を飼わない村

むかし、大海人皇子が吉野から窪垣内に逃げてきはったときのことや。
皇子が婆河原まで来たら、



おじいさんとおばあさんが、紙すきの船を洗うておまつりしてはってんて。
皇子は、「賊が追うてくるから助けてくれ」て言わはってん。
おじいさんとおばあさんは、すぐに船をひっくり返して伏せて、
皇子をその中に隠してあげたんや。
ほんで、船のうえに樫の実の粉をお供えしててんて。
そこへ、賊の犬が追いかけてきて、
鼻をくんくんさせて船のまわりをくるくる回ったんや。
おばあさんが、
「この犬はいやしい犬や。お供えを食べよと思てほえる」
いうて怒ったら、追いついてきた賊が、
「そな行儀の悪いことをしたらあかん」
いうて、犬を殺してんて。
おかげで皇子は助かったいうことや。

それからや、窪垣内では犬を飼わんことになってんて。
その犬をまつった犬塚いうのが今でも窪垣内の旧国栖小学校の庭にあるねんで。



原話:奈良県吉野町・国栖の昔話(上)(『昔話―研究と資料十九』)
再話:村上郁    不許転載


別の話では、次のように語っています。

追手が連れていた犬カグハナが舟の周りでにおいをかぎ出し、
皇子が見つかりそうになったため、
翁(おきな)が赤い石を投げたところ、
石に当って犬は死んでしまいました。
死んだ犬カグハナは大津の京に置いてきた大海人皇子の愛犬だったことを知った里人は、
その亡きがらを岡の上に葬りました。
これが現在の犬塚です。
翁が投げた石は麓の御霊神社に安置され現在に伝わっています。


この話は、壬申の乱をめぐる一エピソードである。

天智天皇の弟の大海人皇子と天皇の長子である大友皇子が
皇位継承をめぐり起こした内乱において、
大海人皇子は、671年12月に天智天皇が崩御すると、吉野・宮滝に逃れたが、
翌年6月、宮滝から決起する。

吉野・窪垣内ではその頃の村の事件として、今にこの話を伝えているのである。
しかも、今に至るまでこの話を契機として、
村では犬を飼わないというのであるから、オドロキである。

フィールド・ワークでこの話を聞いたのだが、
すぐ隣の村では犬を飼っているのに
窪垣内では犬を飼うと、火事が起こったり、
よくないことが起こるので飼わないそうである。

壬申の乱の出来事が村の伝承としていまだに
村に息づいているのである!

わらべ歌「花いちもんめ」は中国の「歌垣」に繋がっている!

2010年10月11日 | 日記
平城遷都1300年祭記念祝典が
先日10月8日に平城宮跡会場で華やかに行われた。



私のブログのタイトルも「遷都1300年平城京とっておきの話」と
なっているので、やはりこの記念行事について触れておこう。

藤原不比等にふんした狂言師の野村万蔵さんの「遷都のみことのり」(708年)
の読み上げ、荒井知事のあいさつ、天皇陛下の「お言葉」に続いて
子どもたちの歌声が会場に響いた。
楽劇「平城・アジア友好の架け橋 第一景はじまりの歌」
これがとても印象的だった。

中国少数民族の苗(ミャオ)族による歌垣が披露され、



そのあと、日本の子どもたちによるわらべ歌「花いちもんめ」の歌声が響いた。



古代、日本でも男女の歌の掛け合いがあり、
それが現代の子どもたちの歌遊び「花いちもんめ」に
繋がっているのだ。

日中韓の子どもたちによる歌声がとても耳にここちよかった。


(追伸)
昨日は、以前ブログ(9月19日)で紹介した「日本昔話学会・特別講演会」があり、
奈良の民話を語りつぐ会の方々も来られており、
とてもうれしかった。

三原、福田、大島の三先生、
いづれも長年の研究の一端を熱く語られ、大いに学問的刺激を受けた。


小澤俊夫氏が「爆笑問題のニッポンの教養」で大いに語る!

2010年10月07日 | 日記
10月5日夜、何気なくNHKテレビを見ていると、
小澤俊夫先生が映っていたので、びっくりした。
なんと、「爆笑問題のニッポンの教養」に出演されていた。



30分の短い時間ながら、昔話の本質を
視聴者にも分るように、明快に語られていた。



爆笑問題の太田さんと田中さんのツッコミもあって、
楽しく聞けた。

例えば、こんな話題である――

ディズニーの影響もあって、白雪姫は王子のキスで目覚めると
一般に信じられているが、
グリム童話では、ガラスの棺を運んでいた家来が切り株に
足を取られてよろめき、その拍子に、白雪姫の喉から
毒リンゴが転げ落ちて、目覚めるのである。――



そのようなメルヘンの隠れた真相を
三匹の子豚、シンデレラなども事例に語られていた。

視聴者にとって、「目からうろこ」であったでしょう!

最後の昔話の残酷さの議論も、奥深く傾聴に値した。

とりあえず、下記のサイトをご覧あれ!

「白雪姫は死ぬのがお好き?」

そして、見逃した方は「NHKオンデマンド」で見るのもいいですね。


「なら・語り手入門講座」申込・締め切りました。

2010年10月03日 | 日記
昨日は 講 演 と 語 り   
「グリム童話と語りの様式―『金の鵞鳥』をめぐって」
に多くの方に来ていただきありがとうございました。

『金の鵞鳥』をめぐって
グリム童話、ベヒシュタインの童話、スイスの民話を
村上郁さんに語っていただき、
さらに、絵本、映画、アニメも見て、
その多様な表現様式を
楽しんで、いただきました。

講演のあとでも紹介しましたが、
今回、ブログでも、12月から来年3月にわたって13回開催される
「なら・語り手入門講座」の受講者応募の
案内をいたします。
受講料なし、定員20名で、先着順で、
最終締め切りは11月15日です。
詳しくは、下記のサイトをご覧ください。

「なら・語り手入門講座」

あなたも語りのノウハウをみにつけて、
「なら民話祭り」で語ってみませんか!

(追記)
好評につき、定員20名に達しましたので、
募集を締め切りました。 10月7日