JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

お隣茂原市の今に残る戦争 掩体壕

2013年03月22日 | Weblog

 私の町のお隣、茂原市に向かうと目に付くのが掩体壕です。
飛行場をつくるために、強制疎開されたという話は有名です。


今日の「赤旗」に記事が出ていました。

(茂原市が案内板を設置した掩体壕。左側が飯尾さとる市議=千葉県茂原市)
畑・民家の庭に点在掩体壕
千葉県茂原市
 かまぼこのような形をしたコンクリート製の巨大な構造物が、畑の中にも、民家の庭にも点在しています。千葉県茂原市の県道茂原環状線東郷橋あたり。
その数は11個にのぼります。
 かまぼこの正体は、太平洋戦争末期に日本軍が造った掩体壕(えんたいごう)。航空機を隠し、敵の攻撃から守るためのものです。
  『掩体壕が語る茂原の歴史』(2007年、市教育委員会発行)によれば、茂原市は全国
で一番多く掩体壕が残っている市町村です。
大きいもので、高さ6・5㍍、幅30・2㍍、奥行き14㍍あります。1941年、東郷村 (現・茂原市)に海軍航空基地の建設が始まり、45年8月の敗戦までに1000封滑走路1本と1200μ滑走路2本が完成。掩体壕は、その滑走路からつづく誘導路沿いに造られました。
 基地建設は住民を追い出して進められました。当時のことについて、『茂原の歴史』では 「基地予定地域の住民100戸以上が東郷国民学校に集められ海軍省からの第1回移転命令という突然の申し渡しがあった」と書いています。
 当時、実家を「強制疎開」させられたという石井定良さん(90)は、「当時は拒否なん
かできるわけない。問答無用だったからね」と振り返ります。石井さん宅の庭には、いま
も真ん中に巨大な掩体壕が居座っています。
撤去には多額の費用がかかると聞かされ、仕方なく農作業用の物置として使っているとい
います。
 石井さんは「国は土地を使うだけ使っておいて、『すみませんでした』の一言もない。
この国は、いまだに戦後処理ができていない」と怒ります。
 茂原市は1995年、現存する掩体壕の一つを保存のために借り上げ、説明板を設置しました。日本共産党の飯尾さとる市議は 「掩体壕は戦争の”証人゛日本が起こした戦争を後世に伝えるために、市は保存と活用を積極的に考えていく必要がある」と話しています。
(寺田忠生 随時掲載)



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