葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

静かだけど動いている。

2017-05-15 13:00:17 | 雑感
 興奮と感動。
 映画やスポーツなどの興行の宣伝文句でよく使われる言葉だ。
 だが私は、ショービジネスの手法で提供されるコンテンツでは、興奮は出来ても感動するのは難しいと思う。

 感動というのが、読んで字のごとく感情が動くというだけの意味なら別だが、それなら興奮というだけで事足りる。
 やはり興奮と感動は別ものだろう。

 いや、興奮とは血湧き肉踊る展開で、感動は泣きの要素だという向きもあろうが、私は所謂お涙頂戴は、むしろ興奮に分類されると思う。
 つまり、外的刺激によって通常よりも感情が大きく揺れる、乱れることの総称が興奮だ。

 さて、ショービジネスとは言うまでもなく利益を上げることが最優先であり、そのためにはより多くの人に利用してもらう必要がある。
 となると、怒りや悲しみといった感情を揺さぶり、最後に爽快になってもらうというのが一番間違いが無い。

 この怒りや泣きのツボを押さえる手法はある程度確立されているから、どうしてもそういう方向で技術は洗練されていく。
 いや、その技術は確かにすごいものだと思うのだが、そうやって感情を揺さぶられて大量のアドレナリンを分泌させること、本当に感動することとは結構な距離があると思うのだ。

 少なくとも興奮と感動を同じ瞬間に味わうのは、かなり無理があるだろう。
 例えるなら、興奮は交感神経で感動は副交感神経のようなものといったところか。
 もっともこの例えは、あまり巧いものではない。確かに興奮は交感神経と相性が良いが、感動はそう単純にリラックスや休息で片付けられるものではないからだ。
 ただ感動は、一定の静けさを伴い、無闇に感情が乱れるようなものではないと思う。

 興奮は刺激に対する反応であり、手軽に満足感や爽快感が得られるが、外から何らかの刺激を加える必要があり、その刺激に慣れてしまうともう興奮しないので、新しい刺激が必要になる。
 言い換えると、そこにビジネスの入り込む余地がある。

 だが感動は、自分が今ここに在ることの認識が深まることによって起こるもので、案外どこにでも転がっている。ただそれに気付くかどうかだ。
 その気付きは個人差が大きく、ビジネスにしても割に合わないだろう。

 鍼灸やマッサージで得られる爽快感とは、こういった感動と同種のものだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする