シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

般若心経

2007-07-27 09:50:19 | シベリア抑留
励ましの言葉



誠にありがたい事である。方々から励ましのお言葉を頂いている、本日は佐渡の帰還兵・菊池様から写経をお送り頂いた。
4年前に息子と共に現地へ墓参に行った時、母の写経を持参した。「時が来たら大源寺(山口県徳佐の菩提寺)でお会いしましょう」とのラブレターと共に。シャフタマの村長が遺骨を捜す為に少し掘り返してくれた、勿論出ては来なかったが、その穴に埋めて来た。
今年は何を持参するかと同行遺児仲間で思案・検討中だった。
ぼた餅・お萩・饅頭・煎餅、寿司・おにぎり、味噌汁、ぜんざい・汁粉、刺身、うなぎ・・・寒い所で長い間ご苦労様、何か暖かい物を・・・お米、お水、タバコ・・・いや、父達は未だお経も上げて貰ってないのだ。
さすがに現地でご苦労なさった抑留経験者である、遺児にとっては涙が出るほど嬉しい事であり、この上ないありがたいお供え物となった。

暑中お見舞い申し上げます

2007-07-25 22:16:34 | シベリア抑留
暑中お見舞い申し上げます

来月から出掛ける父の眠るシベリアへの墓参と埋葬地調査の為の調査に全力を投入して居ます。
10冊以上の抑留記、25名以上の此処からの帰還兵の方の証言(9割が手紙、その他電話による会話)と厚生労働省などからの公式記録等など膨大な資料である。
それを再度いや再三度読み返している、そして埋葬地に関する部分だけ抜粋し、証言集を再編集している。それには収容所に関する箇所や鉱山や伐採での労働に関する箇所及び死亡者やその数に関しては余りにも膨大な情報になるので省いている。
しかし埋葬地に関しては如何なる些細な情報でも見逃してはならぬと幾度も読み返し、一字一句間違いのない様にメモを取っている。それがA4で15ページになった。
その間にこの度現地へご同行頂くシャフタマからの帰還兵、柴谷様の弟様が急死された、一時は訪ロ中止かと思ったが、旅行は実施しようと云って頂いた、本日偲ぶ会が行われた。合掌。
言い訳になるが、とてもBLOGをアップする時間は無い。 どうぞ悪しからずご理解下さい。

ソ連抑留中死亡者名簿

2007-07-22 21:15:12 | シベリア抑留
「シベリアに逝きし人々を刻す - ソ連抑留中死亡者名簿」が出版された。



村山常雄様の労作、10年以上を費やして、シベリア抑留で死亡した46、300名の名簿が本日届いた。
1、000ページを超える重厚な、表紙はクロス貼り、立派なケース入りで、私は父の遺骨代わりに早速仏壇にお供えした。
約70%を漢字表示で、生年、死亡日、最期の地を50音順に、他に埋葬地一覧など検索が容易に出来る。

私も個人的に調査中得た情報をご連絡した。それに対し「あとがき」で過分なお礼の言葉を頂き大変恐縮している。もっとご協力出来なかったかと後悔もしている。

父達は「無名の犠牲者」ではない。立派な名前を持ち、日本の為に死んで逝ったのだ。
この度村山様により「父達の人格を取り返して頂いた様な」気がして、感謝の気持ちで一杯だ。
村山様、本当にありがとう御座いました。

シベリア朝顔

2007-07-19 23:02:54 | シベリア抑留
DNA鑑定の続編になるかも知れないが・・・



3年程前に、シベリア抑留帰還兵の方から、「戦友の墓参にコムソモリスクへ行き、そこの民家の庭先に咲く朝顔の種を持ち帰った、翌年ワインカラーの朝顔が咲いたよ」と種を頂いた。
ところが持ち帰られた岡山在の方が、地元の岡山産の朝顔の種も一緒に配布されながら、ご自身翌年は開花に失敗されたので、昨年は種を逆送したりもしたが、戦友会の皆は開花の報告をし合い楽しんだ。岡山産の朝顔と一緒くたになり、どれがシベリア朝顔か分らなくなったりもしたが・・・
私は今年早くから種を別々に丹念に植えて育ててみた、しかし6月中旬より開花するのは全部瑠璃色ばかり、(岡山産は薄い青)本日やっと一輪ワインカラーのシベリア朝顔が開花???
同じ種子からワインと瑠璃、昨年ワインカラーが今年は何故?

