昔物語-土佐・奥物部から-

奥山の昔話を先祖から受け継いだ話を元に編集した物です。今残さないと無くなってしまう…誰も知らない伝承物語です。

秘法のこと  4

2006年04月06日 | 秘法

写真と本文は関係ありません。

 

 

また、ある時、近所の子供を集めて 「天狗を見せてやろうか」 と言う

子供は興味があるから 「見せてくれ」と言うと

「ねんごろ 見よれ」と言って 祈念をしはじめた

すると 何処からとも無く 天狗が杉垣の上に来て 

赤い顔 高い鼻 八手のうちわを持っているのを子供達は見たのである

しばらくすると どこかへ行っていなくなったという

この天狗 子供の時見たという人から 自分は聞いている

 

また、夏の終わりには

物部川の鮎が太り20cm~25cmになり浅瀬に群を作って泳いでいる

ある日の事 近所の子供に

「今、鮎をたくさん拾わせてやるから」

と言って子供を川に連れて行き 川下の浅瀬に待たせておき  

自分は一段高いところから 秘法 明居古の九字を切る 12回念ずると 

今まで元気に泳いでいた鮎が 急に腹を上にして川下へ流れていく

川下では 子供達が喜んで 夢中で拾っていたという

 

また、作者の従兄弟に宗石兼七という者がいて昭和47年まで保土野に住んでいた

彼も又、子供の時 天狗を見せてもらったり、鮎を拾ったことがあると話していた

他に 彼は 角次祈祷師から 色々習ったとも話してくれた

その中で 明居古の九字を習ったので 法試しに使ってみたという

修行が足らんのか鮎が腹を白く見せたが 流れはしなかったと聞いた

 

また、大正の終わりごろ頃までの話であるが

茶碗に入れた小豆を 法文で 食べれるように炊くのがあった

箸はお盆の下につけて 食べてくださいと言って 出していたとのことである

 

また、

山で木材を搬出するにトビ・ツルを使った

これは木に打ち込んで引き寄せる道具であり 穂先がちびると抜けるので

穂先を自分で焼いて金床の上で土で叩いて直すのである

なんと 真っ赤に焼けたトビを素手で掴んで穂をつけていたという

これも 見たという人から我が聞いたのである

どんなに思っても真っ赤に焼けた鉄を素手で掴むのは不可能と思う

何かを知っていたのではと思っている

 

また、昭和53年までいた人で変わった人がいたのである

リンゴを気合一つで割ることができたという

どんなリンゴでも いくつでも割っていたのを自分は見ている

 

現在では どんなに考えても理解できないようなことが 本当にあったのである

 

 

 

 


秘法のこと 3

2006年04月02日 | 秘法

写真と本文は関係ありません

 

小正氏も 大峯山で修行して 京都御所で拝顔して不動院の院号を朝廷より頂いたのである

法力その1

山の頂上近くで水がなくて不便な所へ 七つの竜を刻み それを土の中に埋めて

法力で祈念すると 不思議にも山の宇根に水が土のそこから湧き出して来たのある

現在でも 不動院の行い水として枯れることなく湧き出ている

我が 現地を見て確認している

 

また、瀬次郎谷の奥に高さ80㍍の滝がある

この滝を膝を組んだままで 上ったり下ったりして修行をしていたので それから

その滝は「不動の滝」と名がついている

これより上 左岸40㌶は 民有林で自然林である

右岸は国有林で ここも 自然がそのまま残っている

「不動の滝」から上流700㍍の谷は、水量も多くアメゴが住んでいる

山の中には10㍍を越す蛇もいるというのを 見た人から聞いたことがある

なにせ 自然の残っているところである

 

話を元に

不動院小正が水を出した場所が 所々に残っている

明治の初めまでは 代々大峯山で修行をして 院号を継承して来たのである

法力のことについても 明治6年までいた

岡ノ内の 三敬氏は 何かを知っていたのではと我は思う

一人で七人分の仕事をしたと言われているのである

大正時代 物部村市宇の 保土野に 「角次」 という祈祷師がいた

彼は 日光院から 岩割法文を習っていた

当時木材の搬出はすべて川に浸けて多くの人夫を雇い これを川ながしと言っていた

所は徳島県の木頭村 那賀川上流に 川の中に大きな岩石があって 

木材の流れを阻み 困っていた 

色々話し合って 角次祈祷師 に割ってもらおうということになり雇いに行った

角次氏は現地に行き 岩割法で祈念したが

一回目では割れなかった 

そこで 秘法の巻物 虎の巻を持って行き祈念しなおすと 

大音響と共に 大岩は粉々に割れたのである 

割った所は今はダムの底になっている