愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

『シュトロツェクの不思議な旅』とイアン・カーティス(3)

2015-03-15 21:49:38 | 日記
 映画は、主人公ブルーノが刑務所から出所するところからはじまりますが、仲間たちから祝福されるなか、「行きたくない」と一言もらすのが、映画の結末を思うと、印象に残ります。刑務所を出て、トコトコと歩いていく姿は何となく可愛いらしく、見ていて不安な気持ちになります。「君の犯罪はすべてアルコールが原因だ。二度と酒は口にするな。今度戻ってきたら一生拘禁だ。」と看守に強く言われていたのに、まず向かったパブでビールを注文し、そこで昔からの知り合いらしき女性エーファに再会すると、早速トラブルに巻き込まれます。「人に軽蔑され大人になり、愛にあこがれた」とブルーノは映画の後半で語ります。エーファへの愛は、ブルーノにとっておそらく生涯で最も大きな喜びであったでしょう。と同時に破滅への原因ともなったわけです。この点は、イアンに重なってきます。
 このほか、細かい共通点を思いつくまま挙げてみます。
 まず、ブルーノがミュージシャンであること。出所する時の所持品の中にはアコーディオンがあり、アパートの部屋にはシャイツが管理してくれていたグランドピアノとおもちゃのアップライトピアノがあります。「黒い友人」と呼ぶグランドピアノを、いとおしそうに音を確かめながら弾いてから、ブルーノは街に出てアコーディオンの弾き語りをして、いくばくかの日銭をかせぎます。ピアノの他に大切にしていたのが、ペットの九官鳥で、これもシャイツが世話をしてくれていました。この九官鳥はアメリカに入国する際没収されてしまいます。「エーファ、ここはどういう国だ、ブルーノの九官鳥が没収された」と言うだけで、どうにもできません。ふと、イアンがかわいがっていた犬、キャンディと別れるようになったエピソードを思い出しました(「Candidate――イアン・カーティスの愛犬(2)」)で触れました。

 
 さて、前半のアメリカに発つ前のパートで最も印象深いのが、未熟児の新生児室の場面です。
知的障害のあるブルーノの世話をしているとおぼしき医者が、ブルーノを励まし、諭し、「未熟児室に行こう。君に見せたいものがある」と言います。そこにいる未熟児の一人が、医者が手を差し伸べると、大きな声で泣きながらしがみついてきます。医者は、「見てごらん、この未熟児を。そしてこの力強い反応を。いつの日かこの子は首相になるかもしれない」と言いながらやさしくその子を抱きます。その時、ブルーノの目にとまったのは、そのわきのベットで、チューブに繋がれ、何の反応も見せず、ほとんど瀕死の状態に見える赤ん坊でした。この未熟児室の場面は何を示唆しているのか、いろいろと考えさせられます。私には、ブルーノの存在の危うさであるようにも思えます。アメリカで暮らすという夢がブルーノにもたらしたものは破滅でした。もしエーファの愛を求めず、アメリカにも行かなければ、ささやかながら幸せな人生が得られたのかもしれません。しかし、前半のドイツのパートには、当時ヨーロッパを覆っていた閉塞感が漂っていて、遅かれ早かれブルーノは行き詰まってしまうのでは、とも思います。舞台がアメリカに移ると空気は一変し、広い道を延々と走る車から見える風景は開放的で、希望に満ちた未来という雰囲気を漂わせます。しかし、ブルーノはそこで、人生で最も大きな圧迫を受けることになります。

 アメリカに移った後半部で最も印象深いのは、ブルーノがエーファに自分の不安な心のたけを訴える場面です。今の自分の気持ちは「ドアや門が目の前でゆっくり閉ざされるときの気持ち」であるとブルーノは言います。「アメリカに来ればすべてが良くなってゴールに着けると思ったが違った。ブルーノは切り捨てられる。存在しないかのように。君も俺を他人扱いだ。俺がいた施設も同じような感じだった。ナチの時代だったから、寝小便したらロープを節約するために洗濯物はこうやって(筆者注:と手を広げます)持って、一日中立って乾かす。教師が後ろに棒を持って立ってる。ずっと立ち続けて疲れて、腕が下がったら棒で叩かれる。目に見える形でやられた。今はやり方が違ってる。巧妙にやる。巧妙な分もっと悪くなった。」

 私は、この映画は、イアンが影響を受けていたという作品と非常に通じ合うものであると思います。たとえば、「『Interzone』イアン・カーティスとウィリアム・バロウズ(1)」の記事で、『裸のランチ』から、次のようなバロウズの記述を引用しました。

 麻薬ピラミッドは、あるレベルがその一つ下のレベルを食い物にするようになっていて、(麻薬取引の上のほうの人間がいつも太っていて、路上の中毒者がいつもガリガリなのは偶然ではない)それがてっぺんまで続いている。そのてっぺんも一人ではない。世界中の人びとを食い物にしているさまざまな麻薬ピラミッドがあるからで、そのすべてが独占の基本原理に基づいてたてられている。(略)麻薬は独占と憑依の原型だ。