DNA鑑定に付いて

2007-07-13 18:56:03 | シベリア抑留
DNA鑑定に付いて


チタ州ハラグン収容所の慰霊碑

シベリア抑留中死亡者のDNA検定の始まったのは平成15年からで、鑑定が可能なのは平成11年以降に収集された遺骨、それ以前は現地で焼骨した為出来ない。
厚生労働省のホームページによると、平成19年3月までにDNA鑑定の特定出来た累計は380件、否定は累計306件とある。これまで検体は1200柱有る中で380柱特定出来たことになる。

私は本年2月にお兄様の遺骨が返還された静岡の上斗米様に会った、又同じ厚木市にもお父様の遺骨が帰って来たとタウン紙で見た。その他TVのニュースで知ったり、遺児仲間から新聞の切抜きが送られて来た。中には来月一緒にシベリアへ行く私と父同士が同じ所で亡くなった、岩手の山下さんの収集したお遺骨が元日本ダービーの優勝ジョッキーだったとか。

来週「ソ連抑留中死亡者名簿、シベリアに逝きし人々を刻す」を発行される村山常雄様のご紹介で知り合い、協力して父の事を調べている小堀様から一昨日メールが入り「昨日厚労省から連絡が入ったが駄目でした」と、そして本日大分の上田様から「先日厚生省から手紙が来ました、父の遺骨は見付りませんでした」と、ご両人の父上は同じチタ州ハラグンなのである。

この収容所に関してはこのBLOGの去る6月1日の「チタ州民間建立慰霊碑11」で取り上げたが、その時点で写真が無く、一昨年現地へ慰霊訪問された上田様に写真の提供をお願いして居た。本日そのお知らせと共に上の写真をご送付頂いたのでアップさせて頂く。
シベリアの情景がとてもリアルに出た写真で、シベリアはパノラマ写真が似合うのだろうか。天気に恵まれたのでしょうか、とても10月とは思えず、寒さを感じません。

大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭

2007-07-08 07:55:24 | シベリア抑留
昨日は靖国神社で行われた「大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭」に参加した。
三笠宮殿下のご臨席を賜り、360余名の参列のもとに、父達先の戦争での戦没者に対する厳かな慰霊祭を挙行頂いた。
我々シベリア遺児3人はその後九段会館で昼食をしたが話は尽きず、平塚の七夕見物に出掛けた。



大変な人出で賑う中を大掛かりな七夕を楽しみ、喉が渇いたのでビールでもとなり、日頃家族を含め誰も聞いて呉れない「父のシベリアで死んだ話、遺骨も未だ帰らない悩み、墓参りも出来ない悔しさ」を延々11時間以上話しあった。
靖国神社で父の供養が出来、同じ境遇の遺児が存分に心の内を明かせた、大変有意義な一日だった。

神奈川県戦没者慰霊月例祭

2007-07-05 17:42:13 | シベリア抑留


神奈川県戦没者慰霊月例祭

本日は県の月例慰霊祭に参加の為横浜市港南区上大岡にある慰霊堂に出掛けた。実は神奈川県だけ護国寺が無いのである。
付属の神奈川県遺族会も入っている「かながわ平和祈念館」で昼食後、ドキュメント映画「私たちは忘れない」を観た、二階の休憩コーナーには平成16年度「旧ソ連慰霊訪問」参加時の写真提供の依頼があったので、私は4枚の送ったが、その写真が立派なパネルに入れられ展示されていた。
その時同行した新井さんも慰霊祭に出席して居り久しぶりに再開出来た。

シベリア抑留関係展示会

2007-07-04 09:04:36 | シベリア抑留


本日より静岡市に於いて開催される。
昨年6月にも富士市で同様のイベントが開催された。冨士霊園には慰霊碑もあり、静岡県は大変ご熱心である。
実行委員長の上斗米様は兄上をシベリアで亡くされたご遺族で、抑留者ではないが、全国強制抑留者協会も着々と後継者も育って居る様である。
私の住む神奈川県にはこの様な活動がなく、静岡県が羨ましい限りである。風化防止の為に神奈川県全抑協も是非実行して頂きたいものである。

練り込み習作

2007-07-01 20:30:32 | 陶芸


昨日我が陶芸先生の展示会を観に銀座松坂屋へ出掛けた。先生の宣伝は又
別の機会に致します。
帰りに1階下のフロアーの陶芸品売り場に立ち寄り、素晴らしい練り込みを見た、八戸窯の西岡孝子さんの作品でした。
HP(http://www.umakato.jp/road/genki/04.html)を見て下さい。間違っても私の愚作と比べないで下さい。
写真手前の1個は只今乾燥中です、出来上がったら素晴らしいと思います、ご期待下さい。
西岡さんの技法は???、練り込みでなく、練り上げと成ってましたが・・・この繊細な作業、矢張り女性向きなのでしょうか、兎に角素晴らしい!!!