「フレデリック・ワイズマンのすべて」の初日。会場の高知県立美術館に行ってみると、予定が変更されて、ワイズマン監督の講演より先に、『ボクシング・ジム』を上映することになっていた。映画を観てから監督さんの話を聞く方が私としてはありがたいので、喜んで先に映画を観た。
その後で聴いた講演の内容を、覚えている範囲で書いておこうと思う。
ワイズマン監督は1930年生まれ。もう80代の筈だけれど、「今も日常的にジムでトレーニングしている」人らしく、そういう年齢には見えない方だった。元々は弁護士業の傍らボストン大学で教鞭を執っておられたらしい。
「30代の頃、ハーレムを描いた映画『クール・ワールド』をプロデュースしたことがきっかけとなって、その後初めての監督作品『チチカット・フォーリーズ』(1967)を発表。精神異常犯罪者のための州立刑務所を撮したそのドキュメンタリーはマサチューセッツ最高裁判所で公開禁止処分となり、長い法廷闘争の後、1991年に漸く上映が許可される・・・」といった説明が、企画のチラシに載っていた。
その間もずっと、アメリカの社会的な組織や施設を対象とするドキュメンタリー作品を次々と発表。これまでの監督作品数は39本。1年~1年数ヶ月に1本の割合で、作品が作られている計算になる・・・といった司会者の紹介もあった。ずいぶんたくさん映画を撮ってる人なんだ・・・と、私はちょっと驚いた。
講演の内容は要するに、ワイズマン監督の作品が出来上がるまでの工程表、その間の「仕事の仕方」の説明だった。
監督は言う。
「映画を作る上で最も重要なのは、“必ず対象施設の許可を取る”ということです。」
「6週間撮影すること、その間カメラの前で起きることはすべて映画として一般に公開される可能性があること、などを私が書面にして相手の施設に送り、サインしてから送り返してもらう。それで、私と相手側との契約が成立します。その後は(相手の気が変わらないうちにと)なるべく早く撮影に取りかかります。」
「但し・・・」と監督は続ける。
「対象が公共の組織・施設だった場合は、私は許可は取りません。」
「税金を支払っている人に対して、その税金で運営されている施設内を公開するのは当たり前のこと。それは合衆国憲法○○条修正事項○項に国民の権利として保障されているので、私は許可申請はしないのです。」
「6週間で撮影されるフィルムは200時間?くらいですが、撮影期間中も夜はそのラッシュを“音抜き”の映像で見ていきます。」
「撮影した映像をすべて“音抜き”で見た後、今度は音も入った状態でラッシュを見ます。撮影されたものすべてがアタマに入った後、6ヶ月かけて200時間分のラッシュの中から100時間分くらいを選び出します。半分くらいにするわけです。」
「重要なのは・・・」と、監督は言う。
「ここまでの間は、私は全くの白紙状態で撮影に入り、撮したラッシュにも向き合うことにしているという点です。」
「だから、ここまでは作品のテーマや構成といったことは一切考えません。」
「200時間のラッシュを半分にした後、初めてテーマや構成を考える作業に入ります。」・・・監督の表情が、苦味を帯びる。そしてややアイロニカルな口調で呟くように言う。
「最初からこういうテーマでこういう作品を作りたいと決めていたら、1本の映画に1年間もかからないでしょう。」
「素材(撮影したもの=調査結果)を手に入れて、それをよくよく見て、全体がアタマに入ってから、初めてそこから考えて・・・考えに考えた後書き上げられる、年1本のレポート。それが私の映画なのです。」
「構成を考えて作り上げていく過程は、文学作品の場合とそう変わらないと思います。この人がどこで何と言うか・・・といったことを、小説家が考えるのと同じです。」
ワイズマン監督は、途中で質問をして構わないと言った。最後の質問時間まで待っている必要はないというその言葉でいくつか質問が出た中で、興味深かったものを3つ。
質問① 「対象の“施設”には許可をとってあったとしても、撮される個人個人については、どう了解を得ているのですか。」