 このバロウズの言葉を借りると、ブルーノはさしずめ、そのピラミッドの底辺にいる人物なのではないかと思います。共産主義国家(ソ連)を思わせる「併合国」でも、資本主義国家(アメリカ)を思わせる「フリーランド」でも、また、そのどちらにも属さない「インターゾーン」でも、弱い者が強い者によって支配され、搾取されるという構造は同じでした。これは『シュトロツェクの不思議な旅』にも見出されるように思います。そして、同じヘルツォーク監督の『アギーレ/神の怒り』にもまた、同じ構造が見出されるのではないかと思うのです。この映画は、16世紀にスペインから、アンデスにあるという伝説の黄金郷エルドラドを発見しようとやってきた探検隊の破滅を描いたものです(1972年公開で、ヘルツォークの代表作です。ヘルツォークが好きだったというイアンが見ていてもおかしくないと思います)。西洋植民地主義の闇を描いたジョセフ・コンラッドの『闇の奥』がもとになっているとされ、『闇の奥』もまたイアンの愛読書であると伝えられています。『闇の奥』はベルギー領コンゴで、原住民を支配し、搾取の限りを尽くした白人クルツの破滅が描かれています。この小説を原作とした映画『地獄の黙示録』(イアンは、アニック・オノレ宛の書簡で、『地獄の黙示録』を見て、スクリーンから目が離せなかったと書いています。『Torn Apart――The life of Ian Curtis』p193)は舞台をベトナム戦争に置き換えていますが、時代と舞台が変わっても、この三つの物語には共通して、権力にとりつかれた人間と虐げられる人々という構造が描かれています。そこには普遍的な人間存在の“闇”が示されているように思います。『アギーレ/神の怒り』でクラウス・キンスキーが演じた、暴力と搾取の果てに破滅した人物に虐げられた存在は原住民インディオでした。ブルーノが最終的に逃げ込んだのがネイティブ・アメリカンの居住区であったことと、つながっているような気がします。

 バーナード・サムナーは、アルバム『クローサー』について、ピーター・フックとスティーブン・モリスとの鼎談でこんなことを言っています。

 (『クローサー』には)ある男の生への葛藤を描いた物語がある。その男は、万物の構造に腐敗した何かがあるという恐ろしい発見と折り合いをつけ、歌が彼の人生を支配していることに気付き、また、鋭い自己認識と魅惑的な生命感を今一度炸裂させた後に、そして、自分が誰であるか、何を欲したかという感覚を十分に残していることを確認した後に、それ以上思い悩むことを決心するのだ。もう何に対しても。

 これは、イアンの死についての、バーナードの見解のある一面を語ったものだと思います。この「万物の構造に腐敗した何かがあるという恐ろしい発見」ですが、『シュトロツェクの不思議な旅』は、こうした構造と人間存在のどうしようもない不安を描いた作品の一つであると私は思います。そして、イアンが好んだということで読んでみたバロウズやバラードの作品にも共通して感じ取れたことでもあります。以前、『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(7)の記事で、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』でデボラがこう記していると引用しました。

 彼はナチスドイツについて書かれた一組の本を買って帰ってきたが、主に読んでいたのはドストエフスキー、ニーチェ、ジャン・ポール・サルトル、ヘルマン・ヘッセ、J・G・バラード、J・ハートフィールドによる反ナチスの合成写真本“Photomontages of the Nazi period”、この本はヒトラーの理想の蔓延を生々しく証明したものだ。J・G・バラードの“Crash”は、交通事故の犠牲者の苦しみと性衝動を結びつけたものだ。イアンは空いた時間の全てを人間の苦難について読んだり考えたりすることに費やしているように感じられた。歌詞を書くためのインスピレーションを求めていたことは分かっていたが、それらは皆、精神的肉体的苦痛を伴う不健康な妄想の極みだった。

 イアンは作詞について、インンタビューで「潜在的な意識に従って書く傾向がある」と語っていますが(『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(2)参照)、こうした作品に自分自身を浸して得られた意識下の感覚を詩にすることが、イアンにとっての創作姿勢だったのではないかと思います。観念的に、権力とか暴力に対する批判を表明するというのではなく、そういったものにコントロールされ、圧迫される人間存在のどうしようもない不安、実存的な不安の実感をそのまま表そうとしていたのではないでしょうか。『シュトロツェクの不思議な旅』は、イアンの作詞の源となるべきような作品で、この映画に自分自身を浸して、そこで意識下に生じた感覚をもとに書かれたイアンの詩が見ててみたかった、そんなことを考えました。

『シュトロツェクの不思議な旅』とイアン・カーティス(2)

2015-02-25 21:51:57 | 日記
 はじめに、以下の記事は映画のネタバレを含むことをお断りしておきます。

 イアンが自殺した日の前日、1980年5月17日の土曜日の夜に「シュトロツェクの不思議な旅」を見ていたことは、彼が電話でそう話していた、という証言によるものです。デボラ・カーティス『タッチング・フロム・ディスタンス』p.147には、次のように記されています。
 
