眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2008年に観た映画  (オフシアター日本映画編)

2009-02-01 16:24:13 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~
毎年1月の週末数日間に跨って催される、県立美術館主催の「映画祭」がある。過去の日本の有名な監督を一人選び、その作品を十数本まとめて上映してくれる。今年は川島雄三監督だった。過去に溝口健二、成瀬巳喜男、中平康といった人たちの作品を観せてもらった。私が古い日本映画の魅力に目覚めた(というより思い出した)のは、この映画祭がきっかけだった。

日本映画を主に上映しておられる自主グループもある。(会場が家から近いので、調子の良くない時にも観に行けて、とても嬉しい。)低予算でも面白い映画は作れるし、実際日本でも沢山のそういう映画が作られているのだということを、私はそのグループの上映会で知った。

また、一口に自主上映といっても、最近では会場も活動形態もバラエティーに富んだものになっている。

私自身は街中の小さな会場では空気(過敏症)の関係で、市外の会場へは足が伸びなくて、観に行けないままになっているけれど、少しでも多くの人が、さまざまな場所で、それまでは知らなかったような映画の楽しさを味わえるといいな・・・などと思う。

地方にいながら私が好きなジャンル、タイプの映画を観られるのは、「オフシアター」での上映会のお陰なので、これからもこういう活動が盛んであってもらいたいと心から願っている。でも、「百年に一度の世界的不況」はどう作用するかわからなくて・・・ちょっと心配もしている。


ここまで書いてきて、初めて気がついた。

もしかして私は、「高知で映画が好きだったら、こんなにいいコトもあるんだよ~」って、ヨソの人に見せびらかしたくて、モタモタとコンナモノを書いているのかもしれない。

「都会ではソウイウ映画も大抵は映画館で、しかももっと早い時期に観ることが出来る」と言って、それで終わりにする気に到底ならないのは、一観客にしか過ぎない私でさえ、オフシアターで観る映画には「何か」がプラスされているのを感じるからだと思う。

それは、上映する側の人たちの好みや判断、手間ひま(そして時にはお金?)などから来る「何か」で、観た映画が記憶の小箱に仕舞われる時、一枚一枚微妙に違った色合いの布になって、作品をそっと包んでくれるような気がしている。




【オフシアターで観た日本映画】


『夕凪の街 桜の国』  会場でのアンケートに「観ている間、会場のあちこちからすすり泣きが聞こえ、エンディング・ロールの間も誰も席を立たない・・・」と書いた記憶がある。原作マンガを親しい友人が貸してくれて、映画がその雰囲気を全く損なっていなかったのを知った。(こういう慎ましさ、上品さを「珍しい」と感じる自分は何なんだろう。)

『天然コケッコー』  方言の響きが懐かしい。『絵の中のぼくの村』をちょっと思いださせる、「もう記憶の中にしか存在しない」世界の輝きが眩しい。10代の友人曰く「黒板へのキスの方が愛を感じた(笑)。」というような。

(以下の4本は「川島雄三映画祭」での上映作品)

『雁の寺』  カメラワークが斬新というか、モノクロの映像がとてもシャープ。若き日の若尾文子を初めて見て、あまりに魅力的なのにボー然。個人的には、水上勉の世界を久方ぶりに身近にして、改めてこの人と私が育った風土とは繋がっているのを感じた。

『青べか物語』  若き日の森繁久彌は、ごく普通の男性に見えてちょっと意外。左幸子は最近観た『飢餓海峡』の方がチャーミングだな~などなど。(中学生の頃、山本周五郎全集の中でこの原作小説だけが読み辛くて結局読むのを諦めた理由が、この映画を観てなんとなく分かった気がした。中学生の女の子が読むには、あまりに色彩に乏しい感じがしたのだ、きっと。)

『しとやかな獣』  面白かった! 「けもの」じゃなくて「けだもの」と読むのにはギョッとしたけど。伊藤雄之助・山岡久乃夫婦が秀逸!!(伊藤サン大好き!)

