眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

記憶の中で観る映画 ・・・・・ 『アフター・ウェディング』 他

2008-02-13 14:02:34 | 映画・本
この冬は、高知としては珍しく雨の日が多い。今朝も雨上がりの冷たい空気と、やんわりと曇っている灰色の空から一日が始まった。

こういう明るい灰色の空がベランダから見える日、私は考えごとがしやすく、落ち着いた気分になれる。実家のある金沢も、学生時代を過ごした鳥取や米子といった山陰の街も、決して天気のいい所ではなかったので、私は空が曇っているのを特別意識したことなど無かったと思う。当時から、柔らかい雨は好きだったけれど。

高知で暮らすようになってから、私は曇り空が本当に好きになった。それほどここは、真っ青な空とスコールのような土砂降り、一日中お風呂場にいるような湿度の高い梅雨と、年中変わらないのではないかと思うほどの強い日差しが降り注ぐ土地なのだ。

暮らしやすく健康にいい気候とは重々承知の上で、それでも時々、私は曇り空が恋しくなる。特に、乾燥しきっている冬に降る雨は、水分を含んだ冷たい空気自体が、あの日本海側の冬の空気を思い出させる。湿度の高い冷たさというのが、どれほど骨身にコタエルものだったか・・・といったことも。(若かった自分は、それを寒いとは感じなかっただけなのだ。寒さに弱くなってしまった今頃になって、曇り空やしとしと降る雨を恋しく思うというのも、酔狂というか皮肉というか。)

それでも、こういう日には、過去に観た映画も思い出しやすく感じる。ぼんやりその映画のことを考えていると、頭の中に映像が蘇る。先日観た『アフター・ウェディング』は、私にとっては、そんな「記憶の中で再生して観る」のに向いた映画だった。


実は自主上映会場でこの映画を観た直後のアンケートに、私は、「描き方が自分にはウェットすぎるように感じられて、違和感がある」といった意味のことを書いた。評価としても「とても良い」ではなく「良い」に丸をつけたと思う。それなのに、この映画のことはその後もずっと、気に掛かって仕方がなかった。

『アフター・ウェディング』というのは、癌の末期であと数ヶ月の命と判った資産家が、血の繋がっていない長女の父親を捜し当て、インドで孤児院を経営するのに苦労している彼を、手段を弄して?母国デンマークに呼び戻し、自分の死後、妻や子どもたち(双子の男の子たちは、まだほんの子どもの年齢だ)の相談相手になることを引き受けさせようとする・・・そういったストーリーだ。

夫の病気のことも、まして昔の恋人を娘の結婚式の日に招いた理由も、知らされていない妻は困惑する。相手の男の方も、孤児の援助活動のための資金を求めて資産家に会いに来ただけのつもりだったのに、自分に娘がいて結婚する年齢になっていたことを突然知らされ、驚愕とする。娘は娘で、自分の実の父親が別にいることは知っていたものの、どんな人かも知らされず、何より豊かな愛情を注いでくれた現在の父を、唯一の父親として慕っているのだ。

夫である資産家は、殆ど強引と言っていいくらいのやり方で、自分の望む通りにコトを運ぼうとする。当然、元恋人は反発する。(そもそもが、インドでそういう活動に従事しているのもよくわかるような、未だに青年の雰囲気を残した、良くも悪くも「若い」男なのだ。)

けれどストーリーが進行するうち、近づいてくる死を感じながら誰にも何も言わず、モルヒネで苦痛を和らげつつ自分の死後の家族のために必死になっている、資産家の孤独が露わになってくる・・・。


私がこの映画を観た直後、「自分の身に迫ってこない、異郷の映画」と感じた理由のひとつは、この夫の「今はまだ死にたくない!」という想いが、困ったことに私には実感できなかったからだと思う。馬鹿げた言い草に聞こえるかもしれないけれど、私は「死にたくない!」という気持ちも、「今死ぬ訳にはいかない」という責任感からの想いも、おそらくどちらも実感できないようなのだ。

子どもの頃から、私の近くに「死」はいつも存在していたような気がする。私の周囲の人たちは、さまざまな理由から、(生きているものの当然の感情として)「死ぬのは恐ろしい」とか「長生きしたい」といったことを口にすることはなく、寧ろ逆のことを日常的に言っていたと思う。私は私で、その後もずっと、「死」は傍を一緒に歩いているような存在だった。

現実に死を目前にしている人が聞いたら、本気で腹を立てるかもしれない。「知らないからだ」と言われるかもしれない。それでも、私のこの感覚は私にとっての現実なので、どうにもならない。


ところが『アフター・ウェディング』を観た数日後、偶然『『ボルベール<帰郷>』という映画を観た辺りから、私はあることに気がついた。

『アフター・ウェディング』は、観た後少し経ってから「記憶の中で再生」した方が、私にとっては「いい映画」だったのだ。『ボルベール』がちょうど反対で、言い方はオカシイけれど「実際に見ている間が一番いい」映画だったため、逆にそのことに気づかされたのだと思う。

現実にスクリーンで観ていた映像よりも、思い出す映像の方がいい・・・考えてみるとこれまでも、私は時々そういう映画に出会ってきたような気もする。『ブロークバック・マウンテン』や最近の『ラスト・コーション』も、私にとっては、どちらかというとそういう種類の作品だったと思う。