 
イアンがロブ・グレットンに次のように話したことは聞いた。イアンはマックルズフィールドに来ていて、もし一緒に見たら父親を狼狽させてしまいそうなテレビ映画を見ているんだ、と言っていたという。その映画とは『シュトロツェクの不思議な旅』のことで、アメリカに渡った一人のヨーロッパ人が、二人の女性のどちらかを選ぶのではなく自殺するまでを描いたヴェルナー・ヘルツォークの作品だ。ケーブルカーの中で死んだ主人公と、ずっと踊り続けているニワトリを描く最後のくだりは、それがアルバム『スティル』に漏れたものが何故、「ニワトリは止まろうとしない」、「ニワトリはここで止まる」、そして溝の間の足跡を含んでいるかの理由でもある。

 まず、この記述にある『シュトロツェクの不思議な旅』が「二人の女性のどちらかを選ぶのではなく自殺」という筋ではないことを注記しておきます。そういうストーリーではないので、これはどちらかの聞き間違いか記憶違いだと思います。そして、「『スティル』に漏れたものが何故、……」以下の記述ですが、分かりにくいと思います。これは何を指しているかというと、『スティル』のLPレコードに、レコードの溝と中央のラベルの間にある部分にメッセージが刻まれていて、それが「ニワトリは止まろうとしない(The chicken won’t stop)」「ニワトリはここで止まる(The chicken stops here)」というものだということのようです。『スティル』のライナーノートから、これに関する記述を引用します。
 
伝えられるところによると、トニー・ウィルソンはA4の紙にLP2枚組分のグルーヴ・ノーテーション(訳注:レコードの録音帯と、中心のラベルの間の無音部に刻まれたメッセージ)を書き出したとのこと。そこから選ばれたのは「チキンは止まらない/チキンはここで止まる」だった。これらは『シュトロツェクの不思議な旅』からの直接的な引用である。

 このグルーヴ・ノーテーションの写真は、次のサイトの左下あたりにあるので参照してみてください。レコードの中央部分を拡大した写真を見ると、「The chicken won’t stop」と刻まれているのがわかります。
 リンジー・リードとミック・ミドルスの共著『Torn Apart - The Life of Ian Curtis』は、イアンが最後に話した人物はアニーク・オノレだった、と記し、アニークが17日の晩、夜9時ごろ電話でイアンと話したこと、その際にイアンが「ヘルツォークの映画を見ていた」と言っていたという証言を記しています。(p.255)

 テレビで放映されていた映画を、イアンがどの程度しっかり視聴していたのかはわかりません。しかし、自殺の前日にこの映画を見ていたということが、関係者たちの間で特に印象に残るエピソードであったということは言えると思います。私も、映画を見て、関係者たちがこの映画を気にしている理由が納得できました。
 映画のあらすじを簡単に書いてみましょう。

 ベルリンの刑務所を出所したブルーノ・シュトロツェクは、やくざの情婦エーファが、情夫に捨てられ、殴られているのを助け、自分のアパートに来ればいいと誘い、一緒に暮らしはじめます。アパートでは刑務所にいる間部屋を管理してくれていた友人で隣人の、シャイツ老人と再会を喜び合います。友人となった三人は、助け合って生活するようになりますが、ある日、エーファの情夫が仲間とアパートにやってきて、エーファに金を返せなどと因縁をつけて殴り、ブルーノもひどい暴行を受けます。そんな暮らしから逃れようと、ブルーノとエーファは、甥を頼ってアメリカへ行くというシャイツに同行することに決めます。“誰でも大金持ちになれる国アメリカ”へ、3人は旅立ちます。
 シャイツの甥が暮らしているウィスコンシンの片田舎で働きはじめ、テレビもあるトレーラーハウスを手に入れ、喜ぶ3人ですが、それらはローンの山によって得られたものでした。ブルーノとシャイツは英語が読めず、英語が読めるエーファに任せているのですが、山のような誓約書を不安に思い、ブルーノはエーファに大丈夫なのかと念を押します。エーファは自分が何とかするから大丈夫と答えます。じきにローンは支払えなくなり(これは私の想像ですが、最初から無理なローンだったようです)、エーファはトラック運転手と駆け落ちしてカナダへ行ってしまい、家は競売にかけられます。借金だけが残る結果に“自分たちは陰謀にかけられた”と主張するブルーノとシャイツですが、銀行は相手にしません。2人は当座の金を得るため町の床屋をライフル銃でおどして少しばかりの金を奪います。
 しかし、シャイツはすぐに逮捕され、ネイティブ・アメリカンの居住区に逃げ込んだブルーノはライフル銃を片手に山頂に向かうリフトに乗ります。そして銃声がとどろき……という、ブルーノの旅の果てまでが描かれています。

 前回の記事で紹介したこちらのサイトには、次のようにあります。

ヘルツォークといえば、代表作とされる『フィツカラルド』や『アギーレ 神の怒り』が代表作とされることが多く、誇大妄想を抱いた主人公が〈未開の地〉に乗り込んでいって文明の押しつけ、あるいは逆に自然の驚異にさらされて滅びて行く、主人公が挫折するという〈大きな物語〉の印象が強いかと思います。『シュトロツェクの不思議な旅』は、そういった作品群とは一線を画す作品です。ドイツで行き詰った主人公がアメリカに行く。しかし、そこで彼を待っていた「憧れの国」は、若者たちが夢見たような夢の国ではなく、いかにも薄っぺらい、イメージとしてのアメリカの〈残骸〉、もしくは戯画のようなものでしかない。そのようなアメリカが映画のなかでどのように描かれているか、これからご覧いただきたいと思います。