監督の答 「例えば『ボクシング・ジム』の場合だったら、入り口の何カ所かに張り紙をしてもらって、撮影期間中は撮影対象になり、その後一般に公開される可能性があることを伝えた上で、一人一人にサインをしてもらい、その各人が私との間で1対1の契約をしたことにしました。」
質問② 「撮されることに慣れていない人たちを(ぶっつけ本番で)撮影するわけで、いわゆるカメラ目線のようなことは起きないのですか?」
監督の答 「・・・なぜかは私にもわかりませんが、これまでそういうことはありませんでした。なぜか・・・(真面目な顔で)皆さん、私の大きな耳に気を取られていたのでしょうか。」
質問③ 「カメラで撮されることで、普段とは違う行動になってしまう・・・といったことはないのですか。被写体になっているという意識によって、相手側の様子や態度が変わるということは?」
監督の答 「いい格好をしたいとか、そういった多少の影響はあるかもしれませんが、結局の所、人はその場所(施設)で“正しい”とされていることするものです。そこではそう振る舞うべきだとされている“適切な”行動を、当然のこととして取るのです。カメラがあるからと、いってわざわざ“不適切”とされている行動を取ったりはしません。民間の、例えばデパートのような場所でもそうだし、公共の施設や組織、例えば警察のような場所でも、それは同じです。」
監督がその後、いかにも嫌そうに続けた言葉を思い出す。
「だから、(私の作品に限らず)多くのドキュメンタリーがあって、その中には(皆さんのような)観客を驚かすような映像が映っているのです」。
『ボクシング・ジム』(2010)は、私にとっては「違和感のない空間」といった感じの作品だった。
そもそも格闘技に特に興味もなく、「ボクシング・ジム」がどういう場所かも映画かマンガでしか知らない私は、人々が何を求めてこの場に来ているのか、ジムの経営者がその人たちに提供しているものが何なのか・・・を、ただ「眼」になって見ているのが心地良かった。案外眠くもならなかった(笑)けれど、ウトウトしても構わないんじゃないかという気もした。
映画の最後に、「監督・制作・編集・音響 フレデリック・ワイズマン」とあった。撮影その他のスタッフはもちろんいるのだけれど、「作家が小説を書くのと同じ」と言った監督の言葉を思い出した。
私の知らない「アメリカ」が目の前を流れて行く。そんな作品群を、観るのがとても楽しみだ。
ワイズマン作品は、まさに目になってくれるという感じですよね。頭にはなってくれないから、押しつけがましくないのだと思います。何本か観ましたが、どれも「違和感のない空間」でした。それでもって、パリ・オペラ座のドキュメンタリーでさえ、うとうとしちゃいました。
ムーマさんのレポート、苦そうな表情や嫌そうな様子がおもしろ~い。他のドキュメンタリー作品にご不満があるのでしょうか?
カッコイイ爺さんですね~。
東京でも上映中で気になっているのに、足を運べてません。
「パリ・オペラ座」と「アメリカン・バレエ・シアター」は以前見ていて、
同じバレリーナでもこんなにルックスと雰囲気が違うのねー!!!と驚きました。
ワイズマン作品は、99年にも高知で上映会があったんだそうですね。私は今回が初めてです。
『パリ・オペラ座のすべて』も楽しみにしてるんですが、長いし、きっとウトウト組だと今から思ってます(笑)。
ワイズマン監督が皮肉っぽい口調で、「最初からこういうテーマでこういう作品を作りたいと決めていたら、1本の映画に1年間もかからないでしょう。」と言われたのは、余程「(偏見や予断があって)前もって結論ありきのドキュメンタリーを撮っている」というような批判を受けてきたのかな・・・と私は思いながら聞いてました。
「とにかく白紙で撮影して、白紙で(時間をかけて丹念に)ラッシュを見る。」というのを強調されたので。
もう1カ所の、「だから、(私の作品に限らず)多くのドキュメンタリーがあって、その中には観客を驚かすような映像が映っているのです」。というときの「嫌そうな」様子は、これは私の説明不足でした。(スミマセン)