そう気づいてから、私は『アフター・ウェディング』を頭の中で再現し、色々なことを考えた。登場人物たちそれぞれの想いが錯綜し、俳優さんたちの好演もあって、どういう位置からどういう点に着目して観るかによっても、さまざまな感想が聞けそうな作品だとも思った。

私の場合、ひとつだけ個人的に強く印象に残っているのは、終盤、夫の病気が助けようのない段階まで来ていることを知った妻の前で、初めて彼が取り乱して妻に縋りつくようにして泣く場面から、次の瞬間には棺を埋める場面に移る、その時、沈痛な表情で悲しみに耐えている家族たちの中で、妻だけが空を見上げ、微かに微笑みのようなものを浮かべたことだ。

彼女は娘がおなかにいる時に夫と出会い、その後も苦労はあったとしても、家族を大切にする彼に守られて、それまで生きてきた人なのかもしれないと思った。夫から本当に頼りにされるという経験が、もしかしたら無かったのかもしれない彼女にとって、夫との最期の日々は、それまでも仲の良さそうに見えていた2人の間でも「唯一欠けていた」ものを、埋めてくれた時間だったのではないか・・・と、私に想像させるような表情だったのだ。

本当は、元恋人を呼び寄せて後を託す必要など無かったかもしれない。彼の妻は、それほど頼りない女性には、少なくとも私の眼には見えなかった。なんとかして娘も一緒に力をあわせて生きていけそうな人だと思った。

けれど、男の子たちがあまりに幼いのが、実の父親である夫は心底気がかりだったのだろう。資産があって経済的に困らなかったとしても、子どもはお金だけでは育たないのだということを、彼はよくよく知っていたに違いない。あれほどまでに家族を大事にするのには、一代で財を成したという彼の生い立ちを想像させるところがあった。

元恋人も、どこか「自分自身のために人の役に立つことが必要」な人のように見えて、もしかしたらこの二人の男性は、現時点では対照的に見えても、オトナとしての実力が身に備わった段階で並べてみたら、案外よく似た人物なのかもしれない・・・時が経つと共に、私はそんなことを考えたりもした。


作り手にとっては、記憶の中で再現される(といっても、当然私流にアレンジされてしまう)ことが嬉しいことなのかどうか、私には判らない。それでも「記憶の中で観るのに向いている」映画は、私の中では特別の箱に入れられて、永く大事にされるような気がするのも本当なので、私としてはちょっと特殊な褒め言葉のつもりでいる。






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2 コメント

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そーか、埋められたのか! (ヤマ)
2008-02-15 23:08:35
ムーマさん、こんにちは。
 オフシアターベストテン選考会の後の交流会の席で、拙日誌では、この作品と『ボルベール<帰郷>』をセットにして綴ろうかと思ってるとお話ししましたが、綴っている内に長くなって、そうはならなくなっちゃいました(あは)。セットで綴ろうと思った焦点は、まさしく他の男の子供を身籠もっている女性と結婚して父親になることを引き受けてくれ、子供が一定大きくなるまで、その役割を全うしてくれたパートナーに対する思いでした。
 ムーマさんの「記憶の中で再生」した『アフター・ウェディング』について綴っておいでのものを拝読し、「ひとつだけ個人的に強く印象に残っているのは~」の段から、「それまでも仲の良さそうに見えていた2人の間でも“唯一欠けていた”ものを、埋めてくれた時間だったのではないか・・・」に至る部分が、ちょうど拙日誌に綴ったことと呼応するように感じられて感じ入りました。
 そーか~、なるほどなーと、映画の行間を楽しませていただきました(礼)。これ、拝借したいな~、いずれ。
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キャー!(すっかり忘れてた~) (ムーマ)
2008-02-16 10:27:45
ヤマさん、ようこそ~

ヤマさんのコメントを見て、「そーいえばヤマさんの日誌、あれから読んでなかった!」と思い出し、ビックリして、たった今読んできました。(自分が感想を書く可能性がある間は、一応読まずにいよう・・・なんてケナゲに?思っていると、最近では、読んでなくても既に読みに行ってきたよーな気になってしまうことがあって・・・困ったモンです。『ラスト・コーション』の方を先に読んじゃった(笑)。)

>「ひとつだけ個人的に強く印象に残っているのは~」の段から、「それまでも仲の良さそうに見えていた2人の間でも“唯一欠けていた”ものを、埋めてくれた時間だったのではないか・・・」に至る部分が、ちょうど拙日誌に綴ったことと呼応するように感じられて

仰るとおりですね。(なんだかとっても嬉しいデス。)あの夫のレストランでの醜態?は、私もヤマさんの書かれたような種類の嫉妬からだと思いました。

でもね、今回偶然とはいえ、自分が書いてからヤマさんの日誌を読んでみて、やっぱり「書く前に読んではイケナイ!」って、改めて思いました(笑)。私、先に読んでたら、自分は書かなかっただろうと、ほんとに思ったので。それくらい、「実子ではない子どもを引き受けて、その母親と共に育ててきた」父親について思うところに、共通のモノを感じました。しかも、ヤマさん独特の目配りの利いた、キメ細やかな書き方なので、例によって読むだけで満足してしまったでしょう。(これは『ボルベール』の殺された父親についても同じです。)

それにしても、ヤマさんに「拝借したい」などと言われるとは思ってもみませんでした。(もう光栄で眼が眩み?そう(笑)。)拙い文章ですが、もしも機会があれば、とっても嬉しいです。
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