 主人公ブルーノの破滅する果ての地が「アメリカ」であったということは、この映画のポイントでもありますが、この映画とイアンとの関連という点において、私がまず気になったことでもあります。それから、同じサイトから次の解説を引用してみましょう。

また、ヘルツォーク映画ではかならず動物が出てきて観客に強い映画を残します。この作品でも、ある動物がショッキングな登場をいたしますので、注意してご覧いただければと思います。さらに、彼の作品では、ほとんどの場合、永久運動を思わせる〈回転運動〉が見られることがよく知られています。この映画でも、終盤で〈回転するもの〉が登場するので、やはりご注目ください。

 この「ショッキングな登場をする動物」とは、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』にあったニワトリです。主人公のブルーノが最後に逃げ込んだネイティブ・アメリカンの居住区のアトラクション施設に、からくり人形のミュージックボックス(オートマタの一種といえばいいでしょうか)があります。からくり人形の代わりに本物のニワトリや鴨、ウサギが中にいて、スイッチを入れると音楽が流れ、ピアノを弾いたりドラムを叩いたりダンスを踊ったり……ブルーノはスイッチを入れっぱなしにし、ライフル銃を持ってリフトに乗り込み、やがて銃声が鳴り響いて映画は終わります。ブルーノを追いかけてきた警官が「動物は踊りっぱなしだ」と言うように、ニワトリは小さな箱の中でくるくる回りながら踊り続けます。ブルーノが乗り捨てたトラックが無人のままロータリーを延々と回り続ける映像と交互に映し出され、それが「永久運動を思わせる〈回転運動〉」ということになるのでしょう。この回転運動は、永久に抜け出せないブルーノの哀しい運命を象徴しているように私は感じたのですが、とりわけ踊り続けるニワトリの映像は強烈で、これを見たとき、もしかしたらこのニワトリに、イアンは自分の姿を重ねたのではないかと思ってしまいました。個人的に、イアンの自殺は過労死のような面もあるのではないかという印象を私は持っていて、『Atrocity Exhibition』の「「Asylums with doors open wide(ドアが広く開かれた収容所)/Where people had paid to see inside(人々は金を払って中を見た)/For entertainment they watch his body twist(娯楽として彼らは彼の身体がよじられるのを見る)/Behind his eyes he says, I still exist(瞳の奥で彼は言う、「僕はまだ生きている」)」という詩の一節を、ぎりぎりの状態でステージに立っていたイアン自身の描写のように感じてしまうのです。そのイメージと、音楽にあわせて踊り続けるミュージックボックスの中に閉じ込められたニワトリとが、どうしてもシンクロしてしまいます。

 そして、主人公ブルーノ・シュトロツェクを演じている俳優、ブルーノ・Sの持っている独特の雰囲気。この存在感はこの映画の根幹ではないかと思います。このブルーノ・Sは、前掲の映画の紹介サイトの説明にあるように、かなり特異な経歴の俳優です。ナチが知的障碍者を集めていろいろな実験をするという施設に23年間もいたということですが、映画の後半に、ブルーノが施設にいた時のことを語る場面があり、主人公ブルーノは俳優ブルーノ・Sと重なり合う存在であることが窺えます。
 映画が始まってすぐに、この俳優の特異性を思わずにはいられませんでした。どことなくズレた間の取り方、ふと見せる無垢な表情、どこか遠くを見ているようなまなざし、等々。エーファの情夫とその仲間がアパートに押しかけ、部屋を荒らし、ブルーノを暴行する場面で、抵抗する様子はほとんど見せず、されるがままに暴力を受けているところなど、彼がずっと弱者で、虐げられる側で生きてきたということを象徴しているように思えました。一方『アギーレ/神の怒り』のクラウス・キンスキーは、虐げる側の象徴のような人物です。以前書きましたが、イアンは、障害者のための就活支援センターで働いていて、彼らに異常な興味を示し、懸命に尽くしていました。おそらく、このブルーノにも、彼らと似たものを感じ取ったのではないでしょうか。

 それでは、個人的に印象に残った場面を映画のストーリーに沿って振り返りながら、イアンを思い起こさせるところなどをもう少し細かく見ていきたいと思います。

『シュトロツェクの不思議な旅』とイアン・カーティス(1)