監督はこの時、売春取り締まり(警官がおとりになって娼婦を摘発する)の実例を挙げて、抵抗して警官を殴って逃げた娼婦を逮捕した際、「素直に連行されて罰金を支払えばすぐに釈放されるんだから、そうすればいいんだ。」と言った警官の言葉などを紹介してました。
カメラ(外部の者の眼)があっても、組織内の人間は、その組織の「常識」(かくあるべしという規範)通りに行動するから、それが映像として残され、多くのドキュメンタリーが存在するのだと。(そうでなければ、そもそも観客が見て驚くような多くのドキュメンタリー作品は存在しないだろうと。)
そして、監督さん自身はそういう警察側の「常識」(という現実!)がほとほとイヤなんだ・・・という風に、私は受け取りました。
「1本作品を仕上げると、落ち込みます。だからすぐ、次の作品に取りかかるのです。」という言葉もあったんですが、作品の仕上がり具合に満足できなかったとかいったこともあるかもしれないけど、自分が見つめた「アメリカの現実」にため息が出る気持ちも含まれているのかな・・・などと私は思いました。
今回の記事は途中からPCが不調で、言葉足らずになってます。(文字の大きさが勝手に変わる・・・等々)
自分にとってはメモのようなものなので構わないんですが、読んで下さった方には申訳なかったです。
「アメリカン・バレエ・シアター」も楽しみにしてます♪
オペラ座と同じ日にあるので、6時間近くバレエ三昧になりそう(笑)。
ダンサーの違い・・・ゆっくり見てきますね(わくわく)。
それにしてもワイズマン監督は、外見はいかにもユダヤ系の弁護士風(実際そうだし(笑))。、声も小さめで、とても疲れておられるようにも見えたんですが、お話の内容がカッコ良かった!!
ほんとにそんな風にしてドキュメンタリー何本も作ってる人がいたんだ・・・って、それだけでも私には新鮮な驚きでした。
ヤマさんからは「初期の作品の方が(素材が優れていると思われるので)お見逃しなきよう」とのことでした。(もしもTAOさんもご覧になる機会があれば・・・)
ドキュメンタリーって、未知なるものや意外性の発見に意義があるものだから、決めつけは御法度、ニュートラルな姿勢を大切にされているのでしょうね。撮影してから構成を考えるっていうのも、そういうことですよね。嫌そうな表情のわけがわかったような気がします(わかってないかも知れんけど(笑)。)
初期の作品は題材が面白そうと思っていましたが、これは益々観たくなりました~。
“追加レポート”の方も、あくまで私の感じたもの、想像の範囲なのでアテになりませぬ。「嫌そうな表情」の訳は私もほんとのところわからないままです(あは)。
ただ・・・今回の記事は自分の記憶のために書いたんですが、当日ロビーで買ったプログラムの前半が、今回の講演の内容そのものでした。(やっと今朝読んだので。)
先にプログラム読んでれば、この記事は書かなかったと思います。
でも、お茶屋さんがコメント書いて下さったので、なんだか「書いて良かった~」な気持ちになってます(本当)。
こちらこそ、どうもありがとうございました。
芸術家気取りじゃないところがまたカッコイイですね~。
さっき自分の「オペラ座」の感想を読み直してみたら、「スーパークールなドキュメンタリー!」と感激してました。やっぱり本人のカッコ良さが作品にしっかり出てたんですね。芸術監督のマダムがまためちゃくちゃクールでしたよ!
初期の作品が面白いんですね。了解です!
こちらでは「オペラ座」は1月末なんです。
その日は「アメリカン・バレエ・シアター」と、あと『最後の手紙』の3本セット。
「スーパークールなドキュメンタリー」でめちゃクールなマダム!なんですね。
待ち遠しいです。早く来年にならないかな~(笑)。
昨日付の拙サイトの更新で、こちらの頁を例の直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。
本文もさることながら、コメント欄が充実していて、拙日誌で言及できていなかった諸々について補っていただき、大いに助かりました。
今月末、改めてワイズマン監督の特集上映が再開されますが、果たして何作見られることやら(笑)。
どうも、ありがとうございました。