眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

死と誕生に向かう「老い」 ・・・・・ 『黄金花』(『8 1/2』『NINE』)

2011-03-04 00:29:05 | 映画・本

『黄金花-秘すれば花、死すれば蝶-』を観た後、その4日前に作り手の木村威夫(タケオ)監督が亡くなっていたと知った。享年91歳。(『黄金花』は90歳で完成・公開)。そもそもは美術監督を長くしてこられた方で、ネット上では「日本映画史上最高齢での長編劇場映画デビューを果たし、ギネスブックにも登録された監督の最新作・・・」などという記述も見かけた。

なぜ監督の年齢について長々と書いたのかというと、この映画のタイトル「黄金花」(映画の中にも登場する)というのは、たとえ何歳になろうと人がどこまでも追い求める、「夢」?の象徴のように思えたからだ。
 

歳を取れば取るほど、不自由なことが増えるほど、世間から取り残されて?いけばいくほど、人は若き日に追い求めた夢や憧れ、理想の何かといったものに立ち返ろうとするのだろうか。監督のような「創造」に携わる仕事を続けてこられた方にとっては、創り出したい「何か」は、作れば作るほど遠のいていく「見果てぬ夢」のようなものなんだろなあ・・・などと、「創造」からほど遠い、「見せてもらう」一方の私は、映画を観ながら思ったりした。

とある老人ホームで暮らすさまざまな人たちの「奇妙で不思議な日々」を描いたこの映画は、物語の進行と共に、幻とも現実ともつかないカオスの状況を呈してくる。それは主人公の老人(植物学者)が時を遡る旅でもあり、「死」に近づくことは「誕生」に近づくこととでもいうような、老いるほどに若返る不思議さを見せてくれる光景だった。

観ている中に、なぜかフェリーニの『8 1/2』という映画を思い出した。遠い昔に観て、その時は特に興味も惹かれなかった外国の映画がなぜ浮かんだのかというと、こういう「死」と「生」、若さと老い、或いは「性」、創造者が追い求める「夢」、焦がれるような「憧憬」・・・といったすべてを混沌に溶かして「面白く、可笑しく、晴れやかに」描こうとする映画というと、最初に思いつくのが私の場合、8 1/2』だったからだ。『黄金花』と8 1/2』は、私には「何がなんだかヨクワカラナイ」、でも「もうこれでイイじゃないの~」(と花火が上がる!?)というところもよく似ている(笑)。

同じ頃、シネコンではNINEというミュージカルが上映されていた。8 1/2』からとって作られたブロードウェイ・ミュージカルを、さらに映画化したというNINE』が急に観たくなって、『黄金花』を上映していた古くからの映画館を出た後、トコトコ歩いて観にいった。

そして・・・『NINE』を観た後、改めて思ったことがある。

『黄金花』と8 1/2』にはあって、NINE』ではきれいにそぎ落とされているように見える「死」というものの存在が、「創造」という行為の土台には既に組み込まれている?らしい。それは(後から振り返ってみると)「創造する人」がごく若い頃から気づかぬままにつきまとわれているようなモノで、「死」を「生」に溶かし込むという作業を繰り返しながら、彼らは作品を作り上げる。

やがて歳月と共に、現実の我が身の「死」の気配を身辺に感じ始めると、彼らはさらに深いところまで、もう一度「死」と「生」を混ぜようとする。それは現実と幻を混ぜることでもあって、やがてその渦中で、追い続けてきた夢の花は再び姿を現し、またそれを追いかける道が見えてくる・・・。


ふと我に返って、こんなワケノワカラナイものを自分が書いてしまっているのに、今とても驚いている。『黄金花』という映画の内容を、私は殆ど覚えてもいなかったのに、この映画にはなぜか、私にコンナコトを考えさせる力があったらしい。

90歳・・・90年という歳月の持つ力を、56歳の私がワカルと言ったら嘘になるけれど、「老妻と自分という老夫婦の有様をドキュメンタリータッチで映像に収めれば間違いのないモノが出来上がるが、どうもその気になれない。もっと晴れやかに、おもしろ、おかしく、老人同士をえがいてみたい・・・」という監督さんの気持ちは 今の私にも十分通じるモノがあったのだと思う。

自分にとって面白いのか面白くないのかも判然とせず、作り手の言わんとしていることも理解できている自覚は無く、観ている中にどんどんワケがわからなくなっていくような映画だった(笑)のに、自分の中の混沌のちょっとだけ深いところまで泳ぎに行かせてもらった・・・そんな不思議な作品だった。

木村威夫監督のご冥福をお祈りします。

 

 


コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« そんなに早くは気づけない。... | トップ | 「死に後れる」ということ ... »