2015-02-15 20:58:45 | 日記
 長く更新が滞っておりました。その間アクセスいただいて読んでいただいた方々や、コメントをいただいた方々、ありがとうございます。自分は返信というのがどうもうまく書けず、(上手に返していらっしゃるブロガーさんとか感心します)あまりお返事できないままですみません。 再開する前に、以前いただいたコメントで、返信しようと書きかけてそのままになっていたことをまず書きたいと思います。
「She's Lost Control」について――(2)」の記事で、“イアンには笑っているイメージがないです”というコメントをいただきました。ジョイ・ディヴィジョンのメンバーは、普段はふつうに冗談を言って笑ったりしていたようですが、バンドのイメージ作りのため、イアンをはじめメンバーの笑っている写真はほとんどなかったようです。2010年に出版されたマンチェスター出身の写真家・ケヴィン・カミンス撮影の写真集『Joy Division』には、おそらくファンの間ではおなじみの写真の、別アングルから撮ったものなどが多数収録されています(残されているイアンの写真の多くはこの人の撮影によるものです)。例えば、写真集のインデックス番号80~94、1979年の1月に撮られた、雪のマンチェスターをメンバーたちが歩く一連の写真(「ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン」のジャケットになっている、雪の橋の上での写真は、そのうちの1枚です【インデックス番号92】)には、メンバーの笑顔をとらえたものがいくつかあり、新鮮に感じられました。スティーブン・モリスの笑顔が多いのが印象に残りますが、そのうち、イアンが少しだけ笑っているように見受けられる写真が1枚【インデックス番号80】あります。写真集全体の中でイアンの笑顔の写真はこれだけです。
 イアンの笑顔をとらえた映像も殆どないようですが、1つだけ印象深いものが、ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』にあります。ちょうど1stアルバム「アンノウン・プレジャーズ」についてバーナードが、そのサウンドが暗くて気に入らなかったと述べているあたり(37分前後)に、イアンの微笑んだ顔が、スローモーションで16秒程度映し出されます。この表情はとても自然で、穏やかな好青年といった感じがあり、また、幸せそうにも見えます。映像の出どころ、また、この箇所に使われた理由は分からないのですが、この直後に「She's Lost Control」の作詞のきっかけについてのエピソードをバーナードが語り、続いて1979年7月20日にグラナダテレビ「what's On」という番組で「She's Lost Control」を演奏するシーンに切り替わります。この映像の流れは、「ステージでは別人になった」というエピソードを思い起こさせるとともに、バンドが一気に有名になって、発病があって……というわずかの間にイアンに起こった劇的な変化を象徴するようでもあります。


 さて、ヴェルナー・ヘルツォークの「シュトロツェクの不思議な旅」のDVDを購入して視聴し、いくつか気になったことをブログに投稿したいと思いつつ、ずいぶん時間がたってしまいました。DVDに添付されていた解説(ブックレットのようなものではなく文庫判の1枚の紙)には、「……尚、イギリスの伝説的ロックバンド、[ジョイ・ディヴィジョン](後のニュー・オーダー)のボーカリストであるイアン・カーティスが、自殺の直前にTVで本作を見ていたことから、その影響を受けたのでは、と言われている。」とあり、「えっ!」と思いました。「見た」ことは確かですが、影響を受けたのかどうか……そのへんが今回の記事のテーマになります。ところで、この解説の最後には(パンドラ発行「陶酔!ヘルツォーク」より一部抜粋)とあるので、検索してみたところ、このページが見つかりました。しかしながらここには前述のような記述は見られませんでした。ウェブで公開されていない、当時発行されたパンフレットに載っていたのかもしれません。リンクをはったページは、この映画を見るうえで参考になる内容ですので、今後折を見て触れていきたいと思います。
 この映画は評判通り、暗く、絶望的な内容ですが、示唆に富んだ場面やセリフがいくつもあり、考えさせられるものでした。私自身はヘルツォークに関しての知識も乏しく、あれこれ語れるわけではないのですが、自分が見た限りで、もしイアンに影響を与えたとすればどういうところか、それから、どうしてもイアンの人生と重ねて見えてしまう場面があったりもしたので、そういったところを書いてみたいと思います。……と思いつつ、滞っていたわけですが、最近ヘルツォークの「アギーレ/神の怒り」を見たことをきっかけに、「シュトロツェクの不思議な旅」のシーンのいくつかについて、改めて考えさせられたこともあったので、まとまった形にはならないかもしれませんが、思いつくままを書いていきたいと思います。

「Interzone」――イアン・カーティスとウィリアム・バロウズ(4)

2013-07-24 22:18:32 | 日記
 「Interzone」で特徴的なのは「Trying to find a clue, trying to find a way to get out!」のシャウトのように、どこかへ向かっていこうとするエネルギーの強さです。内容を考えるにあたって、まず、「僕」の状況をまとめてみます。

1 街の境界をさまよっている。
2 何かわからない力に支配されている。
3 「彼女」がいた部屋で、部屋の中と外をながめている。
4 外は「鉄条網」「車」「ビル」など、マンチェスターを彷彿とさせる街。
5 あてもなくさまよっているのではなく、「友人を探す」という目的がある。

 この詩は、マンチェスターを思わせる都市が舞台( 4 )で、そこをさまよいながら誰かを待っている、あるいは探している( 5 )、という状況が共通しているところ、「部屋」と「外」との対比など、「Shadowplay」に似ていると私は思います。
ここで「Shadowplay」の「僕」の状況を同じようにまとめてみると、

1 全ての道が交差する街の中心で「君」を待っている
2 「隅に窓が一つある部屋」で真実を見つけた。
3 「君」は、暗殺者たちに存在をおびやかされている。
4 「僕」は「君」のことを利用し、そのことについて何らかの罪悪感を持っている。