『喜劇 とんかつ一代』  おいしそうな題名に惹かれて観たけれど、そこまで美味しくはなかったかも。でも、子どもの頃この映画の少し後くらいから、同じ俳優さんたちの「駅前」シリーズだの何だのといった喜劇を、家族でよく観に行くようになったので、私にとってはとても懐かしい気がした作品。(フランキー堺さんも大好きデス。)

『犯人に告ぐ』  個々に時間を作って観に行った家族全員が、「面白かった!」と言った作品。私は『サウスバウンド』で、豊川悦司サンを見る目が180度?変わったけれど、この映画もその期待を裏切ってなくて、とても嬉しかった。

『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』  これも面白かった!(なぜか後味が悪くないのも不思議。) 

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/92f9a8226796d48dbb2bd6a198efd75d

『やわらかい生活』  広告と商品が違っているのは、ある程度は仕方がないと思うけれど、この映画のチラシから受けるイメージと映画自体はちょっと違いすぎだったかも。私自身は、日々「やわらかい生活」をしている(それしか出来ない)ので、むしろ「みんなは頑張ってるんだなあ」というような感慨の方が強かった。

* 『アレクセイと泉』  ベラルーシの小さな村を舞台にした、日本人監督によるドキュメンタリー。(実在の人物なので「2008年のベスト・キャラ」などとは呼べないけれど、私が好きな男性像の原型のような人が登場して驚いた作品。)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/7a1c5146faa5d19db3876672639a811f

『リアル鬼ごっこ』  「あのトンデモ小説が、こんなマトモな映画になったなんて・・・」という言葉をあちこちで見かけた。私には、若い人たちが本気で走る場面の連続と、以前『カナリア』で見た少年少女!が随分大人になっていたのが、眩しく見えた作品。

『人間椅子』  「エロチック乱歩」と銘打った上映なのだけれど、その「エロス」を感じられなかったのが残念。(原作を知らないので分からないけれど、「人間椅子」というもの自体、映像化するのがムズカシイ素材だったような気も。)

『14歳』  廣末哲万監督のトーク・ショウもあって、その後もう一度見たので、2日連続で計2回観たという、私としてはとても珍しい作品。最初「二度と観たくない!」と思ったほど、終始ストレスフルな言葉、雰囲気、何より「音」!に満ちていたのに。(監督さんの話はそれくらい、「毛嫌いしたらイケナイな~」と思わせるモノがあったのかも。)

『ふみ子の海』  バリアフリー映画会という字幕・場面解説副音声付きの上映会で観たもの。実話に基づく作品なのだけれど、思ったよりずっと美しい映画で、主人公ふみ子の瞽女仲間の少女があまりに優しいので、その短い人生は見ていて胸が詰まった。

『靖国 YASUKUNI』  のほほんな私は知らなかったのだけれど、上映日前に妙な予告があったらしく、ホールの前にはパトカー、ペットボトルは取り上げられ、ハンディーな金属探知機?で手荷物と人間の検査まで。(映画自体より、こういう風景が私には珍しかった。)靖国刀というものの存在を私は知らなかったけれど、「刀」は祖父や父を通して身近に見て育ったので、黙々と作業を続ける刀匠が丁寧な言葉で、しかし明らかに問い詰められていくのが、なんだか気の毒に思えた。(明治生まれの私の祖父なども、「チャンコロ」「ロスケ(露助?)」といった言葉を平然と使い、軍刀をなんの疑問も持たずに腰に下げた人の1人だったと思う。それでも、戦争末期には「日本は負けるな・・・」と口にしたという。あの世代の人たちを、こういうやり方でドキュメントすること自体、私には疑問が残るのだと思う。)それよりも、普段はあまり映画を観に行かない20代の友人が言った言葉が記憶に残っている。「僕は初めて、右翼と呼ばれる人に親近感を持った。僕自身は、どちらかというと丁度反対の側にいる人間だと思うけど、要するに言いたいことがあって、それは世の圧倒的多数から見ると少数派でしかなくて、それでも何かせずにはいられない・・・とでもいうような。」8月15日の靖国神社の光景は、彼にはそんな風に見えたのか・・・と、正直私は驚いた。


(以下3作品は、県立美術館主催の「世界の名作アニメーション」特集から)

『パンダコパンダ』『パンダコパンダ 雨ふりサーカス』  既に『崖の上のポニョ』を観た後だったので、なあんだ、ハヤオおじさんは昔から(72、73年作)ずっとこうだったんだ・・・って、笑って納得?したアニメーション。主人公のミミ子は元気一杯!で、洪水で水没した町を見ながら「なんてステキ!」。もうタダモノじゃないオーラに満ちている。(8月のお盆休みの頃で、学齢前?というくらいの子どもたちが大勢観に来ていた。ギャグの一つ一つに大きな笑い声があがる、幼い人たちの素直で正直な反応にも感動!)

