シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

宮崎静夫展

2008-10-03 13:18:40 | シベリア抑留
昨年シベリア抑留中死亡者名簿「シベリアに逝きし人々を刻す」を出版された村山
常雄様から、
『わが畏友にして、誰にも増してシベリアの死者たちとその魂に寄り添い、生涯を
貫く画業のそのキャンバスに、鎮魂と人間再生への祈りをこめて止まない熊本在住
の抑留画家「宮崎静夫」画伯と、その作品展につきご紹介させて頂くことを光栄に
思います』とご案内頂いた。

2008年10月2日(木)―10月11日(土)
午前11時―午後7時、最終日のみ5時半まで
みゆき画廊、東京都中央区銀座6-4-4
銀座第2東芝ビル2階

「生きて80年、青春は戦争の中にあった。満州、そして軍隊とシベリア。
それは骨深く刻まれていて、いまも疼く・・・。
戦争の時代の生と死。その死を見詰めることが、私の生の証しとなってし
まった。」と案内状に宮崎画伯の言葉がある。 

JYMA(旧日本青年遺骨収集団)

2008-10-01 22:42:09 | シベリア抑留
私は遺族会のイベントの為に遺骨収集のパネルをお借りしたり、この会に所属
する学生さんの学園祭でのパネル展に語り部としてお手伝いしたり、交流を持
っている。
数日前本年度の旧ソ連への遺骨収集団に参加した学生さんより現地からお便り
を頂いた。その文面を以下ご披露しよう。

(挨拶は省略) ザバイカル地方ヒロークでは、季節の変わり目となり、寒暖
の激しい気候ですが、食事にも慣れ、現地の方々と協力して作業を進めており
ます。埋葬地であるジップヘーゲンは木々に囲まれた山の中腹にあり、ハハト
イは美しい緑に囲まれた慰霊碑付近にあり、松や白樺が生い茂っています。
天候にも恵まれ、日々の作業の中で戦争の悲惨さや、抑留中の気持ちを心身で
感じています。今回ザバイカル地方では217柱のご遺骨をお迎えすることが
出来ました。健康にご留意下さい、我々も体調管理に注意しつつ、御遺骨と共
に日本へ帰国致します。

ハハトイの慰霊碑:http://www3.plala.or.jp/naga0607/r4.htm
ジップヘーゲンの慰霊碑:http://www3.plala.or.jp/naga0607/r16.htm

このBLOGの2007年2月12日の「シベリアの遺骨収集急ぐべし」へ、本年
6月16日に坂本至様から下記のコメントを頂いた、その後大変残念ながら連
絡が取れていない。

「満鉄職員でチタ収容所で死んだ顔も覚えていない父」「2008-06-16 22:14:02」
「坂本 至」
現在65歳です。4歳の時満州から引き上げてきました。
満鉄職員だった父坂本明次は1946年2月28日チタ第52収容所で死亡しました。
小生父の事は全く覚えておりません。
父は1908年(明治41年)生まれで生きておれば今年100歳になります。
機会があればチタ(ハハトイ)の埋葬地を訪問し供養をしたいと思っております。
チタ州遺児の会の皆様と交流したいと思います。           以上。

本日の厚生労働省の発表では:
ロシア連邦ザバイカル地方遺骨収集
平成20年8月21日(木)から9月 9日(火)まで実施  217柱
の外に
ロシア連邦ザバイカル地方遺骨収集応急派遣
平成20年9月 5日(金)から9月19日(金)まで実施   40柱

これ以上の詳細は不明だが、この217柱プラス40柱の中に坂本至様のお父
上様の御遺骨が含まれている事をお祈り致して居ります。