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ぼくとけっこんしてくにになろうその10

2012-12-15 16:54:53 | APH


 あの2度目の世界大戦終了時にフランシスは言った。「この際、ドイツを5つに分けて管理しよう」
つまり戦勝国のフランス・イギリス・アメリカ・ロシアで分割管理しようと主張した。
あの時フランシスの提案が受け入れられていれば、フランシスの悪友は今も現役の国だったはずだ。

 勝者である連合国のうち4カ国で分割するのに5分割、お気づきの方も居るだろう。この時点でフランシスはギルベルトをベルリンを中心とした独立国とし、他にイギリス保護国のハノーバー連合、ロシア保護国の東部連合、アメリカ保護国の南部連合、フランス保護国の西部連合に分割しようとした。
 そこに『ドイツ』の生き残る余地は無い。なぜか?ごく簡単なことだ。
 フランシスは『ドイツ』を嫌いだったから。

 現在の両国を、EUの2枚看板と呼ばれる両国を知る読者から見れば、フランシスが『ドイツ』を消したいほど嫌いなのは理解できないだろう。2011年時点でフランスとドイツはヨーロッパをまとめる相棒として、お互いを深く信頼し敬愛している。だが考えてほしい。これは1945年頃の話である。

 ルートヴィッヒの公式デビューは1870年戦争、つまり普仏戦争。この時ルートは最初は国家体現者ではなく、将校の1人として参戦した。ギルベルトとしてはかわいい弟の最初の戦、絶対に勝たしてやりたい。その国としてのデビューを栄光で飾ってやりたいという気持ちが強かった。またフリッツ親父のあこがれだったフランスの文化に、弟や弟を支える若い世代を触れさせたい気持ちもあった。だから、一応の制圧がすんだ後、ギルベルトはパリの管理を弟と若い世代に任せた。
 
 さて、管理を任せてどうなったか。パリ・コミューンの蜂起。それは、フランス人同士の虐殺になった。
歴史をかじった人ならわかるだろうが、パリ・コミューンは階級闘争、資本家と労働者の対立でありもともとフランス人同士の戦いである。つまりフランス革命の続きのようなものだ。 資本家は占領軍のドイツ軍に共同作戦を求め、パリ市民の虐殺に走った。このときドイツ軍はパリを包囲したがあまり積極的に虐殺に参加しなかった。
 え、今の話のどこにドイツを嫌う理由があるの?と、疑問を持たれるかもしれない。ここはフランシスの感情の問題である。もしパリを占領しているのがギルだったらフランス人同士の虐殺にはならず、強力無比なプロイセン軍がパリ・コミューンをもっと効率的に制圧しただろうにとの想いが消えない。

 それ、甘えじゃないの。そんなふうに言われればそうだと答えるしかないが、結局は感情の問題である。
また、その後の二度の大戦もドイツは何度もヘタを打ち、だらだらと戦争を長引かせた。終戦時のフランシスはときおり自我が不安定になるほどボロボロだった。
 そんな未熟者のドイツに国を任せたことに対して、プロイセンの責任を追及する人もいるだろう。実際この後行われた、プロイセン解体は保護者監督責任を問うたのだ。子供がガラスを割ったので、子供の代わりに親が謝りに来いと強制したわけである。




 最近、お国様と国家の付き合い方は大きく変わった。それが一番わかりやすい例はフランスである。王が支配していたころは当然のようにお国様はその直接の支配下、あるいは保護下にいた。それが革命によって王がいなくなり、御国にとって上司はずっといる存在ではなくなった。革命前までフランシスは歴代の上司から家族に近い扱いを受けていた。小さいころからずっと近くにいれば情もわく。それを家族愛と呼べるほどには。
急に家族の愛を奪われた、しかも奪ったのは国民。精神に大きな穴があいたフランシス。だから革命の後、あの英雄の時代、フランシスは上司との距離感を誤った。その結果、国民の狂躁にまきこまれかけ、危うく国家解体の危機を迎えた。この経験とアジアのくにとの付き合いからフランシスは くには防波堤になるべきとの想いを抱いた。
 逆に正反対のやり方をとる者もいる。アルフレッドである。彼は常に遊んだりはしゃいだりしているようだが、その実国民の先頭に立ち、行くべき方向を示すかがり火になっている。同盟国も敵対国も引きずって行ってディズニーランドで遊ぶのも、「世界会議場にシンデレラ城を使うんだぞ」とわめくのも自国を主張する一環なのだ。
 どちらのやり方が正しいというわけではない。ただし、どちらにも共通するのはくには自国の在り方をある程度コントロールできるとの前提である。

 そして、それをもっとも実践して見せたくに
それがギルベルトであった。
あいつは自分の解体さえも、演出実行して見せたのだ。


 あの大戦の後、アメリカはいきなり「諸悪の原因、全ての責任国であるプロイセンをとっとと解体するんだzzっぞ」と強固に主張した。
フランスは当時イギリスがアメリカに知恵を付けたのだと思った。
なにしろフランスの主張はドイツ解体であったのだから。

だが、違った。アメリカにそれを教え、フランスを黙らす方法を教えた存在。
それはかっての鬼教官、プロイセン本人であった。

ギルはくにの行く末を自分で決めたのだ。

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