『河童のクゥと夏休み』  クゥがあまりに「真っ当」で「健気」なので、観ている間、胸が痛んだ。(個人的には遠野の川で泳ぐシーンが最高!)私はヨーカイはリアルでも全然構わないんだけど、人間はあまりリアルじゃない方が観ていて楽なのかもしれない。人間って、「(生き物としては相当長生きだから?)モノを理解するのにとても時間がかかって、成長するにはもっと時間がかかる」奴らなんだとは思うけど、自分自身も含めて、ヨーカイたちのように「理由は分からないけど、そうだとワカル。(見たらワカルんですよ。)」っていう感覚は、人間にもあったはずなのに・・・と。今、集団としての「普通の人たち」を描こうとすると、リアルであればあるほどこうなってしまうのが、私はなんだか悲しいのだと思う。

『丘を越えて』 「菊池寛という人は、もしかしてこんな感じのヒト(西田敏行演)だったのかも・・・というような、映画全体が菊池寛の雰囲気のような・・・」などと、アンケートに書いた記憶がある。昭和初期、女性たちの和服も洋装も、色鮮やかで美しい。個人的には、母娘で三味線を弾いてタイトル曲を歌う場面が好きだった。(余貴美子サン、大好き!)

『終り良ければすべてよし』  「人は必ず死ぬ」のだけれど、それはまるで人の人生の最後(時には最大?)の難関のように思える時がある。私の周囲だけでも、突然死或いはそれに近かった人、1ヶ月意識不明で入院し、家族が交代で看護した人、同じく意識不明のまま、数年間自宅で家族の介護を受けた人、認知症になって病院で、或いは自宅で介護されて数年後に亡くなった人・・・などなど、その一つ一つが、本人にとっても家族にとっても大変なことだったと思う。この先、自分が本人でも、その家族でも、どうするか、どうなるか、「終り良ければすべてよし」への道は、まだ私には分らない。

『破片のきらめきー心の杖として鏡としてー』  フランスでの国際アジア映画祭で、ドキュメンタリー映画最優秀賞を受賞した作品とか。精神科病院の中にあるアトリエで、各々の創作活動をする人々を10年にわたって撮影したもの。こういう映画を観ると、私はなぜか、自分はこの人たちと同じ側?の人間だな・・・と、いつもしみじみ思う。「同じ側」という妙な言葉の意味は、この人たちの言葉は分りやすく、また、もしも私がその場にいたら、私の言うことを相手がどう受け取ったかが、私にはそのまま分るだろう・・・ということだ。(普段、私は健康な?人たちの間で話す機会があると、相手が私の言うことをどういう意味に受け取っているのかワカラナイと感じることがままある。それが普通の状態なので、そういうものとして暮らしているけれど。)「自分の人生を生きる」ことを支えてくれる「仲間」には、困難の中を生きている人こそ出会うことができるのかもしれない・・・とも。

『ふるさとをください』  対立した立場の人同士のコミュニケーションは、お互いが、言いたいことを「正直に」全部表に出すことから始まるんだなと、改めて思った。(格好つけてる間は、「理解」のスタート地点には立てないのだろうと。)

『パークアンドラブホテル』  子どもたちが潜り込んでた物置は、ガラクタ一杯で、魅力的だった。(私が子どもなら、きっと毎日そこに遊びに行くと思う。)でも、屋上の「パーク」自体は、ちょっと・・・。(楽器の演奏があると余計にツライ。)私にとって、映画全体が何となく作り事っぽく見えたのは、そういう細かなところでのリアルじゃなさ?が目についたからかもしれない。(久方ぶりに会ったりりィの素っ気なさとお節介ぶり?は、とても魅力的。)

* 『“人間を彫る”彫刻家≒舟越桂』  この人の彫刻は、実物としては1体しか知らない。私にとって舟越桂の彫刻は、例えば本の表紙などで眼にするものだった。だから、1体の彫刻がどう出来上がっていくのかを、本人の滑らかな言葉と共に、丹念に撮したこのドキュメンタリーは、私の頭の中にあるこの人の作品に、ちょっとだけ命を吹き込んでくれたと思う。実を言うと、私にとってこの人の彫刻は、例の「好きか嫌いかよくワカラナイ」ものの典型だった。それは私の中のどこか深い部分に触れるモノがあるからだろうとも思っていたけれど。観た直後の走り書きのメモに、「彫刻家としてのこの人は、『右脳』のの指すところへ何の抵抗もせず導かれていく人に見える。そのために『左脳』がありとあらゆるモノ(眼、手足、その他色々)を総動員している・・・とでもいうような。」などとある。しかも、芸術上の衝動をも言語化出来る人で、「他からの刺激というのも確かにあるけど、自分の(今完成した)作品自体に、先に繋がっていくモノが見当たらなくなったら・・・この仕事は出来なくなるかもしれない。」と答えた時の、困惑したような表情が印象的だった。自分自身の中にあるモノに導かれていく人の迷いのなさを、逆に象徴する言葉のように、私には聞こえたのだと思う。