となります。
 「Interzone」が書かれたのは1978年で、初期の作品です。1979年の「Shadowplay」が、ジョイ・ディヴィジョン特有の重苦しいサウンドであるのに対して、パンク・バンドだった頃の、世に出ていこうとする若いエネルギーを感じさせます。この曲調も詩の雰囲気に影響していると思われます。
ジョイ・ディヴィジョンが1978年の5月にRCAレコードで、デビューを前提にレコーディングを行ったことは過去記事に書きました
 このときレコーディングされた12曲のうち、11曲はオリジナル曲、そして1曲だけノーラン・ポーターの「Keep On Keepin' On」のカバーだったのですが、「Interzone」にはこの曲のリフが使われています。ノーラン・ポーターは、60年代から70年代にかけてイングランドの北部で流行したノーザン・ソウルのシンガーで、ポール・ウェラーもカバーしているようです(2004年発表のカバーアルバム「スタジオ150」の1曲目)。
 「Interzone」の「僕」は、境界と別の世界を行き来しているようです(1)が、そのために「集中」「目を閉じる」とあり、別の世界とは、意識下の世界のことではないか、と感じられます。詩には意識下のものが表れている、とは、「Interzone」――イアン・カーティスとウィリアム・バロウズ(1)の記事に引用したインタビューなどで、イアンが語っていることでもあります。「友人を探している」(5)というのは、詩のインスピレーションを探しているときの状況の比喩なのかもしれません。
 待っている対象が「君」だとはっきりしている「Shadowplay」(1)に対して、「Interzone」は探している友人(5)が1人なのか数人なのかはっきりしません。「Shadowplay」の「僕」と「君」との関係についてはいろいろと考えさせられるもので、過去に記事にしました。「Interzone」の「友人」からは、関係の密接さや深まりはあまり連想できません。全体にさまざまなイメージが盛りだくさんに記されていますが、一つの詩としての統一感や深みは、「Shadowplay」の方が優れているように思います。

 タイトルについてですが、「Interzone」――イアン・カーティスとウィリアム・バロウズ(1)の記事に引用したインタビューで、イアンが詩のタイトルと同名の書物とは直接関係はないと語っているように、バロウズの『裸のランチ』の「インターゾーン」と直接の関係を窺わせる部分はありません。「街の境界」が「インターゾーン」であると連想させますが、そこにタンジールのイメージはありません。
 「インターゾーン(インターナショナルゾーン 特定の国に属さない国際管理区域)」、また「境界」という言葉は、バロウズの『裸のランチ』を知らなくても、それだけで魅力的な響きを持っている、と思います。どこの世界にも属さない場所、普通だったら出会わないようなもの同士が出会う場所――古くから文学の世界でも「境界」は異界と出会う場所として設定されていたりもします。そこが「自由」を感じさせたり、今ある状況から解放されるような前向きなイメージをもつこともあります。バロウズが訪れる以前のタンジールがまさにそうであったように。しかし、バロウズにとっては、「タンジールはエネルギーがどこに向けても同じだけ発散しているため身動きがとれない。その結果、滅びかかっている宇宙のように衰えてきている」(「Interzone」――イアン・カーティスとウィリアム・バロウズ( 2 )の記事で引用した、『地の果ての夢 タンジール』p.220~221)という場所でした。死と隣りあわせの、死にかかっているような人々がこれでもかという負のエネルギーを発散させているところ、それがバロウズの描いた「インターゾーン」であり、バロウズにおける「境界」です。
 イアンがこの詩に「インターゾーン」というタイトルをつけたのは、前出のインタビューにあるように、詩の観念と合うところがあったからなのでしょう。単に「境界」(=インターゾーン)というだけではなく、この詩が「インターゾーン」というタイトルにふさわしいと思えるところ、バロウズの「インターゾーン」と通じていると思えるところは、いろいろな人や物が交わっているところ、そして、どこかへ向かっていこうとするエネルギーが強く表れているところにあります。「止まる場所もない 行く場所もない」という状況の中で、「やり続けなければならない」という、その行き着く先は、おそらくあまりいいところではなく、下降していくだけだろうという暗示を、バロウズの「インターゾーン」を知ると、感じざるを得ません。
 前々回の「Interzone」――イアン・カーティスとウィリアム・バロウズ( 2 )の記事で引用した、「『すべてはどんどん悪くなる』というバロウズの世界観」(『たかが、バロウズ本』p.114)ですが、これでもかという位の、醜悪な「インターゾーン」の表現は切実で、迫力があります。たとえば、ナチズムなどの歴史上の人類の負の遺産を題材にした作品には、それが単にツールとして利用されているように感じられるものもあります(具体的な作品名を挙げるのは控えますが)。一方『裸のランチ』に満ちている不快感を与える描写の数々は、バロウズが「作家が書くことができるものは、ただ一つ、書く瞬間に自分の感覚の前にあるものだけだ」(『裸のランチ』河出文庫版p.302)と書いている通り、実感に裏付けられています。イアンをはじめ多くのミュージシャンやアーティストが引きつけられたのは、バロウズのこの“ヌルくない”否定の力だったのではないでしょうか。遠くにあるものではなく、自分の足下を何の感傷もまじえずに有無をいわさず否定しつくしていく、そんな徹底した姿勢がバロウズの存在感ともなっているように思います。
 ここで、そうした切実で説得力がある言葉と、作品としての完成度について少し考えてみたいと思います。
 力のある言葉が思いつくままに並べられているだけでは作品として成立しません。一見思いのままに書き殴ったようにも見える『裸のランチ』には、「アネクシア」「インターゾーン」「フリーランド」という設定で示唆されていた世界の構造があります。壮絶な体験が説得力のある言語で表現されているというだけではなく、それをコントロールしながら世界の構造について描こうとする意志を確かに感じさせます。そのバランスの上に成立している『裸のランチ』は、どぎつい描写でショックを与えるだけではなく、自分たちのいる世界について、問い質してもいると思うのです。
 イアンについても、言葉と作品の関係については同じだと思います。『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』所収の詩集には、未発表の詩に加え、「Unfinished Writings」という、詩作の段階のノートの一部とみられるものが収録されています。一部抜粋してみると、「忘れる人々/帝国が分裂し出すと/忘れる人々が持ち出したのは/少数派の人々/いかなる正義も/いかなる思想も/苦味があり 分裂されがち……反応するのに強情を張る、人類の欠点。ハンディキャップはどんなこと?……」というような文句がかなり長く、大量に記されています。そこに羅列されている言葉の数々は、それぞれイアンの個性を感じさせるものですが、完成された詩と比べると、訴えてくる力はやはり弱いのです。こうした言葉が自在に浮かぶ才能だけでなく、さらにそれらを上手くコントロールすることができてはじめて詩になるのだということが、完成された詩と比べるとよく分かります。思いが強くて言いたいことほどうまく伝えられないという面は誰しもありますが、その葛藤とそれをコントロールする技術の絶妙なバランスにより、一つの作品が成立しているのだと改めて思います。
 イアンのそうした作家としての能力は短い間に進化していると思います。「Interzone」(1978年)と「Shadowplay」(1979年)だけを比較してみても顕著だと思います。「Interzone」のような初期の作品を見ていると、いろいろ盛り込みすぎな感もあります。例えばバロウズのように、世界の構造について描きたいという意志も感じるのですが、こういう傾向は、次第に影を潜め、自分にとって身近な何かとの関係を深く追究するような方向になっていったように思います。