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (chon)
2011-03-04 10:36:27
あああ、これ、見ました~。
見たことをすっかり忘れていました(汗)
内容は、ほとんど覚えてなくて、ただ俳優さんたちが演技していたなぁと思った事を覚えています。
こっちにカメラがあってー、カメラの前でどんな気持ちであんな台詞を言うんだろう?とか、このセットはどんな素材で作ったんだろう?とかそんな事ばかり考えていたけど、その事すら、ムーマさんの記事を読むまで忘れていました(^^;
年取ったせいなんでしょうかねぇ。
見に行った理由さえ思い出せません・・・orz
でも、時々、こういった事を思い出させてくれるから、ムーマさんのブログは楽しいです(^0^ゞ OK
返信する
素晴らしい! (お茶屋)
2011-03-04 19:22:23
素敵な感想で涙が出るほど感動しました。
で、自分の感想からリンクさせていただきました(ペコリ)。
書いてくれて、ありがとう(ToT)。
返信する
新聞に紹介記事が載ったんだとか・・・ (ムーマ)
2011-03-05 11:08:41
>chonさ~ん

私、確かchonさんのブログで「近々見に行きます」ってあったから、「やっぱり私も行こう」って思ったんですよ。(最初は私、行くの迷ってたと思います。)
その記事をブックマークしたまま、今に至ってます。(タイトルが"メタルとゲームとNFL"なので、中に埋もれないように・・・って思ったのかも(笑)。)

でも、お陰さまで観にいくことが出来ました。
観た直後は、なんだかアタマがぼんやり~な感じだったんですが、時間が経つに従っていろんなことを考えました。
観られて本当に良かった。chonさん、どうもありがとう。

>こっちにカメラがあってー、カメラの前でどんな気持ちであんな台詞を言うんだろう?とか、このセットはどんな素材で作ったんだろう?とかそんな事ばかり考えていた・・・

あはは、ほんとソンナ感じでしたね。俳優さんが楽しんで演じてるというか(笑)。「セットの素材」私もちょっと考えたの、今思い出しました(笑)。
返信する
ありがとうございます(ドギマギ) (ムーマ)
2011-03-05 11:29:25
>お茶屋さ~ん

「かるかん」にリンクして下さったなんて、ほんとに光栄です。どうもありがとう!!
そういえば、私お茶屋さんの感想ゆっくり読んでないって気がついて、たった今読んできました。
そして・・・なんだかボー然としています。

私、お茶屋さんの感想を先に全部読んでいたら、自分の感想は書かなかったと思います(本当)。
お茶屋さんは、映画観た時点でああいう風に思われたんでしょう? 私は観た直後はなんだかピンと来てませんでした。
お茶屋さんのネタバレ感想の部分、読んでる中に私も涙が出てきてオドロキました。
上手く言えませんが、本当にありがとうございました。
(こちらへ来て下さった方は、「お茶屋」のトコロをクリックしてみて下さいね。)
返信する
えー! (お茶屋)
2011-03-05 16:08:36
>自分の感想は書かなかったと思います(本当)。

えー!?それは困りますぅ。

>「死」というものの存在が、「創造」という行為の土台には既に組み込まれている?らしい。

とか、考えつかなかったですよ。
本当にそのとおりだなぁと思いながら拝読しました。

セットの素材については、私もそんな風に思いました(笑)。
返信する
わ~い、セット仲間~(笑) (ムーマ)
2011-03-06 00:27:47
>お茶屋さ~ん、

私の方は、
>親しい人が亡くなったという知らせを聞いて、みぞおちが冷たくなるような、一瞬世界が静寂に包まれるような感じ・・・
>探し求めていたものを死の直前に授けられるありがたさ(何か褒美のような祝福されたような感じ)・・・
という辺りで、涙が出てきたんです。ああ、ほんとにそういう感じだったなあ・・・って。

映画との距離は結構遠いのに、なぜか流れに翻弄されたような印象もある、不思議な映画でした。
返信する
報告とお礼です。 (間借り人ヤマ)
2011-03-21 07:07:48
 と言いましても、報告する前に既にお訪ねいただき、過分なるお言葉まで頂戴しており、恐縮しております。
 実は『黄金花』の日誌を綴ってないものだから『Nine』のほうで拝借しました(あは)。

 “『黄金花』と『8 1/2』にはあって、『Nine』ではきれいにそぎ落とされているように見える「死」というものの存在”を切り口に考察されておいでのことは、『Nine』を語る上でも非常に重要な視点だろうと思います。その是非を問うためではなく、その功罪を考察することにおいて。

 どうもありがとうございました。
返信する
納得しました~(笑)。 (ムーマ)
2011-03-21 15:45:46
>ヤマさ~ん、ようこそ~。

だから『Nine』だったんですね(笑)。

>その是非を問うためではなく、その功罪を考察することにおいて。

そうですね。ヤマさんの感想にありましたが、『Nine』では「功」の面がありますね。
私があの映画を楽しんで観られたのは、徹底して「ハリウッドのミュージカル」に仕上げていたからだと思います。

わざわざ来て下さって、こちらこそありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

映画・本」カテゴリの最新記事