* 『トキワ荘の青春』  市川準監督の追悼上映だったけれど、色々な意味で、私にとってはとても懐かしかった作品。出てくる漫画家の名前、作品名、その画風などにどことなく見覚えがあって、遠い昔の子どもの頃を思い出した。手塚治虫が好きだった父。「リボンの騎士」を夢のようにロマンチックと言った母。寝込んでばかりの私が、姉に借りてきてもらって、布団の中で読んだ数々の少年少女向けマンガたち・・・。当日は、「まんが道」総集編4冊(スゴイ厚さ!)を読んで育った息子たちも誘って、一緒に観た。私が「まんが道」とはまた違う「端正な美しさ」の寺田ヒロオのことを口にすると、上の息子は「あれは監督さんが思った寺田ヒロオだから、(生活を共にした)藤子サンとはまた違うんだと思う。これはこれで良かったよ。」と、「まんが道」の寺田サンの顔で笑った。


* 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』  「あさま山荘」の頃、私は高校の2年だった。そういったニュースもろくに見ず、社会的なことに無関心だった私なのに、なぜか大学では、(全国的にはとっくに下火になっていた)学生運動に何らかの形で近い人たちが周囲に多かった。この映画は、その頃見聞きした光景を思い出させるモノが当然あるので、映画自体もだけれど個人的にも(「洗脳」という言葉もちらついて)、観ていてとても辛く、ショックも深い部分にまで届いてしまうような作品だった。どうしてもそのまま家に帰る気になれなくて、その後わざわざシネコンの『ウォーリー』を観に行ってしまったくらい。笑い話のようだけれど、私にとってはそれくらい「生きていくエネルギーを削ぐ」(或いは逆にそれほどの力のある)作品だったのだと思う。(それにしても、当時を何らかの意味で知る人はともかく、全くの「映画」として観た若い人たちなどは、一体どういう感想を持つのだろう。オウムなどと同様の事柄と感じるのだろうか・・・。)






とりあえずここまで、映画館以外で観た映画の感想だけアップすることにします。映画館で観たものについては、やっとこれから書くので、まだしばらくかかりそうです。

今回は、ごくごく個人的に「マイ・ベストテン」も選んでみようかと思っています。多分、順位はつけず、2008年に観た108本の中から10本だけ・・・という感じで。

オススメ作品というのではなく、個人的に(ちょっと大袈裟に言うと)「私の人生に何かを付け足してくれた気がした作品」という意味なので、すごーくマイナーな作品ばかりになるかもしれませんが・・・。






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天然コケッコー (はにわ)
2009-01-26 10:27:55
やっと、私の見た映画が、このブログにのりました。うれしい。
玄人好みの映画が多いので、楽しいだけの映画しか見ない私は、のぞく
しかできませんでした。(笑)
のどかで、方言がいい味出していて、佳作でした。主演の夏帆ちゃんと
岡田くんもお気に入り。岡田くんは映画の時より、さらに、かっこよくなっています。

それにしても、久々の更新でしたね。
また、いろんな映画を紹介してくださいませ。
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はにわさん、ようこそ~(わーい) (ムーマ)
2009-01-27 12:22:34
我ながら思うんですが、いつも偏った映画ばっかりで、スミマセン(ぺこり)。
でも、前からこんな映画の話の時も、ちゃんと見てくださってたんですね。とってもとっても嬉しいです。

『天然コケッコー』良かったですよね~。(私、長いこと「コケコッコー」かと思ってたヒト(笑)。)
くらもちふさこサンのマンガが原作と聞いて、学生の頃、雑誌で連載されてた彼女のマンガの雰囲気を思い出しました。(今じゃあもう、題名は覚えてても、どれがどれだったかもオボロゲで残念・・・。)

他にも、「はみだしっ子」シリーズとか樹村みのりサンとか、はたまた陸奥A子さんとか大島弓子サンとか・・・あの頃読んだ少女マンガの数々。

『天然コケッコー』の撮影は島根県の浜田でだったんですって。なるほどな~とも思いました。
なんとなく懐かしい気がしたのは、物語の持ち味だけでもなかったんだなって。(学生の頃住んでた町の近くだから。)

などなど、またまた思い出話をしちゃった。

そのうち、(ショー懲りもなく)映画館で観た映画の感想も書くつもりです。
そっちにはきっと、はにわさんがご覧になった映画もあると思います。

どうぞ、またいらしてくださいね。
どうもありがとう!
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