マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

黒い眼のオペラ/「魔笛」の主題

2007-07-03 | 映画分析

冒頭、モーツアルトのオペラ「魔笛」より、王子タミーノが歌うアリア「何と美しい絵姿」が流れる(タミーノは旅の途中で命を救われる。
その恩人たちに、まだ会ったことのない美しい姫パミーノの絵姿を見せられて恋に陥り、数々の試練を乗り越えて姫と結ばれる・・・)。
それを聴いているのか、眠っているのか、旅人のシャオカンがベッドに横たわっている。
 本作の伏線となる音楽「魔笛」の中心的主題は”友愛”であり、タミーノとパミーノ、お供のパパゲーノとパパゲーナ2組のカップルの愛を通して描かれている。
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シャオカンもまた、旅の最中に不良どもに襲われ、重傷を負う。彼を助けるのは同じ旅人の出稼ぎ労働者たちだ。マットレスに包んだシャオカンをかつぎ、狭い小路やアパートの廊下、階段をやっとのことで通りぬけ、仲間の部屋に運びこむ。
 異邦人のラワンは、寝たきり状態の彼を献身的に介抱する。壁には「Ilove you」のポスターが飾られている。もう1枚のポスターは「魔笛」のシーンか?
この時再び「魔笛」より、夜の女王のアリア「復讐の心は地獄のように我が心に燃え」が流れる。昼の支配者ザラストロに復讐せよ、と自分の娘パミーノにけしかけるのだ。

 小康を取り戻したシャオカンの前にミューズとなるシャンチーが現われる。愛の三角関係の試練が始まったのだ。
「魔笛」では、タミーノとパパゲーノがそれぞれ愛を成就するためには、「沈黙、水、火の試練」をくぐりぬけなければならない。
 本作では、マットレスが、苦しみながら胎内をくぐりぬけて外界に出る胎児のように狭い通路を何度も移動する。
マットレスは「愛」の、狭い通路は「試練」のメタファーなのだ。

 シャンチーは、もう1人のシャオカンともいえる、勤め先の女主人の息子の介護をしている。
同じアパートの2つの部屋で、それぞれに介護されるシャオカンと女主人の息子(リー・カンションの二役)、介護するラワンとシャンチー。彼らは互いの分身であり、4人で1組のカップルと見なすことができる。
 なぜなら、シャンチーの住む屋根裏部屋の床の隙間から、ラワンとシャオカンの様子が丸見えなのだ。彼女はラワンに自分を、シャオカンに女主人の息子を重ね合わせているのである。
 
 孤独だったラワンは、シャオカンを介護することによって、アイデンティティを獲得する。人の役に立てることがうれしくて、次第に彼を愛するようになる。
言葉を介せないシャオカンもまた孤独である。同じアパートのシャンチーに惹かれていく。
シャンチーは、かつて愛しあっていた女主人の息子が植物人間のようになった今、心の隅に罪意識を背負いながら、シャオカンと付き合うようになる。
 女主人は、息子にそっくりなシャオカンを誘惑する(「魔笛」でも、試練の1つとして、魔法使いの老婆が若い女に変身して、若い男を誘惑する)。彼女はシャンチーとも妖しい関係にある。シャンチーと2人で息子の股間をまさぐる場面は、鏡によってしっかりと映し出される。
 女主人が息子を介抱するシーンは、何度も鏡(自己愛)に映る。 ここでは女主人はシャンチーの分身で、息子はシャオカンの分身なのだ。

 ”マットレス=愛”の移動は、人間関係が卍のように複雑に絡み合い、「恋愛感情」が揺れ動くことを表している。この移動は「友愛の境地」に至るまで果てしなく繰り返される。

” 階段”が多用され、すれ違ったり離れたりするのは、相手との距離であり、時間である。 
 ”水”のシーンも多い。 ポタポタと落ち続ける水道水 、瓶の貯水、廃墟の巨大な水溜まり、赤い飲料、緑の飲料、コーヒー、放尿、小便袋・・・。
水は生命の源であり、愛の乾きを潤すことができる。

水ほどではないが、”共有”する場面が多い。シャオカンとラワンは、緑の飲料水やタバコを相手に回す。
女主人とシャンチーは息子の股間を共にまさぐる。
シャオカンとシャンチーは、Gパンの片方ずつを頭から被って愛を交わす・・・。
相手と自分の間にはもはや”自他”の区別がなく、”友愛”のみがあることを示している。

廃墟を1人で見つめているシャオカンの肩に蛾が止まり、彼に捕まえられるが、解放される。1人の女性への愛に囚われている彼をあざ笑うかのごとく、自由に飛び回る蛾の軽やかさ・・・。
蛾は彼の魂だ。本音を言うとシャオカンは、執着ではなく自由を希求しているのである。

シャオカンがシャンチーに贈る光り物の点滅は、愛の不安定さを表す。

そして、山火事による煙霧・・・。
 沈黙の試練(シャオカンは1度も言葉を発しない)、水の試練(氷嚢がなかなかシャオカンの頭の上に収まらない、女主人は廃墟の水溜りに落ちるなど)に続く、火の試練である。

ラワンは、自分を裏切ったシャオカンを殺そうとするが、シャオカンは彼を許す。「魔笛」の夜の女王と同じように、復讐はさえぎられるのだ。

ラスト、「沈黙、水、火の試練」をくぐり抜けた彼らは、至福の”友愛”を実現する。
シャンチーとラワンは、シャオカンを真ん中に川の字になり、オペラハウスのような廃墟の水溜りに浮かべたマットの上に寝ている。その安らかな寝顔は、私たち人間の全てが望む境地を具現している。
 映画「ライムライト」の主題歌「テリーのテーマ=“エターナリー(永遠に)”」が流れる( 初老の道化師カルヴェロは、意識不明で倒れていた美しい踊り子テリーを助け、献身的に介抱する。彼女を再起させるが、逆に彼女に励まされる関係に・・・)。

このカルヴェロとテリーの関係も、介抱する者とされる者という一方的な関係が逆転し、”友愛”へと至るのだ。
ツァイ・ミンリャン監督の、本作におけるテーマが”友愛”であることを強調するエンディングに心が満たされた。
★★★★★(★5つで満点)


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2 コメント

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魔笛 (アカショウビン)
2007-07-09 04:43:56
「魔笛」といえばベルイマン作品が想い起こされます。もう30数年前(!)に観た作品ですが、あの手法はとても面白かったです。肝心の音楽の方は一級品というわけにはいかなかったですが、あの陰鬱な(笑)ベルイマンが実に楽しく映像化していたのが興味深かったですね。劇場に向かうキャメラから劇場内での多国籍の子供達の表情が素晴らしかった。文章からしますと本作は「魔笛」を換骨奪胎した作品のように思えます。恐る恐る(笑)観にいこうと思います。
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是非! (マダム・クニコ)
2007-07-17 00:20:26
>アカショウビン様

ケネス・ブラナーの映画「魔笛」も公開されて、ちょっとしたブームですね。
本作を是非ごらんになって、ブログにアップしてください。
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