「Interzone」――イアン・カーティスとウィリアム・バロウズ(3)

2013-06-09 20:55:28 | 日記
 イアンの歌詞を読んでみたいと思います。
 邦訳本『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』所収の詩集を参考にした拙訳です。


I walked through the city limits,            僕は街の境界をくまなく歩いた
Someone talked me in to do it,             誰かにそうするように言われて 
Attracted by some force within it,           何かに強く惹き付けられ
Had to close my eyes to get close to it,        近づくには目を閉じなければならなかった
Around a corner where a prophet lay,         予言者が横たわる角の辺り
Saw the place where she'd a room to stay,      彼女が泊まった部屋を見た
A wire fence where the children played.        鉄条網で子供たちが遊んでいた
Saw the bed where the body lay,             彼女の横たわるベッドを見た
And I was looking for a friend of mine.          そして僕はある友人を探していた
And I had no time to waste.                無駄にする時間はなかった
Yeah, looking for some friends of mine.         そう 何人か友人を探していた


The cars screeched hear the sound on dust,       車が砂ぼこりをあげ キーと音を鳴らした
Heard a noise just a car outside,              ノイズを聞くとちょうど外で車が
Metallic blue turned red with rust,             メタリック・ブルーは錆びて赤くなっていた
Pulled in close by the building's side,            ビルの近くまで引き寄せられ
In a group all forgotten youth,                忘れられた若者たちのグループの中         
Had to think, collect my senses now,            今こそ気持ちを集中して考えなければならない
Are turned on to a knife edged view.            研ぎ澄まされ興奮する
Find some places where my friends don't know,      友人たちが知らない場所を見つけた
And I was looking for a friend of mine.            僕はある友人を探していた
And I had no time to waste.                  無駄にする時間はなかった
Yeah, looking for some friends of mine.           そう 何人か友人を探していた


Down the dark streets, the houses looked the same,    暗い道を下りて行くと住居はみんな同じに見えた
Getting darker now, faces look the same,           どんどん暗くなり顔の見分けがつかない 
And I walked round and round.                  僕はぐるぐる歩き回った
No stomach, torn apart,                     食欲がなく 心がかき乱れる
Nail me to a train,                         僕を列車に釘付けにして   
Had to think again,                         もう一度考えなければ
Trying to find a clue, trying to find a way to get out!    手がかりを探して 脱出する方法を見つけようとして
Trying to move away, had to move away and keep out.    立ち去ろうとして 立ち去って進み続けなければ


Four, twelve windows, ten in a row,              4つ 12の窓 一列に10
Behind a wall, well I looked down low,              壁の後ろで僕は下を見下ろした
The lights shined like a neon show,              光がネオン・ショーのように輝いた 
Inserted deep felt a warmer glow,               深く差し込み暖かい喜びを感じた
No place to stop, no place to go,               止まる場所もない 行く場所もない
No time to lose, had to keep on going,            失う時間はない やり続けなければならない
I guessed they died some time ago.              彼らはもう死んだのかもしれない
I guessed they died some time ago.              彼らはもう死んだのかもしれない
And I was looking for a friend of mine.             そして僕はある友人を探していた
And I had no time to waste.                   無駄にする時間はなかった
Yeah, looking for some friends of mine.            そう何人か友人を探していた 

 気になるところ、わからないところ、注意したいところを順に書いていきます。
 まず、第1連から。「僕」は「境界」(インターゾーン)にいます。それは、何かによってそこに引き寄せられているためです。近づくには目を閉じなければならない、とありますが、境界の先にあるのは意識下の世界でしょうか。詩には意識下にあるものが表れている、とインタビューで語っているところから、そんな考えが生じます。
「予言者が横たわる角」「彼女が泊まった部屋」など、具体的な情景が出てきます。「予言者」「彼女」に関する描写は、寓話的なようにもみえますが、何を象徴しているかはよく分かりません。
「友人を探す」という、詩全体を通じて繰り返されるフレーズが出てきます。この友人ですが、「a friend of mine」「some friends of mine」とあり、一人なのか何人かいるのか、はっきりしません。とにかく、「友人を探す」というのは重要な目的で、「無駄な時間がない」というように切迫しています。

 第2連にも、具体的な情景が出てきます。「車」「ビル」など、ここはマンチェスターのような街のように見えます。「忘れられた若者たち」というのは、探している友人たちとは違うようですが、その中で「集中」して、意識を「研ぎすませる」というのは、やはり意識下の別世界に入っていくためでしょうか。そこで「友人を探す」というのです。

 第3連に「暗い道を下りて行くと住居はみんな同じに見えた」とあるのですが、このあたりまでの街の描写は、ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』の冒頭で描かれていたマンチェスターの光景を私に想記させました。参考までに記しておきましょう。
 まず、トニー・ウィルソンの発言です。「70年代のマンテェスターは、歴史に翻弄され、見捨てられていた。近代世界の中心的存在で産業革命も起こした街。だが最悪の状況も引き起こした。当時は本当にさびれてすすけた、汚い街だった。」
続いてバーナードの発言です。「いつもきれいなものを求めていた。9歳の時初めて木を見た。〈略〉周りは工場ばかりできれいなものは皆無だ。」
 さらに、スティーブンの発言です。「はじめて行った時、マンチェスターは家がびっしり並んでいた。次に行った時は瓦礫の山と化し、次に行った時はビルの建設ラッシュ。そして僕が10代になる頃にはコンクリートの要塞になってた。当時は未来的に見えた。でも“コンクリートの癌”が始まって醜悪になった。」
 これらの発言の背景に映し出される巨大なマンションは、まさに威圧感のある「みんな同じに見える住居」です。
 イアンが少年時代を過ごしたのは、マンチェスターの郊外にあるマックルズフィールドですが、マックルズフィールドの光景については、ジャン・ピエールターメルの記事「Licht und Blindheit」(「Heart and Soul」のライナーノートに所収)の次の箇所が参考になるでしょう。「イアン・カーティスは1956年7月15日に警察の輸送機関で働いている父親の長男として生まれた。10代の頃、彼の両親はマクレスフィールドの郊外にある、ハダスフィールドから、ヴィクトリア・パーク駅近くの、60年代の巨大なアパートに移ってきた。〈略〉(マクレスフィールドは)そびえたつペニン山脈が現実逃避と魔術的な虚しさを提供するような、小さな町だ。『丘に囲まれていて、実際、とてもいいところだよ。』とサムナーは言う。『でも、冬の夜にそのあたりをドライヴしてごらんよ、僕も以前やってみたんだけど、通りには命の気配がまったくないんだ。』」
 イアンの歌詞に出てくる都市の描写からは、こうした、イングランド北部の都市のイメージが感じられます。どこか無機質で、独特の翳りがあり、人情が表面的に表れてはこない――そんな街が、この詩の背景にはあると思われます。
そんな中、「ぐるぐる歩き回る」「食欲がなく心がかき乱れる」など、いよいよ切迫した状況になります。そこで分からないのが「Nail me to a train,」です。「train」は「列」と訳してもいいのかもしれませんが、「train」に釘付けにする、というのはどういうことなのでしょう。そうやって「もう一度考えなければ」というのは、これもやはり意識下に沈潜していくための集中のことを言っているのではないでしょうか。しかし、どうもこの「Nail me to a train,」は唐突でよく分かりません。続いて「手がかりを探して」「脱出する方法を見つけようとして」とあるので、「Nail me to a train,/Had to think again, 」は、やはり境界から別世界へ進入するための過程であるとは思います。

 最後の第4連の冒頭にも、具体的な情景が描かれています。何か建物の様子です。そこで「光が輝く」と、「深い喜び」の感情が生じてきます。するとそこで、「止まる場所もない 行く場所もない」という行き詰まりの状態が記されます。「彼らはもう死んだのかもしれない」という「彼ら」とは、探している友人のことなのでしょうか。
 以上、気になった点を挙げてみましたが、続いて、「僕」の状況を確認した上で、表面的にはほとんど無いと思われるバロウズの「インターゾーン」に通じるところについて考えてみたいと思います。